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若松だんご

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或る書曰く

六、百重なす心 思へど(六)

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 「じゃあね、明日香。本当はこのまま一緒に夜が明けるまで語り合いたいところだけど――」
 「こぉら、忍壁。なーにが『語り合いたいところ』だ。いい加減にしろ」

 ゴンッと鈍い音が忍壁の頭に落ちる。後ろから近づいた川島の拳だ。

 「わかってるよぉ。だからこうやって別れを惜しんでるんじゃないか」

 殴られた頭をさすり、恨めしそうに川島をにらみつける忍壁。
 宴も終わり、それぞれが室に帰る。志貴と託基は、夜半すぎまで続いた宴に眠気を我慢できず、そうそうに室へ帰っていった。高市と御名部も、夫婦らしく連れ立って。草壁と阿閉は、真っ赤になってぎこちない阿閉の手を取った草壁が導くようにして去っていった。

 「オレは明日香の兄貴だからな、お前が変なことをしでかさないか見張る責任があるんだ。ほれ、変に色気づいてないで、とっとと自分の室に戻って寝ろ」

 「それを言ったら、ボクもだよ。ボクだって泊瀬部の兄だからね。川島がスケベなことしないか見張るよ」
 
 「するか、そんなもん!! お子ちゃまに手を出すほど、オレは酔狂じゃねえ!!」

 「へー、お子ちゃまじゃなきゃ手を出すんだ」

 「茶化すな!!」

 「川島さまのスケベ!!」

 「なんでだよ!!」

 どうでもいいような弟と親友のにらみ合い応酬に、妻になった妹が加わる。

 「おい、大津。お前もだからな」

 「え? 僕?」

 彼らに少し遅れて大殿を出た自分たち。その自分と山辺にとばっちりがきた。

 「お前らも慎めよ? 山辺はまだ幼い。我慢しろよ、大津」

 「いや、我慢もなにも……」

 そういうことをするつもりは毛頭なかった。

 「仲良く手ぇつないで。説得力ないんだよ」

 「ああ、これか」

 言われ気づく。大殿を出るさい、山辺の手を取って歩き出した。でも、それは彼女がブカブカの衣装をまとっていたからで。裳裾を踏んで転ばないようにとの配慮からだ。やましい気持ちはない。

 「まったく。どいつもこいつも色気づきやがって」

 「だから、そういうんじゃないって言ってるだろ」

 「草壁と阿閉は、まあ年も年だからいいとして、山辺、明日香、忍壁、泊瀬部!! お前らお子ちゃまはとっとと寝ること!! 大津はオレと同じで寂しく一人寝を囲うこと!! いいな!!」

 「やれやれ。うるさい小舅どのだ」

 「だね」

 頭を掻きつつごちると、それに忍壁が同意した。そんなふうに釘を刺さなくても、もともとそういうことをする気はまったくない。

 「やかましい。オレは兄として妹を守る義務があるんだ――ってことで」

 「うわっ、何するんだよ、川島!!」

 川島が忍壁の背をグイグイと押して歩き出した。

 「ほらほらお子ちゃまはサッサと寝るぞ!! オレが穀媛娘かじひめのいらつめ殿のところに送り届けてやる!!」

 「ちょっ、そんなことしなくても!! わわっ、わかったよぉ~」

 川島の強引さに半ば諦め、明日香とのことが諦めきれない忍壁が、回廊の曲がり角から最後の抵抗として、ヒラヒラと手を振ってみせた。それに泊瀬部が従うようについていく。姿が見えなくなっても、しばらく彼らのかしましい声が回廊に響いた。

 「……さて。僕らも帰ろうか。二人共、室まで送るよ」

 たいした距離じゃないし、衛士も采女たちも舎人もいるから余計な心配かもしれないけれど、幼い姉妹を放っておくわけにはいかない。川島が忍壁と泊瀬部を送ってくれたのだったら、自分は彼の妹を見送ろう。
 先に、大殿から近い室だった明日香を送り届け、次に山辺の室へと向かう。

 「それじゃあ、山辺。今日はお疲れ様。ゆっくり休んでね」

 「はい」

 室の前で、それまで繋いだままだった手をようやく離す。

 「……あの、大津さま」

 「ん?」

 「いえ。なんでもないです。おやすみなさいませ」

 「うん。おやすみ」

 彼女は何を言いかけたのだろう。気にはなったけど、それ以上問いかけはしなかった。
 ニッコリ笑って手を振ると、そのままもと来た回廊を歩き始める。
 回廊を曲がり、自分の室へと向かう。遅くまで開かれていた宴席。春とはいえ、夜の吉野の空気はとても冷たい。息熱く、背中を震えが襲うほど、に――。

