29 / 29
巻の二十九 皇帝寵愛唯一人。
しおりを挟む
小さな鳥が舞い込んだ琥珀宮の庭園。その庭に面した場所に設けられた卓に、宮の主となった元公主と、皇帝の侍中が向き合って座る。
「そっか。それで、琉花は今、思清宮に?」
「はい。切った髪が元に戻るまではと、陛下がそのままとどめ置かれました。髪が伸び、普段の装いができるようになれば、天藍宮に居を移すそうです」
天藍宮に居を移す。つまりは、皇后に立后するこということだ。
「後宮には暇を出されたと聞いたけど、本当?」
「はい。琉花さま以外召し上げる気はないとのことで。自薦他薦を問わず後宮に上がるような器量よしならば、この先どこに行っても困らぬだろうと、後宮から暇を出されました」
不要だから後宮を出す……のではなく、器量のよいお前ならどこででもやっていける、引く手あまただろうと言われて、異を唱える者はいないだろう。後宮に残りたいなどと言い出せば、それは自分が不器量であることの表明となってしまう。
「官女の数も減らされ、陛下の御代の間、後宮につながる門は閉ざされたままになるかと」
「ふうん。後宮に無駄なお金が流れなくなっていいんじゃないか?」
「はい。陛下もそう申しておられました。浮いた経費で常州をはじめとする地方に予算が回せてよかったとも」
同じことを考えていた……か。
似せるつもりはないのに、どうにも自分は異母兄に似た思考をしているらしい。
異母弟として、一人の男として微妙なところだった。
目の前にあった茶をすすり、笑いを濁す。
「後宮から美女たちが大放出されたんだから、市井の男たちも大喜びだろう?」
「そうですね。陛下は美女を独り占めしない、御心の広い、素晴らしい方だとウワサされるでしょうね」
金は浮くし、男たちからは感謝される。いいことずくめだ。
「それで、いつ頃琉花は天藍宮に?」
「それは……、なにせあの琉花さまなので……」
珍しく侍中が言葉を濁す。
まったく。
異母兄上と一緒に暮らしていても、まだそういうことに至ってないわけか。過去に菫青妃として後宮で暮らしていた頃と、あの二人の関係は変わってないとみえる。
いい加減、そのあたりを諦めて、トットと結ばれて欲しいものなんだが。
琉花が皇后として世継ぎを産めば、自分はこの宮から出ていくことができる。今は暫定的に皇太子とされているが、あの二人に子が出来れば、自分はお役御免になる。
かつて、琉花と共に旅したいと願った世界。一人で巡るのは少し淋しいかもしれないが、本来の自分に戻って生きられるのなら、それもいいかと近頃思う。
「琉花に伝えて。いい加減、腹をくくれって」
淡い、〈恋心〉と言っていいのかわからない感情ではあったけれど、心惹かれたのは事実。
割り切れないせつなさはあるけれど、幸せになって欲しいと思える相手。
「異母兄上にも、四の五の言わせずに、ヤることヤれって伝えて。でないと、僕が攫って行くよってね」
「お伝えしましょう」
「あと、琉花を泣かせたら許さないって、つけ加えておいて」
大切な異母兄。そしてその想い人。
「大丈夫ですよ。琉花さまを泣かせたら、まず、わたくしが黙っておりませんので」
なるほど。
そういえば、この男は、琉花の異母兄だと言っていたか。琉花自身は知らないようだけど。彼女の幸せと、己の主の幸せを願って二人を娶せたと。
そんな男が後ろについているんだ。彼女が幸せになるのは必定だろうし、もし異母兄のせいで不幸な目に遭うとしたら……、皇帝であってもタダではすまなさそうだ。
賢帝と名高い自分の兄と、異母妹思いの実の兄。
この二人がいれば、琉花の未来は安泰だろう。
――幸せに、琉花。
言葉にできない思いを込めて、飛び立った小鳥を見上げる。
小鳥は、琥珀宮の空をしばし舞い、思清宮へと飛んでいった。
* * * *
「ですからお嬢さま、そういう場合は、すべて陛下にお任せしたらよろしいんでございますよ!!」
「そ、そうなの?」
「そうなんでございますっ!! 陛下にお任せしたら、アレをナニして、コレにソレして、ややを授けてくださいます!! お嬢さまは、嫌がらずに陛下をお迎えなされたらよろしいんでございます!!」
いや、そんな力説されなくても。
用意された湯殿。その湯船に浸かりながら、のぼせたわけでもないのに、顔を真っ赤にする。
「嫌がらずに……って、なんか怖いことでもあるの?」
「え? え~っと。それはですねえ……」
あ、香鈴が視線をそらした。
「大丈夫ですよ。陛下なら、きっと痛みも少なく、ことを成してくださいます!!」
い、痛いの?
