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第14話 ASH。
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「あ、こらダメよ、アッシュ」
机の上、書きものをするリーナの前に、アッシュがデンっと灰色の身体を伸ばして邪魔をする。
「明日までに、これを全部覚えたいんだから、邪魔しないで」
ヒョイッと抱き上げ、床に降ろす。
今、リーナがやっているのは、日中学んだ文字の復習だった。
一度書いただけでは、簡単に覚えられない。何度も書いて練習する必要がある。
クラウドは、明日も文字を教えてくれると言うが、それまでに、今日習ったことだけでも覚えておきたい。
いただいた貴重な紙に、何度も文字をくり返して書く。
「A、B、C、D、E、F、G……」
なるべく声に出して、くり返し。音と文字が一緒に覚えられるように。
(Aって、アッシュの名前の頭文字なのかしら)
文字の読みが解ったところで、つづりまでは解らない。
紙の端に自分の名前、Linaを書く。そして、その下の空いているところにいつか。
ーーいつか、アッシュの名前も書いてやりたい。
自分の大切な友だち。言葉は交わせなくても、リーナにとって、アッシュの存在は分かちがたいほど大切なものになっていた。
アッシュのためにも、文字をドンドン覚えて、この屋敷で働いていきたい。この屋敷で四本足の獣を手なずけることは禁じられていると言われたけれど、他に行くあてもない身の上だ。このまま隠し通して生きていくしかない。もしかしたら、ちゃんと役に立つまでになれば、アッシュのことがバレても、働かせてもらえるかもしれない。
それに、文字を教えてくれたクラウドのためにも、ちゃんと覚えてお役に立ちたい。熱心に教えてくれたあの、クラウドの声、手――。
(――――っ!! ってダメよ。何を思い出してるのっ!!)
昼間の、クラウドの声が頭のなかでグルグル回りだす。
クラウドにしてみれば、ただ熱心に文字を教えただけなのかもしれない。少しでも役に立つメイドになってほしい。それぐらいの考えなのだろう。
それを変な風に意識するのは、間違っている。
軽く頭をふって、もう一度、文字を書くことに集中する。
「a、b、c、d、e、f、g……」
明日までに文字を全て覚えて、あの熱心なクラウドに褒めてもらいたい。
リーナのなかに、そんな感情が微かながらに芽生えていた。
* * * *
「ほう、なかなかきちんと覚えてきているじゃないか」
翌日、再び学びの場となった書斎で、クラウドが感嘆の声を上げた。
習った通りの几帳面なリーナの文字。それを確認しての言葉だった。
至らない点がないかどうか心配していたリーナは、ホッと胸を撫でおろす。
昨夜は、さんざん文字の練習をした。夜が更けても、アッシュが寂しさのあまりふてくされたような態度で眠ってしまっても、それでもリーナは練習を続けていた。
その成果が、こうして褒められることにつながると、やはり心が浮き立つ。
(今夜は、このことをアッシュに報告してあげよう)
昨日はアッシュにかわいそうなことをしてしまったから、今夜は、大事にしてあげたい。
「文字を覚えたら、次は単語だが……。なにか、覚えたい言葉はあるか?」
「……えっ?」
「好きな言葉から覚えると、上達も早いだろうからな。なんだって教えてやる」
そういうものなのだろうか。
好きな言葉、と言われてもとっさにリーナに思いついたのは、たった一つしかなかった。
「で、では、〈アッシュ〉のつづりを教えていただけませんか?」
「〈アッシュ〉……?」
クラウドが手を止め、怪訝な顔をした。
言ってしまってから、リーナも後悔する。
好きな言葉と言われて〈灰〉はないだろう。
「あ、あのっ、その若様の御髪の色が、ステキだなって思って……」
言い訳を精一杯考える、が。
(ステキな銀髪なのに、それを私ったら……‼)
ハッと口を押さえ、身をすくめる。
銀髪を灰色だなどと評するとは。灰色と銀色は似てはいるが、与える印象は月と太陽、乞食と王さまほどの差がある。
「ああ、この髪の色か」
さして気を悪くしたわけでもなく、クラウドが自分の髪をつまみ上げた。
「この髪の色なら、〈アッシュグレイ〉だな」
サラサラと紙に書きつける。
――Ash Grey――
その単語に、トキンとリーナの胸が高鳴った。
(これが、アッシュの名前……)
文字として書かれただけで、それを愛おしく感じる。
「髪の色だけでいいのか?」
「あ、では、若様のお名前もお教え願えませんか?」
猫のアッシュより後になってしまったが、クラウドの名前も、読めるように書けるようになっておきたい。
ここまで親切にしてくれる、大切な主を忘れないために。
「それなら、クラウドだ」
アッシュよりも大きな文字で紙に書かれた。
「この先、届いた手紙なんかの仕分けもあるかもしれないからな。しっかり覚えておけ」
「はい」
Ash。そしてCloud。
この二つの言葉は、リーナにとって大切な宝物のような言葉だ。たとえこの先、どこで働くことになっても、決して忘れてはいけない言葉。
