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巻の五 月を手に入れる方法。

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 「しかたないわ。こうなったら正攻法ね。啓騎けいきさんにお願いして、なんとしても皇帝陛下に後宮まで足を運んでもらうわ」

 忙しいなら書類持参でもいいじゃない。
 興味ないなら座ってるだけでもいい。
 とにかく、顔を見せなさいよ。でないと、始まるものも始まらないわよ。
 
 「啓騎けいきさんは皇帝陛下の直属、侍中じちゅうなんだから。側近中の側近として、わたしを後宮に入れるぐらい切羽詰まってるんだったら、それぐらいやってもらわなくっちゃ困るわよ。なりふりかまってる場合じゃないのよ」

 それこそ、皇帝を引きずってでも後宮に連れてきて欲しい。
 でないと、ただここで時間をムダに過ごすことになってしまう。
 ということで、香鈴こうりん啓騎けいきさんあての手紙を届けてもらう。

 すると。

 「お嬢さま、啓騎さまからの言伝でございます!! 明後日の夜、皇帝陛下が後宮の宴にご臨席賜るとのことです!!」

 よっしゃっ!!
 さすが侍中。さすが啓騎さんだわ。
 「やれ」というなら、それだけの状況を作ってくれなきゃね。
 思わず、勝利の握りこぶしを突き上げ、香鈴とも手を取り合って喜び合う。

 「そうとなれば、お嬢さまのお召し物も選ばなくては!! 皇帝陛下のお目にかなうような、お嬢さまの魅力を最大限に引き出せるようなっ!! さっそくですが、旦那さまと奥さまにも相談して参りますわっ!!」

 わたし以上に張り切ってしまった香鈴。
 善は急げとばかりに、部屋から走り出てってしまった。
 李家の威信をかけて、最高級の着物を用意してきそうな予感。
 
 (また、下手に借金を増やしてなければいいけど)
 
 とりあえずの皇帝陛下の下見なんだから、そこまで贅を尽くしてくれなくてもいいんだけどな。
 香鈴を見送った格好になったわたしは、ポリポリと頭を掻くほかなかった。

*     *     *      *

 で。
 三日後の夜。
 わたしは、己の認識が甘かったことを痛感させられることになった。
 
 ――後宮での宴。
 ――初!!の、皇帝ご臨席。
 
 このことが他の妃候補に伝わらないはずがない。
 それでなくても、皇帝に後宮へお越し願えるよう、何度も手紙だのなんだのを送ってた候補たちだもの。
 ここぞとばかりに、着飾って宴に参加する。
 その数も半端ない。
 ズラーッと宴席には、華やかであでやかな女性たちが居並ぶ。
 だいたいこういう席次っていうのは、年功序列、身分重視だから、上座、皇帝陛下の近くを陣取るのは、後宮に早くから入った者、父親の身分が高い女性となる。
 当然、ポッと出の、侍中ごときのそれも養女となると、末席中の末席になってしまい……。

 (皇帝、遠すぎ)

 ということになる。
 その上、上座に当たる皇帝の席は、薄い紗の帷帳いちょうの向こう。人がいることはわかるけど、それがどんな人物なのか見えることはない。
 これじゃあ、皇帝がどんな人物なのか、見極めることすら難しい。
 
 (一言も喋らないし)

 さっきからずっと、妃候補たちが見染められようとして、ガンガン音楽を奏でて、ドンドン舞を舞ったりしてるけど、まったく反応がない。
 見てるのか見てないのか。聞いてるのか聞いてないのか。
 様子を覗うことができないから、まったくわからない。

 (あっちで、退屈そうに鼻クソほじくっててもわかんないものね)

 ……仮にも一国の皇帝がそんなことしないと思うけど。
 それぐらい、相手がどんな人なのか、わかんないってこと。身代わりの人形が座ってると言われても驚かない。

 (これはもうダメね)

 せっかく啓騎さんにお願いして場を設けてもらったけど、これで恋愛をどうこうするのはムリだ。
 さよなら皇帝。また来て皇帝。
 アナタとわたしじゃ、恋愛の「れ」の字も生まれません。

 華やかすぎる音楽とあでやかすぎる踊りに飽きて席を立つ。
 宴席を警護する武官に誰何すいかされたけど、「場の空気に酔ったので、少し夜風にあたりたい」とだけ告げた。

 (はあ……)

 暗い庭に降り、そのまま池のほとりを歩く。
 
 (ここに衣でも流したら、バッタリ皇帝に会えるのかな)

 香鈴が借りてきた本には、そんなキッカケが書いてあったけど。
 それとも、この池から流れる水路に、皇帝恋しの詩でも書いて流したらいいかな。
 確か、そんなキッカケもどこかで聞いたことがある。流れついた詩の素晴らしさに皇帝が興味を示され、そのまま恋愛に……っていう展開。
 どちらにせよ、ここにポイポイ何かを投じなきゃダメみたい。
 
 (この池に……ねえ)

 それぐらいだったら、投げ込んだことに驚いて池の女神かなんかが現れたほうが、わたし的には展開として面白いんだけど。そして、五百貫ぐらいの価値のありそうな、金のナントカと銀のナントカを持ってきてくれるの。「わたしの落としたのは、普通のナントカです」って答えたら、「正直者にはすべて差し上げましょう」って言われたりして……。

 「――そこで何をしている」

 ムフフと、変な想像をしながら、池を覗きこんでいたわたしに飛んだ鋭い声。

 (え? 誰?)

