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第4話 お節介の天元突破。
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「ごめんな、こんな時間まで」
家までの帰り道。一条くんが謝った。
あれから、ゴハンを食べ終えた一条くんとせなくん。部屋も片付けられたし、私もお腹すいたしで、帰ろうとしたんだけど。
ウギャアアァッ!! ウギャアアアアァン!!
まさかのせなくんギャン泣き。
一条くんが抱っこしても泣き止まない。仕方なく受け取ると、私の胸にしがみついちゃった。人見知りしてギャン泣きではなく、「帰っちゃ嫌だ」のギャン泣き。
ヨシヨシと体を揺らしてあげると、安心したように眠っていったせなくん。エックエックと泣きすすりながらの入眠。寝たからベッドに下ろそうとしても、背中が布団に着地するたび、ギャン泣きリターン。そのくり返し。
今だって帰る途中だけど、せなくんを抱っこしたままだし、せなくんの小さな手はこれでもかとばかりに私の服をつかんで離さない。仕方なく、こんな時間だけど、せなくんを連れての帰りになっちゃった。
よっぽど離れたくなかったのかなあ。それか、これでも私も女の端くれだし、お母さんが恋しくなったのかなあ。同じ女としての認識から、甘えたくなってるのかもしれない。
どういう事情でお母さんと離れてるのか知らないけど、せなくんの心情を思うと、かなり切ない。
「まあ、私もせなくんと離れるの寂しかったし。これぐらい気にしないで」
せなくんと離れがたいのは本音。
ここまでトコトン懐かれたから、そう思うのかもしれないけど。
好かれたから、こちらも好きになる。これ万有引力の法則。
一条くんの抱える家庭の事情には踏み込めないけど、これぐらいの手伝いはどうってことない。
「さて。送ってくれてありがと」
家の手前、門扉のところで一条くんと向き合う。
「ああ、こちらこそ。助かった」
言いながら、抱っこしていたせなくんの返還。これだけぐっすり寝てたら、もうだいじょ――
「フッ、ウッ、フアッ……」
――うぶじゃなかった。
ギャン泣き再来の予兆。震えだしたせなくんの体。皺が寄り始めた寝顔。服を握りしめた手に力がこもる。
「ダメだコリャ」
昔のコントみたいなセリフとともに抱っこし直す。途端に震えも皺もなくなって、スヤスヤと眠り始めた。
「ごめんな」
「だから、いいって。それより――」
どうしたものかな。
さすがに連れて帰ったら、お母さんたちビックリだろうし。かといって、一条くんの家に逆戻りするのもなあ。手離したら泣くのが確定してるせなくんを、無理やり引き剥がして連れて帰ってもらうのも気が引けるし。
あ。
「ちょっとだけ公園に寄ってかない? せなくんが落ち着くまで」
目についたのは、家の斜め向かいにある公園。
もうしばらくしたら、せなくんの眠りも深くなって離れることができるかもしれないし。
「わかった。ホントにすまない」
だから、気にしないでって。
頷いた一条くんと連れ立って公園に入っていく。
家々に囲まれた小さな団地の公園。区画的に売れにくい場所だったんだろうなって空間に、滑り台、ブランコ、ジャングルジムとベンチという「公園基本セット」が所狭しと押し込められてる。
なかに入って、少し迷ったけど、ブランコを座る場所に選んだ。ベンチに座ったら、赤子を抱いて並んで座る若い男女――っていう微妙なシチュエーションが出来上がっちゃうし。ブランコなら、軽く揺すりながら座ってたら、せなくんも気持ちいいだろうし。一条くんとのソーシャルディスタンスも取れるだろうし。
そんな考えのもとブランコに腰を落ち着けたら、一条くんがその向かい、ブランコを取り囲む柵にもたれるように腰掛けた。
