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一、美濃の強力娘、宮中に参内するの語
(三)
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あれをこっちへ、そっちはあっちで。
言われるままに、調度品を持ち上げ、右に左に。
持ってきてと言われれば、そっちへ行って。そこに置いてと言われれば「はい」と従う。「そうじゃないの」と言われれば「こうですか?」。あっちこっちそっちどっち、あれこれそれどれ、頭がおかしくなりそう。
「でも〝美濃〟が来てくれて、本当に助かったわ」
わたしに、ああでもないこうでもないと指図を出してた、紀命婦さまが言った。
「衛門が里下がりしてしまってから、人手が足りなくて困ってたのよ。あ、そこ、屏風、どけてくれる?」
「あ、はい」
言われるままに持ち上げると、すかさず数人の女の童が、屏風の下の床を拭く。
今日は、桜花さまの住まわれる桐壷を、徹底的に掃除するんだって。――わたしと女の童たちが。
普段から、庇とか簀子の縁とか、埃の溜まりそうなところは(掃部寮の者が)掃除しているけど、母屋のなか、桜花さまの昼の御座所となると、そう簡単に誰かを立ち入らせるわけにはいかない。
だって、桜花さまは、主上の娘、女二の宮さまだもん。
うかつに誰かに見られるようなことがあってはいけない。桜花さまのお眠りになる夜御殿ともなれば、女房以外立ち入り禁止。だから普段、母屋部分は、女房が(女の童)を使って掃除するんだけど。
(年配だらけだもんなあ、ここ)
采配を振るう紀命婦さまを筆頭に、桜花さまの母親……というより祖母に近い年齢の女房が居並ぶ。と言っても数も少なく、これじゃあとてもじゃないけど「隅々まで徹底的に掃除」は難しい。そんなことしたら、明日――どころか、今日の夕方には腰痛肩こりで動けなくなっちゃうわよ。
わたしが参内するまでは、〝衛門〟っていう、(この中では一番若い)女房が調度品を動かしてたらしいんだけど、その衛門さんも腰を痛めて長の里下がり。多分、調度品移動要員としての復帰は無理。
そんなところに新しく参内した強力のわたし。「これで掃除も行き届きますわ!」とさっそく使われた。使われてる。
衣桁(メッチャ軽い)とか、几帳(普通)とかをちょっと……ならまだしも、二階厨子(重い)とか、唐櫃(メッチャ重い)とか、果ては衝立障子(クッソ重い)まで。
「その下まで掃除しておきたかったのよ~」「助かるわ~」っておっしゃられるけど。
(だからって、全部お任せってどうなの?)
まあ、持てないでもないし、運べないでもないけど。
どっちかと言うと、強力でウッカリ壊してしまわないか気になって、脇息とか燭台を動かす方が怖かったりする。
「次は、その高麗端の畳を。ああ、違うわ。そっちの白綾に黒の文様を織った縁の、そう、それよ」
言われるまま、ヒョイッとめくった畳。掃除しにくかったんだろうな。持ち上げた畳の縁を描くように白く埃が筋を作っていた。うっすらだけど。
「ほんとう、美濃が来てくれて助かったわ」
「そうねえ。こんな働き者なら、若い子でも安心ね」
……わたし、確か「女二の宮さまも十四。そろそろ結婚を考える年頃になったせいか、亡き母君を恋しがられるようになった。亡き更衣さまと知己の間柄にあった者の縁者なら、母を知らない宮さまを、お慰めできる話など伝え聞いているのではないか。歳が近ければ、それだけ心安く話しができるだろう」ってことでここに呼ばれたのであって。間違っても「桐壺を大掃除したいから、ちょっと調度品をどけてくださるかしら要員」じゃなかったはず。
まあ、亡き更衣さまの話をって言われても、わたしだって直接お会いしたことあるわけじゃないから、そこまで詳しく話せるかって、微妙な部分があるけど。母さまに丸暗記させられただけだし。
(そういう話は、紀命婦さま方のがくわしいんじゃないかな)
見た目年齢から察するに、命婦さまたちって、宮さまがお生まれになる前から勤めていらっしゃいそうだし。更衣さまにも、バッチリお会いしてるんじゃないのかな。
「――命婦。そろそろ終わりにしてはどう?」
あっちを持ち上げ、拭きふきふき。こっちをどかして、パタパタパタ。
そんなわたしたちにかかった声。
「宮さま……」
「みな、ご苦労さま。とてもきれいになって清々しいわ」
掃除し終えた御局を、グルリと桜花さまが見回す。きれいになったことを喜んでいらっしゃるのか、その頬はゆるみ、微笑んでおられる。
(お可愛らしいなあ……)
膝あたりまで伸ばされた髪のつややかさも素敵だけど、その白く透き通るような肌とか、薄く桃色に染まった頬とか。潤んだ黒目がちの瞳とか。声も小鳥のさえずりみたいだし。
〝姫君〟ってのは、こういう方のことを指して言うんだろうなあ。って、桜花さまは、正真正銘〝姫君〟なんだけど。今上帝の第二皇女さまだし。
「瓜を冷やしておいたの。みなで食べましょう」
見れば、桜花さまの後ろの女房が捧げ持つ器には、切り分けたばかりのみずみずしい瓜が山盛り。
「あなたたちの分もあるわよ。曹司に置いておいたから、ゆっくりお食べなさい」
桜花さまが声をかけたのは、わたしの足元で床を拭いてた女の童たち。彼女たちが、「はい!」とうれしそうに立ち上がって、掃除道具を片付けに走っていった。
まあ普通、女の童は、「ご苦労さま」で退出させられるだけ、どれだけ働いて喉が乾いてても瓜なんてもらえない。それを「あなたたちの分もある」なんて言われたら、誰だって喜んじゃうよねえ。働いて喉が乾いてる分、よけいに。
そういうわたしだって、かなり喉が乾いてきてるから、瓜を食べようってのはすごくうれしい。ここで乾いた木の実じゃなく、冷えた瓜を用意してくださるあたり、「宮さま、わかってるぅ!」って思っちゃう。
「美濃も疲れたでしょう。こちらでひと休みなさい」
「はい」
誘われるままに、桜花さまの近くに座る。華やかな紅の繧繝縁の畳の上に座る桜花さま。袿の襲色目は緑と紫の入った「菖蒲」。涼やかで、それでいて気品もあって素敵。桜花さまのお顔立ちにとってもよく似合ってる。
(お母さまに似ていらっしゃるのかな)
亡き桐壺更衣さま。
身分は低かったけど、帝のご寵愛を受け、第一皇子安積親王さまと、第二皇女桜花内親王さまをお産みになった。桜花さまご出産後、肥立ちが悪くそのお命を落とされた。
帝は更衣さまの死を深く嘆かれ、それ以降どなたも愛そうとなさらず、御子は、安積さまと桜花さま、それと弘徽殿の中宮さまのお産みになった、第一皇女である女東宮さまのお三人だけ。
亡くなられた更衣さまだけを思い慕って、ずっと帝が不犯を貫かれてるんだとしたら、それだけ更衣さまがお美しく、素晴らしかったってことよね。
(でもそれ、納得できちゃうかも)
桜花さま、そして一回だけお会いした安積さま。お二人のお顔立ちを思えば、更衣さまは、身分も生死も関係なく、愛を貫かれるほど美しかったんだろうなって想像できる。
(お心ばえも良かったって、母さまも言ってたし)
あんな早くに亡くなられたことが惜しくてたまらないって、母さまが嘆いてた。もっと長くお仕えしたかったって。いくら美人でも、寵愛を鼻にかけたような人なら、そんな風には思わない。きっと、桜花さまのお優しさも亡き母君譲りなんだろうな。
「どうかしたの、美濃。瓜は嫌いだった?」
「あ、いえ。そんなことないです。大好物です」
しまった。
見とれすぎた。
あわてて、目の前の器から瓜を一つ二つ口に放り込む。
ひんやりした瓜の果肉と、甘い汁と、そこにある桜花さまの優しい気遣いと。
くぅぅぅぅっ!
誰も見ていないのなら、その素晴らしさにジタバタモダモダしたいっ! 誰かに話して、「桜花さまって、最高よね!」って気持ちを共有したい。
最高に素敵ですよね、桜花さまって。そう思いません? 命婦さま――って、あれ?
気づけば周囲に先輩女房方も命婦さまも、誰もいらっしゃらない。
ここにいるのは、わたしと桜花さま……だけ?
