上 下
29 / 31

第29話 キミと僕のヒストリア。

しおりを挟む
 「世那のこと、わかっていたんだ」

 その日の夜。
 世那を寝かしつけた後、一条くんが話してくれた。

 「世那は僕の子じゃない。薫子から妊娠したって言われたから結婚したけれど……。でも計算が合わなかった。薫子が世那を宿した頃、僕は出張で東京にいなかったから」

 ソファに私と並んで座る一条くん。どう話そうか考えあぐねているのか、時折、膝の上に置いた手を組み直す。視線はずっと床に落とされたまま。

 「だけど、『いらないなら堕ろすけど』って言われて、それで……。もしかしたら本当に僕の子かもしれない。そう思ってた」

 「いらないなら堕ろす」
 授かった命をなんだと思ってるんだ。
 伝え聞いただけの私でも、噛み締めた奥歯がギリッと鳴った。
 あの女。もう一発、いや百発ぐらい殴っておけばよかった。
 一条くんも一縷の望みを抱いてたんだろう。もしかしたら我が子かもしれない赤子を殺されたくない。それであの女と結婚した。
 だけど、生まれた子、世那は一条くんの子じゃなかった。AB型の一条くんにO型の息子は生まれない。
 子の父親が誰なのか。それは母親にしかわからないと言うけれど、もしかすると薫子にもわかってなかったもかもしれない。二人以上、複数の男性と同時期に関係を持てば、あの時の子だと実感することは難しい。
 ううん。
 薫子は世那の本当の父親を知っていたのかもしれない。だけど、一条くんの子だと偽った。一条くんが課長に出世するぐらい有能だったから。一条くんが、まとまった資産を持っていたから。一条くんが、疑いはしても受け入れてくれるほど優しかったから。
 実際、一条くんは世那を受け入れた。
 自分の子じゃないと知っても、世那を我が子として接していた。

 「薫子の交遊の派手さは知ってた。でも夫婦になって家族になれば落ち着くかもしれない。一緒に世那を育てていけば、あるいは。そう思ってたんだけど――」

 一条くんが暗い天井に大きく息を吐き出す。

 「世那には悪いことをしたと思ってる。僕の見通しが甘かったせいで、世那をあんな目に遭わせてしまった」

 薫子に置き去りにされた世那。
 置いていかれた世那を育てる義務は一条くんにはない。DNA鑑定でもして、自分の子でないと証明し、施設に預けることもできた。
 でも、一条くんはそうしなかった。
 残された世那のために奮闘し、東京と実家を往復してた。

 ――世那のため、だからね。

 彼の想いはその一言に集約される。様々な葛藤を乗り越え、彼は世那を受け入れた。

 「でも、これで吹っ切れた。世那のこと。キミの言う通り、世那はあわてんぼうのコウノトリが誤配しちゃった僕の子だって。今ならそう思える」

 ンーッと、大きく腕を伸ばして体の力を抜いた一条くん。

 「僕がなかなか煮えきらなかったから、明里にもいっぱい迷惑かけたよね。僕が次の一歩を踏み出す勇気がなかったばっかりに。まさか薫子がキミと接触してたなんて。驚いたよ。昨日、キミの様子がおかしかったのは、それが原因だったのかって」

 私が積極的に彼を求めたこと。その態度を彼は不審に思っていたらしい。そして、スマホの履歴かなにか。理由はよくわからないけど、薫子が私に会った、もしくは会おうとしていることを知り、急いで帰ってきてくれた。薫子から守ってくれた。

 「――明里」

 一条くんが私の手を取った。

 「キミの言う通り、世那は僕たちの子どもだよ。コウノトリが間違えて薫子のところに運んでしまったけど。それでもこうして巡り戻ってきてくれた、僕たちの大切な子だ」

 「一条くん……」

 「キミが同じ思いでいてくれるのなら。キミさえ良ければ、僕は世那と三人で家族になりたい。結婚してくれ」

 与えられる視線に、真摯な思いに涙がにじむ。

 「キミと出会って、キミが世那の母親になってくれたらって何度も思った。世那だけじゃない。僕もキミに救われたんだ。もう恋愛なんてウンザリだって思ってたのに。今はキミと何度でも恋したいと思ってる」

 「わ、私……っ」

 胸が熱く、唇がわななく。言葉がうまく紡げない。代わりに、どうにか動かすことのできた首を縦にふって思いを伝える。

 「明里……」

 震える私の唇に彼が口づけた。
 絡めた指。何度も重なる唇。
 
 彼に愛されるべきは彼女だと思ってた。世那の母親は彼女の役目だと思ってた。
 だから、無理矢理にでもここを離れようとした。どれだけ苦しくてもそれが最善なのだと自分に言い聞かせていた。
 けど。

 (離したくない……)