ややを成すってことは、痛いってことと同義なの?
月のものの時の痛みを思い出す。あれと同じぐらい痛いんだろうか。産むのが痛いことは知ってるけど、まさか子を成す時も同じように痛いとは。
それはさすがに。ちょっとイヤだな~。
母さまや香鈴が読んでた本では得られなかった情報に驚き戸惑う。
「本とは、かなり違うみたいね」
「ああ、奥さまが持っていた本でございますね。乙女向けの恋愛小説」
ああいう本では、口づけして裸になって一緒に寝たらその……、朝になってて、小鳥がチュンチュン鳴いてたから。あいだの夜の時間に、どうなってたかは、具体的にはわからなかったのよね。
「あれは、乙女が読むため用のものですから、そういう部分はやんわりと隠してるだけでございます」
「乙女が読むため用って……。そうじゃないのもあるの?」
「ありますよ。もっと具体的なものも。男女の交わりを物語にしてあるんです」
おおお。
そんな本の存在にも驚いたけど、なにより香鈴がケロリとした表情のまま言いのけたことにもっと驚いた。交わりってアンタ……。
「女性用もそれなりに具体的ですが、男性用はもっと具体的ですわよ。絵つきのものもございますし」
おおう。
男性用もあるのか。
「ねえ、そういうのって、陛下も読んでらしたりするのかしら?」
「おそらくは。男性はみな、そういうものを好むと聞いたことがあります。本で夫婦の交わりを学び、恥じらう妻をやさしく導く……らしいですわよ」
そ、そうなんだ。
わたしの知らない世界の扉がドンドン勝手に開かれてくような感覚。
「ですから、お嬢さまはなにも心配なさらずに、陛下の手で導かれればよろしいのですわ。この国のためにも、陛下のためにも、一日も早くややを授かるようになさるべきですわ」
「う、うん……」
わかりたくないけど、わかった。
思わず反抗的に、湯船にブクブク沈みたくなったけど、アッサリと香鈴に引っ張り上げられてしまった。
――帝国のためにも世継ぎは必要。
わかってる。わかってるのよ、頭では。
陛下、後宮を閉めちゃったし、妃って呼べる立場にいるのは、わたしだけなんだし。
わたしが子を産まなきゃ、誰も産めないんだし。
濡れた髪から雫が滴り落ちる。
(この髪が元通りになるころには。その時は、ちゃんと覚悟するから――)
妃になる覚悟はある程度できたけど、その先に進むことはまだ無理っ!!