(曹司で召し上がってるのかな)
女房が主と一緒に瓜を食べるのは、はしたないとか? でも、そうするとここに桜花さまをポツンと残しちゃうことになるし。それはそれで寂しいし、可哀想じゃない?
それともこういう場合、主である桜花さまだけが召し上がって、わたしはその隣でお話相手として座ってたほうがよかったのかな。瓜を食べるんじゃなくて。
(でも、桜花さまも「食べましょ」って感じだったし)
宮中の作法、どっちが正解?
「――大和から取り寄せた瓜は、美濃の方の口に合いましたかな?」
へ?
掃除のため、開け放たれた御簾の向こうからヒョコッと誰かが顔を出す――って、あ、安積親王さまっ!?
今日のお召し物は、夏らしく涼し気な藤色……って見とれてる場合じゃない! なんで先触れもなしにいらっしゃってるわけっ!? 普通、どこかへ訪う場合、先触れを出してからやって来るのが普通でしょっ!?
文句を言いたいところだけど、今は四の五の言ってる場合じゃない。
とりあえず、安積さまのために畳……は無理だから、円座をお出しして……って、円座、どこっ!? 掃除の時にどこに片付けたのっ!? ああ、でもその前にわたしの手、瓜でベッタベタじゃない! せめて拭いてからじゃなきゃ失礼よね……って、拭くものがない! 袿で拭いちゃダメよね、さすがに。それに、わたし、殿方の前で顔丸出しってのはまずい? 扇、扇持たなきゃ。でもそうしたら、円座ご用意できないっ!
宮中の行儀作法、どれから優先順位つけてやればいいのよぉっ!
「……プッ!」
「兄さま、お笑いになるなんてひどすぎますわ」
「うん、ごめん。でもこんな面白いものを見られるなんて……。プッ、ククク……ッ」
妹から叱られても、謝罪しても笑いは止まらないらしい。オタオタあわてるわたしを見て、体をくの字に曲げ、笑い続ける安積さま。
「――女房どの、これを」
「あ、ありがとう……ございます」
見かねた帯刀が簀子の縁から近づいてきて、そっと手拭き用の布を差し出してくれた。それから、安積さま用に円座も準備。
帯刀のほうがデキるなんて。
なんか女房として、ちょっと――かなり悔しい。
言われるままに、調度品を持ち上げ、右に左に。
持ってきてと言われれば、そっちへ行って。そこに置いてと言われれば「はい」と従う。「そうじゃないの」と言われれば「こうですか?」。あっちこっちそっちどっち、あれこれそれどれ、頭がおかしくなりそう。
「でも〝美濃〟が来てくれて、本当に助かったわ」
わたしに、ああでもないこうでもないと指図を出してた、紀命婦さまが言った。
「衛門が里下がりしてしまってから、人手が足りなくて困ってたのよ。あ、そこ、屏風、どけてくれる?」
「あ、はい」
言われるままに持ち上げると、すかさず数人の女の童が、屏風の下の床を拭く。
今日は、桜花さまの住まわれる桐壷を、徹底的に掃除するんだって。――わたしと女の童たちが。
普段から、庇とか簀子の縁とか、埃の溜まりそうなところは(掃部寮の者が)掃除しているけど、母屋のなか、桜花さまの昼の御座所となると、そう簡単に誰かを立ち入らせるわけにはいかない。
だって、桜花さまは、主上の娘、女二の宮さまだもん。
うかつに誰かに見られるようなことがあってはいけない。桜花さまのお眠りになる夜御殿ともなれば、女房以外立ち入り禁止。だから普段、母屋部分は、女房が(女の童)を使って掃除するんだけど。
(年配だらけだもんなあ、ここ)
采配を振るう紀命婦さまを筆頭に、桜花さまの母親……というより祖母に近い年齢の女房が居並ぶ。と言っても数も少なく、これじゃあとてもじゃないけど「隅々まで徹底的に掃除」は難しい。そんなことしたら、明日――どころか、今日の夕方には腰痛肩こりで動けなくなっちゃうわよ。
わたしが参内するまでは、〝衛門〟っていう、(この中では一番若い)女房が調度品を動かしてたらしいんだけど、その衛門さんも腰を痛めて長の里下がり。多分、調度品移動要員としての復帰は無理。
そんなところに新しく参内した強力のわたし。「これで掃除も行き届きますわ!」とさっそく使われた。使われてる。
衣桁(メッチャ軽い)とか、几帳(普通)とかをちょっと……ならまだしも、二階厨子(重い)とか、唐櫃(メッチャ重い)とか、果ては衝立障子(クッソ重い)まで。
「その下まで掃除しておきたかったのよ~」「助かるわ~」っておっしゃられるけど。
(だからって、全部お任せってどうなの?)
