WEAK SELF.

若松だんご

文字の大きさ
上 下
20 / 49
第五章 大君は 神にしませば

二十、大君は 神にしませば(三)

しおりを挟む
 勅発布のための作業は遅々として進まない。
 満開に咲いていた桜が散り、萌出た葉の色に深みがまし、菫に代わり多彩な草花が川を彩っても、仕事は終わる気配を見せなかった。

 「あー、だー、もーダメだ。もう疲れた。ヤル気ない。腕痛え」

 机に突っ伏した川島。筆とともにヤル気も放棄する。

 「こらこら。そう言わずに頑張れよ」

 「だって、あれからずうっと仕事漬けだぜ? 少しはあーそーびーたーいー」

 子供か。
 足をジタバタさせて文句を垂れる川島に、近くにいた官人が警戒を強めた。「あーそーびーたーいー」で「遊ぶ!!」と室を飛び出し逃げられたら、見張っていた官人が叱られる。

 「遊びなら父上が用意してくださっただろう。阿騎野あきのの狩りの話。お前も聞いてるだろ?」

 「ああ、あれな」

 突っ伏したまま、川島が顔だけこちらを向けた。

 「こうやってあくせく働く者を慰労しようと開かれるんだ。それまでは我慢しろよ」

 「狩りねえ……」

 川島の顔はうかないまま。「よっしゃ、狩りまで頑張るぞ!!」とはならなかった。

 「オレ、狩り苦手なんだよなあ」

 ああ、そうだった。川島は武芸を苦手としていた。
 皇子として、それなりにはやれるだろうが、それはあくまで「それなり」。下手をすれば、あれから稽古を続けている忍壁のが優るかもしれない。

 「まったく帝は……。どうしてあんなにお元気なんだよ」

 「いいことじゃないか」

 「精力的すぎるだろ。もう五十を過ぎてるってのにさ。もう少しお歳に合わせたお元気さでいてくれよ。つき合うこっちがたまったもんじゃない」

 「そういうお前は歳に合わせた元気を出せよ。お前はまだ二十代だろ。忍壁ほどではなくても、それなりの元気はあるはずだろ?」

 「オレはいいの。肉体労働より頭脳労働なんだから」

 「頭脳も働かせてないじゃないか」

 「引き絞ったままの弓は弦が緩むか、最悪切れる。オレの頭も使いすぎると切れるから、こうして休ませてんだよ」

 ああ言えばこう言う。
 川島の口は止まらない。

 「あー、でも、泊瀬部をどっか連れてってやれるのはいいかな~。なかなかかまってやれないから、アイツ、不満溜まってるみたいなんだよなぁ。産着を縫うのにも飽きてるみたいだし」

 狩りに、帝の行幸に伴するのは男性だけではない。女性も薬狩りとして参加する。忍壁も滅多に会えない妻、明日香に会えると喜んでいた。

 「大切にしてるんだな、泊瀬部のこと」

 「ああ。オレは愛妻家だぜ? 妻が喜びゃオレも嬉しい」

 「そうだったんだ」

 あまりの不甲斐なさに、そのうち気の強い泊瀬部の尻に敷かれる「恐妻家」になるかと思ったけれど。

 「そういうお前んとこはどうなんだよ。山辺と上手くいってるのか?」

 「あー、うん。まあ、上手くいってるよ。いっつも、僕の帰りが遅くても待っててくれるし」

 仕事で帰りが遅くなる。先に休んでいてくれ。
 そう伝えたのに、山辺はいつも寝ずに待っていてくれた。
 「縫い物をしていたので」とか「ちょうど目が覚めて、お帰りに気づいたので」とか言ってくれるけど、わざと待っていてくれてることは知っている。

 「おーおー、惚気けたな、お前」

 川島が身を乗り出すと、軽くピューッと口笛を吹いて囃し立てた。

 「ま、異母妹いもうとが幸せならそれでいいや」

 「うん、そうだね。川島も泊瀬部を頼むよ。大事な異母妹いもうとなんだ」

 「おう。任せとけ」

 どちらの妻も、互いの異母妹いもうと
 愛妻家で妹思い。
 認識を共有したところで、ニッと笑い合う。
 山辺のことを大切に思ってる。
 慎ましやかなところも、そっと寄り添ってくれるような優しさも。
 匂い立つような華やかさはないけど、野辺に咲く菫のような可憐さはあると思う。
 大事にしたい。大切にしたい。
 だから。だから僕は――。

 カタリ。

 扉の開く音がした。
 薄暗い書庫に明るい日差しが差し込む。
 その光の眩しさに目をすがめ、川島と二人、そちらを見やる。

 「あの、こちらで書をお借りしたいのですが」

 日差しを背に立っていたのは色鮮やかな衣をまとった女性。――年若い采女うねめ

*     *     *     *

 「書を借りてこいと命じられたのですが、わたくし、あまり詳しくなくて。どなたかお教え願えないでしょうか」

 柔らかく細い手を頬に添え、顔を軽く傾げる女性。
 采女。
 大宮で主に帝にお仕えする豪族の娘。帝に召されることもあるので、若く美しい女性が選ばれることが多いが、これは――。