だってあの時、狩り場に行ったのは、あくまで借りを返したかったからで。陛下をステキな方だとは思ってるけど、それが「好き」ってことなのかどうかは、まだよくわかってないわけで。妃になることを了承したのは、気心知れた相手だし、嫌いな相手と添い遂げるよりはマシかなって思っただけであって。それ以上のことを考えて決めたわけじゃないし。
(それに、まあ、まあ、ね……)
陛下が他の後宮の女性をお召しになるの、ちょっと嫌だったっていうか。
陛下が後宮を閉めるって言い出した時、ちょっとだけうれしかったのは事実。
絶対、誰にも言わないけど。
そんなことうっかり知られたら、香鈴には「それが恋ってものですわ」って言われるだろうし、陛下には「そんなに嫉妬するぐらい私のことを」って変に喜ばれるだろうし。
喜ばれて次の段階へと、香鈴の言うような、めくるめく愛の世界になんか連れてかれたら、本当に困るし。怖いし。
せめて、この髪が伸びるまで。
ちょっとずつ心を決めていくから、それまでは待っていて欲しい。
* * * *
(またか……)
思清宮の寝室。夜遅くに訪れると、いつものように先に寝台にもぐりこんだ寵妃が、いつものように眠りこけていた。
しかたなく軽くため息を漏らしてから、いつものように、その隣に添うように並んで寝台に入る。
(コイツ、「寝る」というのを本当に「寝るだけ」と勘違いしてないか?)
寵妃が皇帝と「寝る」という意味、わかってないだろ。
少し憎たらしく思えて、その鼻を軽くつまんでやる。
プヒッと軽く鼻音がしたが、そのまま眠りこける寵妃。いや、空寝か。そのまま少し頬に指をやりくすぐると、今度は何かをガマンするように眉が寄った。
どこまで空寝を続けられるか、くすぐり倒してやろうかとも思ったが止めておいた。
見せかけとは違う、本物の寵妃になる覚悟はできた。しかし、その先をどうしたらいいのか、戸惑っているのだろう。
(仕方がない。今日はこのまま寝るとするか)
寝るふりをされるのなら、こちらも寝るだけだ。
一緒に寝るのが精一杯なのだとしたら、こちらもそれに従うだけ。
横向きになったまま空寝を続ける彼女を抱きしめる。
これぐらいはやっても許されるだろう。ビクンと抱きしめた身体が震えたけど、気づかないふりをした。
こうやって少しずつ出来ることを増やしていく。
そうだな。この髪が元の長さに戻るころまで。ゆっくりと時間をかけて進んでいく。
なに。
時間ならタップリある。
邪魔な後宮もなくしたし、政治も安定した。
彼女が怯えず近づいてこれるまで、ゆっくり待てばいい。
(その時が来たら容赦しないけど、な)
腕のなかの温もりに誘われるように、眠りの世界に入っていく。
その時は、遠くない未来にあることを夢見ながら。
* * * *
後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身。
――後宮には、三千人もの美女がいるが、三千人分の寵愛を一身に受けている。
奏帝国第十二代皇帝、高 栄順。諡号、景帝。
彼は、その統治の素晴らしさもさることながら、ただ一人の妃のみを愛した皇帝として、後の世に特筆されることとなる。寵愛を受けた妃がいた皇帝は数知れないが、その一人のために後宮を閉めた皇帝はこの景帝以外、歴史上存在しない。
その寵愛を一身に受けた李皇后こと、李 琉花。
商家生まれの彼女がそれほどの美女だったのかどうか。後の史家は、微妙な沈黙を続ける。
――皇帝のゆるぎない愛情を得たのだから、絶世の美女だったに違いない。
――いや、当時の皇后をまねたという装いは、到底美女と呼べる類のものではなかった。
いまだに結論のでない問題となり、史家だけでなく市井の人々も論議を交わす。
ただ彼女は「無欲の皇后」とも呼ばれており、たった一人の「ご寵妃」となっても、贅を尽くすことなく暮らしたことだけは、みな意見を一致させ、素晴らしい女性であったと称賛する。
無欲?