薄ぼんやりとした公園の灯が、私と一条くんを暗闇に浮かび上がらせる。
こちらを、というか私に抱かれたままの息子をジッと見つめる一条くん。その目線に、どういう顔をして向かい合えばいいのかわかんなくって、所在なくユラユラとブランコを揺らす。
昔はよくここで近所の同級生が集まって遊んだなあ。もちろん一条くんとも。あの頃は、「一条くん」ではなく、「りっくん」って呼んでたっけ。律くんだから、舌っ足らず気味に「りっくん」。
お互いの家を行き来したこともあるし、一緒にゲームしたこともある。
けど、小学校高学年ぐらいから、自然と離れていった。まあ、性別違うし? 他にも似たような状況になった幼なじみはいるし? 特に疎遠になったからって寂しいとかそういうのもなかった。
ただの昔なじみ。
別々の高校に進学して以来、今日まで結婚してることも、子供がいることも知らなかった。自分が覚えてるのは、一緒にブランコを漕いだこととか、学ラン姿で中学に通う姿とかそんなぐらい。中学は確かサッカー部だっけ。自分はインドア美術部だったから、詳しくは知らない。
そんな自分が上着こそ脱いでるものの、ワイシャツネクタイ姿の幼なじみの赤ちゃんを抱いてるなんて。いやあ、世の中、何があるかわかったもんじゃないですなあ。
かたや一児の父でリーマン。かたや家を追い出されかけてるパート店員。
あんなに一緒だったのに? 歩む人生はかなり真逆方向。
「……高階は、あそこの店で働いて、長いの?」
唐突に一条くんの世間話。
昔は、「あかりちゃん」だったのに。こちらも「高階」、苗字呼び。
「あー、うん。あそこでパートとして働いてる」
「…………そっか」
……………………?
何、その間。なんか俯いて手を組み始めたし。
「あー、ゴメン。なんでもない」
かと思えば、いきなり顔をあげて、頭をワシワシ掻き始めたし。――なんなの?
「ゴメン。いつまでも甘えてちゃいけないよな」
ヨッと立ち上がった一条くん。せなくんを受け取るつもりなのか、こちらに近づいてくるけど。
「ねえ、なんか言いたいことあるんじゃない?」
なんとなく、せなくんを奪われたくなくて、キュッと体をよじった。
「“ありがとう”? “助かった”?」
「違う。そういうお礼めいたことじゃなくって。なんか私に言いたいこと、話したいことがあるんじゃないかって訊いてるの」
「ありがとう、助かった」は、「言いたいこと」じゃなくって、「人として言わなきゃいけないこと」でしょうが。
「ねえ、聴くだけかもしれないけど、言うだけ言ってみたら? これでも口は堅いよ? 聴くだけで、なんの役にも立たないかもしれないけどさ。ほら、育児の愚痴とか、そういうの」
守秘義務違反しないよ?
「高階……」
「全部、思ってること、吐き出しちゃいなさい。幼なじみとして、特別価格で受け止めてあげるわよ」
よく言うじゃん。育児で悩んだら、誰かに話そうって。知らないところで育児ノイローゼになられるぐらいなら、怒涛の愚痴ラッシュでも受け止めてやるわよ。
仕事で買い物ついで、いや、愚痴ついでに買い物に訪れるお客さんも多いし。嫁への愚痴、姑への愚痴、夫への愚痴、体の不調からくる愚痴。いろんな愚痴への耐性はついてる。
さあ、来い!! 幼なじみの愚痴ぐらい受け止めてやろうじゃないの!!
せなくんを抱いてるから、心のなかでバンバンと胸を叩いて受け止める準備をする。
オラオラ、洗いざらい吐き出してスッキリ楽になっちまいな。
「……やっぱ、優しいな」
へ?
クスッと笑った一条くん。
「ねえ。せなの面倒を見て欲しいって言ったら、――それも幼なじみの許容範囲内?」
「へ? え? は?」
許容範囲ウンヌンとか言うより――へ?
「あの、奥さん、せなくんのお母さんは……」
あー、私のバカバカバカ!!
家庭の事情には踏み込まないって誓ったばかりだったのに!!
