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若松だんご

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第六章 いにしへ恋うる鳥

二十二、いにしへ恋うる鳥(一)

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 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

 紫草の にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我れ恋ひめやも

 近江蒲生野がもうので行われた狩り。
 その宴席で詠われた二首。
 ――紫草の野を行き、アナタが私に袖振るのを野守が見てないかしら。
 ――美しい紫草のように匂い立つ貴女が憎いのなら、人妻なのになぜ恋慕わねばならぬのだろうか。

 かつての恋人、夫婦だった父と額田王。この時、額田王は父の兄、淡海帝のもとに嫁いで人妻となっていた。元恋人同士のきわどい恋の応酬。別れ離れても互いを想う恋人を思わせる。
 だが、この歌は祖父の前で詠まれており、わざときわどいことを歌にすることで、座興として楽しんだ印象がある。
 きっと楽しい宴席だったのだろう。幼かった自分は参加していなかったけれど、その楽しさ、華やかさは伝え聞いている。
 祖父が都を開き、この国の主となったこと、その威を示した地、蒲生野。
 それと同じことを父も行おうとしている。
 阿騎野あきの
 都の東、宇陀に広がる狩り場。このまま東に山を越えれば伊勢につながる。西を見れば遠く金剛、葛城、そして二上山が尾根を連ねる。南を望めば山籠もれる吉野。かつて、父が叔父、大友皇子を倒さんと決起した地。
 そんな阿騎野の地に帝室の者だけでなく豪族、付き従う舎人、采女、女嬬、獣追う勢子、様々な人と馬が集う。
 女性たちは薬草を摘み、男性は鹿を目当てに狩りをする。
 この場が華やかであればあるほど、勇壮であればあるほど、父の帝としての威厳が広く示される。狩りを催せるだけの安定した治世。これだけの人を従えさせることの出来る権力。父の御代が太平であることの証。

 「大津の異母兄上あにうえ!!」

 ガガッと馬の蹄を鳴らして近づいてきた一騎。
 腰に剣を佩き、背中には真新しい鳥の羽を使った矢を入れたゆき
 
 「忍壁」

 「今日はボク、負けませんからねっ!!」

 気が逸っているのか、それともこの場に興奮しているのか。息を弾ませた忍壁の顔は明るく上気していた。遅れて追いついた彼の舎人。どれだけ勢いよく駆けてきたのか。舎人の息は上がったままだ。

 「もしかして、今日も勝負なのか?」

 「剣で試合してもらえませんでしたからね!! 今日こそ決着つけてもらいます!!」

 「ええ~、嫌だなあ。せっかく上手く逃げ切れたと思ったのに」

 剣の手合わせの約束。あのあと、詔の草案作成でかり出され、約束をうやむやに出来たと思っていたのだが。どうやら忍壁にとってはそうではなかったらしい。

 「ダメですよ。ボクが明日香にカッコいいところを見てもらうためにも勝負させてもらいます!! 言っときますけど、勝ちますからね?」

 「僕はお前の求愛の踏み台か?」

 その扱いに笑う。

 「おーおー、やってるなあ。忍壁」

 走ることなくノンビリと近づいてきたのは川島。忍壁と同じように、剣を佩きゆきを背負っているものの、どちらかというとこれから市にでも遊びに行くような気軽さがある。勇ましさの欠片もない。

 「大津、頼むからそう簡単に負けてやるなよ、明日香のためにもさ」

 「それなら川島、お前が勝負を受けてやれよ。兄だろ?」

 「オレじゃあ、結果が見えてるからな。賭けにもならん」

 フフンっと鼻を鳴らした川島。
 自慢するな。

 「って、待て。賭けてるのか?」

 「ああ、オレと高市殿でな。どっちが先に獲物を仕留めるか。オレはもちろんお前、大津に賭けたぞ」

 「いや、勝手に賭けられても」

 「高市の異母兄上あにうえはボクにだよ。この日のために毎日弓を教えてくださったんだ」

 矢もなく弓を構え、ヒュンと弦を鳴らした。

 「――獲物一番乗りはボクだね」

 「なあ、お前の兄は化けモンか? 仕事こなした上に、弟に武芸まで仕込むって。どこにそんだけの余力があるんだ?」

 「うん。高市異母兄上あにうえは化け物だな」

 先の戦、歴戦の勇者は格が違う。

 「これは……負けるかもしれないな」

 「おいおい。そんな弱気なこと言わないでくれよぉ」

 頼むぜ。お前に賭けてるんだからぁ。
 川島が嘆く。

 「まあ、僕だって兄としての威厳は残しておきたいし。それに――」

 軽く手綱を引いて、辺りを見回す。

 「良いところ、見せないと、ね」

 視線の先にあったのは、女性たちの集う幕舎。この日のために着飾られた色とりどりの衣装。そこに埋もれるようにあった、黒髪に赤瑪瑙の簪を挿した一人の少女の姿。
 視線に気づいた山辺が、恥ずかしそうに少しだけ、それでもハッキリと肩巾を振ってくれた。こちらも、軽く手を上げて合図を送る。

