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予感と運命
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『私は……私は、誰ッ!!何も……何も思い出せないーー』
そう叫びながら、恐怖と孤独に苛まれて《私》は泣きじゃくった。
目の前の鏡に映る、顔を歪めたこの少年は誰であるのか、分からなかった。
思ったように動かせるこの手が、長くぼさぼさのこの黒髪が、濃く陰った紫の瞳がーー誰のものか、分からない。知らない。
《私》は混乱の余り、何度も何度も吐いた。
そうして、床に吐瀉物を撒き散らす度、《私》は頭を抱えて、小さく蹲った。
『怖い……怖いッ!!』
この身を喰らうような恐怖から、逃れたかった。
心が潰されてしまうような孤独から、解放されたかった。
でも、どうしたら良いかなんて分からなくてーー私はただ泣き叫ぶことしか出来ず、いつまでも蹲って震えていた。
そんな、時だったーー《私》の前に、突然美しい天使である彼が現れたのは。
『大丈夫だよ……』
そう何度も繰り返し言って、彼は、混乱して泣きじゃくる《私》を抱きしめた。
ーー彼は、《私》の傍にずっといてくれた
ーー彼は、《私》がだれであるかを、教えてくれた。
ーー彼は、《私》を犯す凄まじい恐怖と孤独から守ってくれた。
彼によってーー《私》は救われた。
彼の優しさのお陰で、《私》は心が壊れなかった。
彼がいなかったら、きっと《私》は生きていられなかった。
故にーーあの日から、彼は《私》の全てとなった。
ーー彼の傍にいれば、《私》は心が安らいだ。
ーー彼と共に笑い合えば、《私》は幸せを感じた。
それなのに……何故だろう。
何故、彼の傍で幸せを感じても、どれ程心が満たされても、
ーー何故、《私》の心は、いつまでも冷たいままなのだろう。
§§§§
窓から入る、心地よい風。
少年……リオは、その風を頬に感じながら、ベッドに座って、昼食後の膨らんだお腹を摩った。
「ああ、美味しかった……リュカは、私と違って、料理も何でも完璧に熟せて、凄いなぁ……」
そうしみじみと呟きながら、リオは脳裏にリュカの美々しい姿を思い浮かべた。
毛先だけが碧い黒髪に、金と銀のオッドアイの瞳。
その造形美は、人外の域であり、見るもの全てを魅了してしまう。
リオも二年前、初めてリュカを見たときは、天使だ、と勘違いをしてしまったものだ。
(まぁ、直ぐに……リュカは人間であると、知ったのだけれど……)
そう心の中で呟き、苦笑しようとしたのだが、何故か唐突に、二年前のあの日の事が、リオの頭に浮かんだ。
リオの表情が、暗く昏く曇る。
『分からない、分からないッ!!この手は、この髪は、この紫の瞳はーー誰のものなんだッ!!』
そう言って泣き叫ぶ、発狂しそうな《私》。
……悲しくて苦しかった、《私》の過去の記憶。
リオは、徐に立ち上がると、鏡の前へ行った。
そして、己の顔を映した。
ーー肩まであるさらさらの黒髪に、アメジストの輝きを放つ瞳。
肌は白く、鼻筋はすっと通っていて、目は大きく、唇は薄い。
リオは、今はもうこの顔が『自分の顔』であると分かる。
二年ほど経って、漸くこの顔に、見慣れてきた。
「これは、私の……リオの顔ーー」
そう呟くと、リオは鏡の映る自分の姿にそっと触れたーーその時、コンコンと部屋の扉がノックされた。
「リオ、入るよ。」
そう言って、部屋の中へ入ってきたのは、この家……というかこの城の主人・リュカ。
ーーリオが住んでいる此処は、森に囲まれた小さな城だ。
城だと言っても、使用人などはおらず、リオとリュカの二人だけ。
他には、誰もいない……客人すら、一人も訪れない。
故に、この城で生活するに当たっては、掃除も料理も全てリオとリュカーー主に、リュカがやっている。
リオは、リュカの登場に、急いで鏡から離れると、曖昧に微笑んだ。
「ーーリュカ、どうしたの?」
「ああ、リオ……私はこれから外へ出かけるから、今日は、森へは行かず、この城で一人留守番をしていてくれないかな。」
留守番ーー馴染みのないその言葉に、リオは驚いた。
目覚めて、二年経つが、リュカがリオを置いて、一人で外出するなんて、今まで一度も無かった。
……外出するときは、必ず、二人一緒だった。
それなのにーーどうして、一人で外出などするのか。
(もしかして……リュカは、僕をこの城に置き捨てる気のだろうか……)
唐突にそんな疑念が頭に生じ、リオは猛烈な不安と恐怖に駆られてーー無意識に胸元を握りしめると、リュカを見つめた。
「ちゃんと……帰ってくる、よね……私を……捨てない、よね。」
その言葉に、リュカはいつも通りの笑みを浮かべながら、リオを抱きしめた。
「そんな心配はしなくていい……大丈夫だよ、リオ。夕方には、帰ってくるから……この城で、大人しく待ってて。」
「……うん。」
リオは、リュカの体温を感じながら、暗い表情で頷くとーー心の中で呟いた。
ーー捨てないで、と。
§§§§
ーーリュカが外出して、三時間が経った。
現在、リオは一階のダイニングルームで本を読んでいた。
題名は、『金色の勇者と、災厄の魔法使い』。
これは、つい先日、城の中にある図書室で、リオが見つけたものだった。
ファンタジーが大好きであるリオは、題名に惹かれ、その本を借りた。
そして、リオはリュカが外出した直後から三時間、物語の主人公である勇者ーー否、勇者に倒される災厄の魔法使いに、凄まじく感情移入しながら、休憩もせず、ずっと読み進めていた。
「ーー面白い……けど、悲しい。」
無意識にそう呟きながら、リオは湧き上がってきた悲しみに浸った。
この物語では、災厄の魔法使いは『絶対的な悪』と称されている。
だがしかし、その生い立ちや過程には、同情せざるおえない。
逆にこの物語を読んで、災厄の魔法使いに同情しない人がいるのだろうかーーそう思ったリオだったが、彼は過去の記憶を失っている為、知らない。分かっていない。
ーーこの世界が、魔法使い達にとって、酷く冷たく、理不尽である事を。
まあ、話は戻るがーー結局リオは、それからもずっと、災厄の魔法使いに感情移入しながら、もの凄い速さで本を読み進めた。
……そして、それから一時間後に、本を読み終えた。
「……面白かった。」
そう呟き、リオは疲れ切った目を瞬かせた。
徐に時計に目を向けると、掛け時計の針は、五を指している。
『夕方には、帰ってくるからーー』
そう言っていたリュカの笑みを思い出し、リオは微笑んだ。
そして、大きく欠伸をして、目の前の机に突っ伏そうとしたーーその時、突然何故か耳元で、不思議な美しい音が響いた。
「えっ……何?」
驚きの余り、リオは咄嗟に自分の耳に触れたのだがーーその時、何故かしっかり着けていた筈の耳飾りが、勝手に取れて、床へと落ちてしまった。
……この耳飾りは、リュカから貰った大切な耳飾りだった。
「えっ……私、外してなんかいないのに……」
リオは軽くパニックになりながらも、床に落ちた耳飾りを拾おうして、椅子から立ち上がったのだがーー次の瞬間、突然、リオの頭の中に直接、聞き覚えのない『声』が響いた。
その『声』はーー気が狂いそうになる程、愛おしいものだった。
「この声は……な、に?」
頭を抱えながら、震える声で小さく呟くと、勝手に目から涙が零れ落ちた。
……その『声』は、名前を呼んでいた。
アリステアーーそう何度も何度も、知らない人の名を。
「アリス……テア?」
そう小さく呟くと、耐え難いほどに胸が苦しくなった。
リオは思わず、胸を押さえて、顔を顰めたーーその時だった、唐突に窓の外から朧げな人の気配がしたのは。
リオは、ゆっくりと顔を上げて、窓の外に目を向けた。
そこいたのは、長い黒髪と紫の瞳を持つ、リオよりも何歳か年上であろう《青年》だった。
その《青年》は、リオと瓜二つでーーただ、此方をじっと見つめながら、静かに庭先に立っていた。
リオは、頭の中に響き続ける謎の『声』はそのままに、引き込まれるように、その《青年》を見つめた。
ーーそうして、どのくらいの時間、互いに見つめあっていただろう。
突然《青年》はリオから視線を外すと、踵を返し、森へ向かって歩き始めた。
「あっ……えっ、待って!!」
リオは、まるで何かに駆られるかのように、何度も何度も《青年》に向けて叫んだ。
しかし、彼は止まってくれない。
リオは、椅子から立ち上がると、走り出した。
ーーそれは、予感のようなものだった。
あの《青年》の下へ行けば、何かが変わるーーそんな抽象的だが、烈しく泡立つ予感。
リオの体は、その予感によって、前へと突き動かされた。
部屋を出て、なりふり構わず廊下を駆け抜けた。
そして、直ぐに玄関へと辿り着くと、扉に手をかけたーーその時、ふとリオの脳裏に、ある言葉が過った。
『リオーー私がいない間、家の外に出てはいけないよ。』
それは、リュカがリオに向けて、何度も言った言葉。
……彼との約束。
唐突に思い出したその約束に、扉に触れていたリオの手が震えた。
(約束を守らなければ……リュカに、嫌われて……捨てられてしまうかもしれない。)
そう思うと、リオは物凄い恐怖で、思わずその場に頽れそうになったのだが……あの《青年》から感じる烈しい予感に、胸を焦され、留まった。
(ーーリュカは、私の全てで、私には彼しかいないのだから……彼に嫌われるような事をしてはいけない。)
(ーー外へ出て、どうしてもあの青年の下へ行きたい。)
相反する二つの想いが、心を揺り動かす。
リオはその激しい二つの思いに、思わず胸元を握りしめたのだが、その時、何の前触れもなくーー勝手に扉が開いた。
「えっ……」
口から、小さく間抜けな声が漏れる。
何が起こっているのか分からず、茫然としていたリオだったがーー開いた扉の向こうの光景に、さらに衝撃を受けた。
夕焼けに染まった空の下、辺りを覆う程に伸び切った雑草に、手入れをされず、ぼろぼろに朽ち果てたガゼボ……そして、悲惨な状態で放置された大きな花壇ーー。
目の前に広がるそれはーー全く見覚えのない、どこかの庭の光景だった。
「ど、どうして……何故、こんな……」
リオは茫然としながら呟くと、何となく庭の奥に視線を向けてーー気づいた。
この荒れ果てた庭に、人がいた事を。
ーーその人は、荒廃したこの庭には似つかわしく無い、美しい青年だった。
肩程まである輝く黄金の髪に、美しいサファイアの瞳。
その容姿は、正に絶世と呼べるもので、リュカと張れるぐらいに美しい。
リオはその素晴らしく美しい青年に、暫し見惚れていたのだがーー我に返ると、その青年が此方を見つめながら、何故か涙を零しているのに気が付いた。
「……あの……どうしてーー」
『泣いているの?』ーーそうリオが青年に向けて、言葉を発するよりも早く、青年がリオに向けて、とても悲痛な声で叫んだ。
ーーアリステア、と先程のその名を。
そう叫びながら、恐怖と孤独に苛まれて《私》は泣きじゃくった。
目の前の鏡に映る、顔を歪めたこの少年は誰であるのか、分からなかった。
思ったように動かせるこの手が、長くぼさぼさのこの黒髪が、濃く陰った紫の瞳がーー誰のものか、分からない。知らない。
《私》は混乱の余り、何度も何度も吐いた。
そうして、床に吐瀉物を撒き散らす度、《私》は頭を抱えて、小さく蹲った。
『怖い……怖いッ!!』
この身を喰らうような恐怖から、逃れたかった。
心が潰されてしまうような孤独から、解放されたかった。
でも、どうしたら良いかなんて分からなくてーー私はただ泣き叫ぶことしか出来ず、いつまでも蹲って震えていた。
そんな、時だったーー《私》の前に、突然美しい天使である彼が現れたのは。
『大丈夫だよ……』
そう何度も繰り返し言って、彼は、混乱して泣きじゃくる《私》を抱きしめた。
ーー彼は、《私》の傍にずっといてくれた
ーー彼は、《私》がだれであるかを、教えてくれた。
ーー彼は、《私》を犯す凄まじい恐怖と孤独から守ってくれた。
彼によってーー《私》は救われた。
彼の優しさのお陰で、《私》は心が壊れなかった。
彼がいなかったら、きっと《私》は生きていられなかった。
故にーーあの日から、彼は《私》の全てとなった。
ーー彼の傍にいれば、《私》は心が安らいだ。
ーー彼と共に笑い合えば、《私》は幸せを感じた。
それなのに……何故だろう。
何故、彼の傍で幸せを感じても、どれ程心が満たされても、
ーー何故、《私》の心は、いつまでも冷たいままなのだろう。
§§§§
窓から入る、心地よい風。
少年……リオは、その風を頬に感じながら、ベッドに座って、昼食後の膨らんだお腹を摩った。
「ああ、美味しかった……リュカは、私と違って、料理も何でも完璧に熟せて、凄いなぁ……」
そうしみじみと呟きながら、リオは脳裏にリュカの美々しい姿を思い浮かべた。
毛先だけが碧い黒髪に、金と銀のオッドアイの瞳。
その造形美は、人外の域であり、見るもの全てを魅了してしまう。
リオも二年前、初めてリュカを見たときは、天使だ、と勘違いをしてしまったものだ。
(まぁ、直ぐに……リュカは人間であると、知ったのだけれど……)
そう心の中で呟き、苦笑しようとしたのだが、何故か唐突に、二年前のあの日の事が、リオの頭に浮かんだ。
リオの表情が、暗く昏く曇る。
『分からない、分からないッ!!この手は、この髪は、この紫の瞳はーー誰のものなんだッ!!』
そう言って泣き叫ぶ、発狂しそうな《私》。
……悲しくて苦しかった、《私》の過去の記憶。
リオは、徐に立ち上がると、鏡の前へ行った。
そして、己の顔を映した。
ーー肩まであるさらさらの黒髪に、アメジストの輝きを放つ瞳。
肌は白く、鼻筋はすっと通っていて、目は大きく、唇は薄い。
リオは、今はもうこの顔が『自分の顔』であると分かる。
二年ほど経って、漸くこの顔に、見慣れてきた。
「これは、私の……リオの顔ーー」
そう呟くと、リオは鏡の映る自分の姿にそっと触れたーーその時、コンコンと部屋の扉がノックされた。
「リオ、入るよ。」
そう言って、部屋の中へ入ってきたのは、この家……というかこの城の主人・リュカ。
ーーリオが住んでいる此処は、森に囲まれた小さな城だ。
城だと言っても、使用人などはおらず、リオとリュカの二人だけ。
他には、誰もいない……客人すら、一人も訪れない。
故に、この城で生活するに当たっては、掃除も料理も全てリオとリュカーー主に、リュカがやっている。
リオは、リュカの登場に、急いで鏡から離れると、曖昧に微笑んだ。
「ーーリュカ、どうしたの?」
「ああ、リオ……私はこれから外へ出かけるから、今日は、森へは行かず、この城で一人留守番をしていてくれないかな。」
留守番ーー馴染みのないその言葉に、リオは驚いた。
目覚めて、二年経つが、リュカがリオを置いて、一人で外出するなんて、今まで一度も無かった。
……外出するときは、必ず、二人一緒だった。
それなのにーーどうして、一人で外出などするのか。
(もしかして……リュカは、僕をこの城に置き捨てる気のだろうか……)
唐突にそんな疑念が頭に生じ、リオは猛烈な不安と恐怖に駆られてーー無意識に胸元を握りしめると、リュカを見つめた。
「ちゃんと……帰ってくる、よね……私を……捨てない、よね。」
その言葉に、リュカはいつも通りの笑みを浮かべながら、リオを抱きしめた。
「そんな心配はしなくていい……大丈夫だよ、リオ。夕方には、帰ってくるから……この城で、大人しく待ってて。」
「……うん。」
リオは、リュカの体温を感じながら、暗い表情で頷くとーー心の中で呟いた。
ーー捨てないで、と。
§§§§
ーーリュカが外出して、三時間が経った。
現在、リオは一階のダイニングルームで本を読んでいた。
題名は、『金色の勇者と、災厄の魔法使い』。
これは、つい先日、城の中にある図書室で、リオが見つけたものだった。
ファンタジーが大好きであるリオは、題名に惹かれ、その本を借りた。
そして、リオはリュカが外出した直後から三時間、物語の主人公である勇者ーー否、勇者に倒される災厄の魔法使いに、凄まじく感情移入しながら、休憩もせず、ずっと読み進めていた。
「ーー面白い……けど、悲しい。」
無意識にそう呟きながら、リオは湧き上がってきた悲しみに浸った。
この物語では、災厄の魔法使いは『絶対的な悪』と称されている。
だがしかし、その生い立ちや過程には、同情せざるおえない。
逆にこの物語を読んで、災厄の魔法使いに同情しない人がいるのだろうかーーそう思ったリオだったが、彼は過去の記憶を失っている為、知らない。分かっていない。
ーーこの世界が、魔法使い達にとって、酷く冷たく、理不尽である事を。
まあ、話は戻るがーー結局リオは、それからもずっと、災厄の魔法使いに感情移入しながら、もの凄い速さで本を読み進めた。
……そして、それから一時間後に、本を読み終えた。
「……面白かった。」
そう呟き、リオは疲れ切った目を瞬かせた。
徐に時計に目を向けると、掛け時計の針は、五を指している。
『夕方には、帰ってくるからーー』
そう言っていたリュカの笑みを思い出し、リオは微笑んだ。
そして、大きく欠伸をして、目の前の机に突っ伏そうとしたーーその時、突然何故か耳元で、不思議な美しい音が響いた。
「えっ……何?」
驚きの余り、リオは咄嗟に自分の耳に触れたのだがーーその時、何故かしっかり着けていた筈の耳飾りが、勝手に取れて、床へと落ちてしまった。
……この耳飾りは、リュカから貰った大切な耳飾りだった。
「えっ……私、外してなんかいないのに……」
リオは軽くパニックになりながらも、床に落ちた耳飾りを拾おうして、椅子から立ち上がったのだがーー次の瞬間、突然、リオの頭の中に直接、聞き覚えのない『声』が響いた。
その『声』はーー気が狂いそうになる程、愛おしいものだった。
「この声は……な、に?」
頭を抱えながら、震える声で小さく呟くと、勝手に目から涙が零れ落ちた。
……その『声』は、名前を呼んでいた。
アリステアーーそう何度も何度も、知らない人の名を。
「アリス……テア?」
そう小さく呟くと、耐え難いほどに胸が苦しくなった。
リオは思わず、胸を押さえて、顔を顰めたーーその時だった、唐突に窓の外から朧げな人の気配がしたのは。
リオは、ゆっくりと顔を上げて、窓の外に目を向けた。
そこいたのは、長い黒髪と紫の瞳を持つ、リオよりも何歳か年上であろう《青年》だった。
その《青年》は、リオと瓜二つでーーただ、此方をじっと見つめながら、静かに庭先に立っていた。
リオは、頭の中に響き続ける謎の『声』はそのままに、引き込まれるように、その《青年》を見つめた。
ーーそうして、どのくらいの時間、互いに見つめあっていただろう。
突然《青年》はリオから視線を外すと、踵を返し、森へ向かって歩き始めた。
「あっ……えっ、待って!!」
リオは、まるで何かに駆られるかのように、何度も何度も《青年》に向けて叫んだ。
しかし、彼は止まってくれない。
リオは、椅子から立ち上がると、走り出した。
ーーそれは、予感のようなものだった。
あの《青年》の下へ行けば、何かが変わるーーそんな抽象的だが、烈しく泡立つ予感。
リオの体は、その予感によって、前へと突き動かされた。
部屋を出て、なりふり構わず廊下を駆け抜けた。
そして、直ぐに玄関へと辿り着くと、扉に手をかけたーーその時、ふとリオの脳裏に、ある言葉が過った。
『リオーー私がいない間、家の外に出てはいけないよ。』
それは、リュカがリオに向けて、何度も言った言葉。
……彼との約束。
唐突に思い出したその約束に、扉に触れていたリオの手が震えた。
(約束を守らなければ……リュカに、嫌われて……捨てられてしまうかもしれない。)
そう思うと、リオは物凄い恐怖で、思わずその場に頽れそうになったのだが……あの《青年》から感じる烈しい予感に、胸を焦され、留まった。
(ーーリュカは、私の全てで、私には彼しかいないのだから……彼に嫌われるような事をしてはいけない。)
(ーー外へ出て、どうしてもあの青年の下へ行きたい。)
相反する二つの想いが、心を揺り動かす。
リオはその激しい二つの思いに、思わず胸元を握りしめたのだが、その時、何の前触れもなくーー勝手に扉が開いた。
「えっ……」
口から、小さく間抜けな声が漏れる。
何が起こっているのか分からず、茫然としていたリオだったがーー開いた扉の向こうの光景に、さらに衝撃を受けた。
夕焼けに染まった空の下、辺りを覆う程に伸び切った雑草に、手入れをされず、ぼろぼろに朽ち果てたガゼボ……そして、悲惨な状態で放置された大きな花壇ーー。
目の前に広がるそれはーー全く見覚えのない、どこかの庭の光景だった。
「ど、どうして……何故、こんな……」
リオは茫然としながら呟くと、何となく庭の奥に視線を向けてーー気づいた。
この荒れ果てた庭に、人がいた事を。
ーーその人は、荒廃したこの庭には似つかわしく無い、美しい青年だった。
肩程まである輝く黄金の髪に、美しいサファイアの瞳。
その容姿は、正に絶世と呼べるもので、リュカと張れるぐらいに美しい。
リオはその素晴らしく美しい青年に、暫し見惚れていたのだがーー我に返ると、その青年が此方を見つめながら、何故か涙を零しているのに気が付いた。
「……あの……どうしてーー」
『泣いているの?』ーーそうリオが青年に向けて、言葉を発するよりも早く、青年がリオに向けて、とても悲痛な声で叫んだ。
ーーアリステア、と先程のその名を。
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