WEAK SELF.

若松だんご

文字の大きさ
上 下
17 / 49
第四章 海石榴市

十七、閑話-磐余

しおりを挟む
 「それはよろしゅうございましたね、姫さま」

 「ええ。とても楽しかったわ」

 夏見なつみが、コトリと卓に瓶子を置いた。小さな瓶子に挿されているのは濃い紫の花――菫。

 「あたしは驚きましたよ。まさか姫さまがあんなところで舞を披露なさるだなんて」

 「そうね、わたくしも思ってもみなかったわ」

 大津さまと出かけた海石榴市。
 そこで出会った、大津さまのお知り合いの民。
 勧められるままに舞台に上がった。

 「初めてだったから。上手くできていたかしら」

 大津さまは「素晴らしい」「良かった」と褒めてくださったけれど。

 「大丈夫ですよ。とても素敵でした。なんならあそこにいた舞手のなかで一番華やいで素晴らしかったです」

 「それは言い過ぎよ」

 わざおきの集団に素人が敵うわけがないわ。

 「いいえ。皇子さまの笛とも息がピッタリで。最初は驚きましたけれど、最後は見とれてしまうほど素晴らしかったです」

 どうかしら。
 
 「それは大津さまの笛が良かったからよ。あの笛の音に合わせて舞えば、誰だって上手く舞えるわ」

 わたくしが遅れそうになると、そのたびに笛の速さを緩めてくださった。わたくしの動きに合わせて、笛を吹いてくださった。
 あれは、大津さまが笛に慣れていらっしゃるからできたこと。わたくしが笛に合わせるのではなく、笛がわたくしに合わせて奏でられた。大津さまが巧みであったからこそ合った呼吸。

 「そういう夏見、アナタも大津さまの舎人と息があっていたじゃない。二人して、おそろいのお目々真ん丸具合だったわよ」

 こんなかんじに。自分の目をクリっと指で見開いてみせる。

 「嫌ですわ、姫さま。あたしはあんな朴念仁と息など合わせません。あの男、皇子さま第一で、あたしを平気で置き去りにするんですから」

 プンプンと怒る夏見。
 大津さまの命で、護衛の舎人と夫婦のフリをして市にいたのに、舎人は夏見を見ずに大津さまばかり気にかけていたらしい。終いには、人混みの中に夏見を放置して何処かへ行ってしまったという。

 (朴念仁……)

 その表現に思わずプッと笑いだしてしまう。

 「どうしたんですか、姫さま」

 「あのね、大津さまもあの少年に言われてたの。嫁に贈り物もしない、女心のわからない朴念仁だって」

 「ハア。そういうのって主従で似てしまうものなんでしょうかね」

 「似ているからこそ、長く一緒にいられるのかもしれないわ。似たもの同士、引き寄せられるのかも」

 「そうしたら、あたしと姫さまも似ているってことになりますよね。なんたって、生まれた時から乳母子としてお仕えしておりますから」

 「そうね。似ているかもしれないわ」

 きっと、どの異母姉妹しまいとも。
 淡海で暮らしていた時からずっとそばにいてくれた夏見。幼い頃は乳姉妹として。長じてからは女嬬として。彼女がいてくれたから、父も母も亡くなり、異母長兄あにが亡くなるという激動の時があっても寂しくなかった。
 今も、こうしてそばにいてくれる。
 いつもならこんな夜遅くまでわたくしのそばに侍ってたりしない。大津さまが閨を訪れる前に退出している。
 こうして今もいてくれるのは、大津さまが高市さまに呼び出されてお留守にされているから。大津さまは先に床についてて構わないとおっしゃってくださったけれど、昼間の興奮が醒めそうになくて、とてもじゃないけれど眠れそうにない。
 それに、どれだけ遅くても寝ないで帰りをお待ちしたい。ちょっとした妻の意地。

 卓の上に置かれた菫の花。
 その傍らには赤い瑪瑙のついた簪。
 
 どちらも華やかなものではない。
 どちらも皇女という身分に相応しいものではない。
 けれど、どちらも大津さまからいただいた大切な物。

 「お花、このままずっと咲いていてくれるとよろしいんですけどねえ」

 「そうね」

 花を惜しく思っていたことを、夏見に言い当てられてしまった。
 簪は手元に残るけれど、花はそうはいかない。花はいずれ枯れてしまう。

 「でも、この花が枯れる頃には、また新しいものを贈ってくださるそうよ。あの少年に約束させられていらっしゃったわ」

 かなり無理やりではあったけど。

 「なら安心ですね。次にどのようなものをくださるのか、楽しみにしていればいいんですから」

 「でも少し申し訳ないと思うの。そんなにいただいてしまっていいのかしら」

 「いいのですよ。それより気になるのは姫さまのほうです」

 「わたくし?」

 「贈り物をいただきすぎて、嬉しさでどうにかなりそうなのではないですか?」

 「え。なぜ、それを?」

 図星すぎて、どう言い返したらよいかわからない。

 「姫さまのお考えなんて、この夏見にはすべてお見通しなんでございますよ」

 そうね。ずっと一緒にいる夏見だもの。わたくしのこと、一番わかっているわね。

 「お優しい皇子さまでよろしゅうございましたね、姫さま」

 「そうね」

 父を亡くして、母を亡くして。
 淡海を治めていた異母長兄あにも亡くして。異母長兄あにを支えていた、母方の祖父も亡くして。
 皇女と言っても頼るべき身寄りもなく、とても心細かった。
 そんなわたくしを夫と娶せたのは異母姉あねたちの夫であり父の弟、今の帝だった。

 御名部異母姉ねえさまは、第一皇子高市さまに。
 阿閉異母姉ねえさまは、 第二皇子草壁さまに。
 わたくしは、第三皇子大津さまに。
 川島異母兄にいさまには、皇女泊瀬部さまを。
 異母妹いもうと明日香は、第四皇子忍壁さまに嫁ぐことを約束され、幼い異母弟  おとうと志貴は、皇女託基さまと娶されることが約束された。

 大津さまは、淡海で亡き父が大切にしていた孫皇子。亡き異母長姉あねの忘れ形見。
 聡明で文武に優れ、将来を嘱望された皇子。
 明るく、楽しいことがお好きな方。
 あの少年に気が利かない朴念仁と評されたけれど、それでもこうして優しく接してくださる。わたくしのことを気にかけてくださる、心配りのできる方。
 
 「大津さまが夫でよかったわ」
 
 他の皇子さま方が劣っているわけじゃない。でも、わたくしには大津さまが一番素晴らしく思える。誰よりも優れていらっしゃる。

 誰かの下風に立てば、いずれ身を滅ぼす――。

 「姫さま?」

 「なんでもないわ」

 不意に、淡海で人づてに聞いた卜占の結果を思い出し、軽く身震いする。
 そんなことあるわけないじゃない。大津さまは、帝の大切な御子なのよ。吉野で六皇子が帝の御前で誓われたように、異腹の兄弟、従兄弟であっても、諍うことなく扶け合わなくてはいけないのよ。
 あのような占、当たらぬにこしたことないのよ。あれは腕の悪い僧、出来の悪い占事だったのよ。外れるに決まってるわ。

 「――だだいま、山辺。起きてたんだね」

 キイッと開いた扉のきしむ音。そこに立っていらしたのは愛しい背の君。

 「寝ててくれても構わなかったのに」

 「ええ。ですが、昼間のことを思い出されて、寝つけませんでしたの」

 待っていた、とは言わない。
 そうすると、優しい夫の負担になってしまうから。夫が申し訳なく思ってしまうから。

 「嫌だった?」

 「そんなことはありません。ただ楽しくて楽しくて。瞼を閉じても思い出されて、ドキドキしてしまいますの」

 これは本当。
 思い出すだけで鼓動が早まる、素敵な出来事だった。

 「じゃあ、一緒に寝よう。そうしたら気持ちも落ち着くかい?」

 誘われるままに牀榻しょうとうに近づく。夏見は、いつの間にか扉から出ていっていたらしく、姿は見えなくなっていた。
 
 「そうですわね。春といってもまだ寒うございますから。遅くお戻りいただいた方を温める、温石の務めを果たさせていただきますわ」

 「うん。ちょうど温石が欲しかったところなんだ。温めてくれると助かる」

 「まあ」

 軽くふざけあって床に入る。抱き寄せられ、大津さまの肩に頬を載せる。
 少し冷えた衣。その向こうに感じる大津さまの鼓動。

 「明日からは、先に寝ててくれてかまわないよ。きっと今日より帰りが遅くなるだろうから」

 待っていたことはお見通しだったらしい。

 「異母兄上あにうえにね、命じられたんだ。新しい詔を作るのに力を貸せって」

 ジッと天井を見つめたまま。
 大津さまの声はとても硬いものだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

処理中です...