 「皇子さまっ!!」

 霞む意識。遅れてついてきていた真足が、驚いたような声を上げた。

 「しっかりなさってください!!」

 グラリと揺れた体。ああ、真足に担がれたのか。彼の広い背中から回廊の石床がユラユラと見える。

 「大津さまっ!?」

 そこになぜか山辺の声。真足にまとわりつくようにして歩く山辺。青ざめた面持ちで、こっちを見上げてくる。おかしいな。たしか、彼女とは先程別れた、は……ず。

 「だから、あれほどお酒に気をつけるよう申し上げましたのに」

 体に伝わってきた真足の声。
 うん。
 酒は気をつけてたよ。大して呑んでない。でも――。ゴメン。ものすごく寒い。息が熱くて気分悪い。体に力が入らない。
 
*     *     *     *
  
 (ここは――)

 ぼんやりとした意識。見慣れぬ天井を、牀榻しょうとうの脇に置かれた手燭がぼんやりと照らし出す。

 (ああ、僕は倒れたのか)

 明日香と山辺を送り届けて。それが限界だった。
 宴の途中から体を襲い始めていた寒気。なんとか堪えていたけれど、そこで倒れてしまった。
 おそらく日中、川でころんで、全身ずぶ濡れになったことが原因だろう。宴の前、真足にはなんでもない、平気と伝えたけれど、その頃から予兆はあった。それでなくても、この数日前から吉野行きの理由を考え、眠れていなかったから余計に重く体に不調をきたした。
 倒れた体は、真足にでも運ばれたのだろう。自分の室で横になっているということは、そういうことだ。ぼんやりとそのあたりの記憶が残る。そして――。

 (――わっ!!)

 声を上げなかった自分を褒めてやりたい。横たわったまま伸ばされた腕の先、上掛けの上に放り出された手を握っていたのは山辺の小さな手。
 彼女が、僕の手を握ったまま、牀榻しょうとうに上半身を預けて眠っていた。

 (看病してくれていたのかな)

 椅子に腰掛け、不自然な格好で眠る彼女。きっと彼女が倒れた僕を案じて看てくれていたのだろう。少し身を起こすと、ぬるくなった布が額からこぼれ落ちた。
 あの時、別れ際になにか言いたげだった山辺。もしかしたら大殿から出る時、ずっと手を繋いでいたことで、僕が熱を出していることに気づいていたのかもしれない。だから、僕が倒れた音を聞いて、すぐに駆けつけた。僕のそばにいてくれていた。

 (ごめんね)

 握られたままの左手に軽く力を込める。

 「ん……」

 軽く呻いた山辺。でもそのまま起きる気配はなかった。きっと彼女もそれだけ疲れているのだろう。再び、規則正しい寝息がくり返される。
 こんな風に誰かに心配され、看病されるのはいつ以来だろう。
 自分より小さな幼い手。
 迷惑をかけ申し訳ないと思うと同時に、穏やかな温もりが、その手からさざなみとなって押し寄せ、心を満たしていく。
 この手を――離したくない。

 (でもこのままじゃあ、今度は彼女が風邪をひいてしまうな)

 できることなら起こして室まで送ってやりたいけど。
 一度目を覚ましたとはいえ、自分も全快したとは言い難い。起きて歩くだけの自信がない。ましてや、眠った彼女を抱いて連れていくなど。
 彼女を起こして帰ってもらう? それとも、采女か誰かに頼んで運んでもらう? ――いや。

 (仕方ない。悪いな、川島)

 心の中で謝罪し、彼女の体を牀榻しょうとうの中へと招き入れる。ヒンヤリした彼女の衣。それを温めるように上掛けをかけ直し身を寄せる。その間、彼女はずっと眠り続いていた。

 (山辺……)

 少し崩れた髪。その頬にかかった一房をそっと払い除けてやる。
 今は幼くあどけない寝顔だけれど、いつかは匂うように花開く、優しい心根の美しい女性に育つ。そんな可能性を秘めている。
 自分と同じ、蘇我の血を引く淡海の皇女。
 父の思惑により、自分と同じ運命を担わされた皇女。
 伊勢へ下向したときの姉と同じ年の皇女。

 (この子だけは守らなければ)

 この先どんな運命が待ち構えていようとも。
 この幼く美しい皇女に、十市の異母姉あねのような悲しみを味あわせてはいけない。
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