治天の君である皇帝の寵愛を一人占めしたのだから、最高に欲深い女ではないか。
英明な皇帝と、その純愛を一人占めした無欲の皇后。
彼らの出会いのキッカケは、誰も知らないヒミツの物語。
「そっか。それで、琉花は今、思清宮に?」
「はい。切った髪が元に戻るまではと、陛下がそのままとどめ置かれました。髪が伸び、普段の装いができるようになれば、天藍宮に居を移すそうです」
天藍宮に居を移す。つまりは、皇后に立后するこということだ。
「後宮には暇を出されたと聞いたけど、本当?」
「はい。琉花さま以外召し上げる気はないとのことで。自薦他薦を問わず後宮に上がるような器量よしならば、この先どこに行っても困らぬだろうと、後宮から暇を出されました」
不要だから後宮を出す……のではなく、器量のよいお前ならどこででもやっていける、引く手あまただろうと言われて、異を唱える者はいないだろう。後宮に残りたいなどと言い出せば、それは自分が不器量であることの表明となってしまう。
「官女の数も減らされ、陛下の御代の間、後宮につながる門は閉ざされたままになるかと」
「ふうん。後宮に無駄なお金が流れなくなっていいんじゃないか?」
「はい。陛下もそう申しておられました。浮いた経費で常州をはじめとする地方に予算が回せてよかったとも」
同じことを考えていた……か。
似せるつもりはないのに、どうにも自分は異母兄に似た思考をしているらしい。
異母弟として、一人の男として微妙なところだった。
目の前にあった茶をすすり、笑いを濁す。
「後宮から美女たちが大放出されたんだから、市井の男たちも大喜びだろう?」
「そうですね。陛下は美女を独り占めしない、御心の広い、素晴らしい方だとウワサされるでしょうね」
金は浮くし、男たちからは感謝される。いいことずくめだ。
「それで、いつ頃琉花は天藍宮に?」
「それは……、なにせあの琉花さまなので……」
珍しく侍中が言葉を濁す。
まったく。
異母兄上と一緒に暮らしていても、まだそういうことに至ってないわけか。過去に菫青妃として後宮で暮らしていた頃と、あの二人の関係は変わってないとみえる。
いい加減、そのあたりを諦めて、トットと結ばれて欲しいものなんだが。
琉花が皇后として世継ぎを産めば、自分はこの宮から出ていくことができる。今は暫定的に皇太子とされているが、あの二人に子が出来れば、自分はお役御免になる。
かつて、琉花と共に旅したいと願った世界。一人で巡るのは少し淋しいかもしれないが、本来の自分に戻って生きられるのなら、それもいいかと近頃思う。
「琉花に伝えて。いい加減、腹をくくれって」
淡い、〈恋心〉と言っていいのかわからない感情ではあったけれど、心惹かれたのは事実。
割り切れないせつなさはあるけれど、幸せになって欲しいと思える相手。
「異母兄上にも、四の五の言わせずに、ヤることヤれって伝えて。でないと、僕が攫って行くよってね」
「お伝えしましょう」
「あと、琉花を泣かせたら許さないって、つけ加えておいて」
大切な異母兄。そしてその想い人。
「大丈夫ですよ。琉花さまを泣かせたら、まず、わたくしが黙っておりませんので」
なるほど。
そういえば、この男は、琉花の異母兄だと言っていたか。琉花自身は知らないようだけど。彼女の幸せと、己の主の幸せを願って二人を娶せたと。
そんな男が後ろについているんだ。彼女が幸せになるのは必定だろうし、もし異母兄のせいで不幸な目に遭うとしたら……、皇帝であってもタダではすまなさそうだ。
賢帝と名高い自分の兄と、異母妹思いの実の兄。
この二人がいれば、琉花の未来は安泰だろう。
――幸せに、琉花。
言葉にできない思いを込めて、飛び立った小鳥を見上げる。
小鳥は、琥珀宮の空をしばし舞い、思清宮へと飛んでいった。
* * * *
「ですからお嬢さま、そういう場合は、すべて陛下にお任せしたらよろしいんでございますよ!!」
「そ、そうなの?」
「そうなんでございますっ!! 陛下にお任せしたら、アレをナニして、コレにソレして、ややを授けてくださいます!! お嬢さまは、嫌がらずに陛下をお迎えなされたらよろしいんでございます!!」
いや、そんな力説されなくても。
用意された湯殿。その湯船に浸かりながら、のぼせたわけでもないのに、顔を真っ赤にする。
「嫌がらずに……って、なんか怖いことでもあるの?」
「え? え~っと。それはですねえ……」
あ、香鈴が視線をそらした。
「大丈夫ですよ。陛下なら、きっと痛みも少なく、ことを成してくださいます!!」
い、痛いの?
