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六、式部卿の宮、物思ひ煩ひたまふの語
(五)
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「よう、目が覚めたか、宮さん」
その声に、意識が覚醒する。
眩しい光の差し込む寝所。その端で、柱にもたれて腕組み座る少年。
「きみは、確か、菫野の――」
「小舎人童だ」
そうだ。
彼女に仕える少年。
「それよりアンタ、具合の悪いとことかねえか?」
「ああ。それは大丈夫だ。問題ない」
なぜここに彼がいるのだろう。真成はどこに行った?
ぼんやりした思考をハッキリさせたくて、手を動か――重い。
「えっ!?」
腕の先、僕の手をしっかり握って転がる菫野。倒れたのかと思ったけれど、聞こえてくるのは、気持ちよさそうな寝息だった。
「アンタが倒れてから、ずっと看病し続けてたんだよ」
少年が言いながら立ち上がる。
「僕はどれぐらい寝込んでいたんだ?」
「三日」
「三日!?」
そんなに長く?
「アンタが目を覚ますまで、絶対寝ねえって騒いでからな。さっき無理やり眠らせたんだ」
よっこらしょっと、少年が眠りこけた菫野を肩に担ぎ上げる。ズルリと抜け落ちた手のひら。吹いた風に冷たさを感じる。
「アンタも、もう少し寝てろ。もう問題ねえだろうけど、人間ってのは、大したことなくても、アッサリ死ぬこともあるからな。ちゃんと用心しておけ」
「きみは、不思議なヤツだな」
「そうか?」
「ああ」
人の生死を突き放して見ているような言い方。
「なあ、宮さんよ。アンタ、コイツのこと、どう思ってる?」
「どうって。――好きだよ」
突然の問いかけに、一瞬どう言おうか悩んだけど、出してみればとても単純で、それでいて揺るぎない言葉になった。
好き。
それ以上でもそれ以下でもない。
「そっか」
少年が深く息を吐く。
「なら、いいや」
その言葉を最後に、少年が姿を消した。彼女を休ませるため、曹司に向かったのだろうか。それにしては素早い身のこなしだと思うが。
(好き――か)
改めて自覚した感情。
その気持ちに、もう大丈夫なはずの胸が、心地いい痛みに締め付けられた。
* * * *
フンフンフフンフン~。フフフンフ、フンフフン~。
自然とこぼれる鼻歌。
フンフ、フンフ、フッフンフ~。
「なんだよ、気持ちわりいな」
薬を用意するわたしの横で、孤太が顔をしかめる。
「なんとでも言ってなさいよ~だ」
今のわたしは機嫌がいい。何を言われても、特に気にしない。
安積さまが目を覚まされた。
それだけで心が弾んで、ソワソワと浮き立ってくる。
あの夜、急変した容態。呪詛と毒が原因だってわかった時の絶望。
中将さまの持ってきてくださった解毒の薬と、孤太が呪詛を払ってくれたおかげで、三日かかったけど、安積さまはようやく体調を取り戻された。
予断は許されないかもしれないけど、それでも安積さまが目を覚まされたことは、鼻歌が出ちゃうぐらいにうれしい。
「そういや孤太。さっき表のほうが騒がしかったけど、なんかあったの?」
「ああ。あの帯刀が帰ってきたんだよ」
「帯刀が?」
桜花さまのもとに道具を届けに行ってた帯刀。
その彼が戻ってきてるのなら、桜花さまのご様子を聞くことができるかもしれない。
「ねえ、孤太、早くお湯を沸かして!」
帯刀なら、きっと安積さま元にいる。早く薬湯をお持ちして、そこにいる帯刀から桜花さまのことを訊きたい。
「無茶言うなよ。ってか、アンタの方は薬を用意できたのか?」
「やってるわよ!」
ゴリゴリと薬種を鉢で砕く。ゴリゴリ、ゴリゴリと。ゴリゴリゴリゴリ、ゴリゴリゴリゴ――バキッ!
