WEAK SELF.

若松だんご

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第九章 真幸くあらば

三十九、閑話-紀伊

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 「なんだ坊っちゃん、ハラへってんのか?」

 そう声をかけてきたのは、浜にいた子ども。たぶん、ボクよりずっとおさない。妹と同じぐらい。
 膝までしかない短い下ばきは、潮に濡れて色あせてた。きれいな顔立ちだと思ったけど、砂で頬が汚れてる。
 
 「どうしてお腹空いてるって思ったの?」

 「だって、さっきからこれをジッと見てたじゃないか」

 その子が手にしていたのは、いくつか大きな貝の入った網袋。
 ボクがそれを見ていたから、お腹を空かせていると判断したらしい。それで、ボクに近づいてきた。

 「ええっと。そういうわけじゃないんだけど」

 ボクが見ていたのは、目の前に広がる海。生まれて初めて見る紀伊の海。波が押し寄せるたび、ザザアッと音が耳をつんざき、ドーンッと足元から響いてくる。寄せては返す白い波。
 どこまで続いているのかわからない大綿津見。夕暮れせまる空は浅葱に朱を混じらせ、白く輝く海との境を淡く溶けさせる。砂浜に立っていると、その世界に飲み込まれたような感覚におちいった。
 数人の漁夫がいたのは知っていたけど、どちらかというと景色に圧倒され、眺めていただけ。この子のことも小さいのに働いてるんだって、風景の一部としてとらえてた。
 だから、お腹空いてるわけじゃないんだけど。

 「よっしゃ、オレが食わせてやるよ!!」

 人の言うことを聞かないまま、子が、松に向かって走り出す。

 「松ぼっくりちちりで焼くとウマいんだよ!!」

 いそいそと用意を始めた子ども。
 親切……なのかな? それとも、「オレの採ってきた貝は旨いから食ってみろ」って自慢したいのかな?
 わからないまま、その火をつける手際の良さを感心する。
 ボクより小さいのに。ボクなんて火を起こすことすらできないのに。

 「松ぼっくりちちりはな、なるべくカサのひらいているやつをつかうんだ。たまに火が大きくなるから、気をつけてな」

 だから、そんなに覗き込んだらダメ。

 「その上で、ジックリ焼く。もうしばらくまってろ」

 浜に、焼ける松ぼっくりちちりと蛤の香りが漂いはじめる。

 「蛤は、松ぼっくりちちりで焼くのがいちばんなんだ」

 「きみは、くわしいんだね」

 ボクだっていっぱい勉強したはずなのに、こんなことも知らなかった。何で焼いてるかなんて考えたことなかった。饗されたから食べる。それだけだった。

 「オレの父ちゃんが言ってた。スミで焼くよりなにより、これがいちばんだって」

 「きみの父上は、漁夫なの?」

 「父上」と言ったら、おかしな顔をされたので「お父さん」と言い換えてやる。

 「オレの父ちゃんはわざおきの仲間だよ。今は里をはなれて、母ちゃんといろんなところを回ってる」

 「父上」は知らなくても「わざおき、歌や舞、芸を売る一団」のことは知っていた。 

 「まつろわぬ民なの?」

 この問いかけには首をかしげられた。意味がわからないらしい。

 「いま、母ちゃんがうごけないからさ、しばらくここにとどまるって父ちゃんが言ってた」

 「お母さん、病気なの?」

 「ちがう。母ちゃんのハラに赤ちゃんが来た」

 「そっか」

 子をはらんだ女の人をともなっての旅は無理だろう。しばらくここに落ち着いて、子が生まれるのを待つのかもしれない。

 「ほんとは、この蛤も母ちゃんに食べさせるつもりだったんだけど」

 「あ、ごめん」

 ボクが食べたそうにしてたばっかりに。違うな。ボクがジッと見てたばっかりに誤解させてしまった。

 「いいよ。貝はまだあるし。少しへったからって、母ちゃんはおこらない」

 「優しいね、きみのお母さん」

 「うん」

 ニカッと笑う子ども。両親のこと、大好きなんだろうなってことがよくわかる。
 両親に愛されて、両親を愛して。
 
 (父上……)

 「どうした?」

 「ううん、なんでもない。煙が目に染みただけ」

 グイグイと乱暴に顔を拭く。

 「それよりまだ焼けないの?」

 「まてよ。蛤はカラがかたい。じかんがかかるんだ」

 硬い硬い蛤の貝。それをジックリ時間をかけて焼く。お腹を空かせて待つのはつらいけど、その先には美味しく焼けた身がある。

 (お祖母様も同じお気持ちなのかな)

 父上が亡くなられて、お祖母様が代わりに帝位に就かれた。
 大津の叔父が亡くなられてから、お心を壊し病まれていた父上。
 悪いことを考えてた叔父だから、死ななきゃいけなかった。悪い人だったから、お祖母様が死なせた。そう周りの人は言ってたけど、それならどうして父上はお心を病まれていたのだろう。ボクは叔父に会ったことがあるのかもしれないけれど、小さかったから、どんな人だったのか覚えていない。 
 お祖母様は今、こうして貝が開くのを待つボクと同じように、ボクが大きくなって帝位を継ぐことを望まれている。貝が開くまで。どれほど辛くても、ジッと我慢なさって耐えていらっしゃる。

 「おっ、やけたみたいだな」

 子どもの声が上がった。松ぼっくりちちりに貝の汁が落ちて、ジュッと音がした。とたんに広がった香ばしい磯の香りに、お腹がキューッとなった。意外と、お腹減っていたらしい。

