コウノトリの誤配。~幼なじみに再会したら、赤ちゃんと溺愛が待っていました~

若松だんご

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第2話 星に願いを、夜空に愚痴を。

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 「ああ、一条さんちね。帰ってきてるわよ、律くん」

 キッチンに立つ母が、菜箸を片手に言った。

 「なんでもねえ、赤ちゃんを育てるのを手伝って欲しいって、こっちに戻ってきたらしいわよ」

 「ふぅん」

 醤油、砂糖、出汁少々。茹でたほうれん草にごまをすり入れて、和え続ける母。今日は、ほうれん草のおひたしか。個人的には鰹節で和えてくれたほうが好きなんだけどな。
 キッチン脇にある冷蔵庫を開けて物色。

 「でも一条くんって、たしかあっちで就職したんじゃなかったっけ?」

 おぼろげな記憶をたどる。
 一条 律。
 私の幼なじみ。徒歩三分のご近所さん。
 中学までは同じ学校だったけど、高校で分かれた。東京だったか大阪だったか。その辺の都会の大学に進学して、そのまま就職したって聞いたような気がする。
 幼なじみって言っても、性別違うし。お隣さんってわけでもない。ちっちゃい頃は一緒に遊んだけど、特別仲良い相手でもなかったし。だから、持ち合わせてる情報が少ない。
 今も、赤ちゃんがいるって聞いて、「ああ、結婚してたんだ」って知ったぐらい。

 「なんかねえ、よくわかんないけど、あそこの奥さんが子育てを手伝ってるんだって」

 「そうなんだ」

 どういう事情なのか、そこまでの興味はない。
 ただ、あんな仕事帰りに、急いで赤ちゃん用品を買いに来るのは大変そうだな、イクメンガンバレって思っただけで。

 「お母さん、ここにあったチューハイは?」

 なくなってるんだけど。
 どれだけ捜しても、冷蔵庫の中にあるのは、お父さん用の缶コーヒーと、よくわからない惣菜タッパー、味噌、卵ぐらい。

 「ああ、それね。誠彦が持っていったわよ」

 「ええ? 持たせたの? あれを? あれ、仕事で必要だったのに!!」

 「仕事って。アンタ、ただの薬屋のバイト店員じゃないの」

 「ドラッグストア!! ついでに言えば、バイトじゃなくってパート!! お酒を担当してるから、味を確かめとく必要があるの!!」

 「似たようなもんじゃない。ノンベエなだけだし」

 母が呆れる。
 アルバイトとパートなんて、でんでんむしとカタツムリぐらいの差にしか思ってないんだろう。どっちも非正規雇用。短時間雇用、時間給の、ボーナスナシ。
 
 「仕方ないじゃん。これも仕事なんだから」

 毎年いろんな種類が登場する缶酎ハイ。ほとんどがレモン、レモン、これまたレモンでたいして変わんないんだけど、それでも、一応味を確認しておく必要がある――って、まあ私の楽しみ100%でもあったんだけど!! クソ弟め!! お母さんがOK出したからって姉のものを無断で持ってかないでよ!!
 仕事のヤなこと全部チューハイで流してやろうって思ってたのに。

 「というか、あの子、来たの?」

 諦めと腹いせに、黒い缶コーヒーを手に扉をおしりで閉める。

 「来たわよ。由美香さんと一緒にね。ほら、そこに図面があるでしょ? それを持ってきてくれたのよ」

 軽く母が顎で指し示した先。夕飯が並ぶ前のテーブルに広げられたA3の用紙。――新しい高階家の間取り。『高階誠彦様邸 新築工事 平面図(案)』
 横目に眺めつつ、缶を開ける。

 「……ねえ、これ」

 「完全分離型の二世帯住宅よ。ほら玄関もキッチンも全部二つずつあるでしょ? お互いのライフスタイルを邪魔しないように設計されてるのよ」

 一階に親世帯、二階に子供世帯。一階が2LDK、二階が3LDK。玄関も、建物の西側と南側にそれぞれ分けて設置されてるから、「ドアを開けたらこんにちは」はないだろうけど。
 まあ、それはいいんだけど。
 
 「安心しなさい。アンタの部屋も用意されてるから」

 うん。図面の一階部分、六畳ほどの部屋はあるよ、たしかに。要望通り、要望通りかもれいない。けどさ。
 胸の内のモヤモヤをコーヒーとともに飲み下す。……って、苦っ!! 私、微糖が好きなんだけどな。父は、砂糖ミルクは許さないマン、ブラック派。
 悔しいから、眉間に縦筋を入れたまま全部飲み干す。

 「それより、アンタ暇なら、これ届けてきて」

 キッチンから出てきた母。手にはいくつかのタッパーを入れた白いレジ袋。
 まさか、弟のアパートまでこれを届けに行けと?

