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若松だんご

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或る書曰く

七、百重なす心 思へど(七)

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 「いや、いい。みなまで言うな」

 片手で顔を覆い、ため息を漏らす川島。

 「わかってる、わかってるんだ。大津だって男。かわいい山辺を前にして我慢できなくなるだろうってことは、わかっていたんだ」

 「いや、わかってないって」

 「いやいやいや。あれを見て、わからないやつはいない。大津、お前がとんでもなくスケベだってこと、よぉくわかった」

 「いや、だから……」

 反論しかけ、言葉をため息に変えて漏らす。
 あのまま眠ってしまい迎えた朝。なるべく早く彼女を送り届けようと思っていたのに、それより先に室にやってきたのが川島だった。
 何の前触れもなく、友達という気軽さで閨まで入ってきた川島。山辺と二人牀榻しょうとうに横たわっているところをシッカリ見られてしまった。
 閨に入ってきた川島を止められなかったことを悔いているのか。申し訳無さそうに、室の隅で真足がその大きな体を縮こめる。

 「あの、異母兄にいさま。そういうことじゃないんですの。大津さまの具合がよろしくなくて、わたくし、看病してたのですが、その眠ってしまったらしくて……」

 慌てた山辺が、顔を真っ赤にして間に入る。

 「いや、いいんだ、山辺。兄として、いずれはこうなると覚悟はしていた。ただあまりにも早すぎるって思っただけで」

 「ですから……っ!!」

 「いいんだ、いいんだ。お前がそこまで夫に愛されているのなら、兄ちゃんはもう何も言わない」

 川島は誰の話も聞こうとしない。大切な妹を嫁にやる、大事な愛娘を送り出す父親のような心境に酔ったように、大げさな身振りを続ける。

 「もうっ!! 異母兄にいさまの意地悪!!」

 プンッと山辺が頬を膨らませ、顔を反らした。
 ああ、彼女でも拗ねることはあるんだな。新しい発見をした。

 「こうなったら、大津。お前に妹のすべてを任せる。夫として、山辺を大切にしてやってくれ」

 ポンッと肩を叩いてくる川島。

 「山辺は飛鳥に帰ったら大津の宮で暮らせ。いいな」

 「え? 僕の宮で?」

 「不服か?」

 「いや、そういうわけじゃないけど」

 てっきり、明日香や志貴みたいに淡海に戻ると思っていたから。幼い彼らは、妹背と娶されたけれど、もう少し大人になるまで、母親のいる淡海に戻る手筈になっている。だから、山辺も同じだと思っていた。

 「山辺は、先年、母親も亡くしているしな。これからはオレの宮で引き取ろうかと思ってたところなんだ」

 そうなんだ。
 山辺は、父親淡海帝だけじゃなく、母親も泉下の人となっていたのか。蘇我の祖父も戦で亡くなっている。
 頼れるのは異母兄あにの川島だけだったらしい。

 「ああ、だからって、飛鳥に戻ったからってはっちゃけて、イチャイチャするんじゃないぞ? オレが頻繁に確認しに行ってやるからな」

 「え? お前も来るの?」

 「ああ。かわいい妹が泣かされてないか、ちゃんと確認しに行ってやる」

 ドンッと胸を叩いた川島。

 「それって、ただ遊びに来る口実を作りたかっただけなんじゃないのか?」

 いつもフラフラと遊びに来ているくせに。さらに頻度を上げるつもりか。

 「あの、大津さま……」
 
 おずおずと切り出した山辺。

 「わたくしなどがご一緒してもよろしいのでしょうか」

 まずいな。彼女を不安にさせてしまったか。
 兄が一方的に決めてしまったことを心苦しく思っているのだろう。
 こんなの、いつものからかい、悪ふざけなのに。

 「いいよ。きみは僕の大切な妻なんだし。大歓迎だよ。それに、新しくできた僕の宮は広くてね。持て余してるから、きみが来てくれるとちょうどいい大きさになると思うよ」

 「こら待て、大津。さっそくイチャつくな!! 兄であるオレの前だぞ?」

 「お前が言ったんじゃないか。山辺を大切にしろって」

 「言った。言ったけどよ……」

 ブツブツ呟く川島。

 「忍壁といい、お前といい。どうしてお前ら兄弟はそうも手が早いんだ? もう少し分別を持て。この好き者兄弟め」

 「いや、だから早くないって。一緒に寝てしまっただけだって」

 「うるさい。この、春のお揃い仲良し夫婦めが」

 「春? お揃い?」

 川島の言葉に、山辺と二人首を傾げ見合わせる。
 
 「その衣装だよ。柳と桜。仲良し小好しだろうが。示し合わせたようにお揃いにしやがって」

 「あ、これか」

 山辺の衣は、桃花、紅を中心としたもの。対して自分の衣はイタドリの葉を模した左伊多津万色さいたづまいろ。緑と桃。なるほど。柳桜、どちらも春を彩る花木。

 「上手いこと言うなあ、川島」

 たまたま宴席に出るために選んだものだったけど、言われてみればお揃いの色だった。

 「チクショウ。幸せそうに笑うなよ、大津」

 なんだ。ただのやっかみか。
 気づいた途端、どうしようもなく腹の底から笑いがこみ上げてきた。

 吉野の宮の外、萌える若葉に隠れた雲雀が、遅い春を言祝ぐようにさえずった。

*     *     *     *

 (んっ……、あれ? 山辺?)

