筋肉乙女は、恋がしたい! ~平安強力「恋」絵巻~

若松だんご

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三、美濃の強力娘、宇治の荘にて琴を爪弾くの語

(五)

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 あっふ……。

 何度目かの、あふれるアクビを噛み殺す。
 延々と続く偉いお坊さん、阿闍梨? の読経。
 よいお声だと思うし、御仏にお参りするのは、功徳タップリ、来世もこれで安心! なんだろうけど。

 (ね、眠い……)

 信心深そうにするため、手と手を合わせて数珠なんかを持って拝んでるフリをするんだけど。
 御仏とのご縁が深くなるより先に、上瞼と下瞼のご縁が深くなりそう。瞼と瞼は比翼の鳥だ、連理の枝だ。くっついたら二度と離れない、愛しい愛しい恋人同士。

 (中途半端に起きちゃったからなあ)

 昨夜の琴の練習。
 一人でコッソリ練習しようと思ってたのに、なぜか安積さまに指南してもらうことになって。
 月明かりの下、蓮の花を眺めながらの箏を弾く。下手くそすぎるわたしのために、安積さまが、わたしの後ろから手を取って教えてくださって。弦が切れたせいで怪我したわたしの指を、指を――、ちちち、チュ、チュッて――!

 ボボンッ!

 思い出しただけで、頭から湯気が出そう。そして、愛しい恋人瞼は離ればなれで、一気に目が覚める。
 これまでの人生で、父さまと孤太以外、あんな風に近づいてきた男性はいなくって。だから、あんな風にされたら、誰でもひっくり返っちゃうって。
 あの後、孤太がわたしを室に運んで寝かせてくれたらしいんだけど。妙な時に寝ちゃったせいか、朝が微妙に早起きになっちゃって。その結果が、この眠気。
 ちょっと眠いな~ってところに、よくわからないお経。お堂には、川からの涼しい風が時折吹いて。
 これは、「さあ、お眠りなさい」っていう御仏のささやきかしら。立っていようが座っていようが、数珠を手に拝んでるふりをしていようが、グッスリ眠れそう。
 あ~、もうダメ。
 眠りがわたしを呼んでいる……。

 「コレッ、美濃! しっかりなさい!」

 フガッ? え、なに?
 落ちかけた意識を取り戻して、あたりをキョロキョロ見回す。その先にあったのは、わたしが倒れかけたのだろう。すっごく不機嫌な命婦さまのお顔。
 
 いけない、いけない。
 寝ちゃダメだ。今はありがた~い読経の最中。命婦さまにもたれかかって眠るなんて、もってのほか。
 軽く首を振って、目を覚ます。
 こういう時は、あれだ。なにか目の覚めるようなことを考えよう。うん。
 ってことで、そのネタを思い起こす。
 そうだなあ。考えるとしたら、一番気にかかること、気にすべきことかなあ。
 今日か明日の演奏会が、今のところ、一番気にかかる。
 一応、曲がりなりにも練習はしたけど、だからって聴いて惚れ惚れするような腕になったかと言えば、そうじゃない。怨霊呼び寄せが、まあ聴いていられるわね(苦笑)になった程度。爆発的に上達したわけじゃない。

 (わたしの知ってる曲を選んでいただけたらいいんだけどなあ)

 もしくは、わたしでも弾ける曲。
 
 (安積さまは、わたしの腕の程度をご存知だから、そんな無茶は要求してこないだろうけど)

 さすがに。さすがに、難曲を弾かせるなんていじわるはしないよね?
 もしそんなことしてきたら、桜花さまの御前だろうがなんだろうが、怨霊呼び寄せちゃうからね?
 昨夜の指の怪我は、もう治ってる。孤太が、妖力を使って治してくれた。元通りの指先。いつでも怨霊呼び寄せられるんだから。

 チュッ……。

 (え? あ……)

 元通りの指先に、昨日の感触が蘇る。
 少し強引にわたしの手を引っ張った安積さま。そのまま目を閉じると、プクッと膨らんだ血の球に唇を寄せて。

 ボボボボンッ!

 あ、ダメだ。
 頭クラクラしてきた。
 考えちゃダメ。思い出しちゃダメ。
 思い出したら、考えたら、頭がグラグラ煮えちゃうじゃない。
 なのに、なのに、なのにぃぃ……っ!

 「今日は少し暑いわね」
 「そうね」

 となりの命婦さまが、手で顔を仰ぐ。涼しい川風が吹いているのに。首をかしげる先輩方だけど。 

 (それって、わたしが、カッカしてるから?)

 なんか申し訳なくて、首をすくめる。

 「クスッ……」

 そのやり取りに気がついたのか、前の方で手を合わせていらっしゃった安積さまがふり返る。なんか意味ありげな笑みつき。

 「暑いわね~」

 すみません、先輩方。
 眠気は覚めましたが、のぼせる頭は鎮まりそうにありません。

*     *     *     *

 そして迎えた夜。
 迎えたくなくても迎えちゃった夜。演奏会。
 大丈夫、大丈夫。
 昨日、あれだけ教えていただいたんだし。思い出すと全然大丈夫じゃなくなくるけど、それでもなんとか大丈夫。
 怪我は、孤太に治してもらったし。あとは平常心だけ取り戻せれば、大丈夫。
 ゴクリと息を呑んで挑んだ泉殿――だったんだけど。

 「久しぶりに、桜花、合わせてみないかい?」

 安積さまがいっしょに演奏する相手に、桜花さまを選ばれた。

 「彼女は、指を怪我していてね、無理はさせられないから」

 つけ加えるように、安積さまが説明なされた。
 安積さまの説明に、中将さまが「おや」って顔をなさったけど、桜花さまが「わたくしでよろしければ喜んで、兄さま」ってお答えなさったので、それ以上追求されることはなかった。
 これで演奏せずにすむ、聴いてればいいだけだもん、よかった~って。

 (え――っ!?)

 一瞬、琵琶を手にされた安積さまと目が合う。意味ありげな視線、再び。お堂のときといい、今といい、いったい何? そして、どうしてわたしの心臓はこんなにうるさいの?
 よくわからなくて、怪我した(ことになってる)指を抱きしめる。
 
 安積さまが琵琶、桜花さまが琴の琴、そして中将さまが笛。
 お三方が入ると、それだけで泉殿は満員になってしまうので、わたしたち女房はそこに続く渡殿に座ることになる。
 というか、あの空間はズカズカ入っちゃいけない聖域だと思うのよ。
 昨日と変わらず降り注ぐ白い月の光。桃色の蓮の花は美しく水面に影を濃く落とす。その影を時折かき乱す夏夜の風。風が載せるは雅な調べ。奏でるは、華やかな中将さまと、愛らしい桜花さま。それと清らかに美しい安積さま。
 眼福、耳福。
 わたし、あの中に入って演奏しなくて、ほんと良かった。天人すら舞い降りて聴きに来そうな演奏に、わたしなんかが混じったら、天人、耳を押さえて逃げ帰っちゃうわよ。
 一緒に腰掛けて音に聴き入る先輩方。誰も、感想を述べたりしない。感想すら出てこないほど素晴らしいってのと、感想を述べることで聴きそびれることを惜しんでいるのだろう。わたしがそうだもん。
 ずっと見ていたい。ずっと聴いていたい。
 でも。

 どうしてかな。
 琵琶を奏でられる安積さまから目が離せない。愛らしい桜花さまを見ていたいのに、奏でられる音に聴き入っていたいのに。
 薄く目を閉じたかと思えば、軽く桜花さまや中将さまに合図を送られる安積さま。絃を押さえる指、琵琶を抱えて座す姿。その一つ一つの動きから目が離せない。
 いったいわたし、どうしちゃったんだろう。
 どうしようもなく、心臓がバクバクして胸が痛い。
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