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第三章 国 まほろば
十、国 まほろば(四)
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物心つく前のかすかな記憶。
病でやせ細った母の横たわる寝台。
上掛けの上からでもわかる、薄くやつれた体。
温かった肉体が躯となっていく時間。
それをジッと眺めていた。
上掛けからのぞく手が、愛おしげに頭を撫でてくれることはない。
閉ざされた瞼の向こう、優しい眼差しが自分に与えられることはない。
柔らかい母の声が、慈しむように自分を呼んでくれることもない。
二度と。
もう二度と「母」には会えない。
傍らに立つ姉、大来。彼女の幼い手が、自分の手を痛いぐらいにきつく握りしめていたことを覚えている。
だが、父は。
父はどうだったのだろう。
あの時、父はそばにいたのだろうか。
姉のように、涙を流して、声を上げて泣いていたのだろうか。
何も覚えていない。
次にある記憶は、母方の祖父、父の兄である淡海帝に引き取られたとき。
淡海大津宮の主だった祖父。細い顎、鋭くつり上がった目。その神経質そうな面差しは、快活な印象の父と似ていなかったように思う。
「これからは“大津”と名乗るがよい」
かつて、新羅・唐と戦うさいに訪れたという、長津の港。かつて「那珂津」と呼ばれていた地の名を変えたのは祖父。「港がとこしえ長く栄えるように。これから臨む戦、武運長久なる」を願って「長」という嘉字をつけられた。しかし、戦は大敗を喫し、祖父はこの名を忌み嫌った。
武運を願い、生まれたばかり孫にも同じ名を授けたが、やはり縁起が悪いということで、改名を命じられた。
長津から大津へ。
「大津」の名は、淡海大津宮に由来する。祖父の造った都。葦原を望む、鳰の湖のほとり。
そこでの生活は、子供心にとても楽しかった。
母の異母兄弟姉妹、川島や阿閉、御名部たちとも交流を持ったのも、この都だった。年長者だった大友とは、それほど多く語り合うことはなかったが、それでも会えば気にかけてくれていた。
大友の息子、葛野が生まれた時も、祖父とともに言祝ぎに行っている。大友の妻となっていた異母姉十市が、まだ目も開かない葛野を抱いて、幸せそうに微笑んでいた。大友の叔父と異母姉は、とても仲睦まじい夫婦に思えた。
父とは滅多に会えなかったけれど、代わりに祖父が政務の合間を縫って会いに来てくれていた。自分の教育にも熱心だった祖父は、淡海にいたたくさんの渡来人たちに、学問を授けさせた。
漢言葉を覚え、詩賦に通じた。音曲に触れ、『礼記』『論語』を諳んじた。
学ぶことは多く、苦労も耐えなかったが得るものもあった。新しいことを学び覚えることはとても面白かった。
文字を一つ覚えるたび、経書に通じるたび、にこやかに喜んでくれた祖父。祖父が褒めてくれるのがうれしくて、周りの者が称賛してくれるのが誇らしくて、幼いながらに努力した。
「太子の骨相、これ人臣の相にあらず。天下を治るに足りる相である」
そう卜占の結果を祖父に伝えたのは、渡来人の僧だった。
誰かの下風に立てば、いずれ身を滅ぼす――。
不穏な占をしてくれたものだと思う。
だけど、その結果を祖父は大いに喜んだ。喜ぶだけではない。それを大いに流布させた。
「帝は、孫皇子を世継ぎとされるのではないか」
噂が流れる。
文武に秀でた皇子。帝が自らの宮号を授けた掌中の珠。
帝の孫にして、皇太弟、大海人皇子の息子。母は蘇我の血を引いている。身分も申し分ない。
帝が大切にするのは、将来を見越してのことではないのか。
祖父には皇子が三人しかいない。それもみな、母の身分が低い。唯一、蘇我の血を引く子、健皇子もいたが、すでに夭折している。第一子、大友皇子が優秀なことは認めるが、やはり母親の地位の低さが足かせになっていることは否めない。
その点、孫皇子なら問題ない。
長く帝に尽くしていた皇太弟の子だ。彼なら、誰諍うことなく世継ぎとして認められるだろう。皇太弟も、自分の息子が帝位を継ぐのであれば承知するのではないか。
