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或る書曰く
四、百重なす心 思へど(四)
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宴の席次には順位がつく。
一番の上座、壇上には、帝と皇后が並んで座る。
そこから連なる饗机を挟み、左右に自分たちが順に座っていく。上座に一番近い左側に草壁、向かい合う右手に自分。高市は三番目の席、草壁の隣。続く忍壁は自分の隣の下座。そして、川島が高市の隣に。忍壁の隣の一番下座には、一番年若い志貴。
まだ美豆良髪の幼い忍壁と志貴。このような宴の席に出るのは二人とも初めてだからか、張り切っているのに緊張している、微妙な面持ちで背を伸ばし座している。
その先には、廷臣たちがこちらも身分立場に応じた席次で並び座る。
「一母同産」。
同じ母から産まれた子のように慈しむ。
そう父と叔母は宣言して、自分たちを抱きしめたが、はやりそこに順位がつく。
一番は、皇后が産んだ草壁。ついで自分。長子で戦に貢献した高市は、母親の身分が低いため、三番目とされる。淡海帝の子である川島、志貴は、帝の第四子である忍壁より下風に置かれる。
――誓い、破らず。過たず。
そう誓ったのもこの順番だった。
草壁が一番、自分が二番。
これは父の、帝の位を受け継ぐ順。皇后の子である草壁が最高位。
不服があるわけではない。むしろこれでいいと思っている。
草壁なら、きっと仁政を敷いてくれる。彼は、父や叔母と違って心優しい。彼の下であれば、誓いは守られる。
だが。
(この席次はなんだ?)
上座に草壁、末に志貴。それはいい。
だが、それぞれの間に、微妙な空きがある。
疑問に思う自分の前に、酒と肴が並べられていく。
「あの魚、膳夫に頼んで焼いてもらったんだ」
少し離れて座る忍壁が言った。
「へえ。これは旨そうだ」
並べられた高坏にある川魚。細い竹串に挿され、笹の葉を敷いた上に載せられたそれは、こんがりと焼き上がっている。
「本当はもっとたくさん並べたかったんだけどなあ」
「あー、ごめん。僕が溺れたばっかりに」
残念そうに呟いた忍壁に謝る。
「いいよ。異母兄上のせいじゃないよ。あれは、うっかり魚を手放した川島が悪いんだ」
「どうしてオレのせいなんだよ」
聞こえてたのか、川島が抗議する。
「だって、川島が手放さなかったら、もっとたくさん魚が捕れてたんだもん」
「僕が滑って転ばなかったら、川島だって手放さなかったと思うよ」
だから、あれは僕が悪い。
「それを言ったら岩から滑り落ちたぼくが一番悪いよ。それさえなければ、大津が溺れることも、川島が手を放すこともなかった」
草壁までが謝罪をはじめた。
が。
「あれは蟹を獲れず、魚を捕まえさせた俺が悪い。本当は蟹が欲しかったのだろう、お前たちは」
「ええ、まあ」
「なら、せめてもの詫びとして、伶たちに件の歌を披露するように命じておいた。それで勘弁してくれ」
高市が混ぜっ返す。
「おっ、あの蟹の歌ですか」
川島が両手で蟹を真似、頭の上にかざして体を左右に揺らしてみせた。
「蟹? 蟹ってなんですか? 何があったんですか、川島異母兄上、忍壁さま」
その滑稽な姿に、あの場にいなかった志貴が身を乗り出して尋ねる。
「それはだなあ。大津が川で蟹を獲ろうとして、足を滑らせて泡ブクブクしたんだよ」
こんなふうにな。
おどけた川島が仰向けに背を反らして、口をパクパクさせた。
「こら。いくらなんでも、そんな醜態は晒してないぞ」
それじゃあ、僕がひっくり返った蟹みたいじゃないか。
だけど、その動きの滑稽さに、誰もが笑い、腹を抱える。
まあ、みんなが愉快ならそれていいか。
場が和む。
その間にも、膳夫たちが運んできた料理が並び続ける。漆の器に盛られた鴨とセリの汁物。麦縄、蘇、蒸し栗、蓮の実の入った蒸飯、山菜の醤漬け。そして酒。
だが。
「ねえ異母兄上……」
疑問に思ったのは忍壁も同じだった。
微妙に空いたところにも、自分たちと同じように料理が並べられていったのだ。
不思議に思い、向かいに腰掛ける高市を見る。が、今度は彼は静かなままで何も言わなかった。
すべてを並べ終えると膳夫たちが頭を垂れ、その場を離れる。すると、父から無言の命を受けた舎人が、紗のかけられた大殿の入り口に向かう。
(なんだ?)