 「どの書を探してるんだ?」

 いそいそと、うれしそうに立ち上がった、川島。
 おいおい、さっき、泊瀬部を大事にする、愛妻家だって言ったばっかりだろ。
 わざわざ皇子である川島自ら采女の手伝いをしなくても、ここには書に詳しい者なら他にいくらでもいる。
 暇を飽かして、仕事から逃げ出したくて手伝いを名乗り出たのか。それとも、采女の美しさに惹かれたのか。
 川島の鼻の下加減はよくわからない。

 「あの、史書を借りてこいと命じられたのですが。漢国の史書を、と」

 「漢国の――史書?」

 川島がコキンと首を傾けた。

 ――史書を借りてこい。

 これを命じたのは、父か皇后か。それとも詔の草案で議論を交わしているであろう高市か草壁か。
 いや。
 高市や草壁なら、采女に命じたりはしない。もっと書に詳しい者を遣わすはずだ。
 知りたいこと、確認したいことがあるから書を求める。調べたいのだから、早く手にしたいと考えるのが普通。ならばこんな頼りない、持ってくるのに時間のかかりそうな、歴史も知らぬ子女に頼むわけがない。歴史に通じた官人にでも命じるはず。

 「文景の治について詳しく書かれたものをと申されたのですが、わたくし困ってしまって……」

 「あー、うん、文景……、文景の治、ね」

 軽く川島が後ずさった。さては「文景の治」、わかってないな?
 文景の治。
 漢国の第五代皇帝文帝とその子景帝の統治期間のこと。秦時代より続いた戦による混乱、高祖亡き後は外戚、呂氏の専横によって疲弊していた国家。賦役の軽減、農桑の振興に力を入れ、民を休ませ、国庫を潤し、国を立て直した。文帝は、自らの衣袍に刺繍すらせず、徹底して質素倹約に務めた。漢の国の基盤を作り、後の武帝の時代、遥か西の匈奴遠征へとつながっていく。歴史の善例。
 その文景の治について知りたいとはどういうことか。
 先の淡海を倒した戦。その前、唐・新羅との戦い。乙巳の変。この国は漢国と同じで戦が続いている。文景の治を真似て国家と直したい。そう思ってるのか。
 でも、誰が?
 誰がこの采女に持ってくるように命じさせた?

 「ぶんけい……ぶんけい……」

 書棚をたどる川島の指。どれを指して良いのか迷い続けている。書棚にあるのはなにも史書だけではない。今自分たちが触れている戸籍もあれば、刑法、薬学、易、さまざまな書物、木冊書が積み上がる。
 助けてくれ。
 泳いだ川島の視線が、こちらに当たった。

 「――これだよ」

 軽くため息をつくと、目当ての書を取り出してやる。

 「ありがとうございます。助かりましたわ」

 書を手にした采女の顔がパアッと明るくなる。艶やかな大輪の花が咲いたような印象の笑顔。
 
 「見つからなかったら、どんなお叱りを受けてしまうのかと、不安で仕方ありませんでしたの」

 大事そうにギュッと書を抱きしめた采女。長いまつげが、紅潮した目の下に陰影を落とす。

 「さっすが大津!!」

 「お前が知らなさすぎなんだ。カッコつけるならもう少し学んでおけよ」

 調子に乗っておだててくる川島を牽制する。

 「おっ、大津さまっ!? み、皇子様とは知らず、ご無礼を!!」

 弾かれたように顔を上げた采女が、恐縮して平伏する。
 自分の探しものを皇子に手伝わせるとは。
 気安く声をかけたことを悔いているのだろう。見せられた背中が震えていた。
 その姿に、川島と二人、目を丸くして互いの顔を見る。
 薄暗い書庫。黙々と書き写す地味な仕事。皇子らしい装いでは墨を扱うのに不向きだからと、かなり質素な服を身に着けている。川島なんて、先程突っ伏したせいで、頬に墨の痕がついている。
 地方から出てきて地味な仕事を課せられてる下級の官人。おそらくこの采女は、自分たちのことをそう判断して気安く声をかけてきたのだろう。
 軽くプッと川島と笑い合う。

 「別にいいよ。気にすることはない」

 「そうそう。それより早く持っていかねえと、主に叱られるぞ?」

 ほら行け。
 川島がそう言うと、采女が深く一礼してから、慌てて立ち去っていった。

 ――あれは誰の命で動いている采女なんだろうな。

 一つの疑問を残して。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

座頭軍師ー花巻城の夜討ちー

不来方久遠
歴史・時代
 関ヶ原の合戦のさなかに起こった覇権を画策するラスボス伊達政宗による南部への侵攻で、花巻城を舞台に敵兵500対手勢わずか12人の戦いが勃発した。  圧倒的な戦力差で攻める敵と少数ながらも城を守る南部の柔よく剛を制す知恵比べによる一夜の攻防戦。

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

香蕉の生き方

うたう
歴史・時代
 始皇帝が没した。  宦官趙高は、始皇帝の寵愛を受けていたにも関わらず、時期到来とばかりに謀を巡らせる。  秦帝国滅亡の原因ともなった趙高の側面や内心を、丞相李斯、二世皇帝胡亥、趙高の弟趙成、趙高の娘婿閻楽、そして趙高自身の視点から描く。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...