コウノトリの誤配。~幼なじみに再会したら、赤ちゃんと溺愛が待っていました~

若松だんご

文字の大きさ
上 下
26 / 31

第26話 あがき、もがく、刹那。

しおりを挟む
 薫子さんが戻ってきた。
 一条くんの奥さんが。世那くんのお母さんが。
 
 ――薫子は、世那を置いて出ていったんだ。

 そう一条くんから聞いていた。生後十ヶ月の我が子を置いて突如失踪した薫子さん。
 でも。

 (別れたとは聞いてない)

 出ていったと言っていたけど、一条くんとどうなったのかは聞いてない。一条くんもあえてその話題に触れなかったから。
 触れることで彼を困らせたくなかったから、あえて訊かなかった。ううん。違う。訊くことが怖かった。

 (もし、帰ってくるのを待ちわびてたとしたら?)
 
 同居したばかりの頃は、世那くんのためにも帰ってきてくれたらいいな、なんて思うこともあった。世那くんが私に懐いてくれてたとしても、やっぱりお母さんがいたほうがいいと思うし。一条くんだって負担が減るだろうから助かるだろうし。
 私は、彼らが元通りになったら、「幼なじみのおばさん」ポジションに戻るつもりでいた。「これからは家族仲良く達者で暮らせよ」と、カッコつけて離れるつもりだった。
 けど今は。

 一条くんが私を抱いたのは、妻のいない寂しさを紛らわすためだったのかもしれない。だって。

 (薫子さん。きれいな人だった……)

 華やかで、キレイで、おしゃれで。
 田舎のポッと出の私とは違う。洗練された都会の女性。きれいなネイルのほどこされた爪。白く細い首筋。流行を押さえた今どきのお化粧。
 一条くんの隣が似合う人。
 フリーサイズのドルフィンリングじゃない。本物のシルバーリング、結婚指輪をつけた人。
 
 彼女が戻ってきたこと、一条くんが知ったら?
 妻の帰りを喜ぶの? 
 「今までご苦労さま。これからは三人で仲良く暮らすよ」って終わりを告げられるの?
 私は「達者で暮らせよ」って言わなきゃいけないの?
 もともとここは私の居場所じゃない。ここは世那くんのお母さんがいるべき場所。一条くんの奥さんがいるべき場所。
 高階 明里のいる場所じゃない。

 「――明里、どうした?」

 一条くんの問いかけ。

 「具合悪い?」

 世那くんを寝かしつけ、おとずれた夜の時間。私の体を愛撫する彼の手が止まった。黙り込んだまま、動くのをやめてしまった私を心配してくれる。

 「ううん、大丈夫。いや、夕方倒したGのことを思い出しちゃって」

 「G?」

 「うん、G。こうカサカサッとね、現れたんだよ、アイツが」

 黒茶色いテカテカ光って細い触覚をヒクヒク動かすアレ。

 「世那くんが触ろうとしたから、あわてて叩き潰したけど。いやあ、アレはデカかった。多分人生で初の大きさだったよ」
 
 ウンウンと一人うなずく。

 「手にしたスリッパで、こうスパーンッとやっつけたけど。アレは今思い出してもおっそろしいヤツだった」

 嘘が舌をなめらかに動かす。

 「それって、今思い出すべきこと?」

 「ごめん。目をつむったら、つい……ね」

 への字に口を曲げた一条くんに謝罪する。たしかに、Gなら愛撫途中に思い出すものじゃないよね。

 「……ねえ、一条くん」

 少しだけ真顔に戻る。けど――。

 「ゴメン、なんでもない」

 やっぱり言えない。薫子さんが戻ってきたこと。伝えなきゃいけないのに、言葉にできない。言い出せない。言葉を、思いを、無理やり呑み下す。お腹に鉛を詰め込まれたような感覚。一条くんが帰ってきてから、何度も何度も呑み込んだせいで、心が体がどうしようもなく重い。

 「――明里」

 私の鎖骨にキスした一条くん。ちょっとだけ強く吸い上げられ、軽く呻く。

 「所有印。僕以外、よそ見されたくない」

 って、キスマークつけられたの? 見下ろしてみるけど、鎖骨って自分から見ることできないからわからない。

 「世那くんでもダメなの?」

 「ダーメ。僕といる時は、僕のことだけ考えて」

 一条くんって、意外と狭量?

 「まだよそ事考えるなら、もっとつけておくけど?」

 「え、いやいやいや。それはダメ。絶対ダメ!!」

 鎖骨だって、うっかり襟ぐりの大きな服だと見えちゃうっていうのに。首筋に唇を這わせ始めた一条くんの顔を少しだけ押し戻す。

 「一条くんって、愛情重い系なの?」

 「うん。明里にだけ、限定でね」

 いや、それは……。なんか、ごちそうさまです。
 顔が一気に熱くなる。

 「明里もつけてよ」

 彼の指がトントンと自分の首筋をさす。ワイシャツでギリ隠せるかどうか微妙な位置。キスマークを隠すつもりがあるのかどうか。

 「いいの?」

 「うん」

 「……でも、私、やったことない」

 キスならある。こうやって一条くんと体を交わすようになって、自分から口づけた経験はある。けど、キスマークとなると……。

 「口をすぼめて、シェイクを吸うようなかんじでやればいいんだよ。無理なら噛みついたらいい」

 「いや、吸血鬼じゃないんだから」

 首筋を噛んでいいのはヴァンパイアだけでしょ。
 
 「じゃ、じゃあ――」

 コクリと喉が鳴る。一条くんの少し筋の浮かんだ首――は、恥ずかしかったので、ちょっとずらして鎖骨に口づける。一生懸命吸ってみるけど自信がなかったので、念押しにちょっぴり噛みつくと、彼がピクンと体を震わせた。――痛かった?