「死別したとかそういうのじゃないから、安心して」
あー、うん。
私が言葉をちょん切ったのは、そっちを考えて口をつぐんだわけじゃない。けど、一条くんにはそう思われてしまった。
「世那の母親、薫子は、世那を置いて半年前に出ていったんだ」
う。すごいヘビーな話、来た。
「それって、育児ノイローゼとか、そういうの?」
「多分、違うと思う」
「そ、そうなんだ」
育児ノイローゼじゃなかったら、何を理由に出ていくのか。深く追求すると地雷っぽいので黙っておく。そこはよその夫婦の事情。他人事。不可侵条約を一方的に締結。
「残ったせなの世話、僕がしたいところなんだけど、手が離せない仕事があって。あっちでシッターさんに見てもらってたんだけど、せな、シッターさんに全然懐かなくって」
深い溜め息とともに、柵に腰掛け直した一条くん。
「母さんが助けてくれるっていうから、こっちに連れてきたんだけど、母さんも腰を痛めちゃって入院することになって」
なるほど。
「それで、私にシッターを頼みたいって思ったわけね」
初対面で、いきなりせなくんと仲良くなった、対赤ちゃんコミュ力高そうな私に。
「うん。でも、高階も仕事あるだろうし、都合もあるだろうから」
だから、言おうとしなかった。
半年前、赤ちゃんを置いて別れた(逃げられた?)奥さん。
大事な仕事があるから、赤ちゃんの世話を誰かに頼みたいのに、シッターさんには懐かないし、親は腰を痛めて入院してしまった。
多分、八方塞がりなんだろうな。
灯に照らされた一条くんの顔に浮かぶ深い陰影。まるでリングコーナーで、椅子に腰掛け真っ白に燃え尽きたアレみたい。
(大変そうだなあ)
心が疼く。
どういう事情で奥さんが出ていったのか知らないし、育児は女性だけがやるものじゃないってのは頭でわかってるけど、ここまで、私なんかに頼ろうって考えちゃうぐらい追い詰められてる姿は、胸が苦しくなる。
そして、せなくん。
ある日突然お母さんがいなくなって、お父さんと二人暮らしになった。それだけでも寂しいのに、お父さんは仕事で出かけてしまう。せなくんがギャン泣きしても、一条くんに甘えても、せなくんは何も悪くない。せなくんは、大人の都合、事情なんて知らないんだから。むしろ一番の被害者なのかもしれない。
「……ねえ。その面倒をみてほしいってのは、期間限定?」
「え?」
「おばさんが病院から退院してくるまで? それとも無期限、せなくんが大きくなるまで?」
「いや、さすがにそこまで考えてなかったんだけど……」
顔を上げた一条くん。
「私でよかったら、せなくんのお世話をするよ?」
腕の中の赤子。抱きしめる手に力がこもる。
「だけど……」
「一条くんだって、疲れてるでしょ。おばさんも入院して、打つ手なしの緊急事態なわけだし。だったら、こういう時ぐらい誰かを頼りなよ」
私じゃ、あんまり頼りにならないかもしれないけどさ。
「それに、せなくん、こんなにかわいいのに、いろんな事情に振り回されてかわいそすぎるよ」
今だって、ずっと私の服にしがみついてる。
最初は単純に甘えてくれてる、人懐っこい子なんだって思ってたけど、そういう事情ならワケが違う。
せなくん、寂しいんだ。
私なんかにすがりつくほどに。
「一条くんがちょっと息抜きする間でもいい。少しぐらいは誰かを頼って」
せなくんのためにも。一条くんのためにも。
「助かる。けど、本当にいいのか?」
「いいわよ。仕事も、ちょうど有休が溜まってるし。それ使って休んじゃうわよ」
それだったら、タダでベビーシッターやってても、あっちでお給料もらえることになるし。損はしない。
「――ってねえ、せなくんの面倒をみるのはいいけどさ、それって、一条くんの実家でみてたほうがいい? それとも一条くんの家のほうがいい?」
ベビーシッターっていうのなら、どっちでもアリだろうけど。
「え、いや、僕の家だと、さすがに遠いから」
「家、どこなの?」
「東京」
「と、東京っ!?」
私の裏返った声に、一条くんがシッと唇に指を当てた。あ、そうだ。私、寝てるせなくんを抱っこしてるんだった。おそるおそる様子を見るけど、せなくん、ビクともしてない。スヤスヤねんね。セーフ。
「もうすぐリモートに切り替えてもらう予定だけど、今はここから通ってる」
いや、通ってるって。サラッと言うけど。
「何時間かかるのよ」
「のぞみなら一時間半。ひかりなら二時間」
こだまなら二時間半……ってそういうことを訊いてるんじゃない!!
