筋肉乙女は、恋がしたい! ~平安強力「恋」絵巻~

若松だんご

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一、美濃の強力娘、宮中に参内するの語

(五)

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 「だーかーらー。扇、真っ二つはオレのせいじゃねえだろって。扇を持ってんのに、ウッカリ力を込めたアンタが悪いんだって」

 「わかってるわよ、そんなことぐらい! わたしが怒ってるのは、アンタがそれを笑ったからよ!」

 扇を折ってしまったのは、自分が力を入れたせいだけど、それを笑われたことに納得してないの!

 「八つ当たりじゃねえか、そんなの。あの宮さま方だって笑ってたのによぉ」

 「うるさい!」

 宮さまたちに怒るわけにはいかないから、こうしてアンタに全部ぶつけてるんじゃない!
 燈台の明りしかない薄暗いわたしの曹司ぞうし。そこで、ジリジリと孤太こたを追い詰め、ハーッと握った拳に息を吐きかける。一発ぐらい殴らせて。それが嫌なら、ちゃんと謝りなさい!

 「わかった! わかったから、ごめんって!」

 だから殴るのはナシ!
 孤太の手がわたしの拳を遮る。

 「お詫びに、新しい扇を用意してやるからさ! それで勘弁してくれよ!」

 よっぽど殴られたくないんだろう。
 まあ、わたしが殴ったら頬が腫れるぐらいじゃすまなくて、そのまま床にめり込みそうだし。
 拳は、本気じゃなくて、ちょっと脅しただけだったんだけど。

 「ちゃんとした本物の扇をくれるのなら、許してやってもいいわよ」

 「本物?」

 「アンタ、昔、大蒜にんにくを『餅だ』って騙して、食べさせたことがあったでしょ」

 「あれはアンタが風邪ひいてたから……」

 「うるさい! あれ、口がとんでもなく臭くなって、吐きそうになったんだからね!」

 餅だと騙されて、よく噛んで食べてしまった大蒜にんにく。風邪も治って元気にはなったけど、その代わり、口がとんでもなく臭くなってしまった。

 「あの時みたいにわたしを騙して偽物の扇を用意したら、容赦しないからね!」

 「わかったよぉ。本物をちゃんと用意するって」

 「じゃあ、夏らしく菖蒲か橘の絵の描いてあるやつを頂戴」

 「お、おう」

 偽物を用意しようとしていたのか、それとももとから本物を用意するつもりだったのか。孤太の表情は、どちらともわからない。

 「がめつい……」

 「なんか言った?」

 ケンカなら喜んで買うわよ?

 「それよかさ、アンタ、力の理由とか話してねえよな」

 孤太が、かなり強引に話題を変えた。

 「話してないわよ。そういう約束でしょ」

 本当のことを話して、「狐憑き女房!」ってことで解雇されてしまったら、母さまのいう「なにがあっても宮中恋愛! 素敵な公達捕獲計画!」がダメになる。「狐憑き」の娘を宮中に入れたってことで、父さまたちにも迷惑がかかっちゃうし。
 
 「でも、どうしてそこまで頑なに秘密にするの?」

 わたしの未来を考えれば秘密にするしかないけど。

 「うっかり他の誰かに伝わったりすると、いろいろ厄介だからだよ」

 「厄介?」

 「いるんだろ、ここには。〝おんみょーじ〟とか〝そーず〟とか、そういう力のあるヤツが」

 「いるとマズいの?」

 陰陽師と僧都。

 「マズい。ああいうたぐいに存在が知られると、オレ、調伏されちまう」

 「調伏?」

 「運が良ければ、そのまま式神として使役させられるだけだけど、最悪、化け狐として消滅させられることもあるんだよ」

 「消滅……」

 それはなんとしても隠しておいたほうが良さそうね。

 「言っとくけど、調伏はアンタも対象だからな。狐に力を授けられた女ってことで、調伏される」

 「ちょっと! そんな危険なことにわたしを巻き込んでたのっ!?」

 力を授けられるって、そんな危険なことだったの!?

 「オレだって、そこまで考えてなかったんだよ! 助けてもらったから、その恩を返さなきゃって。……それだけだったんだよ」

 ちょっとむくれた孤太。プイッと視線を反らした。

 「美濃にいるような、オンナンタラカンタラ、キエー! ってやってれば充分、気休め程度のおんみょーじならいいんだけどさ。さすがに京の都には、本物の力を持ってるヤツもいるだろうし……」

 そんな危険な場所に、わたしのことを気にかけて着いてきてくれた孤太。
 助けてくれた時、わたしもだけど、孤太だって小さかったから、その先のことまで想像する知恵はなかったんだろう。
 なんたって、川に居座る巨石をどけたいって願いに、即物的に腕力を与えちゃうぐらいだもん。陰陽師がどうとか、全く考えてなかったんだろう。
 そして、そのことに責任を感じて、ここまで来てくれた。

 「わかったわ。なにがあっても、アンタのことは誰にも話さない。この強力ごうりきは、先祖代々のものってことにしておく」

 父さまが都に上って強力披露することはないだろうし。もし「やれ」って言われたら、その時は「年老いて無理です」ってことにしておく。母さまは、また卒倒なさるだろうけど。

 「――女房どの」

 シトシトと曹司の戸を叩く音。

 「宮より、使いで参りました」

 こんな時間に? って誰?