まあ、持てないでもないし、運べないでもないけど。
どっちかと言うと、強力でウッカリ壊してしまわないか気になって、脇息とか燭台を動かす方が怖かったりする。
「次は、その高麗端の畳を。ああ、違うわ。そっちの白綾に黒の文様を織った縁の、そう、それよ」
言われるまま、ヒョイッとめくった畳。掃除しにくかったんだろうな。持ち上げた畳の縁を描くように白く埃が筋を作っていた。うっすらだけど。
「ほんとう、美濃が来てくれて助かったわ」
「そうねえ。こんな働き者なら、若い子でも安心ね」
……わたし、確か「女二の宮さまも十四。そろそろ結婚を考える年頃になったせいか、亡き母君を恋しがられるようになった。亡き更衣さまと知己の間柄にあった者の縁者なら、母を知らない宮さまを、お慰めできる話など伝え聞いているのではないか。歳が近ければ、それだけ心安く話しができるだろう」ってことでここに呼ばれたのであって。間違っても「桐壺を大掃除したいから、ちょっと調度品をどけてくださるかしら要員」じゃなかったはず。
まあ、亡き更衣さまの話をって言われても、わたしだって直接お会いしたことあるわけじゃないから、そこまで詳しく話せるかって、微妙な部分があるけど。母さまに丸暗記させられただけだし。
(そういう話は、紀命婦さま方のがくわしいんじゃないかな)
見た目年齢から察するに、命婦さまたちって、宮さまがお生まれになる前から勤めていらっしゃいそうだし。更衣さまにも、バッチリお会いしてるんじゃないのかな。
「――命婦。そろそろ終わりにしてはどう?」
あっちを持ち上げ、拭きふきふき。こっちをどかして、パタパタパタ。
そんなわたしたちにかかった声。
「宮さま……」
「みな、ご苦労さま。とてもきれいになって清々しいわ」
掃除し終えた御局を、グルリと桜花さまが見回す。きれいになったことを喜んでいらっしゃるのか、その頬はゆるみ、微笑んでおられる。
(お可愛らしいなあ……)
膝あたりまで伸ばされた髪のつややかさも素敵だけど、その白く透き通るような肌とか、薄く桃色に染まった頬とか。潤んだ黒目がちの瞳とか。声も小鳥のさえずりみたいだし。
〝姫君〟ってのは、こういう方のことを指して言うんだろうなあ。って、桜花さまは、正真正銘〝姫君〟なんだけど。今上帝の第二皇女さまだし。
「瓜を冷やしておいたの。みなで食べましょう」
見れば、桜花さまの後ろの女房が捧げ持つ器には、切り分けたばかりのみずみずしい瓜が山盛り。
「あなたたちの分もあるわよ。曹司に置いておいたから、ゆっくりお食べなさい」
桜花さまが声をかけたのは、わたしの足元で床を拭いてた女の童たち。彼女たちが、「はい!」とうれしそうに立ち上がって、掃除道具を片付けに走っていった。
まあ普通、女の童は、「ご苦労さま」で退出させられるだけ、どれだけ働いて喉が乾いてても瓜なんてもらえない。それを「あなたたちの分もある」なんて言われたら、誰だって喜んじゃうよねえ。働いて喉が乾いてる分、よけいに。
そういうわたしだって、かなり喉が乾いてきてるから、瓜を食べようってのはすごくうれしい。ここで乾いた木の実じゃなく、冷えた瓜を用意してくださるあたり、「宮さま、わかってるぅ!」って思っちゃう。
「美濃も疲れたでしょう。こちらでひと休みなさい」
「はい」
誘われるままに、桜花さまの近くに座る。華やかな紅の繧繝縁の畳の上に座る桜花さま。袿の襲色目は緑と紫の入った「菖蒲」。涼やかで、それでいて気品もあって素敵。桜花さまのお顔立ちにとってもよく似合ってる。
(お母さまに似ていらっしゃるのかな)
亡き桐壺更衣さま。
身分は低かったけど、帝のご寵愛を受け、第一皇子安積親王さまと、第二皇女桜花内親王さまをお産みになった。桜花さまご出産後、肥立ちが悪くそのお命を落とされた。