「せなのため、だからね」
ヨイショッと立ち上がった一条くん。
今日だって、そののぞみだかひかりだかに乗って帰ってきたんだろう。だから、あんな遅く、閉店間際に店にやってきた。そして今もヘロヘロ、重い顔してる。
きっと、明日もせなくんのために、東京とここを往復するんだろうな。新幹線だけじゃない。在来線も併せて、とんでもなく長い時間をかけて通勤する一条くん。
近づいてきた手が、眠ったままのせなくんの頭を撫でる。疲れてるはずなのに、一条くんの、せなくんを見る目はどこまでも柔らかく優しい。
「ねえ、東京の家に空き室ある?」
「え? ある……けど」
その言葉に、せなくんを抱きしめたまま、私も立ち上がる。
「私、東京へ行ってあげる。一条くんが仕事している間、私がせなくんの面倒をみてあげる」
「ええっ!? た、高階っ!?」
一条くんが細めていた目を真ん丸に変えた。その一条くんに、今度は私が「シッ」と指を当ててみせる。
「リモートに切り替えたって、ずっとせなくんのお世話ができるわけじゃないでしょ? せなくんのために、往復するのだって大変だろうし」
「それは、まあ、そう……だけど」
「それに私の家、もうすぐ建て替えるんだけどさ。弟家族と二世帯住宅になるから、居座るにはちょっと肩身が狭いのよね。新しい住まいとか、ちょうど困ってたから、少しの間、お邪魔させてもらうわ」
「いや、え? でも……。いいのか?」
「いいわよ。今の仕事に未練があるわけでもないし。再就職だって考えてたぐらいだし。これを機会に東京にでも進出するわ。仕事と新居が決まるまで、せなくんのお世話を条件に置いてもらえるとこっちも助かる」
それに。
あんな極上の笑顔を向けてくれたせなくん。
この子に悲しい思いをさせたくない。
今日初めてあったばかりの子なのに、この手を離したくない。そう思った。
家までの帰り道。一条くんが謝った。
あれから、ゴハンを食べ終えた一条くんとせなくん。部屋も片付けられたし、私もお腹すいたしで、帰ろうとしたんだけど。
ウギャアアァッ!! ウギャアアアアァン!!
まさかのせなくんギャン泣き。
一条くんが抱っこしても泣き止まない。仕方なく受け取ると、私の胸にしがみついちゃった。人見知りしてギャン泣きではなく、「帰っちゃ嫌だ」のギャン泣き。
ヨシヨシと体を揺らしてあげると、安心したように眠っていったせなくん。エックエックと泣きすすりながらの入眠。寝たからベッドに下ろそうとしても、背中が布団に着地するたび、ギャン泣きリターン。そのくり返し。
今だって帰る途中だけど、せなくんを抱っこしたままだし、せなくんの小さな手はこれでもかとばかりに私の服をつかんで離さない。仕方なく、こんな時間だけど、せなくんを連れての帰りになっちゃった。
よっぽど離れたくなかったのかなあ。それか、これでも私も女の端くれだし、お母さんが恋しくなったのかなあ。同じ女としての認識から、甘えたくなってるのかもしれない。
どういう事情でお母さんと離れてるのか知らないけど、せなくんの心情を思うと、かなり切ない。
「まあ、私もせなくんと離れるの寂しかったし。これぐらい気にしないで」
せなくんと離れがたいのは本音。
ここまでトコトン懐かれたから、そう思うのかもしれないけど。
好かれたから、こちらも好きになる。これ万有引力の法則。
一条くんの抱える家庭の事情には踏み込めないけど、これぐらいの手伝いはどうってことない。
「さて。送ってくれてありがと」
家の手前、門扉のところで一条くんと向き合う。
「ああ、こちらこそ。助かった」
言いながら、抱っこしていたせなくんの返還。これだけぐっすり寝てたら、もうだいじょ――