 朝を告げる雲雀の鳴き声に、まどろみから抜け出す。閨に差し込んだ光に目をすがめ、軽く手を動かしてみるものの、抱きしめていたはずの彼女の体がない。

 「あ、起こしてしまいましたか?」

 見ると、牀榻しょうとうの端に腰掛け、夜着をただす彼女の後ろ姿。長く豊かな髪がその背中を覆い、床の上にまで広がっている。
 朝の白い光が、その夜着を透かし、彼女の肩から腰へと続く稜線を浮かび上がらせる。

 「……まだダメだよ」

 手を伸ばし、その夜着をつかむと床へと誘う。夜着は、天女を逃したくない男が手にした羽衣のよう。
 
 「もう少しだけ、一緒に、ね?」

 「はい」

 抱き寄せると、山辺も素直に寄り添ってくれた。
 その温もりと、柔らかさ、彼女の香りを胸いっぱいに吸い込む。
 あの吉野のときから五年。
 僕が弱いせいでさんざん傷つけていたというのに、それでも僕を受け入れてくれた山辺。
 その彼女をもう少しだけ味わっていたいと思うのは、僕のわがままなんだろうか。

 「――夢を見たよ。五年前の、きみと娶された時の夢」

 軽く髪を掻き上げ、先ほどまで見ていた夢を反芻する。
 雲雀の鳴き声に記憶の底から呼び覚まされた出来事。

 「あの時、僕はこの手に天女を得たんだ。巣から落ちた雛を案じる、心優しい天女をね」

 「あら、ひっくり返ってきた女嬬ではないのですか?」
 
 「そこを言われると辛い」

 少し顔をしかめると、彼女が笑ってくれた。
 
 「なんだか今日は、出仕したくないなあ。一日中、こうしていたい」

 思わず本音が口をついて出る。
 あの時と同じ春。そのうららかな陽気に包まれて、たまにはノンビリと、彼女と二人でまどろんで過ごしたい。

 「いけませんよ、そんなことをおっしゃっては」

 山辺がたしなめる。天女は心優しく、そして真面目な気性らしい。

 「わたくしは逃げませんから。大津さまはきちんとお役目を果たしてきてください」

 「山辺は? 寂しくないの?」

 僕と離れて。
 ちょっとだけ拗ねてみせる。

 「それは寂しいです」
 
 「だったら――」
 「でも、夕刻お帰りになるのを待つ楽しみがありますから。待っていた分、お会いするのがとてもうれしくて。幸せだなって思えるんです」

 「そっか」

 別れても、また会える時を楽しみに待つ。待ちわびる高揚感は、離れていてこそ味わえるもの。

 「なんか、僕より山辺のほうが大人だな~」

 こんな風にすがる僕よりもずっと、山辺のほうがシッカリしてる。これじゃあ、どっちが年上なのか、わからなくなる。

 「そうだ。今度、休みをいただいてくるから、一緒にどこか出かけよう」

 「お出かけですか?」

 「うん。二人だけでね。海石榴市つばいちでもいいけど……。そうだな。この間、異母兄上あにうえのお供をした時に、素敵な場所を見つけたんだ」

 「まあ、どんなところですの?」

 「それは行ってみてのお楽しみだよ。きっと気に入ってもらえると思う」

 「あら」

 「だから、楽しみにしてて。ああ、もちろん、あの簪を挿してね。それと吉野で着てた衣装もお願いしたいな」

 昔と違って、あの桃花色の衣は今の山辺の身丈によく似合ってるはずだ。
 見つけたのは、一面に蓮華の咲き乱れる場所。この磐余の宮から少し離れた山の裾野に広がる左伊多津万色さいたづまいろと桃花色に彩られた野原。霞む青空に雲雀がさえずり、蝶が舞う、うららかな春の世界。
 そこに降り立った山辺。きっと天女のように美しく映えるに違いない。
 五年前。
 吉野で手に入れた、僕だけの天女。

 「承知いたしました。――楽しみですわね」

 腕のなかで山辺がクスクスと笑う。
 
 「うん。これで、仕事に行く張り合いができた。頑張れる気がするよ」

 あの花が散る前に、仕事をキッチリ終わらせる。そうすれば、一日ぐらい遊び呆けても許されるはずだ。
 せっかく訪れた春。想い通じ合って迎えた初めての春。存分に二人で楽しみたい。

 「でもあともう少しだけ足りないから――」

 腕を緩め、山辺の顎をそっと持ち上げる。
 ついばむように軽い口づけをくり返す。
 本当はもっと深く口づけたいけれど、そこはグッと我慢。

 「うん。これで完全にやる気が出た」

 床に真っ赤になった山辺を残し、起き上がる。
 今日ぐらい出仕が遅れてもいいんじゃないか。せっかくだし、あと少しだけ山辺と睦み合っていても。 
 そんな誘惑を振り切って床を離れる。

 「じゃあね、行ってくるよ」

 閨を後にし、支度にかかる。

 (僕って、案外好き者だったんだな)

 川島の言った通りだ。
 初めて気づいた。
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