しかし、結果は残酷なものとなった。
祖父の死。
祖父が薨去した時、自分はわずか九つだった。
いくら周りが称賛しても、九歳の子供を帝位に就けるわけにはいかない。帝位には、自分と同じく博学で文武の才ありと謳われた叔父、大友が就いた。
それが戦の種となる。
叔父が帝位に就くことを承知しなかった父は戦を起こし、叔父を倒した。
そこに自分の甥、娘婿への情など残っていない。
勝つか負けるか。生きるか死ぬか。
帝冠を前に、肉親の情など塵に等しかった。
隠棲していた吉野で蜂起した父は、淡海に残っていた異母兄高市と自分を呼び寄せる。
高市は、その武勇、豪胆さを求めて。
自分は、人質とされないようにするため。
子を盾にされ、それを無視して倒したとなれば、帝冠を手に入れたとしても周囲からそしりを受ける。いっそ淡海側が息子を殺してくれれば、その躯を抱き、悲しむふりをして軍の士気を鼓舞することもできるだろうが、その前に仕掛けたのがこちら側だとすれば、なにかと都合が悪い。故に、部下に命じて都から脱出させた。
父と再会したのは、伊勢国朝明郡家の近く、迹太川のほとりだった。
禊をし、朝日を望拝していた父。かぎろう太陽を背にして、川から上がってきた父は神々しいまでに輝いてみえた。
「疾く顔を見せよ」
駆け寄るより早く自分を抱きしめてくれた父の腕。
肌を濡らす水は冷たかったが、そこに温もりがあった。
叔父との決別。都に残った姉妹。仲の良かった叔父、叔母。
淡海からの険しい山越え。暗い、星の明かりだけがたよりの道行き。休む暇も与えられない。初めて馬に乗り、草を踏み分け、顔にかかる枝を押しのけながら進んだ。
見つかったらどうなるのか。捕まったら。連れ戻されてしまったら。
叔父は「行け」と許してくれたけど、だからとて周囲も同じとは限らない。
それこそ捕らえられ、首級を掲げ、父の戦意を喪失させようとするかもしれない。
だから。
こうして自分を庇護してくれる者、父のもとへたどり着いた時は、安堵と疲れも相まって、その腕の中で気を失ってしまった。
そんな父の逞しい腕のなかにいられたのは、わずかな時間だけだった。
異母兄高市を先遣に、父は淡海を攻めるべく、出陣してしまった。
残った子女は、尾張大隅が用意した桑名の屋敷に留め置かれる。それは、戦に巻き込まれるのを防ぐため。そして体調の思わしくなかった父の妻、鸕野讚良皇女を療養させるため。
鸕野讚良皇女は、亡き母の同母妹。
父の吉野行きにも同道して以来、こうしてずっと父に付き従っていた。父の吉野脱出は強行軍だったと言うから、疲れが出てもおかしくない。
だが、叔母の考えは少し違ったように思える。
彼女は、父が進軍した途端に元気を取り戻し、息子草壁のために奔走しはじめた。
もし父が破れた時、草壁を伴って東国に逃げられるように。朝敵、賊臣の子として草壁が咎めを受けないように。
叔母は、草壁だけを見ていた。草壁のことだけを思っていた。
なぜ叔母がそこまで草壁に固執するのかは知らない。ただそこに、甥であり継子の自分が入り込む隙はなかった。叔母の視線は我が子にだけ注がれる。
あの頃の自分は寂しかったのだろうか。
それとも、初めて与えられた自由を謳歌していたのだろうか。
叔母の目も、他の誰の目も自分に向いていない、誰の称賛も受けない初めての自由。
屋敷近くの丘に登り、滔々と流れる川を見た。
幾筋もの川が作り上げた広大な湿原には草木は生えず、代わりに葦がうっそうと生い茂っていた。川下に目を向ければ、そこには日差しに煌めく浩々たる伊勢の海。淡海とは違う、美しさと塩辛さを持った海。
行き交う船は、海の幸、山の幸を載せ、あちらこちらへと去っていく。
「ここの蛤は最高に旨いですぞ」
藁や炭では焼かない、不思議な貝。蛤。淡海では食したことのないその貝は、身も大きく、味わい深かった。
海が大きくなれば、貝もまた大きくなるのか。
幼い自分がそう訊ねると、食べ方を教えてくれた者が大笑いした。「伊勢の海で蛤なら、大綿津見にはどれほどの大きさの貝が暮らすのか」と。伊勢の海だけでも途方もない大きさ思ったのに、その先にはもっと無辺の海が広がっていると聞いて驚いたあの頃の自分。
あの海の向こうには、どのような世界があったのだろうか。どのような世界があって、どのような人が暮らしていたのか。知りたいと思った。行ってみたいと思った。
戦は父が勝利を収め、都を大和国飛鳥に定めたことで、自分もそこに移り住んだ。
かつて淡海で暮らしてたときと同じように、皇子として勉学を好み、武芸に励んだ。淡海脱出の時に初めて乗った馬。山野を駆け回り、風を切るのが楽しかった。
皇子らしく振る舞うことで、かつて祖父が大事にしてくれたように、父も大切に思ってくれるかもしれない。「父と子」だから大事にされるのではない。ただ「愛してる」から大事にしてほしかった。認めてほしかった。自分を見てほしかった。
迹太川で得た、温もりと安心感。それがほしかった。
だが、それが叔母の反目を買い、父の歓心を買ってしまった。
憎々しい甥。使える駒。
そう思われたくなくて、赤心偽りなきことを示すために、なるべくふざけたこともやった。川島や忍壁とつるんで、バカなことも散々やった。
だが、気づくには遅く、二人の目を誤魔化すことはできなかった。
父は、自分を使える駒にするため、山辺皇女を妻に娶せた。山辺は、祖父淡海帝の娘であり、蘇我一族の血を引く娘でもある。亡き祖父しか後ろ盾のない自分にはちょうどいい相手だった。
山辺と結婚したことで、叔母の警戒が強まる。草壁も淡海帝の皇女を妻にしているが、山辺が妻になったことで、立場は互角になってしまった。草壁が先に政務に関わるよう叔母が働きかけたのに、父帝は自分にも“始聴朝政”を命じた。
自分と草壁。
どちらが、より日嗣の御子に相応しいのか。拮抗する力。天秤は、どこまでもユラユラと傾きゆらぎ続ける。
倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し うるはし
(大和は国で一番素晴らしいところだ。重なり合った青垣のような山に囲まれている大和は美しい)
かつてこの大和を嘉した歌。
ここは国のまほろば。大君治める素晴らしき場所。
だけど、ここからあの海を眺めることはできない。
淡い海。潮の海。
波の音は遠く彼方。耳に届くことはない。
病でやせ細った母の横たわる寝台。
上掛けの上からでもわかる、薄くやつれた体。
温かった肉体が躯となっていく時間。
それをジッと眺めていた。
上掛けからのぞく手が、愛おしげに頭を撫でてくれることはない。
閉ざされた瞼の向こう、優しい眼差しが自分に与えられることはない。
柔らかい母の声が、慈しむように自分を呼んでくれることもない。
二度と。
もう二度と「母」には会えない。
傍らに立つ姉、大来。彼女の幼い手が、自分の手を痛いぐらいにきつく握りしめていたことを覚えている。
だが、父は。
父はどうだったのだろう。
あの時、父はそばにいたのだろうか。
姉のように、涙を流して、声を上げて泣いていたのだろうか。
何も覚えていない。
次にある記憶は、母方の祖父、父の兄である淡海帝に引き取られたとき。
淡海大津宮の主だった祖父。細い顎、鋭くつり上がった目。その神経質そうな面差しは、快活な印象の父と似ていなかったように思う。
「これからは“大津”と名乗るがよい」
かつて、新羅・唐と戦うさいに訪れたという、長津の港。かつて「那珂津」と呼ばれていた地の名を変えたのは祖父。「港がとこしえ長く栄えるように。これから臨む戦、武運長久なる」を願って「長」という嘉字をつけられた。しかし、戦は大敗を喫し、祖父はこの名を忌み嫌った。
武運を願い、生まれたばかり孫にも同じ名を授けたが、やはり縁起が悪いということで、改名を命じられた。
長津から大津へ。
「大津」の名は、淡海大津宮に由来する。祖父の造った都。葦原を望む、鳰の湖のほとり。
そこでの生活は、子供心にとても楽しかった。
母の異母兄弟姉妹、川島や阿閉、御名部たちとも交流を持ったのも、この都だった。年長者だった大友とは、それほど多く語り合うことはなかったが、それでも会えば気にかけてくれていた。
大友の息子、葛野が生まれた時も、祖父とともに言祝ぎに行っている。大友の妻となっていた異母姉十市が、まだ目も開かない葛野を抱いて、幸せそうに微笑んでいた。大友の叔父と異母姉は、とても仲睦まじい夫婦に思えた。
父とは滅多に会えなかったけれど、代わりに祖父が政務の合間を縫って会いに来てくれていた。自分の教育にも熱心だった祖父は、淡海にいたたくさんの渡来人たちに、学問を授けさせた。
漢言葉を覚え、詩賦に通じた。音曲に触れ、『礼記』『論語』を諳んじた。
学ぶことは多く、苦労も耐えなかったが得るものもあった。新しいことを学び覚えることはとても面白かった。
文字を一つ覚えるたび、経書に通じるたび、にこやかに喜んでくれた祖父。祖父が褒めてくれるのがうれしくて、周りの者が称賛してくれるのが誇らしくて、幼いながらに努力した。
「太子の骨相、これ人臣の相にあらず。天下を治るに足りる相である」
そう卜占の結果を祖父に伝えたのは、渡来人の僧だった。
誰かの下風に立てば、いずれ身を滅ぼす――。
不穏な占をしてくれたものだと思う。
だけど、その結果を祖父は大いに喜んだ。喜ぶだけではない。それを大いに流布させた。
「帝は、孫皇子を世継ぎとされるのではないか」
噂が流れる。
文武に秀でた皇子。帝が自らの宮号を授けた掌中の珠。
帝の孫にして、皇太弟、大海人皇子の息子。母は蘇我の血を引いている。身分も申し分ない。
帝が大切にするのは、将来を見越してのことではないのか。
祖父には皇子が三人しかいない。それもみな、母の身分が低い。唯一、蘇我の血を引く子、健皇子もいたが、すでに夭折している。第一子、大友皇子が優秀なことは認めるが、やはり母親の地位の低さが足かせになっていることは否めない。
その点、孫皇子なら問題ない。
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しかし、結果は残酷なものとなった。
祖父の死。
祖父が薨去した時、自分はわずか九つだった。
いくら周りが称賛しても、九歳の子供を帝位に就けるわけにはいかない。帝位には、自分と同じく博学で文武の才ありと謳われた叔父、大友が就いた。
それが戦の種となる。
叔父が帝位に就くことを承知しなかった父は戦を起こし、叔父を倒した。
そこに自分の甥、娘婿への情など残っていない。
勝つか負けるか。生きるか死ぬか。
帝冠を前に、肉親の情など塵に等しかった。
隠棲していた吉野で蜂起した父は、淡海に残っていた異母兄高市と自分を呼び寄せる。
高市は、その武勇、豪胆さを求めて。
自分は、人質とされないようにするため。
子を盾にされ、それを無視して倒したとなれば、帝冠を手に入れたとしても周囲からそしりを受ける。いっそ淡海側が息子を殺してくれれば、その躯を抱き、悲しむふりをして軍の士気を鼓舞することもできるだろうが、その前に仕掛けたのがこちら側だとすれば、なにかと都合が悪い。故に、部下に命じて都から脱出させた。
父と再会したのは、伊勢国朝明郡家の近く、迹太川のほとりだった。
禊をし、朝日を望拝していた父。かぎろう太陽を背にして、川から上がってきた父は神々しいまでに輝いてみえた。
「疾く顔を見せよ」
駆け寄るより早く自分を抱きしめてくれた父の腕。
肌を濡らす水は冷たかったが、そこに温もりがあった。
叔父との決別。都に残った姉妹。仲の良かった叔父、叔母。
淡海からの険しい山越え。暗い、星の明かりだけがたよりの道行き。休む暇も与えられない。初めて馬に乗り、草を踏み分け、顔にかかる枝を押しのけながら進んだ。
見つかったらどうなるのか。捕まったら。連れ戻されてしまったら。
叔父は「行け」と許してくれたけど、だからとて周囲も同じとは限らない。
それこそ捕らえられ、首級を掲げ、父の戦意を喪失させようとするかもしれない。
だから。
こうして自分を庇護してくれる者、父のもとへたどり着いた時は、安堵と疲れも相まって、その腕の中で気を失ってしまった。
そんな父の逞しい腕のなかにいられたのは、わずかな時間だけだった。
異母兄高市を先遣に、父は淡海を攻めるべく、出陣してしまった。
残った子女は、尾張大隅が用意した桑名の屋敷に留め置かれる。それは、戦に巻き込まれるのを防ぐため。そして体調の思わしくなかった父の妻、鸕野讚良皇女を療養させるため。
鸕野讚良皇女は、亡き母の同母妹。
父の吉野行きにも同道して以来、こうしてずっと父に付き従っていた。父の吉野脱出は強行軍だったと言うから、疲れが出てもおかしくない。
だが、叔母の考えは少し違ったように思える。
彼女は、父が進軍した途端に元気を取り戻し、息子草壁のために奔走しはじめた。
もし父が破れた時、草壁を伴って東国に逃げられるように。朝敵、賊臣の子として草壁が咎めを受けないように。
叔母は、草壁だけを見ていた。草壁のことだけを思っていた。
なぜ叔母がそこまで草壁に固執するのかは知らない。ただそこに、甥であり継子の自分が入り込む隙はなかった。叔母の視線は我が子にだけ注がれる。
あの頃の自分は寂しかったのだろうか。
それとも、初めて与えられた自由を謳歌していたのだろうか。
叔母の目も、他の誰の目も自分に向いていない、誰の称賛も受けない初めての自由。
屋敷近くの丘に登り、滔々と流れる川を見た。
幾筋もの川が作り上げた広大な湿原には草木は生えず、代わりに葦がうっそうと生い茂っていた。川下に目を向ければ、そこには日差しに煌めく浩々たる伊勢の海。淡海とは違う、美しさと塩辛さを持った海。
行き交う船は、海の幸、山の幸を載せ、あちらこちらへと去っていく。
「ここの蛤は最高に旨いですぞ」
藁や炭では焼かない、不思議な貝。蛤。淡海では食したことのないその貝は、身も大きく、味わい深かった。
海が大きくなれば、貝もまた大きくなるのか。
幼い自分がそう訊ねると、食べ方を教えてくれた者が大笑いした。「伊勢の海で蛤なら、大綿津見にはどれほどの大きさの貝が暮らすのか」と。伊勢の海だけでも途方もない大きさ思ったのに、その先にはもっと無辺の海が広がっていると聞いて驚いたあの頃の自分。
あの海の向こうには、どのような世界があったのだろうか。どのような世界があって、どのような人が暮らしていたのか。知りたいと思った。行ってみたいと思った。
戦は父が勝利を収め、都を大和国飛鳥に定めたことで、自分もそこに移り住んだ。
かつて淡海で暮らしてたときと同じように、皇子として勉学を好み、武芸に励んだ。淡海脱出の時に初めて乗った馬。山野を駆け回り、風を切るのが楽しかった。
皇子らしく振る舞うことで、かつて祖父が大事にしてくれたように、父も大切に思ってくれるかもしれない。「父と子」だから大事にされるのではない。ただ「愛してる」から大事にしてほしかった。認めてほしかった。自分を見てほしかった。
迹太川で得た、温もりと安心感。それがほしかった。
だが、それが叔母の反目を買い、父の歓心を買ってしまった。
憎々しい甥。使える駒。
そう思われたくなくて、赤心偽りなきことを示すために、なるべくふざけたこともやった。川島や忍壁とつるんで、バカなことも散々やった。
だが、気づくには遅く、二人の目を誤魔化すことはできなかった。
父は、自分を使える駒にするため、山辺皇女を妻に娶せた。山辺は、祖父淡海帝の娘であり、蘇我一族の血を引く娘でもある。亡き祖父しか後ろ盾のない自分にはちょうどいい相手だった。
山辺と結婚したことで、叔母の警戒が強まる。草壁も淡海帝の皇女を妻にしているが、山辺が妻になったことで、立場は互角になってしまった。草壁が先に政務に関わるよう叔母が働きかけたのに、父帝は自分にも“始聴朝政”を命じた。
自分と草壁。
どちらが、より日嗣の御子に相応しいのか。拮抗する力。天秤は、どこまでもユラユラと傾きゆらぎ続ける。
倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し うるはし
(大和は国で一番素晴らしいところだ。重なり合った青垣のような山に囲まれている大和は美しい)
かつてこの大和を嘉した歌。
ここは国のまほろば。大君治める素晴らしき場所。
だけど、ここからあの海を眺めることはできない。
淡い海。潮の海。
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