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三、美濃の強力娘、宇治の荘にて琴を爪弾くの語
(一)
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内親王さまのお出かけ。
ご一緒に親王さまと、左大臣家の子息である近衛中将さままで一緒に参られるとなると、ちょっとそこまで避暑にであっても、まあ、華々しくて仰々しくて、しばらく都の語り草になりそうな、もんのすごい行列が作られるのよ。
前駆けの馬。後駆けの馬。随身。先触れの侍。荷運びの雑色、舎人。
いつもの静かな桐壺はどこ行ったってぐらいに騒々しくなって。
で、一番にぎやかだったのが、先輩女房方よ。
自分たちはお留守番をくらうのではないか、ちょっと出かける程度だから、連れて行くのはわたしだけじゃないのかって思ってたらしく。(だって迎える山荘にも左大臣家で召し使ってる女房がいるだろうし、招かれたほうがたくさん連れていくのは変でしょってこと)
中将さまから、「みなさまもどうぞ」って言われて、網代車を用意していただけるってわかったら、もう。新しいわたしの扇がどうたらこうたら。こんなことなら、もっと前から衣を用意しておけばよかったとかなんとか。
涼みに行くのが目的で、衣装がどうとか関係無いような気がするけど、先輩方はそうじゃないみたい。桜花さまのご用意より、自分のことばっかり気にしてらしたし。――宇治で誰か見初めてもらおうって魂胆? な気がしてくるぐらい。安積さまか中将さまと、まさかのそういうことがあるかもとか思ってる? それかフラリと山荘に立ち寄るかもしれない、まだ見ぬ公達。(現れるかどうかは不明)
「なるべく目立たぬように」
そうおっしゃった安積さま。
用意された一両目の牛車には、わたしと桜花さま。二両目には命婦さまと先輩女房方。
そして、馬上に安積さまと近衛中将さま。
安積さまが、仰々しい列は好きじゃないとおっしゃって馬に跨がられたので、中将さまだけ牛車に乗るわけにもいかなくて。結局お二人が、牛車の両脇を固めるように馬で歩まれることになったんだけど。
(そっちのが人の目を集めちゃってるっての)
だってねえ。
安積さまと中将さま。
当代一、二を争う若くてかっこいい公達よ?
お二人で青海波を舞われたら、天人が目をつけて、攫っていきそうなほどかっこいいんだよ?
そのお二方が、キリッと凛々しく馬に乗っておられたら。誰だって見とれてしまうし、なんなら一目見ようと駆けつけちゃうわよ。
「あのお二人が警固なさる牛車には、どなたが乗り合わせておられるのか」
「あのお二人に大事にされるのだから、よほどの麗人に違いない」
「乗っておられるのは姫宮と、お仕えする女房だそうだ」
「簾の下の出衣の重ねも品があっていい。さぞ雅でお美しい方なのだろう」
「ありがたや~、ありがたや~。良いものを見せてもろうた~、寿命も伸びる思いじゃ~」
なんて声も聞こえてくる。
うん。守られるように揺られる牛車でさ、桜花さまがそれに相応しいだけの愛らしい姫であることは認めるよ? 兄宮に球のようにいつくしまれて、中将さまが愛し求められる姫宮って。
でも実際は違う。
中将さまは、桜花さまより安積さまを狙ってるみたいだし。安積さまは、桜花さまは大事になさってるけど、一緒に乗り合わせてるわたしのことは、からかいの対象にしか見ていない。
想像して噂をするのは勝手だけど、真実を知ってる自分には、少々気が重い。
これで、ちょっと顔を見せたりして、「なんだ、守られるほどの美人じゃねえや」「出衣詐欺じゃ」ってガッカリされたら。……はあ。
「どうしたの、菫野。宇治は気乗りしない?」
「あ、いえ。そんなことはないです。とっても楽しみです」