 「あついからな、気をつけて食え」

 ホイッと渡されたそれを、衣の袖を使って受け取る。
 布越しでも貝殻が熱い。

 「皇子さまっ!!」

 さすがに見過ごせなかったのだろう。少し離れたところにいた舎人が声を上げた。

 「みこ?」

 子どもが首を傾げる。
 まずいな。身分、バレちゃったか。
 そう思ったけど、子どもは気にするでもなく、そのままもう一個、松ぼっくりちちりのなかから蛤を取り出した。

 「はやく食えよ。蛤は焼きたてがいちばんうまい」

 子どもがアチアチと指先で殻を踊らせて、そのまま口をつけ、身をすする。

 「フ、ファッ、ウッメエ~」

 口に入れてもまだ熱いらしい。上向き、ハフハフと口を動かし、熱を冷ます。
 ボクも同じやり方で口に入れる。舌で身を転がすけれど、息を吹いても身は熱い。でも。

 「――おいしい」

 宮で食べたものよりずっと熱くて、汁が多くて。松と磯の香りが鼻に抜ける。

 「だろ?」

 先に食べ終えた子どもが笑った。

 「きみたちはいつもこういう食べ方をしてるの?」

 「いや。この食べかたはひみつ。わざおきのなかでもオレたちしかやらない、とくべつな食べかただよ」

 「なら、どうしてボクに?」

 「食べるなら、いちばんうまい食べかたを教えてやりたいじゃん。坊っちゃん、ハラへってそうだったし」

 いや、だから減ってないってば。――減ってたけど。

 「食べて、少しは元気出ただろ?」

 「あー、うん。元気出た」

 わずかだけど、ポカポカ、不思議といい気分になれた。

 「それじゃあな。早く帰らねえと、こんどは母ちゃんがハラすかしちまう」

 「うん。ありがとうね」

 じゃあな!!
 貝の入った網袋を握りしめ、子どもが走り去っていく。その行く先に、大切な両親が待っているのだろう。

 「――おぉーい。珂瑠かる~!!」

 子どもを見送るボクの背後にかかった声。

 「川島の伯父上」

 「おっ、おまっ、だっ、だいじょっ、ぶ、なの、かっ!?」

 ゼイゼイと喘ぐ息の下から問われる。

 「お前の舎人が、お前が大変だって、オレを呼びに、来たんだっ!!」
 
 「大丈夫ですよ。なんの問題もありません」

 「そっか。それならいいんだが……」

 言いながら、伯父がフウッと息を吐き出して額の汗を拭う。

 「頼むから、この老体を鞭打つようなことは止めてくれ」

 老体って……。

 「伯父上はまだ三十過ぎたばかりでは?」

 確か、伯父は、亡くなった父より四つ、五つ上なだけだったはず。

 「御老体は御老体なの。オレは頭脳労働専門だから。走ったり心配するのは心臓に悪い」

 「蛤を馳走になっていただけです。ご心配かけてすみません」

 「蛤?」

 「ええ。さきほどここで会った子どもに。美味しかったですよ」

 伯父が、余燼よじんの残る松ぼっくりちちりに視線を落とす。

 「松ぼっくりちちりで焼くんだそうです。ボクがお腹空いてるんじゃないかって、採ってきた蛤を、内緒のやり方で馳走してくれたんです」

 「松ぼっくりちちり……ねえ」

 伯父が、遠ざかっていく子どもを眺める。ふと、その子どもが視線に気づいたようにふり返り、笑って大きく手を振ってみせた。入り日に溶けるような子どもの姿。

 「――――ッ!!」

 「伯父上?」

 「いや、……なんでもない。なんでもないんだ。なんでもない」

 なんでもない。
 そう伯父はくり返すけど、顔は全然なんでもなかった。――泣いてる?

 「お前らが、ちゃんと火を消さないからだ。煙が目に染みた」

 ザザッと、乱暴に伯父が足元の火を砂でかき消した。蛤を焼いた松ぼっくりちちりが砂に埋れ、見えなくなる。

 「さぁて、帰るぞ珂瑠かる。お前のお祖母様が宴にお呼びだ」

 伯父にグイグイと背中を押され、浜から歩き出す。

 「――宴、ですか」

 「そう、宴。お前はまだ幼いけど、参加は絶対だってよ」

 「嫌だな……って言ったらダメですか? お酒くさい」

 「オレだって嫌だよ。歌詠まされるし。苦手なんだよ」

 「頭脳労働専門なのでは?」

 「うるさい。歌は頭脳の範囲外なんだ。心で詠むんだからな。でも上手く詠めないと嫁に呆れられるし。さっきまで、勇壮で壮大な浜を見てなんとか一首ひねり出そうと頑張ってたんだが……」

 あー、もう!! 
 立ち止まった伯父がガリガリと頭を掻いた。

 「ってことで、そこの!! 代わりに詠んでくれ!! 代詠頼む!!」

 「……承知いたしました」

 不承不承。主の命令は絶対なので、従うしかない舎人が頭を下げた。

 「おう。一発、カッコいいのを詠んでくれ」

 伯父が笑う。

 その日の夜、宴で詠まれた伯父の一首。

 白波の 浜松が枝の 手向草 幾代いくよまでにか 年のぬらむ
 (白波の押し寄せる浜に生える松。その枝に結んだ手向けのぬさは、どれほどの歳月を経ているのだろう)

 その昔、紀伊で刑死した有間皇子という方の一首、「磐代の 浜松が代を 引き結び 真幸まさきくあらば また帰り見む(岩代の浜に生える松の枝を結んで、幸いを祈る。無事であったなら、また帰りにそれを眺めよう)」を意識して作られたと思われる。けど――。

 「うん、まあまあいいんじゃないか?」

 蛤を肴に、酔った伯父が舎人を評価した。
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