 「明里」

 不安に思ってると、彼が優しく名を呼び微笑んだ。
 ほんのり鎖骨を赤く染めた彼。私がつけた所有印。
 
 「明里……?」

 彼の指の腹が頬を拭う。私――泣いてる?
 私のつけたキスマーク。ボンヤリと淡い初心者キスマーク。それを見ていたら、勝手に涙が溢れて止まらなくなった。
 頑張ってつけたけど、きっと数日もすれば消えてしまうはかないもの。薫子さんが帰ってきたら、彼女がアッサリ上書きするだろう。もっと鮮やかに、ハッキリと克明に。
 あのスモーキーピンクの唇。彼女ならなんのためらいもなしに、首筋に印を残すんだろう。

 イヤだ。
 イヤだ。イヤだ。イヤだ。イヤだ。
 
 どうしようもない感情とともに、押しつけるように彼の唇を奪う。
 今だけ。今だけは、私だけのものであってほしい。
 せめて、その印が消えるまでは。

 (私も人のこと、言えないな)

 抱き合い、体を絡め合って転がったベッドの上。貪るように彼を求め、溺れる。
 自分にこんな重い独占欲があること、初めて知った。

*     *     *     *

 (あ……)

 ベッドを下りた衝撃で、足の間からトロリと熱いものが溢れた。彼が、私の中に残していったものの一部。

 (しまった。ゴム、忘れてた)

 感情のままに彼を求めたせいで、着けてもらう余裕がなかった。
 抱かれたそのままに裸の自分。触れ合う気持ちよさにそのまま寝落ちそうになったけれど、私のやるべきことは別にある。
 
 (ごめんね、一条くん)

 サイドテーブルに無造作に置かれていたスマホ。一条くんのそれを勝手に手に取る。
 案の定、ロックのかかったスマホ。
 彼の誕生日? ――違う。
 私の誕生日? ――それはうぬぼれすぎ。試さずそのまま却下。
 世那くんの誕生日? ――ロック解除。

 (どれだけ世那くんを大事に思ってるのよ)

 裸のまま眠り続ける彼をクスリと笑う。
 表示された時刻は0126。午前1時26分。
 ちょっと遅いけど、ダメじゃないと思う。
 受話器のマークをタップして、目当ての番号を見つける。
 彼女の誕生日とか結婚記念日だったら、私、お手上げだったな。そんなことを考えながら、発信。
 コールすること九回。

 「――はい?」

 眠たげな、不満そうな女性の声。

 「夜分遅くにすみません。世那くんのお世話を任されてるシッターです」

 チラリと一条くんを見る。私がその腕の中から抜け出したことも知らず、なにかを抱きしめるようにして眠る彼。

 「本日は大変失礼いたしました。明日の日中、もう一度こちらに起こし願えませんでしょうか。お話したいことがあります」

 努めて冷静に話したつもりなのに。
 涙とともに、コプンと体の奥から大切なものが滴り落ちていった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

婚約破棄ですか???実家からちょうど帰ってこいと言われたので好都合です!!!これからは復讐をします!!!~どこにでもある普通の令嬢物語~

tartan321
恋愛
婚約破棄とはなかなか考えたものでございますね。しかしながら、私はもう帰って来いと言われてしまいました。ですから、帰ることにします。これで、あなた様の口うるさい両親や、その他の家族の皆様とも顔を合わせることがないのですね。ラッキーです!!! 壮大なストーリーで奏でる、感動的なファンタジーアドベンチャーです!!!!!最後の涙の理由とは??? 一度完結といたしました。続編は引き続き書きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

カタブツ上司の溺愛本能

加地アヤメ
恋愛
社内一の美人と噂されながらも、性格は至って地味な二十八歳のOL・珠海。これまで、外国人の父に似た目立つ容姿のせいで、散々な目に遭ってきた彼女にとって、トラブルに直結しやすい恋愛は一番の面倒事。極力関わらず避けまくってきた結果、お付き合いはおろか結婚のけの字も見えないおひとり様生活を送っていた。ところがある日、難攻不落な上司・斎賀に恋をしてしまう。一筋縄ではいかない恋に頭を抱える珠海だけれど、破壊力たっぷりな無自覚アプローチが、クールな堅物イケメンの溺愛本能を刺激して……!? 愛さずにはいられない――甘きゅんオフィス・ラブ!

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

処理中です...