しまった。わたしの(心のうちの)ため息を聞かれたか。いかんいかん。「宇治、とっても楽しみ~。自然いっぱいっていいよね~、ワクワク」って顔をしておかなくっちゃ。
美味しいお魚とか山菜とかもありそうだし。青々とした山とか、広い空とか、川の流れとか。桐壺の作られ切り取られた自然じゃなくて、美濃を彷彿とさせるような、大自然を味わえるのは、楽しみっちゃあ楽しみなんだけど。けど……。
(自然を楽しんだ後は……ねえ)
皆さまお待ちかね! の楽の演奏会。
中将さまのあの話しぶりからするに、行われるのはおそらく夜。
宇治に到着した初日、今日はみんな疲れているだろうから行われないだろうけど。やるとしたら明日の夜か、明後日の夜か。五日目の朝には宇治を出立するのだから、行われるなら、二日目か三日目の夜が有力。
つまり。
わたしが上達するまでの猶予期間は、あと一日か二日。
桐壺でも琴とか笛とかさんざん練習したんだけど、その度に「生霊の嘆き声」「怨霊を呼び寄せるような音」だとかで、侍はやってくるし、隣の曹司からお経を唱える声が聞こえてくるし、孤太は腹を抱えて笑い転げるし。なんか散々すぎる言われ方ばかりで、あんまり練習できてない。
ここは一つ、寸暇も惜しんで、練習に励まねば。
宮さま方の前で怨霊は呼び寄せられないし。恥もかきたくない。
下手なのはどうしようもないけど、人並みに弾けるようになっておかなきゃ。
ってことで。
「どうしたの? 手を広げたりして」
わたしの行動に、桜花さまが首を傾げる。
「箏の琴の練習をしてるのです」
「箏?」
「はい。中将さまからのお誘いをお断りすることは出来ませんので」
管弦で遊ぶって言ったら、普通女性は琴か琵琶だけど、琵琶は怨霊を呼び寄せそうなので、わたしがやるの琴一択。それも手軽な箏の琴。そもそも琵琶ってのは、その場で一番偉い方が弾くものだし。
ということで、目の前に箏の琴があると想定して。見えない絃をかき鳴らしております。ベベベベベンッ……。(余韻)
「あら、それなら、兄さまに習ったらいいのでは?」
「は?」
ベベベボボンッ。見えない絃が怨霊を呼び寄せかけた。
「兄さま、琵琶もだけど、箏の琴もお上手なのよ。わたくしも昔、よく教えていただいたものだわ」
え、えーっと。そ、それはぁ……。
「菫野は、兄さまのこと、お嫌い?」
え、ええーっと。
ちょっと悲しそうなお顔の桜花さま。
「あの、えっと。そうではなくて……。その……」
必死に目を泳がせて言い訳を探す。「嫌いですよ、わたしをからかってくるんだもん」って言えたら一番いいんだけど、そういうわけにはいかないよね。
「宮さま手づからお教えいただくのは、その……おこがましいというかなんというか」
桜花さまを悲しませずに、上手く言い繕う方法……。
「宮さまにお教えいただくなど。わたし、うれしすぎてどうにかなってしまいそうです」
そういうことにしておこう。
かっこいい宮さまに寄り添われて、箏の琴など教えられたら。うん。これ、卒倒案件じゃない? 好き嫌い関係なしにぶっ倒れそう。
「あら、いいじゃない。兄さまと寄り添って、仲睦まじく箏の琴を奏でる菫野。想像するだけで、ため息が出そうなほど素晴らしいわ」
「うえええっ!? ……おっ、桜花さま?」
ホウッと息を吐き出された桜花さま。まさか、本気でウットリしてる?
「菫野は兄さまの想い人なのでしょう?」
「はあっ!?」
「中将さまがおっしゃってたわよ。菫野は、兄さまが扇を贈られるほど大切にしてる相手だって。だから宇治では、二人だけの時間を作って差し上げましょうねって」
ななな、なんでそうなるっ!?
というか、話したの? あの中将。
安積さまがわたしに扇を贈ったこと、桜花さまは知らないはずだったのに。
(あの中将めぇっ!)
面白半分に吹聴してるんじゃないわよ! 二人だけの時間ってなによ! そんなもの要らないわよ!
