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第二章 相し笑みてば
五、相し笑みてば(四)
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「ということで川島、今度、剣の稽古をつけてやろう」
高市が言った。
「聞いたぞ。最近は政どころか、武芸の稽古もサボってるそうじゃないか」
ブブッ。
川島が飲みかけた酒を吹き出す。
「いや、えっと、それは……」
えーっと。えーっと。
川島の目が泳ぐ。
「フラフラしている暇があるなら、剣の腕でも磨いて、父上の役に立つ男になれ。それに最近、俺も体が鈍ってきてるからな。ちょうどいいから、相手になってもらおう」
「嫌ですよ!! 高市殿の相手なんかしたら、半日も経たずにぶっ倒れますよ!!」
その言葉に、肴を運んできてくれた泊瀬部が「かっこ悪」と呟いた。軽く落ち込む川島。年少の妻に小馬鹿にされて情けないことこの上ない。
「お、オレはフラフラしてるんじゃなくって、――そう!! 見識を広めてるんです!! 色んなところに出かけて、いろんな物を見る!! 文書では学べないことを知る!! 博士も語らないようなことを、民の声を聴く!! そうして得た知識で叔父上の役に立つ!! そう考えてるんです!!」
とっさに思いついた言い訳にしては、よくぞそこまでスラスラと出てくるものだ。口に油でも塗っているのか。役に立つのかどうか怪しい親友の特技に感心する。
「川島は本当にフラフラしてるだけだけどね~。遊んでばっかだし~」
忍壁が茶化す。せっかくの弁明が水泡に帰す。
「だとしても、高市殿のお相手は嫌ですよ。命が惜しい」
川島が拗ねた。
まあ、先の戦でたくさんの軍功を立てた異母兄に適う者などいないだろう。軍を動かす統率力も武芸の技も、勝てる者など誰もいない。
「では、大津はどうだ?」
「え?」
「お前も武芸の稽古をサボってるのか?」
「え、いや、そんなことは……」
「高市の異母兄上!! 大津異母兄上はすごいんですよ!! ボクなんて、一度も勝てませんでしたもん!!」
「いや、お前に負けるようじゃあ、大津の立つ瀬がないだろ」
忍壁の称賛に、川島が突っ込む。
自分と忍壁は三つ違い。そんな簡単に勝たれては兄としての面目が立たない。
「だったら川島はボクに勝てるの?」
「うっ、それはだなあ……」
勝てるのだろうか。川島の稽古サボりは相当なものだ。もしかしたら忍壁に劣るかもしれない。だからか、川島が答えに窮し、再び目を泳がせた。「試してみるか」なんて言われたら、たまったものじゃない。
「ならば大津、一度手合わせ願いたいものだな。お前の技量を確かめてみたい」
「僕も遠慮しますよ、異母兄上」
盃を卓の上に置き、角が立たないように眉根を寄せて笑う。
「川島じゃないけど、僕も勝てる気がしません」
それでなくても、高市は父に似て逞しい容姿をしている。振り下ろす刃は豪剣。自分では到底太刀打ちできない。戦を経験している者と、稽古しかしたことない者。力量差は明らかだ。
「いや、勝たなくてもいいのだ」
「え?」
「戦いはな、最後まで立っていた者が、最後まで残った者が真の強者なのだ。技量云々でもなければ、勝負の勝ち負けでもない」
高市が、軽く盃の中身を飲み干すと、ついっと視線を池へと向けた。夕日を浴びて金色の波をさざめかせる池。――いや。
「だが、最後まで立っていたとして、勝ったとして、それが何の役に立つんだろうな」
高市の視線は池より遠く、遠く彼方に向けられている。
この池より広大な水を擁した都。かぎろいの向こうへと消えた都。――淡海大津宮。
葦生い茂り、波打つ水際。多くの船が行き交い、笑いさざめいた地。かつて自分が暮らした場所。祖父が作り、父が壊した場所。叔父と別れた場所。
兄はその地をどう思っているのだろうか。その地に何を思うのだろうか。
「いかんな。どうやら飲みすぎたらしい。歳だな」
重い体を無理やり起こすように、大儀そうに高市が立ち上がった。
「そうですよ、高市殿はもうお年なんだから、武芸とか無茶しちゃダメですよ」
「そんなことはないぞ、川島。なんなら、今からでも稽古をつけてやる」
「いや、オレが酔っ払ってるので無理です。遠慮申し上げる」
急いでグビグビ酒をあおる川島に、場の空気が和む。
「じゃあ高市異母兄上、ボクに稽古をつけてくださいよ。ボク、大津異母兄上になんとしても勝ってみたいんです!!」
「お、言うようになったなあ、忍壁」
「川島みたいに情けないままだと、明日香に嫌われちゃうもん。一度ぐらい大津異母兄上に勝って、ボクの強いとこ見せなきゃ」
「これは責任重大だな、大津。明日香のためにも、そう簡単に負けてやるなよ? オレは強い男にしか異母妹をやりたくないからな」
「うわ、嫌な役回りだな」
こちらの肩に肘を載せ、けしかけてくる川島。
そんな風にけしかけられたら、忍壁のためにわざと負けてやることは許されないだろう。
「ボクだって負けませんよ、ね、高市の異母兄上」
「そうだな。大津に勝てるように、しっかり稽古をつけてやろう」
大仰に頷く高市。
高市・忍壁 対 川島・自分という構図が出来上がり、同時に笑いが起きる。
先程までの想い、感慨、追懐。胸に去来する万感の思い。それらが笑いとして霧散する。
――大津。
幼い頃、母が亡くなり祖父に養育されることとなった時、新しく造られた都になぞらえ、この名を与えられた。
祖父の都。淡く透き通った水、生い茂る葦原を臨む湖の畔に栄えた都。
――淡海大津宮。
それは遠く彼方、遥か昔に沈む宮。
高市が言った。
「聞いたぞ。最近は政どころか、武芸の稽古もサボってるそうじゃないか」
ブブッ。
川島が飲みかけた酒を吹き出す。
「いや、えっと、それは……」
えーっと。えーっと。
川島の目が泳ぐ。
「フラフラしている暇があるなら、剣の腕でも磨いて、父上の役に立つ男になれ。それに最近、俺も体が鈍ってきてるからな。ちょうどいいから、相手になってもらおう」
「嫌ですよ!! 高市殿の相手なんかしたら、半日も経たずにぶっ倒れますよ!!」
その言葉に、肴を運んできてくれた泊瀬部が「かっこ悪」と呟いた。軽く落ち込む川島。年少の妻に小馬鹿にされて情けないことこの上ない。
「お、オレはフラフラしてるんじゃなくって、――そう!! 見識を広めてるんです!! 色んなところに出かけて、いろんな物を見る!! 文書では学べないことを知る!! 博士も語らないようなことを、民の声を聴く!! そうして得た知識で叔父上の役に立つ!! そう考えてるんです!!」
とっさに思いついた言い訳にしては、よくぞそこまでスラスラと出てくるものだ。口に油でも塗っているのか。役に立つのかどうか怪しい親友の特技に感心する。
「川島は本当にフラフラしてるだけだけどね~。遊んでばっかだし~」
忍壁が茶化す。せっかくの弁明が水泡に帰す。
「だとしても、高市殿のお相手は嫌ですよ。命が惜しい」
川島が拗ねた。
まあ、先の戦でたくさんの軍功を立てた異母兄に適う者などいないだろう。軍を動かす統率力も武芸の技も、勝てる者など誰もいない。
「では、大津はどうだ?」
「え?」
「お前も武芸の稽古をサボってるのか?」
「え、いや、そんなことは……」
