WEAK SELF.

若松だんご

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第二章 相し笑みてば

四、相し笑みてば(三)

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 「お帰りなさいませ、大津異母兄にいさま!!」

 「ただいま……って、うわっ、泊瀬部はつせべっ!?」

 「はい。お邪魔してますっ!!」

 それは別にいいのだけれど。
 いつもなら帰りを出迎えてくれるのは妻の山辺やまべ
 大人しい妻と違って泊瀬部の出迎え方は溌剌はつらつとしている。しすぎている。ドーンッと勢いをつけて飛びついてくるのだから、受け止めるこちらは気合が必要になる。

 「お帰りなさいませ」

 「ああ、ただいま。山辺」

 少し遅れて、普段どおりの妻の出迎え。
 妻の手前、異母妹泊瀬部を受け止めきれず無様に転ぶことなく終わったことに胸をなでおろす。転んだら、妻にも異母妹いもうとにも、そして背後にいる兄弟たちにも示しがつかない。

 「高市さまたちも。ようこそいらっしゃいました」

 「あ、兄さま!! あら、なんだ、川島さまもいらっしゃったの?」

 自分の背後、ヒョコッと顔を出した泊瀬部が、実兄忍壁と自分の夫、川島を見つけた。喜びと落胆。

 「『あら、なんだ』はないだろ」

 これでもお前の夫だぞ。
 川島が不満そうに言った。
 それに対して泊瀬部は「だって、ねえ……」と言うばかり。なにが「だって、ねえ」なのかは知らない。
 
 「大津たちと、一献傾けることになってな。邪魔をする」

 「ええ、どうぞ」

 異母妹いもうととその夫の漫才など知らぬ。
 高市が挨拶を済ませると、山辺に案内されて宮の中に入っていく。その足取りは堂々と迷いがなく、姿だけ見れば誰がこの宮の主かわからなくなる。

 「ところで、泊瀬部は今日は何しに来てたの?」

 抱きとめたままになっていた異母妹いもうとに問う。普段は川島の持つ宮で暮らしている泊瀬部。自分の異母妹いもうとなんだから、別に遊びに来て悪いなんてことはないが。

 「草壁異母兄にいさまの赤さまに差し上げる産着について、山辺義姉ねえさまにご相談に参りましたの」

 「そうなんだ」

 「ええ。これからの季節なら麻であつらえたらいいんじゃないかって、以前、御名部みなべ異母姉ねえさまにお教えいただいたので。ちょうど今、布が用意できたので、いっしょに縫い始めたところだったんです」

 高市に続いて宮の中へと連れ立って歩いていく。

 「へえ、泊瀬部、お前、縫い物得意だっけ」

 「オレ、まだ一枚も縫ってもらったことないけどなあ」

 忍壁と川島が、妹であり妻である泊瀬部をからかう。

 「あまり得意じゃないから、義姉ねえさまに習ってるの!!」

 こちらの腕に掴まったまま、泊瀬部がイーッと兄と夫を威嚇する。

 「川島さまのものなんて、赤さまの産着のずっとずっとずーっと後なんです!! 今は赤さまの産着で忙しいんです!!」

 それは、もっともっと上達してからでないと縫わないのか。そもそも縫うつもりがないのか。

 「泊瀬部さまは、お上手ですよ。ただちょっと気が急いていらっしゃるようですけど」

 それは、「短慮」「そそっかしい」ということではないのか。

 「お早く赤さまに産着を差し上げたいのでしょうね。お優しいですわ」

 クスクスと笑う妻。上手く異母妹いもうとの技量をごまかされてしまった。

 「じゃあ、上手く縫えるようになったら、俺のところにも届けてもらおうか」

 高市が会話に加わった。

 「高市異母兄にいさまのところにも赤さまが?」

 パアッと泊瀬部が顔を明るくする。

 「ああ、秋には生まれる」

 おめでとうございます。
 妻も自分も忍壁も川島も、そして泊瀬部も。誰もが高市の妻御名部みなべの懐妊を寿ぐ。高市のところには子どもが一人、氷高より年上の長屋王ながやのおうがいる。そこに弟妹が増えるのなら、喜ばしいことこの上ない。
 