 「あの帯刀だよ」

 孤太には、戸を開けなくても、そこにいるのが誰かわかるらしい。
 小舎人童らしく、孤太に戸を開けてもらう。わたしは女房らしく扇で顔を隠して――って、扇、ないっ! 仕方ないから、袖で顔を隠す。
 戸は開け放ったまま、帯刀を迎え入れる。戸を開けてるのは、「恋人を迎え入れてるわけじゃないのよ」って意味。帯刀もわかっているらしく、曹司のなかまでズカズカと入り込んだりしない。

 「宮よりこちらを預かってまいりました。どうか、お納めください」

 帯刀が差し出したのは、真新しい扇と、添えられた文。――文?
 薄紫の、葵の花を思わせる文。
 料紙の色もさることながら、かおるこうも上品で。
 黒々として男らしいお手蹟てあとでつづられた歌。
 美濃で母さまが見せてくださった「公達からの付け文全集。これを手本に手習いなさい――というか、これぐらいはもらえる女にならなくては」とは比べものにならないぐらい素敵。
 なんたって、わたしへの初! の付け文だし。それも宮さま! からだし。これは家宝にしておきたいぐらいの文だわ。

 「では、それがしはこれで」

 帯刀が退出しても、そのまま文を凝視する。

 ――夏の夜の さやけき月に 風そよぐ 手ならす乙女 笑みて思ほゆ

 夏の夜、明るくきれいな月に合わせてそよぐ涼しい夜風。扇をあおいで夜風をそよがせる乙女(天女)を、思い起こして微笑んでおります。

 (――ん?)

 一瞬、その流麗なお手蹟に騙されそうになったけど。

 (これって、わたしをバカにしてる?)

 人を乙女、天女って褒めそやしておいてからの、あの檜扇バッキリ事件を思い出して笑ってるって。ヒドくない? それ。
 へし折った扇の代わりに、これをどうぞってのはありがたいけど、だからって笑われてるのは納得いかない。これ、家宝にするべき? それとも「クシャクシャ、ペッ」が正解?

 「で、返事、書かないのかよ」

 「え? は? 返事?」

 こんなムカつく文に返事?

 「相手は宮さまなんだろ? 扇もらってそのまま無視はダメだろ」

 え、あ。そだ。
 恋文なら、二、三通もらってもそのまま放っておいて、相手を焦らす作戦もアリだけど、贈り物に返事しないのは、人としてダメよね、やっぱり。それも相手は宮さまだし。
 まさか狐に、そのあたりを諭されるとは思ってもなかったけど――って、返事? 返歌ってことっ!?

 「返歌ってことは、それなりに創意工夫を凝らしたものを作らなきゃいけないわよね?」

 「まあ、そうだろうな」

 「それに、料紙も、添える花も。『さすが』と思わせるだけのものを選んで、文句なしの素敵な歌を作って、手習いの時よりキレイな字でそれを書き連ねる……の? わたしが?」

 「アンタ以外に誰がやるんだよ」

 「どどどどうしよう、孤太!」

 和歌なんて一人で作ったことないんだってば。美濃にいた時は、母さまが添削してくださってそれなりのものを作ってたけど、それを一人でってなると。
 人生初の付け文! なんて言ってる場合じゃない。人生初の返歌! だよ。練習じゃない。本気で本番、本物の返歌!

 「落ち着けよ。墨、摺ったりとか手伝ってやるからさ。アンタは歌を詠むことだけに集中しろよ」

 「う、うん……」

 そうだ。
 こういうのは何より歌が大事だもん。
 落ち着け、落ち着け。
 笑われて腹立ってるなら、そういうことを伝わるような歌を作らなきゃ。それでもって、技巧も凝らした素敵な歌。
 う~~んと頭を捻りつつ、曹司の中を歩き回って考える。
 「笑みて思ほゆ」なんだから、「笑み」は入れておきたいわね。アンタに笑顔なんて見せないからって意味で「笑みせじ」はどうかしら。うん。悪くないわ。扇に掛けて詠むんだから、……そうねえ。「手もたゆく ならす扇の 涼し風」なんて上句はどうかな。扇をあおぎすぎて、わたしの手はダルいのよっていうの。うん、いいわ。あとは、そこに「笑みせじ」を混ぜた下句をくっつけて……、「笑みせじ」を下句の末に持ってきて、怒ってることを強調したほうがいい……わよ、ね……。

 「おい、大丈夫かよっ!? 息してるかっ!?」

 バッタンと倒れたわたしに、慌てる孤太。擦りかけた墨を放り出して駆け寄ってくる。

 「だ、大丈夫。ちょっと頭が疲労で爆ぜそうになっただけ」

 わたし、和歌とかそういうの苦手なのよ。
 天井に向かって、胸に溜まった息を吐き出す。
 こんなので、本当に女房生活やっていけるのかしら。ましてや「絵巻物のような、ときめく恋愛」なんて。
 強力よりも、そっちの能力のなさに不安がいっぱい。
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