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巻の一 借金は嵐のように。

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 「ごっ、五百貫――――っ!!」

 裏返ったわたしの叫び声。

 「うん。五百貫」

 ケロリとした父さまの声。
 
 「なんとかお金を工面して投資したんだがねえ、戻ってこなくてねえ。どうしようか、琉花りゅうか

 眉尻を下げて話す父さま。困ったな~って顔をしてるけど、その生まれつきのポヤポヤとした顔は、そこまで深刻そうには変化してない。
 けれど。

 (ご、五百貫……)

 平均的な反応のできるわたしの顔は真っ青だ。
 五百貫?
 どうやったらそんな大金を借金できるの?
 いつの間に?
 返済の計画は?
 家はどうなるの?
 使用人たちは?
 破産するだけじゃすまないわよね。
 家財とかすべて売ったとして、残りはいくらになるかしら。
 一瞬で、すべてのことが頭をよぎっていく。
 そして。

 (ああ、こんなことになるなら、風邪なんかひいてるんじゃなかった)

 大後悔の嵐。
 つい先日まで、月のものと風邪でぶっ倒れていたわたし。
 人一倍重い月のものの上に、風邪で発熱となって、どうにも動けなかったんだけど。

 (まさか、寝込んでる間にそんな借金が発生してるなんて思わなかったわよ)

 寝込んでいたのは七日ほど。
 そんな短期間でそれほどの借金が出来てるとは。

 「いやあ、馬氏にねぇ、水路整備のいい話があるって言われてねえ。水路が整備されれば、それだけ交易量が増えるから得だよって」

 「それで、お金を出したんですか?」

 「うん。ついでに、先行投資として、船着き場に倉庫を建てておかないかって。水路が開発されれば物流が増えて、他の商人たちもそこに倉庫を建てたがるだろうから、投資した者として先に倉庫を建てて、土地を押さえておけばいいってね。もし不要なら、あとで別の商人に売ればいいってなって。水路さえ出来上がれば、高値で取引できるって話だったんだ」

 それって。
 なんか、ものすごく胡散臭いんだけど。

 「それでね、馬氏に投資したんだけど……。彼、三日前から連絡がとれないんだよ」

 やっぱり。
 怪しさ限界突破の儲け話だと思ったら。
 
 「水路開発するって言われてた場所にも行ってみたんだけどねえ。そこの住人に訊ねてみたんだが、そんな話は聞いてない、倉庫のことも馬氏のことも知らないって言われてね。いやあ、本当に困った、困った」

 父さま。全然困ってるように見えません。
 話を聞けば聞くほど、わたしの身体は、ドーンッと重くなってくる。
 そんなわかりやすいぐらいベッタベタな詐欺に引っかかるなんて。
 さすが父さま。商家の四代目。
 坊ちゃん育ちで人を疑うことを知らず、ニコニコと人の話を受け入れて、ポンッとお金を出せちゃう、大きくってガバガバの懐をお持ちですわ。
 
 「でもね、安心しておくれ。馬氏を見つけられなかった代わりに、いいものを手に入れたんだよ」

 いいもの?
 落ち込むわたしと対照的に、父さまがニッコニコの笑顔になった。

 「これこれ。この壺をね、手に入れたんだ」

 ゴトゴトと両手で抱え、うれしそうな父さまが、わたしに壺を見せてくる。
 ゴッテゴテの派手な色彩の、どっちかというと品のない壺。

 「これはね、遥か西方にある波斯ペルシアから渡ってきた不思議な壺でね。夜のうちに壺に一貫入れておくと、朝には十貫に増えているという壺なんだよ」

 ……………………。
 言葉、忘れた。

 「なんでも波斯ペルシアの王様が大事にしていたという壺で。百貫のところ、私の窮地を慮って、五十貫で譲ってもらったよ」

 いい壺だ~。最高だ~。
 これなら借金もすぐに解決するよ~。
 父さま、愛おしそうに壺に頬ずり。
 ……つまり、借金は五百貫だけじゃなく、壺代あわせて五百五十貫。
 
 (あはははは……)

 心の中で、乾いた笑いが響く。
 なにをどうしたら、ここまでお人よしに騙され続けるんだろう。
 投資に壺だなんて。詐欺のお決まり展開、定型ネタ、その一、その二じゃない。
 頭を抱えたくなったわたしの前で、さっそく一貫を壺のなかに投じた。「明日には十貫かあ」とホクホク顔の父さま。

 「あら、琉花りゅうか、アナタ。なにをやってらっしゃるの?」

 「母さま」
 「おお、お前か」

 侍女に大量の本を抱えさせて、帰ってきたばかりの母さまが近づいてきた。
 
 「いいものを手に入れたんだよ、見てくれ」

 反応の薄くなり過ぎたわたしに代わって、母さまに壺の素晴らしさを語り出す父さま。
 ふんふんと話を聴く母さま。
 ねえ、母さま。ここは一つ父さまにきつーいお叱りを――――。

 「素晴らしいですわっ!!」

 へ?
 あの、お叱りは?

