8 / 49
第三章 国 まほろば
八、国 まほろば(二)
しおりを挟む
「おーう、大津~」
朝堂を出て、門に向かうところで、衣冠を正した川島に会った。
こんなところで川島に会うなんて珍しすぎる。先程、草壁と彼を話の種にして笑い合ってきたというのに。
今日の川島は、フニャフニャではなかったようだ。
「なんだなんだ? お前、オレより疲れた顔してるぞ?」
並んで歩きながら、川島が顔を覗き込んできた。
「“始聴朝政”を命じられたよ」
「あー、やっぱりかぁ」
川島が空を見上げ、息を吐き出す。
「お前がここにいるなんて珍しいから、なんかあったなって思ったんだが。……やっぱりか」
「ああ。やっぱり、だ」
草壁に男子が生まれた。
その時から、いや、阿閉の懐妊の報を聞いてからその予感はあった。それは川島も同じだったらしい。
「じゃあ、これからはフラフラしてられないぞ、大津」
「いや、フラフラしてるのは、どっちかというとお前だろ」
川島をこんなところで見かけることのほうが珍しいというのに。衣冠を正しているということは、今日はキチンと務めを果たしてきていたようだ。
「だから、オレは見識を広めてただけだって。よし、ここは一つ、政の先輩として教訓を与えてやろう」
ノシッと肩に肘を載せてきた川島。少し得意げに鼻を鳴らした。
「いいか、大津。何事も“ほどほど”が肝要だ。お前が熱心にやり過ぎると官吏が困る。仕事が無くなって暇になってしまうからな」
え?
「なので、働きたくてたまらない官吏のために、程よく仕事を残してやる。それが上に立つ者の務めってやつだ」
「ようはお前のように、適当にやっておけということか。お前の下の官吏たちは、たくさん仕事を与えられて泣いているだろうな」
「おう。嬉し涙だな」
「辛くて泣くのではないか? それか、適当すぎる主に嘆き悲しむか」
「ま、どっちでもいいさ。それより、酒だ酒。お前が政に参与することになった祝いだ」
「飲んでばかりじゃないか」
この間は、草壁の子の誕生。今日は自分か。
次々理由を見つける川島に苦笑せざるをえない。
「いいんだよ。飲まなきゃやってられないからな」
顔をしかめ、せっかくの整えられた髪を掻く。髪が乱れ、いつものくだけた川島に戻る。
「高市殿がうるさいんだよ。武芸に励まぬのなら、せめて政務にだけは勤しめって」
「ああ」
なるほど。
それで珍しく出仕していたのか。
得心いった。
「ってことで、急ぐぞ、大津」
「え? なぜ?」
「酒は月傾く前から飲むのがいいんだ!!」
グイグイとこちらの背を押し、急かし始める。
「酒を飲むのに月が関係あるのか?」
「あるんだよ、オレには大いにあるんだ!!」
「初耳だよ、そんなの」
押されるままに歩き続ける。朝堂の外へと続く門へと近づく頃には、足は「歩く」ではなく、「走り」出していた。
「逃げろ!!」
――やっぱり。
「誰から逃げるんだよ」
走りながら問う。
「そりゃもちろん、お前の兄貴からだよ!! 捕まったら仕事に連れ戻される」
「つまりお前は、逃げてる最中に僕に会ったってわけか!!」
「そういうことだ!! 行くぞ!!」
先陣をきるように速度を上げた川島。呆れながらその背中を追いかける。
高市に見つかったら、自分も連座で叱られるのだろうか。
お前も大人だ。政に参与することになったのだから、少しはその自覚を持て――とか。巌のような顔でこちらを睨みつける異母兄の姿。
想像するだけで口元が緩む。楽しい。だが。
「じゃあ、とっとと逃げ出さないとな!!」
一緒に叱られるだなんて。そんなのとばっちり、とんでもない巻き込まれは御免被りたい。
川島に追いつくように、走る速度を上げる。
「おいこら、オレを置いてくなよ!!」
「じゃあちゃんとついてこいよ!!」
遅れじと川島が自分に手を伸ばす。掴もうと伸ばされた手を躱し走っていく。
じゃれ合うたび、出仕するため整えられた衣冠が乱れていく。
何をやってるんだ。
馬鹿馬鹿しい。
でも、気持ちいい。
門を守る衛士たちが目を丸くして驚いてる。
そりゃそうだろう。大の大人が、身分ある者が、声をあげ、笑い、はしゃぎながら走ってくるのだから。
だけど、今はそれすら面白くて仕方ない。
「よーしっ、これでじゆ――ぅわっ!!」
わずかに先を行き、門の外に出た川島が中途半端な声を上げる。ドンッという音とともに、弾かれるように地面にすっ転んだ体。
「川島っ!? 大丈夫か……って、――あ」
彼の周りに散らばった木冊書。
川島がぶつかったもの。
それは、たくさんの木冊書を抱えて歩いてた少年――葛野だった。
朝堂を出て、門に向かうところで、衣冠を正した川島に会った。
こんなところで川島に会うなんて珍しすぎる。先程、草壁と彼を話の種にして笑い合ってきたというのに。
今日の川島は、フニャフニャではなかったようだ。
「なんだなんだ? お前、オレより疲れた顔してるぞ?」
並んで歩きながら、川島が顔を覗き込んできた。
「“始聴朝政”を命じられたよ」
「あー、やっぱりかぁ」
川島が空を見上げ、息を吐き出す。
「お前がここにいるなんて珍しいから、なんかあったなって思ったんだが。……やっぱりか」
「ああ。やっぱり、だ」
草壁に男子が生まれた。
その時から、いや、阿閉の懐妊の報を聞いてからその予感はあった。それは川島も同じだったらしい。
「じゃあ、これからはフラフラしてられないぞ、大津」
「いや、フラフラしてるのは、どっちかというとお前だろ」
川島をこんなところで見かけることのほうが珍しいというのに。衣冠を正しているということは、今日はキチンと務めを果たしてきていたようだ。
「だから、オレは見識を広めてただけだって。よし、ここは一つ、政の先輩として教訓を与えてやろう」
ノシッと肩に肘を載せてきた川島。少し得意げに鼻を鳴らした。
「いいか、大津。何事も“ほどほど”が肝要だ。お前が熱心にやり過ぎると官吏が困る。仕事が無くなって暇になってしまうからな」
え?
