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第二章 相し笑みてば
三、相し笑みてば(二)
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「ゲッ……」
驚き、息を呑む音。
最初、自分が発したものかと思った。
しかしそれは間違いで、漏らしたのは隣を歩く川島だった。
川島と忍壁と自分。三人並んで歩く先、出会った人物に対する気持ちは皆同じだった。
ゲッ。
その一音ですべてが表される。
「なんだ、その顔は」
出会った人物、異母兄高市は、そんな自分たちの顔色を見て笑った。こちらが「ゲッ」ってなる心情を充分理解しているのだろう。理解した上で、その心情を愉快そうに笑う。
「いや、あの、そのですね……」
「フラフラ遊び回ってることが、後ろめたいのか?」
「あ、や、えーっと……」
「政にも参加せず、いいご身分だな、川島。お前もいい加減大人なんだから、己の務めを果たせ。いつまでも異母弟たちとつるんでフラフラしてる場合じゃないぞ」
「はい……」
正論。
先陣きって弁明しようとした川島が、しどろもどろになり口をつぐむ。
先の戦で、父の片腕となって戦場を駆け抜けた長子、高市。生来の偉丈夫な体つきに、政を担う者としての貫禄も加わり始めている。そんな彼に反論できる者など、この場にはいない。
ここにいる三人のなかで、唯一、川島だけは朝政に参加することを許されている。自分や忍壁とつるんでフラフラしていていい立場ではない。
それは自分や忍壁にも言えた。まだ朝政に関わることは許されていないが、だからとて、フラフラしていていい理由にはならない。いずれは高市に倣い、政に参加しなくてはいけない。そのため、文書博士のもとで学ぶことが必要とされている。
「ですが、高市の異母兄上、ボクたちは遊んでいたわけじゃないですよ。さっきまで、草壁の異母兄上のところに行ってたんです」
川島の助けに入ったのは忍壁。
一人だけ叱られる格好になった川島を哀れに思ったのか。それとも、怒りの矛先が自分に向かないように自衛したのか。
「草壁の?」
高市も怒りの矛先を鈍らせる。といっても、そこまで鋭い矛先ではなかったけれど。
「赤子を言祝ぎに行ってたんですよ。ね、川島?」
「そう、そうそう!! 言祝ぎ!! 言祝ぎに行ってたんですよ!!」
川島がパッと顔を上げた。
フラフラ遊んでいたわけじゃない。「言祝ぎ」という立派なことをしていたんだ。
大義名分を見つけ、途端に顔が明るくなった。
「なるほどな。あちらは、最近、子が生まれたばかりだったな」
高市が顎に手を当て思案する。
「ならば、俺もそのうち会いに行ってみるか」
そう、それがいい。それがいいですよ。
川島がウンウンと頷き返す。怒られなくなったことにホッとしているらしい。
「だが、言祝ぎはいいとして。お前ら、これからどうするつもりだったんだ? まさか、今から大宮に行く、役目を果たすとは言わないだろうな」
ギクギク。
川島の顔色が焦りに変わった。
もちろん、自分も忍壁も。
高市は、川島がさぼったという大宮から退出してきたところだろう。後ろに数人の舎人を引き連れている。ということは、今日の勤めは終わったということ。これからノコノコと出仕してもムダ。
それに、自分たちは高市が来た道とは違う道へと歩いていた。「これから行くところだったんです」などと、見え透いた嘘はついたところで意味がない。
「――酒でも酌み交わそうかと」
観念して、本当のことを述べる。この兄に嘘は通用しそうにない。
「い、祝い酒ですよ、祝い酒!!」
「そうですよ、祝い酒!! 赤子が生まれた祝いに、酒でも飲もうって話をしてたんです!!」
慌てて川島と忍壁が加勢に入る。自分が叱られれば、共に連座でお説教を食らうことになる。必死だ。
「祝い酒……な」
そんな自分たちの弁明を楽しむように、高市が口元を緩ませた。
「それなら、俺も一献傾けるとするか」
「へ? いいのですか?」
「ああ、祝い酒なのだろう? ともに飲むのは嫌か?」
「めめめ、滅相もない!!」
川島が慌てる。
「では、行こうか。行き先は、どうせ大津の宮なのだろう?」
自分たちの足取りから、その行く先まで。この長兄には全てお見通しだった。舎人の一人に帰りが遅くなることを自分の宮に伝えにいかせると、先頭を切って歩きだす。続いて自分たちも歩き出す。
「なあ、これ、オレ、叱られ損じゃないか?」
その背後で、川島がコソッと忍壁に耳打ちした。自分だけフラフラ遊んでいるなと叱られたことが割に合わないらしい。
「だね」
川島は怒られてばっかりだね。
忍壁が笑った。
驚き、息を呑む音。
最初、自分が発したものかと思った。
しかしそれは間違いで、漏らしたのは隣を歩く川島だった。
川島と忍壁と自分。三人並んで歩く先、出会った人物に対する気持ちは皆同じだった。
ゲッ。
その一音ですべてが表される。
「なんだ、その顔は」
出会った人物、異母兄高市は、そんな自分たちの顔色を見て笑った。こちらが「ゲッ」ってなる心情を充分理解しているのだろう。理解した上で、その心情を愉快そうに笑う。
「いや、あの、そのですね……」
「フラフラ遊び回ってることが、後ろめたいのか?」
「あ、や、えーっと……」
「政にも参加せず、いいご身分だな、川島。お前もいい加減大人なんだから、己の務めを果たせ。いつまでも異母弟たちとつるんでフラフラしてる場合じゃないぞ」
「はい……」
正論。
先陣きって弁明しようとした川島が、しどろもどろになり口をつぐむ。
先の戦で、父の片腕となって戦場を駆け抜けた長子、高市。生来の偉丈夫な体つきに、政を担う者としての貫禄も加わり始めている。そんな彼に反論できる者など、この場にはいない。
ここにいる三人のなかで、唯一、川島だけは朝政に参加することを許されている。自分や忍壁とつるんでフラフラしていていい立場ではない。
それは自分や忍壁にも言えた。まだ朝政に関わることは許されていないが、だからとて、フラフラしていていい理由にはならない。いずれは高市に倣い、政に参加しなくてはいけない。そのため、文書博士のもとで学ぶことが必要とされている。
「ですが、高市の異母兄上、ボクたちは遊んでいたわけじゃないですよ。さっきまで、草壁の異母兄上のところに行ってたんです」
川島の助けに入ったのは忍壁。
一人だけ叱られる格好になった川島を哀れに思ったのか。それとも、怒りの矛先が自分に向かないように自衛したのか。
「草壁の?」
高市も怒りの矛先を鈍らせる。といっても、そこまで鋭い矛先ではなかったけれど。
「赤子を言祝ぎに行ってたんですよ。ね、川島?」
「そう、そうそう!! 言祝ぎ!! 言祝ぎに行ってたんですよ!!」
川島がパッと顔を上げた。
フラフラ遊んでいたわけじゃない。「言祝ぎ」という立派なことをしていたんだ。
大義名分を見つけ、途端に顔が明るくなった。
「なるほどな。あちらは、最近、子が生まれたばかりだったな」
高市が顎に手を当て思案する。
「ならば、俺もそのうち会いに行ってみるか」
そう、それがいい。それがいいですよ。
川島がウンウンと頷き返す。怒られなくなったことにホッとしているらしい。
「だが、言祝ぎはいいとして。お前ら、これからどうするつもりだったんだ? まさか、今から大宮に行く、役目を果たすとは言わないだろうな」
ギクギク。
川島の顔色が焦りに変わった。
もちろん、自分も忍壁も。
高市は、川島がさぼったという大宮から退出してきたところだろう。後ろに数人の舎人を引き連れている。ということは、今日の勤めは終わったということ。これからノコノコと出仕してもムダ。
それに、自分たちは高市が来た道とは違う道へと歩いていた。「これから行くところだったんです」などと、見え透いた嘘はついたところで意味がない。
「――酒でも酌み交わそうかと」
観念して、本当のことを述べる。この兄に嘘は通用しそうにない。
「い、祝い酒ですよ、祝い酒!!」
「そうですよ、祝い酒!! 赤子が生まれた祝いに、酒でも飲もうって話をしてたんです!!」
慌てて川島と忍壁が加勢に入る。自分が叱られれば、共に連座でお説教を食らうことになる。必死だ。
「祝い酒……な」
そんな自分たちの弁明を楽しむように、高市が口元を緩ませた。
「それなら、俺も一献傾けるとするか」
「へ? いいのですか?」
「ああ、祝い酒なのだろう? ともに飲むのは嫌か?」
「めめめ、滅相もない!!」
川島が慌てる。
「では、行こうか。行き先は、どうせ大津の宮なのだろう?」
自分たちの足取りから、その行く先まで。この長兄には全てお見通しだった。舎人の一人に帰りが遅くなることを自分の宮に伝えにいかせると、先頭を切って歩きだす。続いて自分たちも歩き出す。
「なあ、これ、オレ、叱られ損じゃないか?」
その背後で、川島がコソッと忍壁に耳打ちした。自分だけフラフラ遊んでいるなと叱られたことが割に合わないらしい。
「だね」
川島は怒られてばっかりだね。
忍壁が笑った。
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