「フッ、ウッ、フアッ……」
――うぶじゃなかった。
ギャン泣き再来の予兆。震えだしたせなくんの体。皺が寄り始めた寝顔。服を握りしめた手に力がこもる。
「ダメだコリャ」
昔のコントみたいなセリフとともに抱っこし直す。途端に震えも皺もなくなって、スヤスヤと眠り始めた。
「ごめんな」
「だから、いいって。それより――」
どうしたものかな。
さすがに連れて帰ったら、お母さんたちビックリだろうし。かといって、一条くんの家に逆戻りするのもなあ。手離したら泣くのが確定してるせなくんを、無理やり引き剥がして連れて帰ってもらうのも気が引けるし。
あ。
「ちょっとだけ公園に寄ってかない? せなくんが落ち着くまで」
目についたのは、家の斜め向かいにある公園。
もうしばらくしたら、せなくんの眠りも深くなって離れることができるかもしれないし。
「わかった。ホントにすまない」
だから、気にしないでって。
頷いた一条くんと連れ立って公園に入っていく。
家々に囲まれた小さな団地の公園。区画的に売れにくい場所だったんだろうなって空間に、滑り台、ブランコ、ジャングルジムとベンチという「公園基本セット」が所狭しと押し込められてる。
なかに入って、少し迷ったけど、ブランコを座る場所に選んだ。ベンチに座ったら、赤子を抱いて並んで座る若い男女――っていう微妙なシチュエーションが出来上がっちゃうし。ブランコなら、軽く揺すりながら座ってたら、せなくんも気持ちいいだろうし。一条くんとのソーシャルディスタンスも取れるだろうし。
そんな考えのもとブランコに腰を落ち着けたら、一条くんがその向かい、ブランコを取り囲む柵にもたれるように腰掛けた。
薄ぼんやりとした公園の灯が、私と一条くんを暗闇に浮かび上がらせる。
こちらを、というか私に抱かれたままの息子をジッと見つめる一条くん。その目線に、どういう顔をして向かい合えばいいのかわかんなくって、所在なくユラユラとブランコを揺らす。
昔はよくここで近所の同級生が集まって遊んだなあ。もちろん一条くんとも。あの頃は、「一条くん」ではなく、「りっくん」って呼んでたっけ。律くんだから、舌っ足らず気味に「りっくん」。
お互いの家を行き来したこともあるし、一緒にゲームしたこともある。
けど、小学校高学年ぐらいから、自然と離れていった。まあ、性別違うし? 他にも似たような状況になった幼なじみはいるし? 特に疎遠になったからって寂しいとかそういうのもなかった。
ただの昔なじみ。
別々の高校に進学して以来、今日まで結婚してることも、子供がいることも知らなかった。自分が覚えてるのは、一緒にブランコを漕いだこととか、学ラン姿で中学に通う姿とかそんなぐらい。中学は確かサッカー部だっけ。自分はインドア美術部だったから、詳しくは知らない。
そんな自分が上着こそ脱いでるものの、ワイシャツネクタイ姿の幼なじみの赤ちゃんを抱いてるなんて。いやあ、世の中、何があるかわかったもんじゃないですなあ。
かたや一児の父でリーマン。かたや家を追い出されかけてるパート店員。
あんなに一緒だったのに? 歩む人生はかなり真逆方向。
「……高階は、あそこの店で働いて、長いの?」
唐突に一条くんの世間話。
昔は、「あかりちゃん」だったのに。こちらも「高階」、苗字呼び。
「あー、うん。あそこでパートとして働いてる」
「…………そっか」
……………………?
何、その間。なんか俯いて手を組み始めたし。
「あー、ゴメン。なんでもない」
かと思えば、いきなり顔をあげて、頭をワシワシ掻き始めたし。――なんなの?