「高市の異母兄上!! 大津異母兄上はすごいんですよ!! ボクなんて、一度も勝てませんでしたもん!!」
「いや、お前に負けるようじゃあ、大津の立つ瀬がないだろ」
忍壁の称賛に、川島が突っ込む。
自分と忍壁は三つ違い。そんな簡単に勝たれては兄としての面目が立たない。
「だったら川島はボクに勝てるの?」
「うっ、それはだなあ……」
勝てるのだろうか。川島の稽古サボりは相当なものだ。もしかしたら忍壁に劣るかもしれない。だからか、川島が答えに窮し、再び目を泳がせた。「試してみるか」なんて言われたら、たまったものじゃない。
「ならば大津、一度手合わせ願いたいものだな。お前の技量を確かめてみたい」
「僕も遠慮しますよ、異母兄上」
盃を卓の上に置き、角が立たないように眉根を寄せて笑う。
「川島じゃないけど、僕も勝てる気がしません」
それでなくても、高市は父に似て逞しい容姿をしている。振り下ろす刃は豪剣。自分では到底太刀打ちできない。戦を経験している者と、稽古しかしたことない者。力量差は明らかだ。
「いや、勝たなくてもいいのだ」
「え?」
「戦いはな、最後まで立っていた者が、最後まで残った者が真の強者なのだ。技量云々でもなければ、勝負の勝ち負けでもない」
高市が、軽く盃の中身を飲み干すと、ついっと視線を池へと向けた。夕日を浴びて金色の波をさざめかせる池。――いや。
「だが、最後まで立っていたとして、勝ったとして、それが何の役に立つんだろうな」
高市の視線は池より遠く、遠く彼方に向けられている。
この池より広大な水を擁した都。かぎろいの向こうへと消えた都。――淡海大津宮。
葦生い茂り、波打つ水際。多くの船が行き交い、笑いさざめいた地。かつて自分が暮らした場所。祖父が作り、父が壊した場所。叔父と別れた場所。
兄はその地をどう思っているのだろうか。その地に何を思うのだろうか。
「いかんな。どうやら飲みすぎたらしい。歳だな」
重い体を無理やり起こすように、大儀そうに高市が立ち上がった。
「そうですよ、高市殿はもうお年なんだから、武芸とか無茶しちゃダメですよ」
「そんなことはないぞ、川島。なんなら、今からでも稽古をつけてやる」
「いや、オレが酔っ払ってるので無理です。遠慮申し上げる」
急いでグビグビ酒をあおる川島に、場の空気が和む。
「じゃあ高市異母兄上、ボクに稽古をつけてくださいよ。ボク、大津異母兄上になんとしても勝ってみたいんです!!」
「お、言うようになったなあ、忍壁」
「川島みたいに情けないままだと、明日香に嫌われちゃうもん。一度ぐらい大津異母兄上に勝って、ボクの強いとこ見せなきゃ」
「これは責任重大だな、大津。明日香のためにも、そう簡単に負けてやるなよ? オレは強い男にしか異母妹をやりたくないからな」
「うわ、嫌な役回りだな」
こちらの肩に肘を載せ、けしかけてくる川島。
そんな風にけしかけられたら、忍壁のためにわざと負けてやることは許されないだろう。
「ボクだって負けませんよ、ね、高市の異母兄上」
「そうだな。大津に勝てるように、しっかり稽古をつけてやろう」
大仰に頷く高市。
高市・忍壁 対 川島・自分という構図が出来上がり、同時に笑いが起きる。
先程までの想い、感慨、追懐。胸に去来する万感の思い。それらが笑いとして霧散する。
――大津。
幼い頃、母が亡くなり祖父に養育されることとなった時、新しく造られた都になぞらえ、この名を与えられた。
祖父の都。淡く透き通った水、生い茂る葦原を臨む湖の畔に栄えた都。
――淡海大津宮。
それは遠く彼方、遥か昔に沈む宮。
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