帝は更衣さまの死を深く嘆かれ、それ以降どなたも愛そうとなさらず、御子は、安積さまと桜花さま、それと弘徽殿の中宮さまのお産みになった、第一皇女である女東宮さまのお三人だけ。
亡くなられた更衣さまだけを思い慕って、ずっと帝が不犯を貫かれてるんだとしたら、それだけ更衣さまがお美しく、素晴らしかったってことよね。
(でもそれ、納得できちゃうかも)
桜花さま、そして一回だけお会いした安積さま。お二人のお顔立ちを思えば、更衣さまは、身分も生死も関係なく、愛を貫かれるほど美しかったんだろうなって想像できる。
(お心ばえも良かったって、母さまも言ってたし)
あんな早くに亡くなられたことが惜しくてたまらないって、母さまが嘆いてた。もっと長くお仕えしたかったって。いくら美人でも、寵愛を鼻にかけたような人なら、そんな風には思わない。きっと、桜花さまのお優しさも亡き母君譲りなんだろうな。
「どうかしたの、美濃。瓜は嫌いだった?」
「あ、いえ。そんなことないです。大好物です」
しまった。
見とれすぎた。
あわてて、目の前の器から瓜を一つ二つ口に放り込む。
ひんやりした瓜の果肉と、甘い汁と、そこにある桜花さまの優しい気遣いと。
くぅぅぅぅっ!
誰も見ていないのなら、その素晴らしさにジタバタモダモダしたいっ! 誰かに話して、「桜花さまって、最高よね!」って気持ちを共有したい。
最高に素敵ですよね、桜花さまって。そう思いません? 命婦さま――って、あれ?
気づけば周囲に先輩女房方も命婦さまも、誰もいらっしゃらない。
ここにいるのは、わたしと桜花さま……だけ?
(曹司で召し上がってるのかな)
女房が主と一緒に瓜を食べるのは、はしたないとか? でも、そうするとここに桜花さまをポツンと残しちゃうことになるし。それはそれで寂しいし、可哀想じゃない?
それともこういう場合、主である桜花さまだけが召し上がって、わたしはその隣でお話相手として座ってたほうがよかったのかな。瓜を食べるんじゃなくて。
(でも、桜花さまも「食べましょ」って感じだったし)
宮中の作法、どっちが正解?
「――大和から取り寄せた瓜は、美濃の方の口に合いましたかな?」
へ?
掃除のため、開け放たれた御簾の向こうからヒョコッと誰かが顔を出す――って、あ、安積親王さまっ!?
今日のお召し物は、夏らしく涼し気な藤色……って見とれてる場合じゃない! なんで先触れもなしにいらっしゃってるわけっ!? 普通、どこかへ訪う場合、先触れを出してからやって来るのが普通でしょっ!?
文句を言いたいところだけど、今は四の五の言ってる場合じゃない。
とりあえず、安積さまのために畳……は無理だから、円座をお出しして……って、円座、どこっ!? 掃除の時にどこに片付けたのっ!? ああ、でもその前にわたしの手、瓜でベッタベタじゃない! せめて拭いてからじゃなきゃ失礼よね……って、拭くものがない! 袿で拭いちゃダメよね、さすがに。それに、わたし、殿方の前で顔丸出しってのはまずい? 扇、扇持たなきゃ。でもそうしたら、円座ご用意できないっ!
宮中の行儀作法、どれから優先順位つけてやればいいのよぉっ!
「……プッ!」
「兄さま、お笑いになるなんてひどすぎますわ」
「うん、ごめん。でもこんな面白いものを見られるなんて……。プッ、ククク……ッ」
妹から叱られても、謝罪しても笑いは止まらないらしい。オタオタあわてるわたしを見て、体をくの字に曲げ、笑い続ける安積さま。
「――女房どの、これを」
「あ、ありがとう……ございます」
見かねた帯刀が簀子の縁から近づいてきて、そっと手拭き用の布を差し出してくれた。それから、安積さま用に円座も準備。
帯刀のほうがデキるなんて。
なんか女房として、ちょっと――かなり悔しい。
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