 「おーおー、こっちもこっちで惚気けやがって。ごちそうさん」

 川島が呆れた。

 「揃ってるな、お前たち」

 「あ、高市の異母兄上あにうえ!!」

 ちょっと頼りなげなヒョロっとした川島、血気にはやった若者感満載の忍壁とは違う、どっしりと風格のある姿の高市。
 堂々とした馬さばきでこちらに近づいてくる。

 「今、大津の異母兄上あにうえに勝負を挑んだところなんです!! どちらが早く獲物を仕留めるか!! です」

 忍壁が貫禄ある師に伝える。
 というか、それ、いつ決まったんだ? 聞いてないぞ? 賭けにはなっていたらしいが。

 「ほう」

 高市の視線が意味ありげにこちらに向けられた。

 「では、大津。俺とも一勝負しないか?」

 「え?」

 「どちらがより大きな獲物を仕留めるか――だ。嫌とは言わさん」

 「どうして僕だけ二人を相手にしなくちゃならないんです?」

 忍壁とは速さを。高市とは大きさを。
 顔をしかめる。
 
 「仕方ないだろう。川島では相手にならん」

 ワハハッと大笑いした高市。

 「それでなくても机仕事で体が鈍ってるからな。つき合ってもらおう」

 「なあ忍壁、高市殿って仕事の後にお前の稽古にもつき合ってたんだよな」

 川島が忍壁にコッソリ耳打ちする。

 「それで鈍るって。どんだけ体力馬鹿なんだよ」

 「相手にされなくてよかったね~、川島」

 「ああ、ヘナチョコでよかったよ」

 *     *     *     *

 ジャーン、ジャーン――。

 狩りの合図、銅鑼が鳴らされる。
 同時に、獲物を追い立てる勢子の持つ太鼓、笛。

 逃げろ、逃げろ。脚あるものは疾く駆けろ。翼あるものは疾く飛び立て。
 驚き戸惑うだけならば、矢をつがえ、射殺すぞ。狩りの贄となるのがいやなら、疾く逃げよ。命あることは、お前が聡くあった証。生き延びるは俊敏であったことへの褒美。

 (さて……)

 銅鑼の音と同時に勢いよく飛び出していった忍壁。
 忍壁ほどの勢いはないが、それでも獲物を前に駆ける猛獣のような速さだった高市。
 「仕方ない。頑張ってくるわ」と、ヤル気なさそうに出ていった川島。
 残された自分も、舎人に真足を従え駆け出す。
 鳥か兎か。それとも大物、鹿か猪か。
 何を狙うか。
 おそらく高市は鹿を狙ってくるだろう。本来この狩りは鹿を捕らえ、その角を得るために行われるもの。狩った鹿の角袋は薬とされ、肉はこの後の宴で饗される。
 忍壁は、その腕から兎か鳥か。速さを競うのならそのあたりが妥当だろう。勢子に追われて飛び出した獲物を狙うぐらいがせいぜいの腕だ。
 川島は――獲ってきたら、「よくやった」と褒めるところだろう。もしかすると戦果なしかもしれない。
 となると、自分は……。
 馬の足を止め、あたりを見回す。
 見晴らしのいいなだらかな丘陵地。開けた丘の上から、木々の生い茂る森へと斜面が続いている。
 ここにいるのは、鳥か兎か。鹿が現れるかもしれないが、猪はないだろう。あったとしても、狩りたくない。
 
 (どちらかというと、川島と同じで構わないんだがな)

 高市に勝ちたいわけじゃない。忍壁に負けても――悔しくないと言えば嘘になるが、たまには、頑張る弟に花を持たせてやってもいいだろう。そういう意味で、狩りは剣の試合より楽だ。何もしなければよいのだから。

 ――ガサッ。

 不意に、丘を少し下った先、森の手前のくぼんだ場所、生い茂った草が動いた。

 (獲物――?)

 とっさに矢をつがえ、動きを見る。逃げ遅れた哀れな兎でもいたのか?
 蹄の音を立てないように手綱を引き、慎重に獲物に近づく。

 「あ、大津さま……?」

 獲物は采女。先日の書庫に現れた若い采女。
 草むらに似つかわしくない華やかな衣装で、倒れるように座り込んでいた。
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