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若松だんご

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第九章 真幸くあらば

三十七、真幸くあらば(一)

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 「異母兄上あにうえ!! 高市の異母兄上あにうえ!!」

 ドスドスと地面を鳴らし大股で近づいてくる異母弟おとうと。その勢い、表情。何を言いたいのかよくわかる、真っ赤に腫らした顔。
 以前にもこうして自分の宮に突撃してきたことがあったな。あの時は異母妹いもうとと二人、よく似た顔で怒ってやってきたが。

 「忍壁、お前はどうしていつも――」
 「どうして大津の異母兄上あにうえが死ななきゃいけないんですかっ!!」

 何の前置きもない文言。
 おそらく、それだけ腹を立てているということなのだろう。
 各々、宮で行い慎むようにとの触れがあったはずなのに。そんななか、ここまで来るというのはよっぽどだ。

 「大津の異母兄上あにうえは謀反など企んでません!!」

 わかってる。そんなことは言われなくても承知している。

 「だが、そのような讒言があったというのだ。大津が謀反を企てているという、な」

 「そんな讒言、嘘っぱちです!! そもそも父上がお亡くなりになったのに、誰に対して謀反を企てるっていうんですかっ!?」

 この国の主は亡き父帝。
 その父帝が先日薨去されたのだから、忍壁の言うことは正論。
 強いて言うなら「日嗣の御子とその生母である皇后」に対して、だろうか。
 この二人に対して背く。それが謀反とみなされる。だが皇后はともかく、日嗣の御子は決まっていない。草壁は皇后の子ではあるが、日嗣の御子ではない。父は、何も残さず身罷られた。

 「謀反を企てるにしても仲間もおりませぬ!! 頼るべき武器も氏族もありません!!」

 そう。大津には何もいなかった。
 やつの背後にはどの豪族もついていない。過去に蘇我が一族の娘を使って近づいたようだが、それも大津本人が退けている。淡海の者と通じている可能性はあるが、父帝の御世、淡海の者は大津を支えるだけの力を有することは許されてなかった。父が薨去したからといって、即座にそれだけの力を取り戻すとは思い難い。

 「だが、皇后が申されたのだ。大津が謀反を企んでいるとの讒言がある。謀反人は速やかに刑に処せと仰せなのだ」

 「そんな詮議もなしに……」

 「皇后が望まれた。それがすべてだ」

 愕然と忍壁が肩を落とす。

 「高市の異母兄上あにうえは? 異母兄上あにうえはそれでいいのですかっ!? 大津の異母兄上あにうえがそんなことするはずないと、一番よくご存知なのは異母兄上あにうえではないのですかっ!?」

 それでもなお食らいついてくる忍壁。

 「知っていたからどうなる? 大津がそんな事するわけないと知っていたからどうなる?」

 冷静に話していたはずなのに、知らず、ギュッと拳を握りしめる。

 「アイツとその家族を逃がすか? 父上が淡海から逃れたように妻子と一緒に遠くへ逃がすか? それをあの皇后が許すとでも?」

 「あ、異母兄上あにうえ……」

 「逃げたところで、あてもない。すぐに追捕の命がくだされて、遅かれ早かれそこで殺される。逃げ果せたとしても、また戦になる」

 大津につく者、皇后につく者。
 次の戦は、先のものよりもっと凄惨なものになるだろう。兄弟姉妹、どちらに着くか。勝ったとしても負けたとしても、どちらも深く傷つく。

 「あいつは、すべてを知って、すべてを受け入れた。俺たちがどうこうできる問題じゃない」

 「だからって、だからって……っ!!」

 床に泣き崩れる忍壁。小さく丸くなって嗚咽を漏らす弟の肩に触れようとして、自分がどれだけきつく拳を握っていたのかを知る。手のひらに滲んた血。大君につながる忌まわしい血。
 
 (大津……)

 どうして死を受け入れた。
 どうして助けを求めなかった。
 どうして逃げなかった。
 訊かずともわかっている。だが、納得いかず、何度も心の中で問いかける。
 アイツはいつもそうだ。誰にも心から頼ろうとしない。一人でなんでも解決しようとして突っ走る。
 本当は臆病で泣き虫でどうしようもないやつなのに強がる。誰かに愛してほしくて、愛されたくて良い子を演じる。なのに、いざとなると誰にも甘えられず、伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。
 弱いくせに強いふりをする。
 何でもないかのように自分を殺して笑顔をみせる。
 だが、ここに来て、死を受け入れるだけの強さをみせた。

 (馬鹿……野郎っ!!)