「なので、働きたくてたまらない官吏のために、程よく仕事を残してやる。それが上に立つ者の務めってやつだ」
「ようはお前のように、適当にやっておけということか。お前の下の官吏たちは、たくさん仕事を与えられて泣いているだろうな」
「おう。嬉し涙だな」
「辛くて泣くのではないか? それか、適当すぎる主に嘆き悲しむか」
「ま、どっちでもいいさ。それより、酒だ酒。お前が政に参与することになった祝いだ」
「飲んでばかりじゃないか」
この間は、草壁の子の誕生。今日は自分か。
次々理由を見つける川島に苦笑せざるをえない。
「いいんだよ。飲まなきゃやってられないからな」
顔をしかめ、せっかくの整えられた髪を掻く。髪が乱れ、いつものくだけた川島に戻る。
「高市殿がうるさいんだよ。武芸に励まぬのなら、せめて政務にだけは勤しめって」
「ああ」
なるほど。
それで珍しく出仕していたのか。
得心いった。
「ってことで、急ぐぞ、大津」
「え? なぜ?」
「酒は月傾く前から飲むのがいいんだ!!」
グイグイとこちらの背を押し、急かし始める。
「酒を飲むのに月が関係あるのか?」
「あるんだよ、オレには大いにあるんだ!!」
「初耳だよ、そんなの」
押されるままに歩き続ける。朝堂の外へと続く門へと近づく頃には、足は「歩く」ではなく、「走り」出していた。
「逃げろ!!」
――やっぱり。
「誰から逃げるんだよ」
走りながら問う。
「そりゃもちろん、お前の兄貴からだよ!! 捕まったら仕事に連れ戻される」
「つまりお前は、逃げてる最中に僕に会ったってわけか!!」
「そういうことだ!! 行くぞ!!」
先陣をきるように速度を上げた川島。呆れながらその背中を追いかける。
高市に見つかったら、自分も連座で叱られるのだろうか。
お前も大人だ。政に参与することになったのだから、少しはその自覚を持て――とか。巌のような顔でこちらを睨みつける異母兄の姿。
想像するだけで口元が緩む。楽しい。だが。
「じゃあ、とっとと逃げ出さないとな!!」
一緒に叱られるだなんて。そんなのとばっちり、とんでもない巻き込まれは御免被りたい。
川島に追いつくように、走る速度を上げる。
「おいこら、オレを置いてくなよ!!」
「じゃあちゃんとついてこいよ!!」
遅れじと川島が自分に手を伸ばす。掴もうと伸ばされた手を躱し走っていく。
じゃれ合うたび、出仕するため整えられた衣冠が乱れていく。
何をやってるんだ。
馬鹿馬鹿しい。
でも、気持ちいい。
門を守る衛士たちが目を丸くして驚いてる。
そりゃそうだろう。大の大人が、身分ある者が、声をあげ、笑い、はしゃぎながら走ってくるのだから。
だけど、今はそれすら面白くて仕方ない。
「よーしっ、これでじゆ――ぅわっ!!」
わずかに先を行き、門の外に出た川島が中途半端な声を上げる。ドンッという音とともに、弾かれるように地面にすっ転んだ体。
「川島っ!? 大丈夫か……って、――あ」
彼の周りに散らばった木冊書。
川島がぶつかったもの。
それは、たくさんの木冊書を抱えて歩いてた少年――葛野だった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説

座頭軍師ー花巻城の夜討ちー
不来方久遠
歴史・時代
関ヶ原の合戦のさなかに起こった覇権を画策するラスボス伊達政宗による南部への侵攻で、花巻城を舞台に敵兵500対手勢わずか12人の戦いが勃発した。
圧倒的な戦力差で攻める敵と少数ながらも城を守る南部の柔よく剛を制す知恵比べによる一夜の攻防戦。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。

葉桜よ、もう一度 【完結】
五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。
謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。
鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜
八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる