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巻の十六 乙女の妄想を盗み聞いてはいけません。

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 「お嬢さま、それは〈百合〉と申しまして、こういった後宮ではよくあることなんでございますよ」

 「よっ、よくあることっ!?」

 「そうなんでございます。男のいない世界、そこで女性同士仲良くしておりますと、あら不思議。異性に感じるはずのトキメキを同性に感じてしまったりするんですよ。憧れのお姉さまが愛おしい恋人に。己を慕ってくる妹分が、愛おしみ慈しむ相手となってゆく。友情というより執着、どうにもならない恋情を抱いてしまい、互いに戸惑い、それでも惹かれ合っていく」

 「いや、それはさすがに、ちょっと……」

 そこまでのトキメキめいたものを公主さまに感じたわけじゃない。
 夜遅く、菫青宮きんせいきゅうの自室で香鈴こうりんに相談したら、とんでもない回答が返ってきた。

 「まあ、そんな気分になるのもわからないでもないですけどね。あの公主さまの振る舞いは、侍女のあたしからしても、すっごくステキでしたし」

 姫君たちをやり込めたことを言ってるのだろう。あの場には香鈴もいて、すべてを見ている。荔枝ライチ事件といい、わたしに鞠をぶつけた姫君たちがやり込められたのは、彼女にとっても胸のすく出来事だったに違いない。

 「三千寵愛三千の寵愛在一身一身に在り。後宮中の女が受けるべき寵愛を一身に受けられておいでなのですから、そういった類の嫉妬とか悪意は存在して当然ではありますが、そこから救ってくださるっていうのが最高なんでございますよっ!!」

 は、はあ……。

 「本来ならば、そこは、主演男性である陛下にお救いいただくのが最高なんでございますが、まあ、お忙しい方ですし。代わりに異母妹いもうと君で納得するしかないでしょうね。学び舎で理不尽な仕打ちを受ける主人公。そこに救いの手を差し伸べてくださる、憧れの君。『いけません、公主さま。わたくしのような身分の者がおそばになど恐れ多いことでございます』、『何を言う、乙女よ。生まれは卑しくとも、そなたのような気高き乙女は他にはおらぬ』、『ああ、なんてステキなお言葉……』、『乙女よ。その可憐で無垢な瞳を曇らせているものすべて。この僕が打ち払って見せよう』、『共に果てるその時まで、僕はきみを守ると誓おう』、『玉蓉ぎょくようさま……』」

 あの~、香鈴さん?
 声真似は結構だけど、いつの間にか公主さまの一人称が「僕」になってるよ?
 というか、「学び舎」ってなによ。「主演男性」も。
 ま~た、とんでもない物語に夢中になってるわね、この子。

 「大丈夫です。内廷でだって、似たようなことは起きてますでしょうから」

 「…………は?」

 ナンデスト?

 「あちらは女っ気のない世界ですからね。〈衆道〉、薔薇そうびが咲き乱れるんでございますよ」

 ……後宮には百合。内廷には薔薇そうび
 いろんなところで、花が咲き乱れて忙しそうだな、物語脳。
 啓騎けいきさんが、そういうウワサを流されてウンザリしてたけど、そのウワサの発信源は、こういう香鈴みたいな物語脳の人物(それも女性)なのかもしれない。

 「あたし、最初は公主さまのことを、お嬢さまの好敵手になるのかって思っていたんですが、違ったようですし」
 
 「好敵手?」

 「はい。異母兄あにである陛下に恋心を抱く公主さまってのを想像してたんですよね」

 は? 恋心?

 「なかなか会うことのできない異母兄あにを、密かに思い慕う美しき異母妹いもうと。その恋情ゆえに、妃候補となった宮女たちを次々に殺め、手を血で染めた公主さま。そこに現れたのが、陛下の寵愛を一身に受け、菫青妃きんせいひとなられたお嬢さま。あの手この手でお嬢さまの命を狙うも、陛下に阻止され上手く行かず、それどころか、お嬢さまと陛下の仲がより深いものになっていき――っていう展開です」

 「いや、なにそれ。怖い、怖いわ」

 思わず身震いして腕をさする。
 っていうか、香鈴、アンタ、そんなふうに思ってたの? アンタの脳内で、わたし、どんな目に遭ってたのよ?

 「まあ、想像と違って、〈百合〉展開が来るとは思っていませんでしたが、それはそれでアリですので!!」
 
 どんとこい!!