 「この壺があれば、いつでもお金が増やせるのですねっ!! まあ、なんて素晴らしい壺でしょう。アナタ、とてもお目が高いのね。いい買い物をしていらしたわ」

 目を輝かせ、パンッと手を打った母さま。
 ダメだ、こりゃ。
 似たもの夫婦すぎる。
 母さまも父さまと同じで、ポヤポヤのお嬢さまだったわ。
 
 「これがあれば、もっと本が買えますわねっ!!」

 ……母さま、まだ本を買うつもりなのね。
 本屋巡りの帰りだろう侍女の姿に同情を覚える。腕、抜けないように気をつけてね。あと、腰痛。
 キャッキャと喜び合う能天気両親に、頭を抱えたくなった。

 「いい加減にしてくださいっ!!」

 手を取り合って喜ぶ両親に本気で怒る。
 
 「この先、どうやって借金を無くしていくか、計画とかあるんですかっ!!」

 「そ、それは、この壺で……」

 「そんな壺にできるわけないでしょうがっ!!」

 わたしの怒りに気圧された父さまから壺を奪い取る。その勢いのまま、壺を大きく振りかぶる。叩きつけるは、床。

 「わーっ!! 琉花りゅうかっ!! 落ち着けっ!! 落ち着くんだっ!!」
 「そうよっ!! 大事なお金の増える壺なのよっ!!」

 必死な両親。
 本気で信じてるわけ? この二人。
 叩きつけたい。叩きつけて、二人の頭を現実がよぉく見るようにグリグリ押し付けてやりたい。

 「――相変わらずにぎやかだね、琉花りゅうか

 怒り最高値だったわたしの耳に届いた声。

 「こんにちは、琉花。お久しぶりです、李氏」

 「……啓騎けいきさんっ!?」

 使用人に案内され、部屋の入り口に立っていた、啓騎けいきさん。
 驚いた拍子に、手から壺が滑り落ち、ガシャーンとけたたましい音とともに砕け散った。
 壺と一緒に父さまの精神も砕けたみたい。ギャーッと叫んだまま放心。

 「ちょっと珍しいものが手に入ったからおすそ分けにと伺ったんだけど……。お邪魔だったかな?」

 啓騎さんが、粉々になった壺を見てクスクス笑う。
 うう。
 こんな姿、啓騎さんに見られたくなかった。
 父さまほどじゃないけど、わたしも泣きたい。

 「え、いや、これは、その……。それより、今日はお仕事、お休みなんですか?」

 「うん。ちょっと母の様子を見に、少しだけ、ね」

 はい、と差し出されたのは、小さなかごに入った荔枝ライチ。珍しいものって……。こんな南国の貴重な果実、もらってもいいの?
 荔枝ライチをサラッとなんでもないもののようにおすそわけできるなんて。さすが皇宮に務める〈侍中じちゅう〉サマは格が違う。

 「それより。少しだけ聞こえちゃったんだけど、琉花りゅうか、なんか大変そうだけど……大丈夫?」

 「う、それは……その……」
 
 「僕でよければ、話、聞くよ?」

 うう。
 なんて優しい啓騎けいきさん。
 いっつもこうやって、わたしのことを妹かなんかのように、気にかけてくれる。
 ただのお隣に住む、幼なじみのお兄さんなだけなのに。
 啓騎さんがお兄ちゃんだったらいいなあって、子どもの頃、よく思ってた。
 優しくて温和で、ポヤポヤ両親も軽くいなしてくれそうな人。今は、「侍中」として皇帝陛下のおそばで働いてる。家柄もそうだけど、それだけ啓騎さんが優秀だってことだ。

 「実は、ですね……」

 助けて欲しいとか、そういうわけじゃなく。
 ただ、誰かに聞いて欲しかった。聞いてもらうことで、気持ちを状況を整理したかった。
 借金のこと。
 これからのこと。
 返済のあてもなく、使用人たちへの給金の支払いも苦しいであろうこと。
 
 「なるほど」

 啓騎さんは、ただ静かにわたしの話を聴いてくれた。
 そして。

 「事情はわかった。琉花、大変だったね」

 ポンポンッと啓騎さんに頭を撫でられた。長旅の末、言葉の通じる人に出会えたような気分。
 
 「李氏、琉花。その借金、僕が肩代わりするよ」

 え?
 啓騎さんの発言に、わたしも両親も、目ん玉こぼれそうなほど大きく目を開いた。
 
 「いや、いくらなんでもそこまでしていただくのは……」

 啓騎さんは、ただのお隣のお兄さんなだけだし。五百五十貫もの大金、肩代わりできるほど侍中は高給なの?

 「ええ。僕もタダで肩代わりを申し出たわけじゃありません」

 ニッコリ笑う啓騎さん。
 清々しい、爽やかな笑顔。

 「借金を肩代わりする条件として、琉花」

 ん?

 「きみに僕の養女として後宮に上がって欲しいんだ」

 コ・ウ・キュ・ウ……。
 ヨ・ウ・ジョ……。

 「えええええええぇっ……!!」

 それはいったい、なにが、どういうことっ!?
 理解できないわたしと両親の叫びが、家のなかにこだました。
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