「わたくし、あなたと兄さまの仲を応援してるのよ」
「――桜花さま。それ、思いっきり誤解ですから」
クスクス笑う桜花さまに、思わず声が低くなる。
「誤解?」
「そうですよ。わたしと安積さまの間にそういう感情は、いっさいございませんので!」
「そこまで力を込めなくても……」
「いえ。大事なことなので。わたしにとって安積さまは、『桜花さまの兄君』以上の何者でもありません」
「まあ……。それでは兄さまがかわいそうだわ。せめて、『心ときめく好ましい公達』にして差し上げて」
「いいえ。それは絶対ないです」
そりゃあ、見目好い方だとは思うけど。
でも、扇を贈って人をからかってくるような人、そういう対象からは大外れよ。
「ですから、桜花さまも中将さまみたいに、『宇治でなら、人目もないし、自由に恋を謳歌していいよ?』みたいなことはおっしゃらないでくださいまし」
それ、本当に迷惑でしかないから。
せっかくの遠出が楽しめなくなるから止めて。
演奏以上に気鬱のもと。
ご一緒に親王さまと、左大臣家の子息である近衛中将さままで一緒に参られるとなると、ちょっとそこまで避暑にであっても、まあ、華々しくて仰々しくて、しばらく都の語り草になりそうな、もんのすごい行列が作られるのよ。
前駆けの馬。後駆けの馬。随身。先触れの侍。荷運びの雑色、舎人。
いつもの静かな桐壺はどこ行ったってぐらいに騒々しくなって。
で、一番にぎやかだったのが、先輩女房方よ。
自分たちはお留守番をくらうのではないか、ちょっと出かける程度だから、連れて行くのはわたしだけじゃないのかって思ってたらしく。(だって迎える山荘にも左大臣家で召し使ってる女房がいるだろうし、招かれたほうがたくさん連れていくのは変でしょってこと)
中将さまから、「みなさまもどうぞ」って言われて、網代車を用意していただけるってわかったら、もう。新しいわたしの扇がどうたらこうたら。こんなことなら、もっと前から衣を用意しておけばよかったとかなんとか。
涼みに行くのが目的で、衣装がどうとか関係無いような気がするけど、先輩方はそうじゃないみたい。桜花さまのご用意より、自分のことばっかり気にしてらしたし。――宇治で誰か見初めてもらおうって魂胆? な気がしてくるぐらい。安積さまか中将さまと、まさかのそういうことがあるかもとか思ってる? それかフラリと山荘に立ち寄るかもしれない、まだ見ぬ公達。(現れるかどうかは不明)
「なるべく目立たぬように」
そうおっしゃった安積さま。
用意された一両目の牛車には、わたしと桜花さま。二両目には命婦さまと先輩女房方。
そして、馬上に安積さまと近衛中将さま。
安積さまが、仰々しい列は好きじゃないとおっしゃって馬に跨がられたので、中将さまだけ牛車に乗るわけにもいかなくて。結局お二人が、牛車の両脇を固めるように馬で歩まれることになったんだけど。
(そっちのが人の目を集めちゃってるっての)
だってねえ。
安積さまと中将さま。
当代一、二を争う若くてかっこいい公達よ?
お二人で青海波を舞われたら、天人が目をつけて、攫っていきそうなほどかっこいいんだよ?
そのお二方が、キリッと凛々しく馬に乗っておられたら。誰だって見とれてしまうし、なんなら一目見ようと駆けつけちゃうわよ。
「あのお二人が警固なさる牛車には、どなたが乗り合わせておられるのか」
「あのお二人に大事にされるのだから、よほどの麗人に違いない」
「乗っておられるのは姫宮と、お仕えする女房だそうだ」
「簾の下の出衣の重ねも品があっていい。さぞ雅でお美しい方なのだろう」
「ありがたや~、ありがたや~。良いものを見せてもろうた~、寿命も伸びる思いじゃ~」
なんて声も聞こえてくる。
うん。守られるように揺られる牛車でさ、桜花さまがそれに相応しいだけの愛らしい姫であることは認めるよ? 兄宮に球のようにいつくしまれて、中将さまが愛し求められる姫宮って。
でも実際は違う。
中将さまは、桜花さまより安積さまを狙ってるみたいだし。安積さまは、桜花さまは大事になさってるけど、一緒に乗り合わせてるわたしのことは、からかいの対象にしか見ていない。
想像して噂をするのは勝手だけど、真実を知ってる自分には、少々気が重い。
これで、ちょっと顔を見せたりして、「なんだ、守られるほどの美人じゃねえや」「出衣詐欺じゃ」ってガッカリされたら。……はあ。
「どうしたの、菫野。宇治は気乗りしない?」
「あ、いえ。そんなことはないです。とっても楽しみです」
しまった。わたしの(心のうちの)ため息を聞かれたか。いかんいかん。「宇治、とっても楽しみ~。自然いっぱいっていいよね~、ワクワク」って顔をしておかなくっちゃ。