 思う間もなく現れたのは、若い男の武官。――皇帝陛下の護衛?

 「その池は紫宸殿を流れる川に繋がっていますが、だからってなんでもかんでも流してはいけませんよ。詩だの衣だの、あちらで物が詰まって困ってるんです」

 ああ。みんなやってるのね、小説みたいなこと。そしてことごとく失敗して、向こうで迷惑がられてると。
 流れ着いたゴミ(!?)をドブさらいしなきゃいけない雑色ぞうしきたちに軽く同情する。

 「……それとも、もしかして、身投げしてドザエモンになって紫宸殿に現れる気だったんですか? 斬新ですね」

 「どっ……!!」

 ドザエモンッ?
 身投げっ?
 流れ着いたらただの水死体だろうけど、もう少し綺麗な言葉で包んでもらいたい。
 
 「い、池を見ていただけです!! ドザエモンになんかなる気はありませんっ!!」

 「なら、結構です。ドザエモンなど、止めはしませんが、感心もしませんからね。川も詰まりますし」

 ハハッと軽く笑われ、思わず頬を膨らませる。
 なによ、この武官。仮にも皇帝の妃候補に対してかなり無礼じゃない?
 それに、よく見ると線が細くて、どっちかというと文官っぽい顔立ちと物腰し。ついでに言えば喋り方もちょっとなよなよしてるし。
 これで、本当に武官なの?
 武官って、もっと「フンヌーッ!!」とか、「ムンッ!!」とか言って筋肉ムキッ!! ってかんじじゃないの?
 どっちかというと、啓騎けいきさんの同僚ですって言われたほうがしっくりくる。

 「ところで、どうしてここへ? 宴はまだ続いているでしょう?」

 皇帝陛下への熱烈な売り込みはまだ続いてる。
 妃候補たちのこれでもかってぐらいの歌舞音曲はここまで聞こえてきてる。お目当ての陛下にはまったく届いてないみたいだけど。

 「諦めました。せっかく開いていただいた宴ですが、あの状況でわたしが歌っても踊っても、おそらく十把一絡げに見られて、相手になどしてもらえないでしょうから」

 あのなかでわたしが踊っても、妃候補、甲、乙、丙、丁、戌、己、庚、あるいは、一、二、三、四、五、六、七と数えられるだけよ。「戌の姫、合格いたしましたので、こちらへどうぞ」とか言って、帷帳いちょうの向こうに迎え入れてくれる可能性があるのならいいけど、そんな可能性はとっくに潰えてるし。
 啓騎さんにお願いして準備していただいた宴だったけど、どうやら効果はなさそう。

 「開いて? もしかして、アナタははん 啓騎の?」

 「養女です。本当は、ただの幼なじみ、ご近所さんなだけですが」

 わたしと啓騎さんは八つ違い。養女、娘というより、妹に見えてしまうかもしれないけど。

 「そうですか。アナタが啓騎の」

 武官は、どうやら啓騎さんを知ってるらしい。そして、啓騎さんがわたしを後宮に入れたということも、啓騎さんが宴を開くように手配したことも。

 (呼び捨てにしてるぐらいだから、仲がいいのかしら)

 皇帝陛下の侍中を務める啓騎さんと、この武官。
 年齢も近そうだし、仕事柄、いろいろと関係があるのかもしれない。

 「あの状況で見染められるのは、空に浮かぶ月を手に入れるより難しいと思います」

 啓騎さんの知り合い――。
 その気安さもあって、愚痴るように、なんとなく見上げた夜空に浮かんでた月に皇帝をなぞらえてみる。
 見えてるんだけど、手の届かない遠い存在。月も皇帝も変わらない。

 「なるほど。皇帝陛下は〈月〉ですか」

 わたしの例えに、武官がクスクスと笑う。
 月なんかに例えてって、怒られるかもって思ったから、少し意外。
 
 「では、こうしたらどうでしょう」

 言うなり、武官が池のほとりに膝をつき、水をすくいとる。

 「ほら、月を手に入れましたよ」

 手のひらのなか。小さな水面に写る、丸く青白い月。

 「……とんち?」

 眉根を寄せて、すくい取られた月を見る。
 そんなのただの言葉遊び、子どもの屁理屈じゃない。
 武官の手の隙間から、溢れた水とともに月も流れ去る。

 「見せかけの月かもしれませんが、手に入れることはできますよ」

 立ち上がった武官が、真っすぐにこちらを見てくる。あ、武官なだけあって意外と背が高い。

 「私の名は、こう 栄順えいじゅん。皇帝陛下の近侍をしております。もしあなたにヤル気があるのなら、見せかけの月であっても、手に入れられるよう手配することもできますが。どうしますか?」

 池になにも投じなくても、機会は意外と巡ってくるらしい。
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