ややを成すってことは、痛いってことと同義なの?
月のものの時の痛みを思い出す。あれと同じぐらい痛いんだろうか。産むのが痛いことは知ってるけど、まさか子を成す時も同じように痛いとは。
それはさすがに。ちょっとイヤだな~。
母さまや香鈴が読んでた本では得られなかった情報に驚き戸惑う。
「本とは、かなり違うみたいね」
「ああ、奥さまが持っていた本でございますね。乙女向けの恋愛小説」
ああいう本では、口づけして裸になって一緒に寝たらその……、朝になってて、小鳥がチュンチュン鳴いてたから。あいだの夜の時間に、どうなってたかは、具体的にはわからなかったのよね。
「あれは、乙女が読むため用のものですから、そういう部分はやんわりと隠してるだけでございます」
「乙女が読むため用って……。そうじゃないのもあるの?」
「ありますよ。もっと具体的なものも。男女の交わりを物語にしてあるんです」
おおお。
そんな本の存在にも驚いたけど、なにより香鈴がケロリとした表情のまま言いのけたことにもっと驚いた。交わりってアンタ……。
「女性用もそれなりに具体的ですが、男性用はもっと具体的ですわよ。絵つきのものもございますし」
おおう。
男性用もあるのか。
「ねえ、そういうのって、陛下も読んでらしたりするのかしら?」
「おそらくは。男性はみな、そういうものを好むと聞いたことがあります。本で夫婦の交わりを学び、恥じらう妻をやさしく導く……らしいですわよ」
そ、そうなんだ。
わたしの知らない世界の扉がドンドン勝手に開かれてくような感覚。
「ですから、お嬢さまはなにも心配なさらずに、陛下の手で導かれればよろしいのですわ。この国のためにも、陛下のためにも、一日も早くややを授かるようになさるべきですわ」
「う、うん……」
わかりたくないけど、わかった。
思わず反抗的に、湯船にブクブク沈みたくなったけど、アッサリと香鈴に引っ張り上げられてしまった。
――帝国のためにも世継ぎは必要。
わかってる。わかってるのよ、頭では。
陛下、後宮を閉めちゃったし、妃って呼べる立場にいるのは、わたしだけなんだし。
わたしが子を産まなきゃ、誰も産めないんだし。
濡れた髪から雫が滴り落ちる。
(この髪が元通りになるころには。その時は、ちゃんと覚悟するから――)
妃になる覚悟はある程度できたけど、その先に進むことはまだ無理っ!!
だってあの時、狩り場に行ったのは、あくまで借りを返したかったからで。陛下をステキな方だとは思ってるけど、それが「好き」ってことなのかどうかは、まだよくわかってないわけで。妃になることを了承したのは、気心知れた相手だし、嫌いな相手と添い遂げるよりはマシかなって思っただけであって。それ以上のことを考えて決めたわけじゃないし。
(それに、まあ、まあ、ね……)
陛下が他の後宮の女性をお召しになるの、ちょっと嫌だったっていうか。
陛下が後宮を閉めるって言い出した時、ちょっとだけうれしかったのは事実。
絶対、誰にも言わないけど。
そんなことうっかり知られたら、香鈴には「それが恋ってものですわ」って言われるだろうし、陛下には「そんなに嫉妬するぐらい私のことを」って変に喜ばれるだろうし。
喜ばれて次の段階へと、香鈴の言うような、めくるめく愛の世界になんか連れてかれたら、本当に困るし。怖いし。
せめて、この髪が伸びるまで。
ちょっとずつ心を決めていくから、それまでは待っていて欲しい。
* * * *
(またか……)
思清宮の寝室。夜遅くに訪れると、いつものように先に寝台にもぐりこんだ寵妃が、いつものように眠りこけていた。
しかたなく軽くため息を漏らしてから、いつものように、その隣に添うように並んで寝台に入る。
(コイツ、「寝る」というのを本当に「寝るだけ」と勘違いしてないか?)