美味しいお魚とか山菜とかもありそうだし。青々とした山とか、広い空とか、川の流れとか。桐壺の作られ切り取られた自然じゃなくて、美濃を彷彿とさせるような、大自然を味わえるのは、楽しみっちゃあ楽しみなんだけど。けど……。
(自然を楽しんだ後は……ねえ)
皆さまお待ちかね! の楽の演奏会。
中将さまのあの話しぶりからするに、行われるのはおそらく夜。
宇治に到着した初日、今日はみんな疲れているだろうから行われないだろうけど。やるとしたら明日の夜か、明後日の夜か。五日目の朝には宇治を出立するのだから、行われるなら、二日目か三日目の夜が有力。
つまり。
わたしが上達するまでの猶予期間は、あと一日か二日。
桐壺でも琴とか笛とかさんざん練習したんだけど、その度に「生霊の嘆き声」「怨霊を呼び寄せるような音」だとかで、侍はやってくるし、隣の曹司からお経を唱える声が聞こえてくるし、孤太は腹を抱えて笑い転げるし。なんか散々すぎる言われ方ばかりで、あんまり練習できてない。
ここは一つ、寸暇も惜しんで、練習に励まねば。
宮さま方の前で怨霊は呼び寄せられないし。恥もかきたくない。
下手なのはどうしようもないけど、人並みに弾けるようになっておかなきゃ。
ってことで。
「どうしたの? 手を広げたりして」
わたしの行動に、桜花さまが首を傾げる。
「箏の琴の練習をしてるのです」
「箏?」
「はい。中将さまからのお誘いをお断りすることは出来ませんので」
管弦で遊ぶって言ったら、普通女性は琴か琵琶だけど、琵琶は怨霊を呼び寄せそうなので、わたしがやるの琴一択。それも手軽な箏の琴。そもそも琵琶ってのは、その場で一番偉い方が弾くものだし。
ということで、目の前に箏の琴があると想定して。見えない絃をかき鳴らしております。ベベベベベンッ……。(余韻)
「あら、それなら、兄さまに習ったらいいのでは?」
「は?」
ベベベボボンッ。見えない絃が怨霊を呼び寄せかけた。
「兄さま、琵琶もだけど、箏の琴もお上手なのよ。わたくしも昔、よく教えていただいたものだわ」
え、えーっと。そ、それはぁ……。
「菫野は、兄さまのこと、お嫌い?」
え、ええーっと。
ちょっと悲しそうなお顔の桜花さま。
「あの、えっと。そうではなくて……。その……」
必死に目を泳がせて言い訳を探す。「嫌いですよ、わたしをからかってくるんだもん」って言えたら一番いいんだけど、そういうわけにはいかないよね。
「宮さま手づからお教えいただくのは、その……おこがましいというかなんというか」
桜花さまを悲しませずに、上手く言い繕う方法……。
「宮さまにお教えいただくなど。わたし、うれしすぎてどうにかなってしまいそうです」
そういうことにしておこう。
かっこいい宮さまに寄り添われて、箏の琴など教えられたら。うん。これ、卒倒案件じゃない? 好き嫌い関係なしにぶっ倒れそう。
「あら、いいじゃない。兄さまと寄り添って、仲睦まじく箏の琴を奏でる菫野。想像するだけで、ため息が出そうなほど素晴らしいわ」
「うえええっ!? ……おっ、桜花さま?」
ホウッと息を吐き出された桜花さま。まさか、本気でウットリしてる?
「菫野は兄さまの想い人なのでしょう?」
「はあっ!?」
「中将さまがおっしゃってたわよ。菫野は、兄さまが扇を贈られるほど大切にしてる相手だって。だから宇治では、二人だけの時間を作って差し上げましょうねって」
ななな、なんでそうなるっ!?
というか、話したの? あの中将。
安積さまがわたしに扇を贈ったこと、桜花さまは知らないはずだったのに。
(あの中将めぇっ!)
面白半分に吹聴してるんじゃないわよ! 二人だけの時間ってなによ! そんなもの要らないわよ!
「わたくし、あなたと兄さまの仲を応援してるのよ」
「――桜花さま。それ、思いっきり誤解ですから」
クスクス笑う桜花さまに、思わず声が低くなる。
「誤解?」
「そうですよ。わたしと安積さまの間にそういう感情は、いっさいございませんので!」
「そこまで力を込めなくても……」
「いえ。大事なことなので。わたしにとって安積さまは、『桜花さまの兄君』以上の何者でもありません」
「まあ……。それでは兄さまがかわいそうだわ。せめて、『心ときめく好ましい公達』にして差し上げて」
「いいえ。それは絶対ないです」
そりゃあ、見目好い方だとは思うけど。
でも、扇を贈って人をからかってくるような人、そういう対象からは大外れよ。
「ですから、桜花さまも中将さまみたいに、『宇治でなら、人目もないし、自由に恋を謳歌していいよ?』みたいなことはおっしゃらないでくださいまし」
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