その日、リーナは、この大切な言葉だけを覚えようと、何度も紙に書き連ねた。
机の上、書きものをするリーナの前に、アッシュがデンっと灰色の身体を伸ばして邪魔をする。
「明日までに、これを全部覚えたいんだから、邪魔しないで」
ヒョイッと抱き上げ、床に降ろす。
今、リーナがやっているのは、日中学んだ文字の復習だった。
一度書いただけでは、簡単に覚えられない。何度も書いて練習する必要がある。
クラウドは、明日も文字を教えてくれると言うが、それまでに、今日習ったことだけでも覚えておきたい。
いただいた貴重な紙に、何度も文字をくり返して書く。
「A、B、C、D、E、F、G……」
なるべく声に出して、くり返し。音と文字が一緒に覚えられるように。
(Aって、アッシュの名前の頭文字なのかしら)
文字の読みが解ったところで、つづりまでは解らない。
紙の端に自分の名前、Linaを書く。そして、その下の空いているところにいつか。
ーーいつか、アッシュの名前も書いてやりたい。
自分の大切な友だち。言葉は交わせなくても、リーナにとって、アッシュの存在は分かちがたいほど大切なものになっていた。
アッシュのためにも、文字をドンドン覚えて、この屋敷で働いていきたい。この屋敷で四本足の獣を手なずけることは禁じられていると言われたけれど、他に行くあてもない身の上だ。このまま隠し通して生きていくしかない。もしかしたら、ちゃんと役に立つまでになれば、アッシュのことがバレても、働かせてもらえるかもしれない。
それに、文字を教えてくれたクラウドのためにも、ちゃんと覚えてお役に立ちたい。熱心に教えてくれたあの、クラウドの声、手――。
(――――っ!! ってダメよ。何を思い出してるのっ!!)
昼間の、クラウドの声が頭のなかでグルグル回りだす。
クラウドにしてみれば、ただ熱心に文字を教えただけなのかもしれない。少しでも役に立つメイドになってほしい。それぐらいの考えなのだろう。
それを変な風に意識するのは、間違っている。
軽く頭をふって、もう一度、文字を書くことに集中する。
「a、b、c、d、e、f、g……」
明日までに文字を全て覚えて、あの熱心なクラウドに褒めてもらいたい。
リーナのなかに、そんな感情が微かながらに芽生えていた。
* * * *
「ほう、なかなかきちんと覚えてきているじゃないか」
翌日、再び学びの場となった書斎で、クラウドが感嘆の声を上げた。
習った通りの几帳面なリーナの文字。それを確認しての言葉だった。
至らない点がないかどうか心配していたリーナは、ホッと胸を撫でおろす。
昨夜は、さんざん文字の練習をした。夜が更けても、アッシュが寂しさのあまりふてくされたような態度で眠ってしまっても、それでもリーナは練習を続けていた。
その成果が、こうして褒められることにつながると、やはり心が浮き立つ。
(今夜は、このことをアッシュに報告してあげよう)
昨日はアッシュにかわいそうなことをしてしまったから、今夜は、大事にしてあげたい。
「文字を覚えたら、次は単語だが……。なにか、覚えたい言葉はあるか?」
「……えっ?」
「好きな言葉から覚えると、上達も早いだろうからな。なんだって教えてやる」
そういうものなのだろうか。
好きな言葉、と言われてもとっさにリーナに思いついたのは、たった一つしかなかった。
「で、では、〈アッシュ〉のつづりを教えていただけませんか?」
「〈アッシュ〉……?」
クラウドが手を止め、怪訝な顔をした。
言ってしまってから、リーナも後悔する。
好きな言葉と言われて〈灰〉はないだろう。
「あ、あのっ、その若様の御髪の色が、ステキだなって思って……」
言い訳を精一杯考える、が。
(ステキな銀髪なのに、それを私ったら……‼)
ハッと口を押さえ、身をすくめる。
銀髪を灰色だなどと評するとは。灰色と銀色は似てはいるが、与える印象は月と太陽、乞食と王さまほどの差がある。
「ああ、この髪の色か」
さして気を悪くしたわけでもなく、クラウドが自分の髪をつまみ上げた。
「この髪の色なら、〈アッシュグレイ〉だな」
サラサラと紙に書きつける。
――Ash Grey――
その単語に、トキンとリーナの胸が高鳴った。
(これが、アッシュの名前……)
文字として書かれただけで、それを愛おしく感じる。
「髪の色だけでいいのか?」
「あ、では、若様のお名前もお教え願えませんか?」
猫のアッシュより後になってしまったが、クラウドの名前も、読めるように書けるようになっておきたい。
ここまで親切にしてくれる、大切な主を忘れないために。
「それなら、クラウドだ」
アッシュよりも大きな文字で紙に書かれた。
「この先、届いた手紙なんかの仕分けもあるかもしれないからな。しっかり覚えておけ」
「はい」
Ash。そしてCloud。
この二つの言葉は、リーナにとって大切な宝物のような言葉だ。たとえこの先、どこで働くことになっても、決して忘れてはいけない言葉。
その日、リーナは、この大切な言葉だけを覚えようと、何度も紙に書き連ねた。
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