宴席、大殿の入り口。退出した膳夫たちの代わって、衣擦れの音がした。そこにある新たな人の気配。
「え――?」
新たに大殿に入ってきたのは、膳夫でも采女でもなかった。
色華やかな衣装を身に着けた若い女性たち。
先頭に、祖父淡海帝の皇女、御名部、続いてその妹、阿閉、山辺、明日香。その後ろには、自分の異母妹泊瀬部、託基。
彼女たちは、饗机の向こうに一列に並ぶと、壇上に座す父と皇后に頭を垂れた。
うなずき、礼に応じる父。
「皇女さま方、こちらへ」
近くに控えていた采女たちが、彼女たちをそれぞれ導く。御名部は迷うことなく先年夫となった高市の脇へ座す。阿閉は草壁の隣へ。明日香は忍壁の、泊瀬部は川島の、託基は志貴の隣。
そして。
「山辺さまはこちらへ」
采女が促したのは自分の隣。
「大津さま……」
導かれた山辺も困惑している。彼女もまた何も知らされてないのだろう。僕や兄弟たちと同じで。
高市と御名部、それと草壁以外、どの組み合わせも互いに驚き戸惑っている。
「やあ、山辺」
驚いていたとしても、彼女を突っ立たせておくわけにはいかない。居ずまいをただし、隣に座るように促す。
彼女たちが不安なまま腰を下ろす。
これから何がおきるのか。
静まり返った大殿。
「朕が男等、各異腹に産まれたり。然れども、今ここに一母同産として慈しむことを誓う」
父が発した。
「誓い背くことなくあるために、朕が男等女等娶せる。汝ら妹背となりて裔弥栄を支えよ」
――皇子皇女夫婦となり、帝室を支えよ。
かつて父が祖父の娘である母と叔母を娶り、自分の妻と娘を祖父と大友にそれぞれ娶せたように。今も、祖父の娘を二人、自分の妃に娶ったように。
幾重にも絡みついた綾のように、さらに子を娶せる。縁を撚り併せ、糾っていく。
「我ら兄弟長幼、異腹の生まれなれど、今この勅をもって、共に妹背となり子を成し、扶けあい、諍いなく支えることをお誓いいたします」
草壁が誓う。
続いて自分。すでに夫婦であった高市、戸惑ったままの忍壁、川島、志貴。
「うむ」
満足そうな父。感情を見せず彫像のように座り続ける叔母。
傍に控えていた采女たちが、それぞれ皇子皇女の元に近づき、盃になみなみと酒を注ぐ。
「新たに誓われた約定を祝って。また御世の永久弥栄を願って――」
盃を掲げ、酒を飲み干す。
初めて呑んだ酒。
それはとても苦く感じられた。
一番の上座、壇上には、帝と皇后が並んで座る。
そこから連なる饗机を挟み、左右に自分たちが順に座っていく。上座に一番近い左側に草壁、向かい合う右手に自分。高市は三番目の席、草壁の隣。続く忍壁は自分の隣の下座。そして、川島が高市の隣に。忍壁の隣の一番下座には、一番年若い志貴。
まだ美豆良髪の幼い忍壁と志貴。このような宴の席に出るのは二人とも初めてだからか、張り切っているのに緊張している、微妙な面持ちで背を伸ばし座している。
その先には、廷臣たちがこちらも身分立場に応じた席次で並び座る。
「一母同産」。
同じ母から産まれた子のように慈しむ。
そう父と叔母は宣言して、自分たちを抱きしめたが、はやりそこに順位がつく。
一番は、皇后が産んだ草壁。ついで自分。長子で戦に貢献した高市は、母親の身分が低いため、三番目とされる。淡海帝の子である川島、志貴は、帝の第四子である忍壁より下風に置かれる。
――誓い、破らず。過たず。
そう誓ったのもこの順番だった。
草壁が一番、自分が二番。
これは父の、帝の位を受け継ぐ順。皇后の子である草壁が最高位。
不服があるわけではない。むしろこれでいいと思っている。
草壁なら、きっと仁政を敷いてくれる。彼は、父や叔母と違って心優しい。彼の下であれば、誓いは守られる。
だが。
(この席次はなんだ?)
