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巻の十一 朝の目覚めはドキドキとともに。

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 (うわっ……!!)

 菫青宮きんせいきゅうに来てから一か月。
 目覚めとともに驚かない朝は、一日もない。 
 声を上げなかった自分を褒めてあげたいぐらい。
 だって。

 (ちっ、近い~~っ!!)

 なぜかいつも近くにある陛下の寝顔。まあ、一緒に寝てるんだし? 寝顔が近くにあるのは仕方ない。
 でも。
 
 (クッソ重いのよ、この腕!!)

 抱き枕扱いなんだろう。時折、力ない陛下の腕がわたしの身体にのしかかってる。その重さのせいで、目が覚めちゃうわけなんだけど。
 陛下を起こさないようになるべくそぉっと腕をどける。誰も知らない、朝の重労働。

 (あ、まただ……)

 ゆっくり下ろした腕。その先、スラリと伸びた指についた墨。
 書類とにらめっこしただけじゃなく、なにかしら書いたりしていたんだろう。キレイな指には、よく墨がついたままになっていた。
 
 (ホント仕事中毒よね、陛下って)

 普通、皇帝陛下って言ったら、もっと遊ぶものなんじゃないかしら。
 史書でしか知らないけど、昔の皇帝たちはもっと女遊びを楽しんでたっていうし。
 波斯ペルシアだったかの皇帝は、後宮の女性たちを裸でうつ伏せにして並んで寝かせ、その上(お尻!!)を踏んで歩いて、転んだ女性と夜を楽しんだとか。ブタに自分の乗った小さな車を引かせて、そのブタが気まぐれで入った部屋の女と楽しんだとか。
 皇帝、天子様っていうのは、何をしても許される立場なんだから、女をとっかえひっかえして楽しむ、そういう存在なんだって思ってた。
 それがどうよ。
 この奏帝国の皇帝は。
 とっかえひっかえするのは書類の内容だけで、女には見向きもしない。
 わたしという見せかけの妃を作ったのだって、「後宮とか、うるさい雑音を気にせず仕事に打ち込みたい」という理由からだったし。わたしを選んだのも、「借金返済目的での後宮入りだから、別れることになっても後腐れがない」からだし。

 (もったいないわよねえ。これだけキレイなお顔立ちをしてるのに)

 眠っていると、玉蓉ぎょくよう公主によく似た面差しになる。
 スッと通った鼻梁。秀でた額。
 いつもはキリッとした眉も少しゆるんで、どこか幼い印象。冠も外され寝乱れた髷まげ。ほつれた髪が額から耳に影を落とす。
 少しだけ手を伸ばし、耳にかかったびんをそっと掻き上げる。
 後宮で、陛下のお顔を知ってる宮女は少ない。「地位目当て」「子種目当て」で後宮入りした宮女たちも、今の陛下のお顔を見たら、目当ても何もかも忘れて夢中になるんじゃないかな。それこそ、心臓ズギューン!! って射貫かれるかんじで。

 優しくて、真面目で、それでいてカッコよくて。
 陛下なら、その地位がなくても愛してくれる女性はいっぱいいるはず。

 (でも、それすら煩わしいと思っていらっしゃるのよね)

 女性に愛されることに興味のない陛下。
 愛することにも興味がないようだから、こうして一緒に寝てても安心なんだけど。

 (地位に、容姿に、状況に。世の中の男たちが聞いたら、羨ましすぎて身もだえしそうだけど、完璧に備わりきってるからこそ困ることもあるみたいなのよね)

 男女ともに一度は言ってみたい台詞、「モテすぎて困るわ」
 それを地で行くのが陛下だもんねえ。
 他の人が言うと「嫌味か?」ってなるけど、陛下なら「大変ですね」って純粋に同情してしまう。
 
 (誰か、この陛下を心から愛してくださる姫君は現れないものかしら)

 陛下が陛下じゃなくっても。ただの市井の若者であっても。奴婢であっても。
 それでも陛下を慕ってくれるような人。
 
 (陛下の素晴らしさを世に喧伝したほうがいいのかな)

