上 下
7 / 29

巻の七 みせかけの月。かりそめの妃。

しおりを挟む
 「窓を開けてもよいか? 匂いがきつすぎる」

 「え? あ、はい」

 それは願ったりかなったりなんですが。

 皇帝陛下が、栄順えいじゅんさまだったの?
 栄順さまが、皇帝陛下だったの?
 わたし、知らない間に皇帝陛下と顔見知りになっていたの?
 啓騎けいきさんが「何があっても驚くな」って言ったのは、こういうことだったの?
 頭が混乱してくる。
 これを「驚くな」って。無理な相談です、啓騎さん。
 
 「驚かせてすまない。気を楽にしていいぞ」

 「は、はい……」

 石像よろしく、ガッチリ固まってしまったわたしの手を引き、栄順さま、もとい皇帝陛下がわたしを寝台に腰かけさせた。

 「どこから話したらいいのか……。ハハッ、そこまで気負わなくていい。何もしないから」

 「はっ、はいっ!!」

 答えながらも、肩が痛いぐらいにこる。
 だって。

 (寝台に並んで座って、緊張しないってほうが無理なのよっ!!)

 アレをナニして、コレにソレするために来たんでしょ?
 そりゃあ、まったく見ず知らずの男に抱かれるより、ちょっとは知ってる人のほうがマシって……、イヤイヤイヤ。そういう話じゃない。
 今、大事なのは、そういうことじゃない。

 「あの、栄順えいじゅんさまって、皇帝陛下だったんですか?」

 「ん?」

 「もしかして、身代わりとか、影武者とか、そういうことは……。後宮嫌いの皇帝陛下の身代わりとして、ここへやって来たとか」

 よく物語でもあるじゃない。
 香鈴こうりんに持って来てもらった本にもそういうのがあった。
 皇帝陛下の影武者。
 皇帝に容姿が似てたから選ばれた人。
 皇帝の身代わりを務めるうちに、皇帝の妃とかと割りない仲になってしまって……とか。
 結ばれることのない身分差。「私は皇帝陛下の影。アナタと共に添い遂げることはできません」的な。「それでも構いません。飾りでしかなかったわたくしに、真実の愛というものを教えてくださったのはアナタです」的な。……ああ、悲恋。

 「ないよ。琉花りゅうかちゃん、本の読みすぎ」

 前のめりになったわたしの鼻を、栄順さまの指がクイッと押し返した。
 ってか、「琉花りゅうかちゃん」って。

 「正真正銘、私が奏帝国第十二代皇帝だ。栄順えいじゅんは、私の本名なんだが、……知らなかったの?」

 「……はい。申し訳ございませ……」
 「構わない。普段は〈皇帝〉とか〈陛下〉としか呼ばないだろうし」

 わたしの謝罪を陛下が遮った。

 「知ってたら、あそこでひっくり返って池にでも落ちてただろうな」

 カラカラと笑う陛下。
 顔も知らない、名前すら知らない妃候補。
 呆れられるかと思ったら、おもいっきり笑い飛ばされてしまった。
 まあ、〈皇帝陛下〉なんて、姓が〈皇帝〉、名が〈陛下〉ぐらいの感覚だったし。それ以外に名前があるなんて考えたことがなかった。

 「あの宴には、参加するのも煩わしかったから、啓騎けいきに身代わりを務めてもらってたんだ」

 「啓騎さんに?」

 じゃあ、あの紗の帳の向こうにいたのは、啓騎さんだったの?
 うーん。見えなくてよかったと言うべきか。見えてたら、絶対驚いてひっくり返ってる。

 「どうして私があれほど後宮に来るのを嫌がっていたのか。何度もうるさく宴に誘ったのは啓騎自身だ。啓騎には、どうして私が宴を嫌うのか、身をもって知って欲しかったからね。あそこまで露骨にグイグイと自分を売り込もうとする妃候補に、啓騎もウンザリしていたよ」

 なるほど。
 グイグイ、ガンガンやってくる候補たちに、この皇帝は辟易としていた、と。
 まあ、その地位目当て、権力目当てで群がってくる女性に好意を持てるかって言われると、かなり微妙だとは思うけど。
 わたしが皇帝を後宮に来させて欲しいって願ったから。啓騎さんをとんでもない目に遭わせちゃったかな。もしそうだったら、本当、申し訳ない。

 「きみの身の上は、啓騎から話は聞いている。父親が作った借金返済のために、啓騎と賭けをしたんだって?」

 「はい、その通りです」

 うわ、啓騎さん、何を話してくれてるのよ。
 我が家の恥部、丸出しじゃない。
 
 「私をオトせたら、借金はナシ。無理でも半額は保証される……だったか」

 地位目当て、権力目当てで近づく女はいるだろうけど、五百五十貫目当てで、なんの予備知識もナシ、皇帝の顔も名前もしらないままに後宮に飛び込む女は珍しいだろう。

 「琉花りゅうかちゃん、一つ提案があるんだけど」

 「はい?」

 提案?
 
 「このまま〈菫青宮きんせいきゅう〉で暮らして、私の寵妃のふりをして欲しい」

 ――――――は?
 このまま?
 わたしが〈菫青宮きんせいきゅう〉で暮らすの?

 〈菫青宮きんせいきゅう〉は、皇帝が気に入った女をつまむときに、一時的に使う宮。常駐で誰かが暮らす場所じゃない。気に入った妃を置くなら〈翆玉宮すいぎょくきゅう〉とか〈蒼玉宮そうぎょくきゅう〉とか、寵妃用の別の宮もあるのに。よりによって〈菫青宮きんせいきゅう〉?

 「ああ、決して不埒なことはしないと約束するから、安心して」

 そういう意味で驚いてるんじゃありません。
 そりゃあ、そういう意味でも驚いてますけど。

 「妃のふりって……なんですか?」

 わたしと一夜をともにして、気に入ったから皇后とか妃にしたいとかいうんじゃない。
 わたしに、妻のふりをしてほしいとは、どういうことなの?

 「父である先帝が崩御され、三年前に私が跡を継いで即位した。これぐらいは、知ってるよね」

 「はい」

 皇帝のお名前とかお顔は知らなくても、いつ即位されたのかぐらいは知っている。

 「私が即位してからというもの、諸侯や大臣、果ては地方の行政官まで選りすぐりの美女だー、娘だーって送ってきててね。正直、辟易としているんだ」

 「……その中から、一番素晴らしい女性を娶られてもよろしいのでは?」

 今ならもれなく、よりどりみどり。

 「琉花ちゃん、一度に何十人、何百人の異性に『子種くれ!!』と迫られて耐える自信ある?」

 「ム、ムリデス」

 それも愛しているから抱いて欲しい(わたしの場合は、「抱きたい」)ならともかく、地位や権力のためにの子種が欲しいでは、勃つものも勃たずに萎えそう。(ナニガ?)
 それって、皇帝の子種が必要なんであって、栄順えいじゅんさまの子種が必要ってことじゃないもんね。
 そこに〈愛〉はあるんか?
 
 「それに、私はまだそういうことにうつつを抜かす気はないんだよ。即位したばかりだし、国政も安定してない」

 「なるほど。今は、恋より仕事ってわけですね」

 「そういうこと。なのに、周囲ときたら、やれ『世継ぎ』だ『跡継ぎ』だってうるさくって」

 ガシガシッと乱暴に頭を掻く陛下。
 すっごいイヤそうな顔だし、本気で困ってるんだろうな。

 「とりあえず周囲を黙らせて、政務に集中するためにも、誰か一人、妃を据えておきたいところだけど、下手に権力欲があったり、身分ある実家がついてたりすると、後々、いろいろと厄介だからね」

 「それで、わたしですか?」

 皇帝の名前も顔も知らなかったような妃候補。

 「そう。啓騎けいきの推薦なら間違いないだろうし、きみの目的が借金返済ってところも気に入った」

 啓騎さん、そのあたり、しっかり陛下に信頼されてるのね。そして、わたしが「子種」「権力」目的ではなく、「借金返済」のために宮中に上がったことを気に入られたと。
 皇帝陛下からしてみれば、「五百五十貫? そんなはした金のために後宮へ?」ってなるだろうし。

 「どうだろう。もし引き受けてくれるなら、五百五十貫、全額、私が保証しよう。父君の商いの後ろ盾になり、支援も惜しまない。二度と騙されぬよう、人を手配することもできる」
 
 う。
 なんて魅力的な提案。
 そもそも皇帝の寵妃の実家を騙そうなんて、図太い神経の輩はいないと思うけど。

 「琉花りゅうかちゃんの未来も保証する。後宮を出ることになったら、その時は、琉花ちゃんが想う相手と添い遂げられるように手配しよう」

 えーっと。
 そこまでの未来、考えたことがなかった。
 わたしが想う相手?
 想像できない。頭に浮かんでも来ない。

 「もちろん見せかけだから、きみに手を出す気はないよ。その点は、なにより安心して欲しい」

 あ、それ、一番うれしい。
 覚悟がなかったわけじゃないけど、やっぱりそういうことは、……ねえ。相手を知り、そういう想いを抱いてからにしたい。怖いし。
 
 「どうする? 悪い条件じゃないと想うけど?」

 「あの。もしお受けしないと、どうなりますか?」
 
 まさか処刑とか? わたしが処刑されるだけならまだしも、啓騎さんも連座させられたり? 最悪の場合、父さまたちも一緒?
 考えるだけで、顔から血の気が引いていく。
 でも、皇帝陛下の願いを聞き届けなかったら、それぐらいのことがあってもおかしくはない。

 「大丈夫。心配しなくていいよ。その場合は、後宮からお暇を出されるだけの話だから。啓騎けいきからは、半額の三百貫もらえて、嫁ぎ先を斡旋されるんだっけ? それで終わりになるだけだよ」

 そっか。
 それだけで済むのか。
 
 「で、どうする?」

 どっちにしたって悪いようには転ばない。
 ここで「恐れ多いことです」って辞退したってかまわない。
 けど――。

 「わたしでお役に立てるなら――」

 三百貫より五百貫。
 できることなら、借金はチャラにしてしまいたい。
 手も出されないし、妃(仮)として、いるだけでいいのなら。

 「ありがとう。琉花りゅうかちゃん」

 チュ……。

 額に落とされた、皇帝陛下の口づけ。
 
 なっ!!
 手を出さない約束じゃなかったのっ!!

 「ゴメン。かわいかったから、つい、ね」

 陛下は謝りながらも、笑いかけてくるけど。

 ……ちょっと決断を早まったかもしれない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

男女比8対1の異世界に転移しました、防御力はレベル1です

オレンジ方解石
恋愛
 結婚式の最中に、夫に他の女と逃げられた花嫁、水瀬透子。  離婚届けを出す直前に事故で瀕死となった彼女は、異世界の女神から『妾と取り引きするなら、助けてやろう』と持ちかけられる。  異世界の《世界樹》の《種》を宿す《仮枝》となった透子は、女神の世界に連れて行かれ、二年を過ごすこととなった。  そこは男女比が8対1という偏った世界であり、女性が《四気神》と呼ばれる守護者に守られる世界。  女神とはぐれた透子は、そこで美形の青年、紅霞に助けられるが……。 ※追記の追記を少し直しました。

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀? 転生おばさんは忙しい そして、新しい恋の予感…… てへ 豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

後宮に潜む黒薔薇は吸血鬼の番となりて

緋村燐
恋愛
幼い頃から暗殺者としての訓練を受けてきた明凜は、隣国に嫁ぐ公主・蘭翠玉の侍女として儀国の後宮へと潜入する。 与えられた使命は儀皇帝・雲蘭の暗殺。 一月後と定められた翠玉の初夜までに宮城の把握に努めていた明凜だが、宦官の最高位である大長秋・令劉に捕らわれてしまった。 だが令劉は自らを吸血鬼と明かし、明凜が唯一自分の子を産める番(つがい)だと言う。 愛の言葉と共に添い遂げてくれるならば皇帝暗殺に協力すると告げる令劉に明凜は……。 *魔法のiらんど様にも掲載しております。

失敗作の愛し方 〜上司の尻拭いでモテない皇太子の婚約者になりました〜

荒瀬ヤヒロ
恋愛
神だって時には失敗する。 とある世界の皇太子に間違って「絶対に女子にモテない魂」を入れてしまったと言い出した神は弟子の少女に命じた。 「このままでは皇太子がモテないせいで世界が滅びる!皇太子に近づいて「モテない魂」を回収してこい!」 「くたばれクソ上司」 ちょっと口の悪い少女リートは、ろくでなし上司のせいで苦しむ皇太子を救うため、その世界の伯爵令嬢となって近づくが…… 「俺は皇太子だぞ?何故、地位や金目当ての女性すら寄ってこないんだ……?」 (うちのろくでなしが本当にごめん) 果たしてリートは有り得ないほどモテない皇太子を救うことができるのか?

処理中です...