「ゴメン。いつまでも甘えてちゃいけないよな」
ヨッと立ち上がった一条くん。せなくんを受け取るつもりなのか、こちらに近づいてくるけど。
「ねえ、なんか言いたいことあるんじゃない?」
なんとなく、せなくんを奪われたくなくて、キュッと体をよじった。
「“ありがとう”? “助かった”?」
「違う。そういうお礼めいたことじゃなくって。なんか私に言いたいこと、話したいことがあるんじゃないかって訊いてるの」
「ありがとう、助かった」は、「言いたいこと」じゃなくって、「人として言わなきゃいけないこと」でしょうが。
「ねえ、聴くだけかもしれないけど、言うだけ言ってみたら? これでも口は堅いよ? 聴くだけで、なんの役にも立たないかもしれないけどさ。ほら、育児の愚痴とか、そういうの」
守秘義務違反しないよ?
「高階……」
「全部、思ってること、吐き出しちゃいなさい。幼なじみとして、特別価格で受け止めてあげるわよ」
よく言うじゃん。育児で悩んだら、誰かに話そうって。知らないところで育児ノイローゼになられるぐらいなら、怒涛の愚痴ラッシュでも受け止めてやるわよ。
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オラオラ、洗いざらい吐き出してスッキリ楽になっちまいな。
「……やっぱ、優しいな」
へ?
クスッと笑った一条くん。
「ねえ。せなの面倒を見て欲しいって言ったら、――それも幼なじみの許容範囲内?」
「へ? え? は?」
許容範囲ウンヌンとか言うより――へ?
「あの、奥さん、せなくんのお母さんは……」
あー、私のバカバカバカ!!
家庭の事情には踏み込まないって誓ったばかりだったのに!!
「死別したとかそういうのじゃないから、安心して」
あー、うん。
私が言葉をちょん切ったのは、そっちを考えて口をつぐんだわけじゃない。けど、一条くんにはそう思われてしまった。
「世那の母親、薫子は、世那を置いて半年前に出ていったんだ」
う。すごいヘビーな話、来た。
「それって、育児ノイローゼとか、そういうの?」
「多分、違うと思う」
「そ、そうなんだ」
育児ノイローゼじゃなかったら、何を理由に出ていくのか。深く追求すると地雷っぽいので黙っておく。そこはよその夫婦の事情。他人事。不可侵条約を一方的に締結。
「残ったせなの世話、僕がしたいところなんだけど、手が離せない仕事があって。あっちでシッターさんに見てもらってたんだけど、せな、シッターさんに全然懐かなくって」
深い溜め息とともに、柵に腰掛け直した一条くん。
「母さんが助けてくれるっていうから、こっちに連れてきたんだけど、母さんも腰を痛めちゃって入院することになって」
なるほど。
「それで、私にシッターを頼みたいって思ったわけね」
初対面で、いきなりせなくんと仲良くなった、対赤ちゃんコミュ力高そうな私に。
「うん。でも、高階も仕事あるだろうし、都合もあるだろうから」
だから、言おうとしなかった。
半年前、赤ちゃんを置いて別れた(逃げられた?)奥さん。
大事な仕事があるから、赤ちゃんの世話を誰かに頼みたいのに、シッターさんには懐かないし、親は腰を痛めて入院してしまった。
多分、八方塞がりなんだろうな。
灯に照らされた一条くんの顔に浮かぶ深い陰影。まるでリングコーナーで、椅子に腰掛け真っ白に燃え尽きたアレみたい。
(大変そうだなあ)
心が疼く。
どういう事情で奥さんが出ていったのか知らないし、育児は女性だけがやるものじゃないってのは頭でわかってるけど、ここまで、私なんかに頼ろうって考えちゃうぐらい追い詰められてる姿は、胸が苦しくなる。
そして、せなくん。
ある日突然お母さんがいなくなって、お父さんと二人暮らしになった。それだけでも寂しいのに、お父さんは仕事で出かけてしまう。せなくんがギャン泣きしても、一条くんに甘えても、せなくんは何も悪くない。せなくんは、大人の都合、事情なんて知らないんだから。むしろ一番の被害者なのかもしれない。
「……ねえ。その面倒をみてほしいってのは、期間限定?」
「え?」