 なぜ、そんなところで強くなるんだ。
 もっともがけ。父が吉野へ逃げたように。吉野で決起したように。
 もっともがけ。もっとあがけ。すがりつけ。
 大友のように、運命を受け入れる強さなんてみせるな。泣いて喚いて逃げる弱さをみせろ。もっともっと貪欲に生きろ。もっと我儘に。もっと弱く。
 アイツは。アイツは、ずっと望んでいた幸せを手に入れたばかりじゃないか。子も生まれ、これから幸せになるはずだったのに。

 「馬鹿……やろ……」

 涙が溢れる。

 「父上……? どうされましたか?」

 眠い目をこすりながら近づいてきた息子、長屋。
 おそらく忍壁の騒々しさと、宮を包むただならぬ空気に目が覚めたのだろう。眠さとともに不安の混じった顔をしている。
 
 「弱く生きろ」

 震える唇をきつく噛み締め、幼い息子の頭を撫でる。

 「弱くなければ生き残れない」

*     *     *     *

 (馬鹿野郎、馬鹿野郎……っ!!)

 暗く明かりもない夜の道を足早に歩く。背中に受ける炎の熱がジリジリと追いかけてくる。火をかけたのはアイツの舎人。左手の悪い男。宮に火をかけると、自分もその中に飛び込んでいった。
 本当は泣いて叫んで走り出したい。でも。

 (どうして、子どもだけなんだよっ……!!)

 懐には首のすわったばかりの赤子。スヤスヤと眠るその子を起こすわけにも落っことすわけいもいかない。
 大事な大事な、親友と異母妹いもうとの子。

 ――この子を頼みます。異母兄にいさま。

 そう言ったのは異母妹いもうと山辺。
 自分は夫に、大津について逝くからと。子どもを託してきた。

 (馬鹿野郎……っ!! お前ら夫婦はそろって大馬鹿野郎だっ!!)

 子どもだけじゃない。お前らだって逃げてもいいだろ。
 淡海でもいい。それがダメならもっと北へ、東へ。越の国でも蝦夷にでもどこにだって逃げられる。どこかに逃げて、生きることが出来る。
 それなのに……っ!!

 (チクショウ……ッ!!)

 なんでこんな時に変な強さをみせるんだよ。運命を従容と受け入れる強さなんて見たくもねえんだよ。お前、怖いって言ってたじゃないか。大友の異母兄上あにうえみたいになりそうで怖いって!!
 なのになぜ、同じ道を選ぶんだよ。あの時みたいに、泣いて助けを求めろよ。
 本当は弱くて弱くてどうしようもないぐらいヘナチョコのくせに、こういうときにだけ強くなる。
 なんだよ、もっと弱く生きてよかったんだぞ。強くなんてならなくてよかったんだ。
 でないと、このままじゃあ、オレは妹も親友も守れないヘナチョコの兄貴じゃないか。オレに変な汚名を残していくなよ。

 (クソッ!!)

 グイッと乱暴に涙を腕で拭う。

 「おい、早くその流民のところに案内してくれ」

 自分の後ろ、遅れがちになっていた女嬬を急き立てる。これから向かうは海石榴市。そこに、大津が頼る民がいる。何かあった時は助けてくれる約束をしたのだと。
 懐の赤子をグッと抱き直す。

 こうなったら、この子だけでも生き延びさせてやる。生き延びさせることで、大津の家族が滅びることを願ってる皇后に一矢報いてやる。
 この川島、一世一代の大博打。皇后を欺いて子を生かしてやれたらオレの勝ちだ。ヘナチョコ、頼りない、友を見捨てたなんて言わせない。汚名返上だ。ざまあみろ。

 父親が見ることを望んでやまなかった世界をこの子に見せてやる。
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