 ちょっと商品みたいな扱いで申し訳ないけど。
 陛下が即位されてから三年。
 目立った争いもなく、国は安定している。
 若くして、名君の兆しを見せる陛下。
 離れて暮らす異母妹いもうとを気にかけるぐらい優しくて、政にここまで熱心に取り組むほど真面目。
 顔立ちも凛々しく、背も高く、健康。
 皇帝としての威厳はあるけど、驕ったところはない。わたしを見せかけの妃になんてとんでもないことを言い出すような方だけど、裏を返せば、それだけ考え方が柔軟だってこと。
 悪くない。むしろ最高の物件だと思うけど。
 世の姫君たち。ここに素晴らしい一品が眠っておりますよ。特に愛されてる女性もおりません。
 二十五歳。男盛りのピチピチ皇帝ですよ。新鮮な今、買わなきゃ損です。
 買いですよ、買いっ!! 今が買い時ですよっ!!

 (あとは、陛下がその気になってくださればいいのよね)

 陛下だって、二十五歳。
 「女に興味がない」「ナントカ目当てで寄ってこられてウンザリする」っておっしゃってたけど、男性として、そういうムラムラぐらいお持ちでしょうに。
 陛下を真に愛してくれる女性が現れて、陛下も俄然そういう気になってくだされば、万事解決なんだけどな。

 「…………陛下、起きてらっしゃいます?」

 「フフッ、寝てるよ?」

 ……ウソじゃん。
 肩揺れてるし。目はつぶってるけど、笑い、こらえてるでしょ。
 つい考え事をしながら、わたしが髪をいじってたから、くすぐったかったんだろう。クツクツと喉を鳴らして笑われた。

 「……わたし、もう起きます」

 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
 いくらなんでも、寝てる殿方を自分から触ってたなんて。それも、そのことを知られてたなんて。
 
 「えー、ダメだよ。妃のフリしてイチャイチャしなくちゃ」

 起きかけたわたしの身体を、グイッと陛下の腕が抱き寄せる。

 「や、ちょっとっ!! 見せかけにそんなの必要ないじゃないですかっ!!」

 ジタジタ、バタバタ、モダモダ。
 もがいてももがいても、陛下の腕の力は意外に強くて抜け出せない。

 「誰かが見てるかもしれないよ?」

 「誰が覗くっていうんですかっ!!」
 
 皇帝とその寵姫の朝のイチャイチャを覗こうだなんて。不敬だし変態よ、そんなの。

 「うーん、琉花りゅうかちゃん、いい匂い。なにか香油でもつけてる?」

 って、話、聞いてないな?

 「つけてませんよっ!! それより離してくださいっ!!」

 「ダーメ。髪もキレイだよね。ツヤツヤで触ってて気持ちいい」

 だから勝手に髪を触らないでっ!! 匂いも嗅がないっ!!

 髪に神経なんて通ってないはずなのに、触れられた先から熱が生まれてくる……気がする。
 
 「さっきのお返しだよ。私からもいっぱい触ってあげよう」

 「ちょっ……!! なんですか、それっ!! やっ、あのっ……!!」

 身体を押さえられたまま、頬とかうなじとか首筋とか、陛下の指が撫でていく。微妙な力加減。なぞるような、羽根で触れられてるような……。

 「アハッ、アハハハハハッ……!! ダメッ、ダメですって、アハハハハッ!!」

 くすぐったい。
 どうしようもなく、くすぐったい。
 笑いながら、身をよじる。笑いすぎて、頬と口角が痛い。
 
 「うん。朝からいいもの見れた」

 散々わたしをくすぐった後、陛下が身を解放してくれた。
 解放してくれたけど、笑いすぎてヒーヒーと息が治まらない。

 「寵妃の笑顔が見られたことだし、今日も一日頑張れるよ」

 わたしの目じりに残った涙を軽く拭って、陛下が寝所を離れていった。
 
 (寵妃の笑顔って。無理矢理笑わせただけじゃない)
 
 思いっきりくすぐって。
 寝てる陛下にちょっかいだしたら、こんな攻撃を受けるハメになるとは。
 陛下と一緒に寝るのは、それなりに危険なことなのかもしれない。
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