上 下
13 / 35
三、美濃の強力娘、宇治の荘にて琴を爪弾くの語

(三)

しおりを挟む
 「へえ、蓮の花……ねえ」

 夜、ようやく局に訪れた孤太に、庭の花のことを話す。

 「というか、アンタは見てないの?」

 「見てないって。こっちは船で優雅にドンブラコしてたわけじゃねえ。船着き場で牛を下ろしたり、荷を運んだりで大変だったんだぞ」

 だから、こんな暗くなるまでかかった。
 疲れてるのだろう、孤太が少しだけ不機嫌になる。

 「でもさ、蓮なんか育ててどうするんだ? 根でも掘り返して食べるのか?」

 「は? 違うわよ」

 アンタ、わたしの話を全然聞いてなかったでしょ。

 「じゃあ、実を取り出すのか?」

 蓮の実は蓮の実餡にしてお菓子に使ったり、薬種としての効用も期待できるけど。

 「違うってば。池の蓮は、観賞用に植えられてるの」

 多分、極楽を表現するために。間違っても、食用とするためじゃない。

 「ふぅん。人間って、よくわからねえもののために手間ひまかけるよなあ」

 ドタッと腕を枕に、仰向けに寝転がった孤太。
 
 「アンタに理解できなくても、人間が生きてくためには、〝風趣〟ってものが必要なのよ」

 「そんなもんかねえ」

 「そんなもんよ」

 まあ、わたしにも完璧に理解できてるかって言われると怪しいけど。蓮の花を愛でるのはいいとして、その先は孤太と同じで、実とか根とか利用したらいいと思う。

 「ねえ、それよりさ。箏の琴を用意してちょうだい」

 「箏ぉ!? 今から弾くつもりなのかよ」

 「当たり前でしょ。もう時間がないのよ」

 おそらくだけど、演奏会は、明日の夜か明後日の夜。日中は練習することできないんだから、今やっておかないと。

 「夜にやるって。怨霊呼び寄せてるって騒がれちまうぞ?」

 「大丈夫よ。そこの塗籠にこもって弾くから」

 わたし位割り当てられた曹司近くの塗籠。御簾で外と区切っただけの曹司と違って、扉と壁に囲まれた塗籠なら音もそこまで響かないと思う。

 「そんなに気になるなら、アンタが音を隠してよね」

 「オレが?」

 「できないの? 妖狐の力でそういうこと」

 「できるけどさあ。そうすっと、オレは一緒に塗籠にこもらなきゃいけなくなるじゃん」

 「ダメなの?」

 別にわたしとアンタがこもったって、いけないことないわよ?
 誰か公達とかなら、まあ、そういう噂もたてられるかもしれないけど。召し使ってる小舎人童と女房じゃ、特に問題ないでしょ?

 「オレの耳がどうにかなる。頭がおかしくなりそう」

 「なに? ケンカ売ってるの? お買い上げするわよ?」

 「買うな。アンタの強力で殴られたら、オレ、ペッチャンコになっちまう」

 作った拳にハーッと息を吹きかけたら、あわてたように孤太が箏を用意し始めた。
 そうよ。最初っからそうやって従順だったらいいのよ。まったく。

 箏を孤太に持たせて塗籠に向かう。一度、簀子の縁に出なきゃいけないけど、そう遠い場所でもないし、誰にも見られることな――くはなかった。

 「おや。こんな夜更けにどこに?」

 バッタリ出くわしたのは、なんと安積さま。と、その帯刀。
 口元に蝙蝠かはほりをあて、わたしだけじゃなく、その後ろの孤太と箏までバッチリ見られる。

 「えっと……。なかなか寝つけないので、箏の琴でも奏でようかと」

 嘘はついてない。嘘は。
 寝つけない理由が、一般とちょっと違うだけで。
 普通なら、「ふだん、家の奥深くで暮らしてるから、こうして旅に出て、いろんなものを見て、興奮して寝つけない」なんだろうけど、わたしの場合は「明日かもしれない演奏会が不安で寝つけそうにない」だけで。「寝つけない」ことに嘘はない。

 「では、ご一緒に、いかがですか?」

 「え?」

 「僕も寝つけなくて。蓮でも眺めながら、少し心を落ち着けようと、泉殿に向かってたところなんですよ」

 あ、なるほど。
 どうしてアナタはこんなところに?
 その謎が解けた。
 わたしたち女房に割り当てられた曹司の前は、ちょうど泉殿の向かう通路にあたる。それに、安積さまの後ろに控える帯刀。こんな屋敷の中じゃあ、帯刀付きで夜這いには行かないわよね。帯刀を連れているのは、護衛というより、ちょっとした語り相手として連れていたんだろう。

 「では参りましょうか。月明かりに照らされた蓮と、箏の琴の調べ。格別なひとときを過ごせそうです」

 いや、待って。
 なんで行くことが決定してるわけ?
 わたしが行きたいのは、塗籠であって泉殿。
 蓮の花より、琴の練習ぅぅぅぅっ……。
 言いたいの。でも言えないの。
 言ったら確実大爆笑。
 そして、言えないままに泉殿到着。

 「……うわぁ」

 目の前に広がる蓮池に、思わず声が上がる。
 今日は満月に近い月。
 その煌々とした光に浮かび上がる薄桃色の蓮の花。池の水は、銀色にさざめく。遠くの山の稜線は黒く、月夜の空との境界を、クッキリ浮かび上がらせる。池から吹く風は涼しくて、旅で疲れてる体に心地いい。
 日中は、極楽もかくやとばかりの光景だったのに、今は、夏の夜の静謐とした美しさを際立たせている。
 こ、これは確かに、箏が似合うだろう場所だけど。
 だけど、それは一流の手による演奏ならって話しで、わたしなんかの手だと、その……。

 「どうしたの?」

 孤太が箏を下ろしても、「さあどうぞ」とばかりに場所を空けて安積さまが座っても。立ちすくんだわたしに、安積さまが声をかけた。

 えっと。
 どうしよう。

 このまま座って、「じゃあ一曲」ってやる? わたしの「怨霊を呼び寄せそうな」腕で?
 孤太に、音が漏れないように結界みたいなのを張ってもらうのならともかく、こんな間近で弾いたりしたら。帯刀は踏ん張ってくれるかもしれないけど、おそらく安積さまは悶絶、泡吹いてぶっ倒れるかもしれない。
 弾く? 弾かない? どうする? どうしたらいい? どうするのが正解?

 「あ、あのっ! わたし、実はっ……!」

 ええーい、ままよ!

 「実は、琴とかあまり上手じゃなくって、それで一人練習しようと思ってたんです!」

 どうせすでに笑われてるんだし。一回笑われようが、百回笑われようが同じことでしょうが!
 悶絶させるより、洗いざらい話して呆れられたほうが百倍マシ! 

 「練習?」

 「お前の演奏はその……、怨霊を呼び寄せると言われたもので……」

 ゴニョゴニョ、ブツブツ。
 口をとがらせ、言った本人を、チラリとふり返る。

 「怨霊……」

 一瞬、目を丸くした安積さま。けど。

 「おっ、おん、りょうっ……!」

 ブハッ。
 笑いが爆発した。
 背を丸め、アハハハッと笑い続ける。

 (こんなのだから、恋愛とは程遠いのよ)

 中将さまだけでなく、桜花さまも期待なさってたみたいだけど、こんなふうに爆笑されて、恋愛が発展するわけないじゃない。
 そして、白状したせいで、またからかいのネタにされるんだろうな。
 まあ、もうどうにでもなれって感じだけど。
 どれだけ笑われても、怒る気力もなくて、フンッと鼻だけ鳴らしておく。

 「す、すまない。ちょっとおかしくって……」

 謝罪とともに、体勢を立て直した安積さま。ハアッと息を吐き出し、目尻を拭いて笑いを収める。

 「ねえ、それなら一緒に弾いてみないか?」

 へ?

 「僕で良ければ、箏を教えるけど、どう?」

 なっ、なんですとっ!?
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

平安☆セブン!!

若松だんご
ファンタジー
 今は昔。竹取の翁というものあらずとも、六位蔵人、藤原成海なるものありけり。この男、時に怠惰で、時にモノグサ、時にめんどくさがり。  いづれの御時っつーか今、女御、更衣あまた候ひ給わず、すぐれて時めき給ふ者もなし。女御なるは二人だけ。主上が御位にお就きあそばした際に入内した先の関白の娘、承香殿女御と、今関白の娘で、新たに入内した藤壷女御のみ。他はナシ。    承香殿女御は、かつてともに入内した麗景殿女御を呪殺(もしくは毒殺)した。麗景殿女御は帝に寵愛され、子を宿したことで、承香殿女御の悋気に触れ殺された。帝は、承香殿女御の罪を追求できず、かわりに女御を蛇蝎のごとく嫌い、近づくことを厭われていた。    そんな悋気満々、おっそろしい噂つき女御のもとに、才媛として名高い(?)成海の妹、藤原彩子が女房として出仕することになるが――。  「ねえ、兄さま。本当に帝は女御さまのこと、嫌っておいでなのかしら?」  そんな疑問から始まる平安王朝っぽい世界の物語。  滝口武士・源 忠高、頭中将・藤原雅顕、陰陽師・安倍晴継、検非違使・坂上史人。雑色・隼男。そして承香殿女房・藤原彩子。身分もさまざま、立場もさまざま六人衆。  そんな彼らは、帝と女御を守るため、今日もドタバタ京の都を駆け巡り、怠惰な成海を振り回す!!  「もうイヤだぁぁっ!! 勘弁してくれぇぇっ!!」  成海の叫びがこだまする?

WEAK SELF.

若松だんご
歴史・時代
かつて、一人の年若い皇子がいた。 時の帝の第三子。 容姿に優れ、文武に秀でた才ある人物。 自由闊達で、何事にも縛られない性格。 誰からも慕われ、将来を嘱望されていた。 皇子の母方の祖父は天智天皇。皇子の父は天武天皇。 皇子の名を、「大津」という。 かつて祖父が造った都、淡海大津宮。祖父は孫皇子の資質に期待し、宮号を名として授けた。 壬申の乱後、帝位に就いた父親からは、その能力故に政の扶けとなることを命じられた。 父の皇后で、実の叔母からは、その人望を異母兄の皇位継承を阻む障害として疎んじられた。 皇子は願う。自分と周りの者の平穏を。 争いたくない。普通に暮らしたいだけなんだ。幸せになりたいだけなんだ。 幼い頃に母を亡くし、父と疎遠なまま育った皇子。長じてからは、姉とも引き離され、冷たい父の元で暮らした。 愛してほしかった。愛されたかった。愛したかった。 愛を求めて、周囲から期待される「皇子」を演じた青年。 だが、彼に流れる血は、彼を望まぬ未来へと押しやっていく。 ーー父についていくとはどういうことか、覚えておけ。 壬申の乱で散った叔父、大友皇子の残した言葉。その言葉が二十歳になった大津に重く、深く突き刺さる。 遠い昔、強く弱く生きた一人の青年の物語。 ――――――― weak self=弱い自分。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

青い祈り

速水静香
キャラ文芸
 私は、真っ白な部屋で目覚めた。  自分が誰なのか、なぜここにいるのか、まるで何も思い出せない。  ただ、鏡に映る青い髪の少女――。  それが私だということだけは確かな事実だった。

陰陽怪奇録

井田いづ
キャラ文芸
都の外れで、女が捻り殺された──「ねじりおに」と呼ばれ恐れられたその鬼の呪いを祓うは、怪しい面で顔を覆った男と、少年法師の二人組。 「失礼、失礼、勝手な呪いなど返して仕舞えば良いのでは?」 物理で都に蔓延る数多の呪いを"怨返し"する、胡乱な二人のバディ×異種×鬼退治録。 ※カクヨム掲載の『かきちらし 仮題陰陽怪奇録』の推敲版です。

白蛇の花嫁

しろ卯
キャラ文芸
戦乱の世。領主の娘として生まれた睡蓮は、戦で瀕死の重傷を負った兄を助けるため、白蛇の嫁になると誓う。おかげで兄の命は助かったものの、睡蓮は異形の姿となってしまった。そんな睡蓮を家族は疎み、迫害する。唯一、睡蓮を変わらず可愛がっている兄は、彼女を心配して狼の妖を護りにつけてくれた。狼とひっそりと暮らす睡蓮だが、日照りが続いたある日、生贄に選ばれてしまう。兄と狼に説得されて逃げ出すが、次々と危険な目に遭い、その度に悲しい目をした狼鬼が現れ、彼女を助けてくれて……

【完結】失くし物屋の付喪神たち 京都に集う「物」の想い

ヲダツバサ
キャラ文芸
「これは、私達だけの秘密ね」 京都の料亭を継ぐ予定の兄を支えるため、召使いのように尽くしていた少女、こがね。 兄や家族にこき使われ、言いなりになって働く毎日だった。 しかし、青年の姿をした日本刀の付喪神「美雲丸」との出会いで全てが変わり始める。 女の子の姿をした招き猫の付喪神。 京都弁で喋る深鍋の付喪神。 神秘的な女性の姿をした提灯の付喪神。 彼らと、失くし物と持ち主を合わせるための店「失くし物屋」を通して、こがねは大切なものを見つける。 ●不安や恐怖で思っている事をハッキリ言えない女の子が成長していく物語です。 ●自分の持ち物にも付喪神が宿っているのかも…と想像しながら楽しんでください。 2024.03.12 完結しました。

処理中です...