「あっ!」
「力の入れすぎなんだよ、アンタは」
「――ごめん」
ハアッと、深いため息を吐いて、孤太が、割れた鉢と散らばった薬種を拾い集めてくれた。
「後で、オレが届けてやるから。アンタは先に宮さんのとこに行ってろ」
「うん」
急いだ理由は、お見通しだったんだろう。後のことは孤太に任せて安積さまのもとに向かう。
後で、お礼にお菓子を用意してあげよう。
そんなことを思いながら。
* * * *
「――そのようなことが」
「でも彼女のおかげで助かった」
話を聴き、青ざめた真成に頷いてみせる。
「不思議な子だよ、彼女は」
とんでもない強力の持ち主なのに、とても華奢な体つき。
クルクル変わる感情、裏表のない表情。
死の淵に立った僕をこの世に呼び戻した不思議な力の持ち主。
「――解毒の薬は、近衛中将が持ってきたと言っていたけど」
「中将どのが?」
「ああ」
先の左大臣の息子がどうして。
先の左大臣は、僕を亡き者にしたい人物の筆頭。その息子がどうして僕を助けるのか。
真成でなくても疑問に感じる。
毒を盛ったのは、左大臣一派ではないのか。
「それにしても。僕まで彼女に助けられるとは思わなかったよ」
「宮……」
「桜花を守るために、あの強力が欲しくて美濃から呼び寄せたのに」
フウッと、深い息を天井に向けて吐き出す。
「なあ、真成。僕が彼女を好きだって言ったら驚くかい?」
「それは……」
「春の空を見上げて、満開に咲く桜を散らさぬように守ろうとして、野に咲く菫を踏みにじろうとしていたのにね」
皮肉っぽく笑う。
菫野の強力が欲しくて美濃から呼び寄せた。桜花を守るためと言えば聞こえがいいが、そのためなら、菫野がどうなろうと構わないとすら思っていた。
けれど今は、その菫も愛しみたい。野に咲く薄紫の花を大事にしたい。
僕をこの世につなぎ止めた花。
「彼女には、全てを話すよ。そして、許してもらえるなら、彼女に愛を乞いたい」
その力を利用しようとしていたこと。それを許してくれるなら。彼女が笑ってくれるなら。
その時初めて、「生きていてよかった」と実感できる気がする。
* * * *
――桜花を守るために、あの強力が欲しくて美濃から呼び寄せたのに。
立ち聞きしてしまったその言葉に、息が止まりそうになる。
あの強力?
欲しくて?
(安積さまは、わたしの力のことをご存知だったの?)
桜花さまを守るために。そのために、わたしの強力が欲しかったの?
のぼせ上がってた血が、一気に足元に押し下げられる感覚。
(じゃあ、今までずっとわたしを利用してたの?)
桜花さまを守るために。そのためだけにわたしを呼び寄せた。
それはいい。
わたしだって、桜花さまをお守りしたいと思ったから。
けど。
(今までのことも全部そのためだったの?)
耳の奥がキーンと鳴って、目の前が暗くチカチカしてくる。
安積さまがわたしをからかったのも、好いたようなことをおっしゃったりしてたのも、わたしが忠実に桜花さまを守るように仕向けるため? 気持ちよくおだてておけば、わたしが桜花さまを守るとでも思われてたの?
(バカみたい……)
まんまとその口車に乗せられてた。
力を求められて呼ばれたのに。いいように利用するため口説かれてたのに。
それを真に受けてた。安積さまにときめいてた。
(バッカ……みた、い……っ!)
目元がどうしようもなく熱くなって、うつむいた拍子に涙がポタポタと落ちていく。
悔しい?
憎い?
腹立たしい?
それとも、悲しい?
よくわからない。よくわからないけど、歯を食いしばって嗚咽をこらえる。
「おい、どうしたんだよ菫野」
盆に薬湯を乗せて運んできた孤太。
「アンタのせいよ!」
心配そうにわたしを見るその目に、感情が爆発した。
「アンタなんて助けなきゃよかった!」
「菫野?」
「アンタなんて、アンタなんてっ!」
ヒドいことを言ってる。頭の奥深くでその自覚はあるのに、言葉は止まらない。
「こんな力なんて欲しくなかった! アンタなんか狐汁にされてしまえばよかったのよ!」
「菫野?」
「女房どの?」
わたしの声に、室のなかにいた安積さまたちまで、何事かと顔を出す。
「――――っ!」
「おい、菫野!」
孤太の制止もきかず、顔をグイグイ拭きながら庭に駆け出す。
もうやだ。
何もかも。
泣いてる自分も。メチャクチャな自分も。
何もかも、全部、ヤだ。
力の限り走って、塀を乗り越え、外に飛び出す。
「菫野!」
もう何も聞きたくない。
その声に、意識が覚醒する。
眩しい光の差し込む寝所。その端で、柱にもたれて腕組み座る少年。
「きみは、確か、菫野の――」
「小舎人童だ」
そうだ。
彼女に仕える少年。
「それよりアンタ、具合の悪いとことかねえか?」
「ああ。それは大丈夫だ。問題ない」
なぜここに彼がいるのだろう。真成はどこに行った?
ぼんやりした思考をハッキリさせたくて、手を動か――重い。
「えっ!?」
腕の先、僕の手をしっかり握って転がる菫野。倒れたのかと思ったけれど、聞こえてくるのは、気持ちよさそうな寝息だった。
「アンタが倒れてから、ずっと看病し続けてたんだよ」
少年が言いながら立ち上がる。
「僕はどれぐらい寝込んでいたんだ?」
「三日」
「三日!?」
そんなに長く?
「アンタが目を覚ますまで、絶対寝ねえって騒いでからな。さっき無理やり眠らせたんだ」
よっこらしょっと、少年が眠りこけた菫野を肩に担ぎ上げる。ズルリと抜け落ちた手のひら。吹いた風に冷たさを感じる。
「アンタも、もう少し寝てろ。もう問題ねえだろうけど、人間ってのは、大したことなくても、アッサリ死ぬこともあるからな。ちゃんと用心しておけ」
「きみは、不思議なヤツだな」
「そうか?」
「ああ」
人の生死を突き放して見ているような言い方。
「なあ、宮さんよ。アンタ、コイツのこと、どう思ってる?」
「どうって。――好きだよ」
突然の問いかけに、一瞬どう言おうか悩んだけど、出してみればとても単純で、それでいて揺るぎない言葉になった。
好き。
それ以上でもそれ以下でもない。
「そっか」
少年が深く息を吐く。
「なら、いいや」
その言葉を最後に、少年が姿を消した。彼女を休ませるため、曹司に向かったのだろうか。それにしては素早い身のこなしだと思うが。
(好き――か)
改めて自覚した感情。
その気持ちに、もう大丈夫なはずの胸が、心地いい痛みに締め付けられた。
* * * *
フンフンフフンフン~。フフフンフ、フンフフン~。
自然とこぼれる鼻歌。
フンフ、フンフ、フッフンフ~。
「なんだよ、気持ちわりいな」
薬を用意するわたしの横で、孤太が顔をしかめる。
「なんとでも言ってなさいよ~だ」
今のわたしは機嫌がいい。何を言われても、特に気にしない。
安積さまが目を覚まされた。
それだけで心が弾んで、ソワソワと浮き立ってくる。
あの夜、急変した容態。呪詛と毒が原因だってわかった時の絶望。
中将さまの持ってきてくださった解毒の薬と、孤太が呪詛を払ってくれたおかげで、三日かかったけど、安積さまはようやく体調を取り戻された。
予断は許されないかもしれないけど、それでも安積さまが目を覚まされたことは、鼻歌が出ちゃうぐらいにうれしい。
「そういや孤太。さっき表のほうが騒がしかったけど、なんかあったの?」
「ああ。あの帯刀が帰ってきたんだよ」
「帯刀が?」
桜花さまのもとに道具を届けに行ってた帯刀。
その彼が戻ってきてるのなら、桜花さまのご様子を聞くことができるかもしれない。
「ねえ、孤太、早くお湯を沸かして!」
帯刀なら、きっと安積さま元にいる。早く薬湯をお持ちして、そこにいる帯刀から桜花さまのことを訊きたい。
「無茶言うなよ。ってか、アンタの方は薬を用意できたのか?」
「やってるわよ!」
ゴリゴリと薬種を鉢で砕く。ゴリゴリ、ゴリゴリと。ゴリゴリゴリゴリ、ゴリゴリゴリゴ――バキッ!
「あっ!」
「力の入れすぎなんだよ、アンタは」
「――ごめん」
ハアッと、深いため息を吐いて、孤太が、割れた鉢と散らばった薬種を拾い集めてくれた。
「後で、オレが届けてやるから。アンタは先に宮さんのとこに行ってろ」
「うん」
急いだ理由は、お見通しだったんだろう。後のことは孤太に任せて安積さまのもとに向かう。
後で、お礼にお菓子を用意してあげよう。
そんなことを思いながら。
* * * *
「――そのようなことが」
「でも彼女のおかげで助かった」
話を聴き、青ざめた真成に頷いてみせる。
「不思議な子だよ、彼女は」
とんでもない強力の持ち主なのに、とても華奢な体つき。
クルクル変わる感情、裏表のない表情。
死の淵に立った僕をこの世に呼び戻した不思議な力の持ち主。
「――解毒の薬は、近衛中将が持ってきたと言っていたけど」
「中将どのが?」
「ああ」
先の左大臣の息子がどうして。
先の左大臣は、僕を亡き者にしたい人物の筆頭。その息子がどうして僕を助けるのか。
真成でなくても疑問に感じる。
毒を盛ったのは、左大臣一派ではないのか。
「それにしても。僕まで彼女に助けられるとは思わなかったよ」
「宮……」
「桜花を守るために、あの強力が欲しくて美濃から呼び寄せたのに」
フウッと、深い息を天井に向けて吐き出す。
「なあ、真成。僕が彼女を好きだって言ったら驚くかい?」
「それは……」
「春の空を見上げて、満開に咲く桜を散らさぬように守ろうとして、野に咲く菫を踏みにじろうとしていたのにね」
皮肉っぽく笑う。
菫野の強力が欲しくて美濃から呼び寄せた。桜花を守るためと言えば聞こえがいいが、そのためなら、菫野がどうなろうと構わないとすら思っていた。
けれど今は、その菫も愛しみたい。野に咲く薄紫の花を大事にしたい。
僕をこの世につなぎ止めた花。
「彼女には、全てを話すよ。そして、許してもらえるなら、彼女に愛を乞いたい」
その力を利用しようとしていたこと。それを許してくれるなら。彼女が笑ってくれるなら。
その時初めて、「生きていてよかった」と実感できる気がする。
* * * *
――桜花を守るために、あの強力が欲しくて美濃から呼び寄せたのに。
立ち聞きしてしまったその言葉に、息が止まりそうになる。
あの強力?
欲しくて?
(安積さまは、わたしの力のことをご存知だったの?)
桜花さまを守るために。そのために、わたしの強力が欲しかったの?
のぼせ上がってた血が、一気に足元に押し下げられる感覚。
(じゃあ、今までずっとわたしを利用してたの?)
桜花さまを守るために。そのためだけにわたしを呼び寄せた。
それはいい。
わたしだって、桜花さまをお守りしたいと思ったから。
けど。
(今までのことも全部そのためだったの?)
耳の奥がキーンと鳴って、目の前が暗くチカチカしてくる。
安積さまがわたしをからかったのも、好いたようなことをおっしゃったりしてたのも、わたしが忠実に桜花さまを守るように仕向けるため? 気持ちよくおだてておけば、わたしが桜花さまを守るとでも思われてたの?
(バカみたい……)
まんまとその口車に乗せられてた。
力を求められて呼ばれたのに。いいように利用するため口説かれてたのに。
それを真に受けてた。安積さまにときめいてた。
(バッカ……みた、い……っ!)
目元がどうしようもなく熱くなって、うつむいた拍子に涙がポタポタと落ちていく。
悔しい?
憎い?
腹立たしい?
それとも、悲しい?
よくわからない。よくわからないけど、歯を食いしばって嗚咽をこらえる。
「おい、どうしたんだよ菫野」
盆に薬湯を乗せて運んできた孤太。
「アンタのせいよ!」
心配そうにわたしを見るその目に、感情が爆発した。
「アンタなんて助けなきゃよかった!」
「菫野?」
「アンタなんて、アンタなんてっ!」
ヒドいことを言ってる。頭の奥深くでその自覚はあるのに、言葉は止まらない。
「こんな力なんて欲しくなかった! アンタなんか狐汁にされてしまえばよかったのよ!」
「菫野?」
「女房どの?」
わたしの声に、室のなかにいた安積さまたちまで、何事かと顔を出す。
「――――っ!」
「おい、菫野!」
孤太の制止もきかず、顔をグイグイ拭きながら庭に駆け出す。
もうやだ。
何もかも。
泣いてる自分も。メチャクチャな自分も。
何もかも、全部、ヤだ。
力の限り走って、塀を乗り越え、外に飛び出す。
「菫野!」
もう何も聞きたくない。
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