上 下
15 / 35

第15話 来訪者。

しおりを挟む
 その日、屋敷は朝から慌ただしかった。
 先日から、今日がどんな日であるかは知らされていた。けれど、だからといって仕事の忙しさが減るわけではない。

 (まあ、急に知らされてあわてるよりはましだけれど)

 その日の朝、屋敷に訪れた人物。
 マルスリーヌ・イルゼンド。
 リーナの以前の勤め先だった、イルゼンド伯爵家の令嬢が、朝早くからクラウドに会いに訪れていたのだ。
 どうやら、マルスリーヌ嬢は、クラウドと乗馬に出かける約束をしていたらしい。
 夜明けとともに、本家から馬丁ブルームが、クラウドの馬を連れてきていた。栗毛の、馬の良し悪しもわからないリーナでも「いい馬だ」と思える、そんなクラウドの馬。
 クラウドの仕度が出来るまで、マルスリーヌを広間サルーンで対応するのは、ミセス・アマリエの仕事だった。
 滅多に訪れることのない、数少ない来訪者に、アマリエをはじめエレンもジョージも、顔を合わせることもないハンスですらも、緊張と慌ただしさを感じている。
 リーナは、そんなお屋敷のなかで、アマリエの手伝いとして、一緒にお茶の用意をする。
 乗馬服に身を包んだマルスリーヌ嬢は、リーナの目から見ても完璧で、濃い金の髪をまとめ上げたその姿は、まぶしいぐらいにステキだった。
 音を立てずに用意した紅茶を飲む。そのティーカップを持ち上げる仕草一つまで、令嬢としての彼女の素晴らしさを表していた。

 (ホント、クラウドさまとお似合いだわ)

 金の髪のマルスリーヌと、銀の髪のクラウド。華やかな二人の並ぶ姿は、きっと、絵物語の王子王女のように素晴らしいに違いない。

 「お待たせしました、イルゼンド嬢」

 リーナが想像していたより立派な風貌で、クラウドが広間サルーンにやってきた。乗馬服姿の彼は、いつもの何倍も素晴らしかった。思わず、動くのを止めて見とれてしまう。

 「お誘いいただき、うれしく思いますよ」

 「わたくしも、今日が楽しみで。昨夜はなかなか眠れませんでしたわ」

 礼儀にのっとって、クラウドがマルスリーヌの手の甲に口づける。それを当たり前のように受けるマルスリーヌの姿に、リーナは軽く羨望の眼差しを送る。
 夢のように素晴らしい、貴族の世界。
 それを目の前で見ることが出来るなんて。町の劇役者の繰り広げる世界とは全く違う。
 本物は、とても自然で優雅で、うっとりしてしまいそうなほど気品に満ち溢れていた。見ているこちらも、思わずため息を漏らしてしまう。

 「では、参りましょうか」

 クラウドの差し出した腕を、当然とばかりにマルスリーヌがとる。その二人の姿に、アマリエと二人、頭を下げて見送る。

 「あー、やっと落ち着いた」

 二人を送り出してから、ジョージがもらした。

 「ああいうお嬢さまってやつが来ると、肩がこるから苦手だな」

 言いながら、肩をグルグル回す。

 「何言ってるのよ。肩がこるも何も、アンタは何もしてないじゃない」

 呆れたように言うのはエレン。

 「まあ、何もしてなくてもさ。空気が変わるからイヤなんだよ」

 「それは、わからないではないけど」

 エレンがジョージに理解を示す。リーナのように直接マルスリーヌに会ってはいないが、それでもエレンだって緊張はしていただろう。

 「でも、こういうことも若様には必要だわ」

 「まあな。いつまでも独身ってわけにはいかないからなあ」

 そうなのだろうか。貴族の結婚というものがわかっていないリーナには、今クラウドがどういう状況なのか、理解できていない。

 「でもさ。あのお嬢さまはハズレだぜ?」

 ジョージが声をひそめる。

 「ハズレ?」

 エレンが顔を近づけて問いかける。ここだけの話、とばかりのウワサに、ついリーナも顔を寄せる。

 「ああ、大ハズレ。若様は、あのご令嬢に興味持ってねえから」

 「どういうこと?」

 「いやな。以前は結構足繁く通ってたのによ、ある日突然、パッタリと伯爵家に行かなくなっちまったんだよな」

 従僕バレットのジョージは、クラウドがどこかを訪問するときには、必ずついていく。それが彼の仕事だ。その彼が言うのだから、間違いないのだろう。

 「オレが思うによ。あのお嬢さまにすっげー欠点があるんだよ、絶対」

 自分の導き出した答えに、勝手に頷く。

 「あのお嬢さまに?」

 エレンが驚いたような声を上げた。
 リーナもエレンと同じだ。あのマルスリーヌ嬢のどこに、そのような欠点があるというのだろう。
 どこから見ても完璧なまでの令嬢。クラウドと並んでも遜色ない容姿。

