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第三章 国 まほろば
八、国 まほろば(二)
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「おーう、大津~」
朝堂を出て、門に向かうところで、衣冠を正した川島に会った。
こんなところで川島に会うなんて珍しすぎる。先程、草壁と彼を話の種にして笑い合ってきたというのに。
今日の川島は、フニャフニャではなかったようだ。
「なんだなんだ? お前、オレより疲れた顔してるぞ?」
並んで歩きながら、川島が顔を覗き込んできた。
「“始聴朝政”を命じられたよ」
「あー、やっぱりかぁ」
川島が空を見上げ、息を吐き出す。
「お前がここにいるなんて珍しいから、なんかあったなって思ったんだが。……やっぱりか」
「ああ。やっぱり、だ」
草壁に男子が生まれた。
その時から、いや、阿閉の懐妊の報を聞いてからその予感はあった。それは川島も同じだったらしい。
「じゃあ、これからはフラフラしてられないぞ、大津」
「いや、フラフラしてるのは、どっちかというとお前だろ」
川島をこんなところで見かけることのほうが珍しいというのに。衣冠を正しているということは、今日はキチンと務めを果たしてきていたようだ。
「だから、オレは見識を広めてただけだって。よし、ここは一つ、政の先輩として教訓を与えてやろう」
ノシッと肩に肘を載せてきた川島。少し得意げに鼻を鳴らした。
「いいか、大津。何事も“ほどほど”が肝要だ。お前が熱心にやり過ぎると官吏が困る。仕事が無くなって暇になってしまうからな」
え?
「なので、働きたくてたまらない官吏のために、程よく仕事を残してやる。それが上に立つ者の務めってやつだ」
「ようはお前のように、適当にやっておけということか。お前の下の官吏たちは、たくさん仕事を与えられて泣いているだろうな」
「おう。嬉し涙だな」
「辛くて泣くのではないか? それか、適当すぎる主に嘆き悲しむか」
「ま、どっちでもいいさ。それより、酒だ酒。お前が政に参与することになった祝いだ」
「飲んでばかりじゃないか」
この間は、草壁の子の誕生。今日は自分か。
次々理由を見つける川島に苦笑せざるをえない。
「いいんだよ。飲まなきゃやってられないからな」
顔をしかめ、せっかくの整えられた髪を掻く。髪が乱れ、いつものくだけた川島に戻る。
「高市殿がうるさいんだよ。武芸に励まぬのなら、せめて政務にだけは勤しめって」
「ああ」
なるほど。
それで珍しく出仕していたのか。
得心いった。
「ってことで、急ぐぞ、大津」
「え? なぜ?」
「酒は月傾く前から飲むのがいいんだ!!」
グイグイとこちらの背を押し、急かし始める。
「酒を飲むのに月が関係あるのか?」
「あるんだよ、オレには大いにあるんだ!!」
「初耳だよ、そんなの」
押されるままに歩き続ける。朝堂の外へと続く門へと近づく頃には、足は「歩く」ではなく、「走り」出していた。
「逃げろ!!」
――やっぱり。
「誰から逃げるんだよ」
走りながら問う。
「そりゃもちろん、お前の兄貴からだよ!! 捕まったら仕事に連れ戻される」
「つまりお前は、逃げてる最中に僕に会ったってわけか!!」
「そういうことだ!! 行くぞ!!」
先陣をきるように速度を上げた川島。呆れながらその背中を追いかける。
高市に見つかったら、自分も連座で叱られるのだろうか。
お前も大人だ。政に参与することになったのだから、少しはその自覚を持て――とか。巌のような顔でこちらを睨みつける異母兄の姿。
想像するだけで口元が緩む。楽しい。だが。
「じゃあ、とっとと逃げ出さないとな!!」
一緒に叱られるだなんて。そんなのとばっちり、とんでもない巻き込まれは御免被りたい。
川島に追いつくように、走る速度を上げる。
「おいこら、オレを置いてくなよ!!」
「じゃあちゃんとついてこいよ!!」
遅れじと川島が自分に手を伸ばす。掴もうと伸ばされた手を躱し走っていく。
じゃれ合うたび、出仕するため整えられた衣冠が乱れていく。
何をやってるんだ。
馬鹿馬鹿しい。
でも、気持ちいい。
門を守る衛士たちが目を丸くして驚いてる。
そりゃそうだろう。大の大人が、身分ある者が、声をあげ、笑い、はしゃぎながら走ってくるのだから。
だけど、今はそれすら面白くて仕方ない。
「よーしっ、これでじゆ――ぅわっ!!」
わずかに先を行き、門の外に出た川島が中途半端な声を上げる。ドンッという音とともに、弾かれるように地面にすっ転んだ体。
「川島っ!? 大丈夫か……って、――あ」
彼の周りに散らばった木冊書。