 「じゃあ、たくさん産着を縫わなきゃいけないわね。ね。義姉ねえさま」

 「そうね。これからたくさん縫っておかなくてはね」

 「それはありがたい。だが、泊瀬部。頼むから、袖に手を通すことのできるものを贈ってくれよ。着替えようとして、手が出ないでは困るからな」

 ――袖口縫い閉じるなよ。
 高市はそうからかったのだが。

 「あら、秋に生まれるのでしたら、温かいほうがよろしいもの。冷えないように、手が出ないほうが赤さまも喜ぶのではなくって?」

 どうやら泊瀬部のほうが一枚上手だったらしい。
 思わぬ返答に目を丸くした高市。続いて大笑いした彼に、自分たちも笑い出す。

 「さあ、皆様こちらへ。すぐに酒をお持ちいたしますわ」

 山辺が案内したのは宮の庭、磐余いわれの池を臨むように設けられた四阿あずまやだった。風はまだ冷たいが、日差しには温もりが残る。
 ほどなく女嬬たちによって運ばれてきた酒と肴が卓を潤す。

 「――では、草壁の子の行く末さきわい、弥栄いやさか、長久を願って」

 掲げた盃。
 長兄である高市が飲み干すと、続いて自分たちも盃を空ける。
 言祝ぎ終えれば、そこからは普通の酒宴となる。
 むしろこちらが本番だとばかりに、くだけた表情で酒を飲み、肴をつまむ忍壁と川島。

 「おい、飲みすぎるなよ忍壁」

 年長者ぶった川島が言った。

 「お前、この間も飲みすぎて酔いつぶれてただろ」

 「大丈夫だよ、ボクは川島と違って吐いたりしないもん」

 「だからって、飲みすぎて帰れなくなるのはダメだろ」

 いくら気心の知れた異母兄あにの宮だとしても、酔いつぶれて一泊はよろしくない。自分はいいけれど、外聞的によくない。

 「まあ、まだ忍壁は飲むことが許されたばかりだからな。たくさん飲んで潰れることで、己の限界を知るのも大切だ」

 「高市殿~」

 川島が情けない声を上げた。

 「だが、それは自分の宮でやれ。大津に迷惑をかけるな」

 「……はい、異母兄上あにうえ

 酒飲みを許されたかと思えば、釘もシッカリ刺された。

 「ということで、ほどほどに、ね。忍壁」

 笑いたいのをこらえて、落ち込んだ忍壁の肩を軽く叩き、慰める。

 「それにしても……。あの草壁が二児の父、かあ」

 感慨深げな川島の言葉。
 時が経つのが早いと思っているのか。それとも、草壁でも父親になれるのかと思っているのか。

 「だってあの草壁だぜ? 忍壁よりも馬に乗るの下手くそだったのにさ」

 馬を乗りこなすのと子を成すのは同義ではないと思うが。
 馬が下手でも子を成すことはできる。

 「なんでボクと比べるのさ」

 酔の回り始めた忍壁。比べる対象にされているのが気に食わないらしい。声にムッとした空気が混じる。

 「だってお前、年少だし」

 ここにいる中では。
 忍壁と草壁とでは、四つも年が違う。
 本来ここで比べるべきは、一歳差の――。

 「それよか、大津異母兄上あにうえでしょ? 草壁異母兄上あにうえに近いのは大津異母兄上あにうえだし。草壁異母兄上あにうえよりもすぐ――」
 「忍壁」

 それ以上言うな。たとえ酒の席でも。

 「まあなんだ。父上のもと、誰もが切磋琢磨し、ともに父上の望まれる御世を作り上げるのだ。そのために競い合うのはとても大事なこと。競うことでおのが得意を伸ばし、磨き、父上の役に立つ。誰に優劣があるというわけではないぞ」

 「そうですね」

 年長者らしい高市の言葉に深く頷く。
 そう。
 「競い合う」のであって「諍い合う」「争い合う」のではない。
 「比べる」など愚かなこと。ましてや比べた相手を「卑下」するなど。

 そうであってほしい。
 そうであらねばならない。

 願うように、盃の酒を飲み干す。
 酒は、かすかにほろ苦い味がした。
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