 「たとえば、うーん、そうだなあ。とてつもなく悪食だとか」

 「は?」

 「ものすごぉぉく食い意地張っててさ、若様の分まで食っちまうとか」

 「え?」

 「それかとんでもねえ酒乱。陽気を通り越して、人に絡み続ける酒癖で底なしの酒豪」

 「え、それって……」

 ジョージの推論に、聞き役のリーナとエレンはキョトンとして、互いの目を合わせる。マルスリーヌ嬢がどうこう言うよりー―。

 「ああ、近づいてみたら、とんでもなく屁が臭かったとか……ありえるな」

 「――それって全部アンタのことでしょ、ジョージ」

 持論に頷くジョージに、エレンがツッコむ。
 
 「よけいな詮索は感心しませんよ、ジョージ」

 三人のひそひそ話をアルフォードが聞きとがめる。リーナとエレンは、それ以上話すことをやめたが、ジョージはせっかくのネタをとめられて不満そうだ。

 「だってさ、今日の遠乗りだって、あのお嬢さまの、どうしてもってお願いで実現したやつなんだろ? もうずっと若様があっちのお屋敷を訪れてないから、それで必死になって気を引こうって作戦で…、って、痛てててっ!!」

 「まったく、おしゃべりが好きな口だね、この口は」

 アマリエが自分より背の高い息子の頬を、つねるように引っ張る。

 「クラウドさまには、なにかお考えがあるのだから、お前が勝手に面白おかしく話すんじゃありません」

 「ふぁい……」

 ジョージが情けない声を上げると、ようやくアマリエがその手を離した。

 「さあ、リーナ、エレン。クラウドさまがお留守でも仕事はたくさんありますよ。早く準備に取り掛かりなさい」
 パンパンと手を鳴らされ、リーナ達は、屋敷のなかに戻る。

 「ねえ、ジョージ」

 頬をさすりながら歩くジョージに声をかける。

 「その、クラウドさまが、あちらのお屋敷に行かなくなったのって、いつぐらいのことなの!?」

 あちらの屋敷では、クラウドとマルスリーヌの婚約は、時間の問題だと言われていた。しかし、本当はそうではなかったのだろうか。

 「ああ、確か……、三か月ぐらい前、じゃなかったかな」

 「三か月前……」

 なぜだろう。その言葉が気にかかる。
 三ヶ月前に何があったんだろう。
 しかし、ジョージも言われていたように、主のことを詮索するのはいいことではない。
 誰に訊ねることも出来ない好奇心を抱え、エレンのあとを追うように仕事に戻っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冷酷無比な国王陛下に愛されすぎっ! 絶倫すぎっ! ピンチかもしれませんっ!

仙崎ひとみ
恋愛
子爵家のひとり娘ソレイユは、三年前悪漢に襲われて以降、男性から劣情の目で見られないようにと、女らしいことを一切排除する生活を送ってきた。 18歳になったある日。デビュタントパーティに出るよう命じられる。 噂では、冷酷無悲な独裁王と称されるエルネスト国王が、結婚相手を探しているとか。 「はあ? 結婚相手? 冗談じゃない、お断り」 しかし両親に頼み込まれ、ソレイユはしぶしぶ出席する。 途中抜け出して城庭で休んでいると、酔った男に絡まれてしまった。 危機一髪のところを助けてくれたのが、何かと噂の国王エルネスト。 エルネストはソレイユを気に入り、なんとかベッドに引きずりこもうと企む。 そんなとき、三年前ソレイユを助けてくれた救世主に似た男性が現れる。 エルネストの弟、ジェレミーだ。 ジェレミーは思いやりがあり、とても優しくて、紳士の鏡みたいに高潔な男性。 心はジェレミーに引っ張られていくが、身体はエルネストが虎視眈々と狙っていて――――

かつて私を愛した夫はもういない 偽装結婚のお飾り妻なので溺愛からは逃げ出したい

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※また後日、後日談を掲載予定。  一代で財を築き上げた青年実業家の青年レオパルト。彼は社交性に富み、女性たちの憧れの的だった。  上流階級の出身であるダイアナは、かつて、そんな彼から情熱的に求められ、身分差を乗り越えて結婚することになった。  幸せになると信じたはずの結婚だったが、新婚数日で、レオパルトの不実が発覚する。  どうして良いのか分からなくなったダイアナは、レオパルトを避けるようになり、家庭内別居のような状態が数年続いていた。  夫から求められず、苦痛な毎日を過ごしていたダイアナ。宗教にすがりたくなった彼女は、ある時、神父を呼び寄せたのだが、それを勘違いしたレオパルトが激高する。辛くなったダイアナは家を出ることにして――。  明るく社交的な夫を持った、大人しい妻。  どうして彼は二年間、妻を求めなかったのか――?  勘違いですれ違っていた夫婦の誤解が解けて仲直りをした後、苦難を乗り越え、再度愛し合うようになるまでの物語。 ※本編全23話の完結済の作品。アルファポリス様では、読みやすいように1話を3〜4分割にして投稿中。 ※ムーンライト様にて、11/10~12/1に本編連載していた完結作品になります。現在、ムーンライト様では本編の雰囲気とは違い明るい後日談を投稿中です。 ※R18に※。作者の他作品よりも本編はおとなしめ。 ※ムーンライト33作品目にして、初めて、日間総合1位、週間総合1位をとることができた作品になります。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

色々と疲れた乙女は最強の騎士様の甘い攻撃に陥落しました

灰兎
恋愛
「ルイーズ、もう少し脚を開けますか?」優しく聞いてくれるマチアスは、多分、もう待ちきれないのを必死に我慢してくれている。 恋愛経験も無いままに婚約破棄まで経験して、色々と疲れているお年頃の女の子、ルイーズ。優秀で容姿端麗なのに恋愛初心者のルイーズ相手には四苦八苦、でもやっぱり最後には絶対無敵の最強だった騎士、マチアス。二人の両片思いは色んな意味でもう我慢出来なくなった騎士様によってぶち壊されました。めでたしめでたし。

皇帝陛下は皇妃を可愛がる~俺の可愛いお嫁さん、今日もいっぱい乱れてね?~

一ノ瀬 彩音
恋愛
ある国の皇帝である主人公は、とある理由から妻となったヒロインに毎日のように夜伽を命じる。 だが、彼女は恥ずかしいのか、いつも顔を真っ赤にして拒むのだ。 そんなある日、彼女はついに自分から求めるようになるのだが……。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

元男爵令嬢ですが、物凄く性欲があってエッチ好きな私は現在、最愛の夫によって毎日可愛がられています

一ノ瀬 彩音
恋愛
元々は男爵家のご令嬢であった私が、幼い頃に父親に連れられて訪れた屋敷で出会ったのは当時まだ8歳だった、 現在の彼であるヴァルディール・フォルティスだった。 当時の私は彼のことを歳の離れた幼馴染のように思っていたのだけれど、 彼が10歳になった時、正式に婚約を結ぶこととなり、 それ以来、ずっと一緒に育ってきた私達はいつしか惹かれ合うようになり、 数年後には誰もが羨むほど仲睦まじい関係となっていた。 そして、やがて大人になった私と彼は結婚することになったのだが、式を挙げた日の夜、 初夜を迎えることになった私は緊張しつつも愛する人と結ばれる喜びに浸っていた。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】軍人彼氏の秘密〜可愛い大型犬だと思っていた恋人は、獰猛な獣でした〜

レイラ
恋愛
王城で事務員として働くユフェは、軍部の精鋭、フレッドに大変懐かれている。今日も今日とて寝癖を直してやったり、ほつれた制服を修繕してやったり。こんなにも尻尾を振って追いかけてくるなんて、絶対私の事好きだよね?絆されるようにして付き合って知る、彼の本性とは… ◆ムーンライトノベルズにも投稿しています。

媚薬を飲まされたので、好きな人の部屋に行きました。

入海月子
恋愛
女騎士エリカは同僚のダンケルトのことが好きなのに素直になれない。あるとき、媚薬を飲まされて襲われそうになったエリカは返り討ちにして、ダンケルトの部屋に逃げ込んだ。二人は──。

処理中です...