 世那を慈しみたい。一条くんを愛したい。
 この場所は、もう誰にも渡したくない。ここは、私だけのもの。

 口づけを交わしながら、もつれるように倒れ込んだソファの上。
 素肌を晒し、互いの熱を抱きしめる。

 「一条……くん……」

 とろけるような愛撫。吐息に紛れて名前を呼ぶと、私に触れた彼の手が止まった。

 「――ねえ、いつまで“一条”呼びなの?」

 「え?」

 その問いかけに、恍惚に閉じた瞼を見開く。
 
 「明里も、“一条”になるんだけど?」

 あ、そっか。
 家族になる、結婚するってことは、そういうことだ。
 高階 明里じゃなく、一条 明里になる。
 甘い空気が消え、代わりにクスッと笑われた。

 「――名前、呼んで?」

 名前? 呼ぶの? ここで?
 面と向かってお願いされると、その……、覚悟みたいなものが必要になって、その……。

 「アッ、アァン……!!」

 ツプンと彼の指が膣に沈んだ。
 けど、それだけ。
 少しも動かしてくれない指。

 「呼んでくれなきゃ、ずっとこのままだよ?」
 
 「いっ、意地悪っ!!」

 挿れられるだけでも気持ちいいけど、それだけじゃ物足りない。

 「明里が名前を呼べばいいんだよ。簡単なことだよ? 昔は呼んでくれてたよね」

 「そ、それはぁ……」

 腰を動かしたい衝動。でもきっと動かしたところで、彼は指を引き抜いてしまうかもしれない。

 「り、りっくん……!! お願いっ、もう意地悪しないでぇっ!!」

 泣く子と欲望には抗えない。
 必死の哀願。

 「“りっくん”かあ。まあ、仕方ないか。僕も限界だし」

 軽いため息。そして――。

 「え? ひぃあっ、アアッ……!!」

 指の代わりに欲しかったものが私の中に沈む。

 「次に来るコウノトリが間違えないように。明里、ずっと僕のそばにいて欲しい」

 「コウノ……トリ?」

 「世那の弟か妹が欲しいって言ったら理解できる?」

 「アッ……!!」

 ズンッと突かれた最奥。その衝撃に背中が反る。

 「りつ……く、ンッ!!」

 「うん。コウノトリが間違えずに飛んでこれるように。いっぱい名前を呼んで、明里」

 ズンズンと、腰を動かされるたび響く快楽。

 「世那だけじゃなく、明里が産んでくれた子にも会いたいんだ」

 「私も、会いた……イッ!!」

 ゴリュッとぶつかった刺激。耐えきれず、彼の腕を握りしめる。

 「ヒィ、アッ、り、つっ……、アッ、イッ、アアッ……!!」

 体の奥、澱のように溜まった快楽の熱が弾ける。

 「クッ……!! 明里っ!!」

 仰け反る体を律の大きな手が抑え込む。

 「アッ……アアッ……!!」

 彼の爆ぜた欲望が脈打ち、何度も私の中に叩きつけられる。そのたびに、つま先までビクンビクンと震えが走り、体が強張った。

 「明里……」

 繋がりは解かないまま、彼が私の名前を呼ぶ。

 「赤ちゃん、来てくれるかな?」

 「うん。今度こそ間違いなく届くよ」

 これだけ愛し合っているのだから。これからも愛し合っていくのだから。
 私の額に優しくキスをしてくれた律。
 きっと今度こそ間違えずに、コウノトリはまっすぐ飛んできてくれるだろう。私と律の二人目の赤ちゃんを、世那の弟妹を運んで。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

完結*三年も付き合った恋人に、家柄を理由に騙されて捨てられたのに、名家の婚約者のいる御曹司から溺愛されました。

恩田璃星
恋愛
清永凛(きよなが りん)は平日はごく普通のOL、土日のいずれかは交通整理の副業に励む働き者。 副業先の上司である夏目仁希(なつめ にき)から、会う度に嫌味を言われたって気にしたことなどなかった。 なぜなら、凛には付き合って三年になる恋人がいるからだ。 しかし、そろそろプロポーズされるかも?と期待していたある日、彼から一方的に別れを告げられてしまいー!? それを機に、凛の運命は思いも寄らない方向に引っ張られていく。 果たして凛は、両親のように、愛の溢れる家庭を築けるのか!? *この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 *不定期更新になることがあります。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ 慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。    その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは 仕事上でしか接点のない上司だった。 思っていることを口にするのが苦手 地味で大人しい司書 木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)      × 真面目で優しい千紗子の上司 知的で容姿端麗な課長 雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29) 胸を締め付ける切ない想いを 抱えているのはいったいどちらなのか——— 「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」 「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」 「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」 真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。 ********** ►Attention ※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです) ※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。 ※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

処理中です...