上座に草壁、末に志貴。それはいい。
だが、それぞれの間に、微妙な空きがある。
疑問に思う自分の前に、酒と肴が並べられていく。
「あの魚、膳夫に頼んで焼いてもらったんだ」
少し離れて座る忍壁が言った。
「へえ。これは旨そうだ」
並べられた高坏にある川魚。細い竹串に挿され、笹の葉を敷いた上に載せられたそれは、こんがりと焼き上がっている。
「本当はもっとたくさん並べたかったんだけどなあ」
「あー、ごめん。僕が溺れたばっかりに」
残念そうに呟いた忍壁に謝る。
「いいよ。異母兄上のせいじゃないよ。あれは、うっかり魚を手放した川島が悪いんだ」
「どうしてオレのせいなんだよ」
聞こえてたのか、川島が抗議する。
「だって、川島が手放さなかったら、もっとたくさん魚が捕れてたんだもん」
「僕が滑って転ばなかったら、川島だって手放さなかったと思うよ」
だから、あれは僕が悪い。
「それを言ったら岩から滑り落ちたぼくが一番悪いよ。それさえなければ、大津が溺れることも、川島が手を放すこともなかった」
草壁までが謝罪をはじめた。
が。
「あれは蟹を獲れず、魚を捕まえさせた俺が悪い。本当は蟹が欲しかったのだろう、お前たちは」
「ええ、まあ」
「なら、せめてもの詫びとして、伶たちに件の歌を披露するように命じておいた。それで勘弁してくれ」
高市が混ぜっ返す。
「おっ、あの蟹の歌ですか」
川島が両手で蟹を真似、頭の上にかざして体を左右に揺らしてみせた。
「蟹? 蟹ってなんですか? 何があったんですか、川島異母兄上、忍壁さま」
その滑稽な姿に、あの場にいなかった志貴が身を乗り出して尋ねる。
「それはだなあ。大津が川で蟹を獲ろうとして、足を滑らせて泡ブクブクしたんだよ」
こんなふうにな。
おどけた川島が仰向けに背を反らして、口をパクパクさせた。
「こら。いくらなんでも、そんな醜態は晒してないぞ」
それじゃあ、僕がひっくり返った蟹みたいじゃないか。
だけど、その動きの滑稽さに、誰もが笑い、腹を抱える。
まあ、みんなが愉快ならそれていいか。
場が和む。
その間にも、膳夫たちが運んできた料理が並び続ける。漆の器に盛られた鴨とセリの汁物。麦縄、蘇、蒸し栗、蓮の実の入った蒸飯、山菜の醤漬け。そして酒。
だが。
「ねえ異母兄上……」
疑問に思ったのは忍壁も同じだった。
微妙に空いたところにも、自分たちと同じように料理が並べられていったのだ。
不思議に思い、向かいに腰掛ける高市を見る。が、今度は彼は静かなままで何も言わなかった。
すべてを並べ終えると膳夫たちが頭を垂れ、その場を離れる。すると、父から無言の命を受けた舎人が、紗のかけられた大殿の入り口に向かう。
(なんだ?)
宴席、大殿の入り口。退出した膳夫たちの代わって、衣擦れの音がした。そこにある新たな人の気配。
「え――?」
新たに大殿に入ってきたのは、膳夫でも采女でもなかった。
色華やかな衣装を身に着けた若い女性たち。
先頭に、祖父淡海帝の皇女、御名部、続いてその妹、阿閉、山辺、明日香。その後ろには、自分の異母妹泊瀬部、託基。
彼女たちは、饗机の向こうに一列に並ぶと、壇上に座す父と皇后に頭を垂れた。
うなずき、礼に応じる父。
「皇女さま方、こちらへ」
近くに控えていた采女たちが、彼女たちをそれぞれ導く。御名部は迷うことなく先年夫となった高市の脇へ座す。阿閉は草壁の隣へ。明日香は忍壁の、泊瀬部は川島の、託基は志貴の隣。
そして。
「山辺さまはこちらへ」
采女が促したのは自分の隣。
「大津さま……」
導かれた山辺も困惑している。彼女もまた何も知らされてないのだろう。僕や兄弟たちと同じで。
高市と御名部、それと草壁以外、どの組み合わせも互いに驚き戸惑っている。
「やあ、山辺」
驚いていたとしても、彼女を突っ立たせておくわけにはいかない。居ずまいをただし、隣に座るように促す。
彼女たちが不安なまま腰を下ろす。
これから何がおきるのか。
静まり返った大殿。
「朕が男等、各異腹に産まれたり。然れども、今ここに一母同産として慈しむことを誓う」
父が発した。
「誓い背くことなくあるために、朕が男等女等娶せる。汝ら妹背となりて裔弥栄を支えよ」
――皇子皇女夫婦となり、帝室を支えよ。
かつて父が祖父の娘である母と叔母を娶り、自分の妻と娘を祖父と大友にそれぞれ娶せたように。今も、祖父の娘を二人、自分の妃に娶ったように。
幾重にも絡みついた綾のように、さらに子を娶せる。縁を撚り併せ、糾っていく。
「我ら兄弟長幼、異腹の生まれなれど、今この勅をもって、共に妹背となり子を成し、扶けあい、諍いなく支えることをお誓いいたします」
草壁が誓う。
続いて自分。すでに夫婦であった高市、戸惑ったままの忍壁、川島、志貴。
「うむ」
満足そうな父。感情を見せず彫像のように座り続ける叔母。
傍に控えていた采女たちが、それぞれ皇子皇女の元に近づき、盃になみなみと酒を注ぐ。
「新たに誓われた約定を祝って。また御世の永久弥栄を願って――」
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