 香鈴の鼻息が荒くなった。

 「……とにかく、そういうのじゃないってば。多分、公主さまが陛下に似ていらっしゃるから、うっかりときめいちゃっただけだと思うわ」

 そうよ。
 わたし、女性に興味なんてないもの。
 助けてもらって、ちょっとカッコいいなって思っただけだし。
 
 「では、陛下にゾッコンなんでございますわねっ!!」

 「へ? どうしてそうなるの?」

 「だって、そうでございましょう? 陛下に似た方にときめくってことは、陛下に惚れてるってことでございましょう? それもよくあることでございますわよ。意中の方が変装していることに気づかず、不思議と惹かれてしまう主人公!! 『私、あの方を愛しているはずなのに、どうしてこの方に心奪われてしまうのかしら』って。それか意中の方が亡くなり、よく似た双子の兄弟が現れてトキメクってのもありですわ。『あの方を想い続けたいのに』って悩む主人公。実はその相手は双子の兄弟ではなく、意中の方本人だったって後日談もありますが」

 香鈴の物語許容範囲はとてつもなく広い。
 わたしや陛下、果ては公主さままで、どこかの物語的展開に収めて堪能したいらしい。
 全方位、なんでもアリなのね。

 「あーもう。そんなんじゃないってば。人をなんでもかんでも恋愛に結び付けないで」

 相談したわたしがバカだったわ。

 「いーい? 陛下はあくまで借金を肩代わりしてくれた相手。好きだとかそういう感情はないし、そうなりたいとも思ってないから」

 いつもと違って、わたしのほうからズイッと香鈴に近づく。

 「そりゃあ、公主さまも陛下もステキな方だと思うわよ。ちょっといじわるなところもおありだけど、お優しいし、キレイなお顔立ちをされていると思うわ。陛下なんて、とても勤勉で、浮ついたところは全然ないし、素晴らしい方よ。応援したいと思ってるわ」

 「あ、あの……、お嬢さま」

 「たまにドキッとすることはあるけど、でもそれは、わたしが男性に慣れてないからだけのことであって、恋愛感情とは違うのよ。わたしがやるべきことは、〈見せかけの妃〉として、陛下のお仕事の環境を整えること。間違っても恋愛とかそういうことじゃないの。百合だの薔薇だのにも興味がないわ」

 「お、お嬢さま……」

 「わたしはね、啓騎さんや公主さまが願うような関係にはならないの。陛下が愛する人を見つけられるようになるまでの、つなぎ役、女性に興味を持たれるキッカケでしかないんだから。そりゃあ、応援してくださってる啓騎さんたちには悪いけど。陛下が落ち着かれたら、わたし、ここを出ていくんだし。あくまで雇用契約、陛下の平穏を守るためにいるだけなのよ」

 「あ、あの……」

 「なによ」

 たまには、わたしにもいろいろ言わせなさいよ。
 口を挟もうとする香鈴に、ムッとする。

 「……〈つなぎ〉だなんて思ってないよ」

 「へ、へへへへ陛下っ!?」

 突然聞こえた声に、髪が頬を打つような速さでふり向く。
 コホンと軽い咳払いをされた陛下。開け放たれた扉。
 どうしてここに? いつのまにここへ?
 聞かれた? 聞かれてたの?
 どこを? どれだけ?
 頭、混乱。

 「ゴメンね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」

 「い、いえっ、その、あのっ……」

 こういう時、どう答えたらいいのっ!?
 助けを求めたいのに、香鈴は軽く一礼を残して部屋を出て行ってしまった。あの子、絶対途中で気づいてたわね?

 (こんの、薄情者~~っ!!)

 この場にわたし一人残されてどうしろと?
 気まずい。とてつもなく、気まずい。
 頭がゆで上がりそうなほど顔が熱い。耳のなかに心臓があるんじゃないかってぐらい、鼓動がうるさく感じられる。

 「玉蓉ぎょくようと仲良くしてくれてるんだね」

 どうしようもなく切羽詰まったわたしに代わって、陛下が話題を切り替えてくれた。

 「彼女から文が届いたよ。もっと頻繁に琉花りゅうかちゃんに会えるようにしてほしいって。私がきみを独り占めするのはズルいって言われたよ」

 「え。あ、そうなんですか……」

 公主さまが手紙を? 今まで交流の少なかった異母兄あにに?
 わたしをキッカケにしてでも、この兄妹が仲良くしてくれるのはいいことなんだけど。
 内容が内容だけに、ちょっと複雑。

 「琉花りゅうかちゃんが、玉蓉ぎょくようと仲良くしてくれるのはうれしいよ。私は、兄としてあの子になにもしてやれなかったからね」

 沈痛な面持ちの陛下。

 「大丈夫ですよ。これから、これから仲良くされたらいいんです」

 「琉花ちゃん……」

 「公主さまだって、きっと陛下にお会いしたいと思ってますよ。だって、わたしにいっぱい陛下のことを訊ねていらっしゃったし。陛下のことをお好きなんですよ」

 そうよ。今まで交流が少なかっただけで。
 
 「そうだ。今度ご一緒に黒曜宮こくようきゅうを訪れませんか? 公主さまにはナイショで行って驚かすんです」

 公主さまと二人でおしゃべり会もいいけど、そこに陛下が加わってもいい。わたしを通して互いのことを知るより、そのほうがもっと親密になれる。

 「……そうだね。黒曜宮こくようきゅうを訪れなくてはね」

 少し笑ってくださった陛下。しかしその顔から、スッと笑みが消えた。

 「玉蓉ぎょくようの嫁ぎ先が決まった。公主を、遼州太守、高 莉成りせいのもとへ嫁がせる」

 「――――え?」
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