川島がぶつかったもの。
それは、たくさんの木冊書を抱えて歩いてた少年――葛野だった。
朝堂を出て、門に向かうところで、衣冠を正した川島に会った。
こんなところで川島に会うなんて珍しすぎる。先程、草壁と彼を話の種にして笑い合ってきたというのに。
今日の川島は、フニャフニャではなかったようだ。
「なんだなんだ? お前、オレより疲れた顔してるぞ?」
並んで歩きながら、川島が顔を覗き込んできた。
「“始聴朝政”を命じられたよ」
「あー、やっぱりかぁ」
川島が空を見上げ、息を吐き出す。
「お前がここにいるなんて珍しいから、なんかあったなって思ったんだが。……やっぱりか」
「ああ。やっぱり、だ」
草壁に男子が生まれた。
その時から、いや、阿閉の懐妊の報を聞いてからその予感はあった。それは川島も同じだったらしい。
「じゃあ、これからはフラフラしてられないぞ、大津」
「いや、フラフラしてるのは、どっちかというとお前だろ」
川島をこんなところで見かけることのほうが珍しいというのに。衣冠を正しているということは、今日はキチンと務めを果たしてきていたようだ。
「だから、オレは見識を広めてただけだって。よし、ここは一つ、政の先輩として教訓を与えてやろう」
ノシッと肩に肘を載せてきた川島。少し得意げに鼻を鳴らした。
「いいか、大津。何事も“ほどほど”が肝要だ。お前が熱心にやり過ぎると官吏が困る。仕事が無くなって暇になってしまうからな」
え?
「なので、働きたくてたまらない官吏のために、程よく仕事を残してやる。それが上に立つ者の務めってやつだ」
「ようはお前のように、適当にやっておけということか。お前の下の官吏たちは、たくさん仕事を与えられて泣いているだろうな」
「おう。嬉し涙だな」
「辛くて泣くのではないか? それか、適当すぎる主に嘆き悲しむか」
「ま、どっちでもいいさ。それより、酒だ酒。お前が政に参与することになった祝いだ」
「飲んでばかりじゃないか」
この間は、草壁の子の誕生。今日は自分か。
次々理由を見つける川島に苦笑せざるをえない。
「いいんだよ。飲まなきゃやってられないからな」
顔をしかめ、せっかくの整えられた髪を掻く。髪が乱れ、いつものくだけた川島に戻る。
「高市殿がうるさいんだよ。武芸に励まぬのなら、せめて政務にだけは勤しめって」
「ああ」
なるほど。
それで珍しく出仕していたのか。
得心いった。
「ってことで、急ぐぞ、大津」
「え? なぜ?」
「酒は月傾く前から飲むのがいいんだ!!」
グイグイとこちらの背を押し、急かし始める。
「酒を飲むのに月が関係あるのか?」
「あるんだよ、オレには大いにあるんだ!!」
「初耳だよ、そんなの」
押されるままに歩き続ける。朝堂の外へと続く門へと近づく頃には、足は「歩く」ではなく、「走り」出していた。
「逃げろ!!」
――やっぱり。
「誰から逃げるんだよ」
走りながら問う。
「そりゃもちろん、お前の兄貴からだよ!! 捕まったら仕事に連れ戻される」
「つまりお前は、逃げてる最中に僕に会ったってわけか!!」
「そういうことだ!! 行くぞ!!」
先陣をきるように速度を上げた川島。呆れながらその背中を追いかける。
高市に見つかったら、自分も連座で叱られるのだろうか。
お前も大人だ。政に参与することになったのだから、少しはその自覚を持て――とか。巌のような顔でこちらを睨みつける異母兄の姿。
想像するだけで口元が緩む。楽しい。だが。
「じゃあ、とっとと逃げ出さないとな!!」
一緒に叱られるだなんて。そんなのとばっちり、とんでもない巻き込まれは御免被りたい。
川島に追いつくように、走る速度を上げる。
「おいこら、オレを置いてくなよ!!」
「じゃあちゃんとついてこいよ!!」
遅れじと川島が自分に手を伸ばす。掴もうと伸ばされた手を躱し走っていく。
じゃれ合うたび、出仕するため整えられた衣冠が乱れていく。
何をやってるんだ。
馬鹿馬鹿しい。
でも、気持ちいい。
門を守る衛士たちが目を丸くして驚いてる。
そりゃそうだろう。大の大人が、身分ある者が、声をあげ、笑い、はしゃぎながら走ってくるのだから。
だけど、今はそれすら面白くて仕方ない。
「よーしっ、これでじゆ――ぅわっ!!」
わずかに先を行き、門の外に出た川島が中途半端な声を上げる。ドンッという音とともに、弾かれるように地面にすっ転んだ体。
「川島っ!? 大丈夫か……って、――あ」
彼の周りに散らばった木冊書。
川島がぶつかったもの。
それは、たくさんの木冊書を抱えて歩いてた少年――葛野だった。
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