「おばさんが病院から退院してくるまで? それとも無期限、せなくんが大きくなるまで?」
「いや、さすがにそこまで考えてなかったんだけど……」
顔を上げた一条くん。
「私でよかったら、せなくんのお世話をするよ?」
腕の中の赤子。抱きしめる手に力がこもる。
「だけど……」
「一条くんだって、疲れてるでしょ。おばさんも入院して、打つ手なしの緊急事態なわけだし。だったら、こういう時ぐらい誰かを頼りなよ」
私じゃ、あんまり頼りにならないかもしれないけどさ。
「それに、せなくん、こんなにかわいいのに、いろんな事情に振り回されてかわいそすぎるよ」
今だって、ずっと私の服にしがみついてる。
最初は単純に甘えてくれてる、人懐っこい子なんだって思ってたけど、そういう事情ならワケが違う。
せなくん、寂しいんだ。
私なんかにすがりつくほどに。
「一条くんがちょっと息抜きする間でもいい。少しぐらいは誰かを頼って」
せなくんのためにも。一条くんのためにも。
「助かる。けど、本当にいいのか?」
「いいわよ。仕事も、ちょうど有休が溜まってるし。それ使って休んじゃうわよ」
それだったら、タダでベビーシッターやってても、あっちでお給料もらえることになるし。損はしない。
「――ってねえ、せなくんの面倒をみるのはいいけどさ、それって、一条くんの実家でみてたほうがいい? それとも一条くんの家のほうがいい?」
ベビーシッターっていうのなら、どっちでもアリだろうけど。
「え、いや、僕の家だと、さすがに遠いから」
「家、どこなの?」
「東京」
「と、東京っ!?」
私の裏返った声に、一条くんがシッと唇に指を当てた。あ、そうだ。私、寝てるせなくんを抱っこしてるんだった。おそるおそる様子を見るけど、せなくん、ビクともしてない。スヤスヤねんね。セーフ。
「もうすぐリモートに切り替えてもらう予定だけど、今はここから通ってる」
いや、通ってるって。サラッと言うけど。
「何時間かかるのよ」
「のぞみなら一時間半。ひかりなら二時間」
こだまなら二時間半……ってそういうことを訊いてるんじゃない!!
「せなのため、だからね」
ヨイショッと立ち上がった一条くん。
今日だって、そののぞみだかひかりだかに乗って帰ってきたんだろう。だから、あんな遅く、閉店間際に店にやってきた。そして今もヘロヘロ、重い顔してる。
きっと、明日もせなくんのために、東京とここを往復するんだろうな。新幹線だけじゃない。在来線も併せて、とんでもなく長い時間をかけて通勤する一条くん。
近づいてきた手が、眠ったままのせなくんの頭を撫でる。疲れてるはずなのに、一条くんの、せなくんを見る目はどこまでも柔らかく優しい。
「ねえ、東京の家に空き室ある?」
「え? ある……けど」
その言葉に、せなくんを抱きしめたまま、私も立ち上がる。
「私、東京へ行ってあげる。一条くんが仕事している間、私がせなくんの面倒をみてあげる」
「ええっ!? た、高階っ!?」
一条くんが細めていた目を真ん丸に変えた。その一条くんに、今度は私が「シッ」と指を当ててみせる。
「リモートに切り替えたって、ずっとせなくんのお世話ができるわけじゃないでしょ? せなくんのために、往復するのだって大変だろうし」
「それは、まあ、そう……だけど」
「それに私の家、もうすぐ建て替えるんだけどさ。弟家族と二世帯住宅になるから、居座るにはちょっと肩身が狭いのよね。新しい住まいとか、ちょうど困ってたから、少しの間、お邪魔させてもらうわ」
「いや、え? でも……。いいのか?」
「いいわよ。今の仕事に未練があるわけでもないし。再就職だって考えてたぐらいだし。これを機会に東京にでも進出するわ。仕事と新居が決まるまで、せなくんのお世話を条件に置いてもらえるとこっちも助かる」
それに。
あんな極上の笑顔を向けてくれたせなくん。
この子に悲しい思いをさせたくない。
今日初めてあったばかりの子なのに、この手を離したくない。そう思った。
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