寵妃が皇帝と「寝る」という意味、わかってないだろ。
少し憎たらしく思えて、その鼻を軽くつまんでやる。
プヒッと軽く鼻音がしたが、そのまま眠りこける寵妃。いや、空寝か。そのまま少し頬に指をやりくすぐると、今度は何かをガマンするように眉が寄った。
どこまで空寝を続けられるか、くすぐり倒してやろうかとも思ったが止めておいた。
見せかけとは違う、本物の寵妃になる覚悟はできた。しかし、その先をどうしたらいいのか、戸惑っているのだろう。
(仕方がない。今日はこのまま寝るとするか)
寝るふりをされるのなら、こちらも寝るだけだ。
一緒に寝るのが精一杯なのだとしたら、こちらもそれに従うだけ。
横向きになったまま空寝を続ける彼女を抱きしめる。
これぐらいはやっても許されるだろう。ビクンと抱きしめた身体が震えたけど、気づかないふりをした。
こうやって少しずつ出来ることを増やしていく。
そうだな。この髪が元の長さに戻るころまで。ゆっくりと時間をかけて進んでいく。
なに。
時間ならタップリある。
邪魔な後宮もなくしたし、政治も安定した。
彼女が怯えず近づいてこれるまで、ゆっくり待てばいい。
(その時が来たら容赦しないけど、な)
腕のなかの温もりに誘われるように、眠りの世界に入っていく。
その時は、遠くない未来にあることを夢見ながら。
* * * *
後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身。
――後宮には、三千人もの美女がいるが、三千人分の寵愛を一身に受けている。
奏帝国第十二代皇帝、高 栄順。諡号、景帝。
彼は、その統治の素晴らしさもさることながら、ただ一人の妃のみを愛した皇帝として、後の世に特筆されることとなる。寵愛を受けた妃がいた皇帝は数知れないが、その一人のために後宮を閉めた皇帝はこの景帝以外、歴史上存在しない。
その寵愛を一身に受けた李皇后こと、李 琉花。
商家生まれの彼女がそれほどの美女だったのかどうか。後の史家は、微妙な沈黙を続ける。
――皇帝のゆるぎない愛情を得たのだから、絶世の美女だったに違いない。
――いや、当時の皇后をまねたという装いは、到底美女と呼べる類のものではなかった。
いまだに結論のでない問題となり、史家だけでなく市井の人々も論議を交わす。
ただ彼女は「無欲の皇后」とも呼ばれており、たった一人の「ご寵妃」となっても、贅を尽くすことなく暮らしたことだけは、みな意見を一致させ、素晴らしい女性であったと称賛する。
無欲?
治天の君である皇帝の寵愛を一人占めしたのだから、最高に欲深い女ではないか。
英明な皇帝と、その純愛を一人占めした無欲の皇后。
彼らの出会いのキッカケは、誰も知らないヒミツの物語。
1
お気に入りに追加
88
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!
亡くなった王太子妃
沙耶
恋愛
王妃の茶会で毒を盛られてしまった王太子妃。
侍女の証言、王太子妃の親友、溺愛していた妹。
王太子妃を愛していた王太子が、全てを気付いた時にはもう遅かった。
なぜなら彼女は死んでしまったのだから。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる