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若松だんご

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第六章 いにしへ恋うる鳥

二十四、いにしへ恋うる鳥(三)

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 「やあ、もう足はいいのかい?」

 宴もたけなわになってきた頃。酌をしに近づいてきた石川郎女。

 「ええ。皇子さまのおかげで。あの時はどうなることかと恐ろしくて辛くございましたが、こうして酌をして回れるまでになりました」

 「そうか。それはよかった」

 言いながら、盃で酒を受け取る。
 こんなことは宴の席でよくあること。采女が酌をするために貴人に近づくのはおかしなことではない。
 
 「皇女さまも」

 現に郎女は山辺にも酒を勧めている。男女問わずどちらにも酒を注ぐのが采女の役目。上座、帝と皇后にも同じように酒が注がれている。

 「あの、いえ、わたくしは……」

 「山辺はまだ酒が飲めないんだ。代わりに僕がもらうよ」

 先に注がれた酒を飲み干し、次をもらう。
 別に酒が好きなわけではないが、一度勧められたものは断れないから代わりに受ける。
 采女らしく酒を注ぐ郎女。その横顔から思惑は読めない。

 ――どういうつもりなんだ?

 采女がなにかの報奨として下賜されることはあるが、それはかなり稀な事象。戦で手柄を立てたなど、よっぽどのことがなければ与えられることはない。皇后の采女ということも気になる。

 「では皆様、このめでたき行幸を祝し、各々歌を詠み、大君の御世、とこしえ弥栄を願い奉りましょう」

 下座、廷臣の席から声が上がった。それに合わせて忙しく宴席の周りを動いていた采女たちが、歌を聴くためそのまま瓶子を傍らに置き座る。
 宴の場で歌を詠み合うのは古来からの習わし、座興の一つ。それぞれが今日の善きこと狩りを思い出し、言祝ぎ、心を込めて歌を作り出す。
 時に神の心を動かすような素晴らしい歌もあれば、人々の失笑を受ける歌もある。
 最初に歌を詠み帝に奏上したのは、廷臣たち。
 歌詠む者もいれば、目を閉じ余韻を楽しむように酒を片手に聞き入る者もいる。一首も忘れまいと、必死に書き留める者もいる。いつか自分が詠む時の参考にするのかもしれない。盃よりも木簡大事と、せっせと墨つぼに筆をつけて書き記している。

 「え、ちょ、ちょっと待て待て待て!! うた? 歌? えーっと、えと……」

 「素晴らしいのをお待ちしてますわよ、川島さま」

 慌てふためく川島。酔っ払って崩れた居住まいを直し、うーんと頭を捻ってる。それに期待という圧をかけたのは泊瀬部。

 「あかねさす……? いや、あづさゆみ?」

 口の中でモゴモゴ呟いてるのは忍壁。歌の始まりが決まらないらしい。
 廷臣に続いて妃嬪が恋に絡めた歌を詠む。帝への相聞歌。父もそれに返歌をつける。
 次いで川島。
 感想は……。

 「ふつう」

 と泊瀬部。どうにか捻り出した渾身の歌は、期待していた妻の心には響かなかったらしい。
 そして忍壁。

 「素敵ですわ」

 と明日香。あまりよくわかってないけれど、未来の夫が詠んだのだからとの評価。
 高市は、ここにいない妻、御名部を想った歌を詠んだ。子の無事を、末の栄えを願う歌。その歌に、妃嬪からため息が漏れる。

 「次は大津さまの番ですね」
 
 そっと山辺から囁かれる。

 「うん。ちょっとだけ期待してて。ここですごいのを詠んで、兄の威厳を取り戻しておかないとね」

 狩りの獲物がなかった分、歌で頑張らねば。
 高市の歌の余韻が過ぎ去った頃を見計らって、思っていたことを口にする。

 「あしひきの 山のしずくに いも待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしずくに」
 (愛しいきみを待って待ち続けて、僕は山のしずくに濡れてしまったよ)
 
 「あしひきの」は山に掛かる言葉。「妹」は恋人、妻を指す。当然山辺のことを詠んだつもりだ。本当は「山のしずく」ではなく、「山辺しずく」と言いたかったけれど、あまり山辺に恥ずかしい思いをさせてはいけないので、少し言い換えておいた。「しずく」なんて少し生々しくて山辺には使いづらい。
 
 「大津さま……」

 それでも想いはちゃんと伝わったらしく、山辺が顔を真っ赤にしてこちらを見てくる。
 僕が好きなのは山辺だ。
 何があっても山辺だ。
 謙虚で控えめで、細やかな気遣いのできる優しい山辺だ。
 市で売ってるような簪でも喜んでくれる。八尋にせっつかれて摘んだだけの菫でも宝物のように大事にしてくれる。どれだけ帰りが遅くなっても寝ずに待っていてくれる。こちらの負担にならないよう、たまたま起きてたふりをする。
 狩りの前、目が合っただけでうれしそうに、恥ずかしそうにちょっとだけ肩巾を振ってくれた山辺。
 後ろに控えるように座した、皇女より華やな衣をまとった采女じゃない。
 宴席が、ホウッと感嘆の声に包まれる。その声を聞きながら、山辺に微笑みかける。

 「まあ、素晴らしい歌だこと」

 珍しく皇后が口を開いた。自分の歌を褒めるなんて。

 「この歌を受けるのは誰かしら?」

 受ける? そんなの――。

 「……あ」
 「我待つと きみが濡れけむ あしひきの 山のしずくに 我ならましを」
 (私を待ってアナタが濡れてしまったという、そのしずくに、私はなってアナタに寄り添いとうございます)

 一拍出遅れた山辺。その小さな声に被せるように詠まれた歌は、背後から聞こえた。石川郎女だ。
 朗々と歌い上げた彼女が、艶然とこちらに微笑む。
 
 ――采女と?
 ――皇子さまが?
 
 宴席がどよめく。采女との恋は禁忌。それを堂々と詠んだことになるのだから、歌の良し悪しよりも、その関係に驚きを隠せない。

 ――帝はお怒りになるのではないか?
 ――そういえば、あの采女、皇子さまと一緒に戻ってきたぞ。

 騎乗に二人。草の汁で汚れた衣。持ち帰った一輪の紫草。
 それらが、悪い方へと想像を働かせる。

 「あ……」

 山辺も顔を青くする。
 自分が詠み遅れたせいで、夫が窮地に立ったのだから当然だろう。

 (何を考えてるんだ)

 堂々と詠みきった郎女。今だって、背を伸ばし隠れることなく座っている。
 まったく臆することないその態度の理由はなんだ?

 「まあ、素敵な歌ですこと」

 珍しく微笑んだ皇后が、しなを作り父の膝に手を伸ばし語りかける。

 「――草壁」

 だが父は、皇后が求めるような反応は示さなかった。次に草壁に歌を詠むように短く命じる。

 「大名児おおなこを 彼方野辺に 刈る草の 束の間も 我れ忘れめや」
 (大名児を、遠く彼方の野辺で刈ってる茅の一握り、その程度の短い間も忘れることがあろうか。いや、きっとないよ)

 先程よりも大きなどよめきが起こった。

 ――草壁さまもあの采女を好いておられるのか?
 
 それでは、あの采女を挟んで二人の皇子が恋争いをしていることになる。共に禁忌を犯し、思慕の情をぶつけた形になった。皇后の子であっても罪を免れることは不可能。

 (草壁……)
 
 こちらの窮状を知っての歌だろう。詠み終えた草壁と目が合った。柔らかい眼差し。
 助けてくれたのだろうか。
 帝の采女に懸想していると皇后が非難し、こちらを罪に問おうとしても、草壁も同罪となれば手を出しにくくなる。
 実際、皇后の目論見は外れたのか、一言も発せず姿勢を正し、笑みを消した。
 軽く瞑目し、草壁に感謝の意を伝える。

 「ありがとう、石川郎女。山辺の代わりに詠んでくれて。素晴らしい歌だったよ」

 なるべくハッキリと大きな声で謝辞を述べ、山辺の肩を抱き寄せる。
 貴人に代わって采女が歌を詠むことはよくあること。酔った山辺の代わりに采女が詠んで返した。そう思われるよう仕向ける。
 石川郎女が詠んだ歌にも自分が詠んだ歌にも相手の名を出していない。聞きようによっては代わりに詠んだだけととることができる。

 ――ならば、采女に懸想しているのは草壁さまだけか。

 名を出したのは草壁だけ。禁忌を犯しかけているのは草壁だけ。

 「いいえ。これぐらいなんでもありませんわ」

 揺るぐことない石川郎女の笑み。その下にある心情は読み取れない。

 「善い歌であった。かつての蒲生野でのことを思い出す」

 父が言ったのかと思ったが、発したのは高市だった。父はそれに頷きもしない。

 ――なんだ、座興か。

 廷臣がホッと胸をなでおろし、安堵の息をもらす。かつての父と額田王の応酬を思い出したのだろう。座興で披露された恋の戯れ歌。それが再び繰り広げられただけなのだと。

 だがそれは本当に座興なのか。
 推し量ることの出来ない皇后と郎女の思惑に、知らず山辺を抱く手に力がこもった。
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