 「さっき話してたでしょ。一条さんのとこ」

 あ、そっちか。

 「あそこのお宅ね、奥さんが腰を痛めちゃったらしくてね。キッチンに立つのも難しいって言ってたら、今日とうとう入院する騒ぎになっちゃってね~」

 「あらら」

 そういや、この間、あそこのおじさんが湿布とか栄養ドリンクとか買いに来てたっけ。あれは、おじさん用じゃなく、おばさんのためだったのか。
 狭いコミュニティ、近所に一軒しかないドラッグストアで働いていれば、否応なくご近所さんの健康状態を知ることになる。
 そっか。市販薬で対処できなくなるぐらい腰をやっちゃったか。

 「で、これ。おすそ分け。赤ちゃん抱えて、律くん一人じゃなにかと大変だろうから」

 持ちつ持たれつ、困った時はお互い様。新興団地であっても、田舎のコミュニティは助け合い精神が根強い。

 「というか、なんで私が?」
 
 届けに行くの? お節介するならお母さんがやればいいじゃない。
 
 「働かざるもの食うべからず。夕飯までに届けてきて」

 いや、私も働いてきたんだけど? シフト交代して、残業までこなしてきたんだけど?
 チューハイだって、夕飯と一緒に飲む気だったのに。
 無理やり、押し付けられるように渡された袋。持った途端に、出来上がったばかりの料理の温もりと匂いが広がった。 
 
「――わかった。届けてくる」
 
 納得はいかないけど。
 さっきは店員と客としてしか話せなかったし。久しぶりに幼なじみに会ってくるのも悪くない。
 それと、ついでにコンビニにも寄ってこよう。弟に持っていかれたチューハイを取り戻す。ほうれん草のおひたしとともに、出来上がってたメニューは鶏の唐揚げ。唐揚げにはチューハイ。それもレモン一択っしょ。
 なんて言い訳を自分に言い聞かせ、サンダル履きで家を出る。
 家の外、広がる夜空には、街灯でかき消されかけた星が、ポツポツと頼りなく光る。

 (やっぱ、アレ、追い出す気満々だよね)

 その夜空を見上げながら思い出す。
 さっき見た『高階誠彦様邸 新築工事 平面図(案)』。
 誠彦が施主になってるのは、まあ百歩どころか一万歩譲って許すとしよう。お父さんがローンを組んだところで、もうすぐ定年だし。ローン審査に通らない可能性もある。たとえ、お父さんの退職金目当てのローン返済予定であっても、施主は誠彦でいいわよ。
 問題なのは、その間取り。
 お母さんは、私の部屋は確保してあるって言うけどさ。あれ、二階の将来子供部屋になるであろう場所の真下なんだもん。今は保育園児の甥っ子一人だけど、半年後にはもう一人増える予定だし。そうなったら、うるさくて、おちおちゆっくりしていられなくなるよね。弟の嫁、由美香さんだって、お父さんやお母さんに育児やローンを援助してもらうつもり100%でいるだろうけど、そこにポコンと小姑がくっついていたら目障りだろうし。パートの私、育児未経験じゃあ、なんのあてにもならないからね。甥っ子にも全然懐いてもらえてないし。

 意外と静かな住宅街。ペタンコペタンコという、自分の足元から生まれたサンダルの音を聞きながら歩く。
 漆黒というわけでもない、薄けてしまった夜空。そんな夜空を見上げてると、アンニュイというのか、よくわからない気持ちになる。
 短大卒業して9年。
 就活はそれなりに頑張って、それなりの会社に就職した。――5年前に辞めたけど。その後は近所のドラッグストアでパートとして働き始めた。
 
 (やっぱり、どこかちゃんと就職して、ちゃんと普通に暮らしていけるようにしたほうが良いのかな)

 仕事でヤなことが続くのも、家を建て替えて弟家族と二世帯同居ってのも、全部神様が「お主も29。そろそろお一人様で生きてく覚悟を決めよ」って合図を送ってきてる結果かもしれない。
 このまま、いつまでもズルズルと親元暮らしってのも体裁悪いし。来年には30になるんだから、今後の見通し、ライフプランぐらい考えたほうがいいのかも。

 正規雇用されて、自分のアパート代、家賃ぐらいは稼いで、一人で生きていく。

 言うは簡単。でも。

 どっかに楽な不労所得、落ちてないかなあ。
 
 返事もくれない夜空に向かって、全力で他力本願。
 どうか叶えて、神様、仏様。パンパン、ナムナム、神仏習合。
 そんなこんなで、歩いていくうちに、「一条」と表札に書かれた家に到着。団地のなか、幼なじみの家は適度に近い。徒歩3分は伊達じゃない。延々と愚痴と無理な願いを聞かされ続けた夜空は、ホッと胸をなでおろしているかもしれない。

 ピンポーン。

 少しこもったチャイムの音。それを二回ほど鳴らす。
 すると、家のなかからドタドタと廊下を歩く音が聞こえ――。

 「……はい?」

 ガチャッと開いた玄関。顔を出したのは、さっきと違ってよれたワイシャツ、ネクタイ姿の一条くん。そして。

 ウギャアアアァッ!! 

 彼の後を追いかけてきた、あんよの赤ちゃんが盛大に泣き声を上げた。
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