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第8話 決意と…
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そういえば、前話から文章を一人称視点から三人称視点に変更しました。
ルアンが名前を得たためです。
読み辛いなと思われた方には申し訳ありませんが、今後は三人称固定の予定です。
よろしくお願いします。
………………………………………
「では、また11時にお迎えにあがります」
「ああ、わかった」
自分の正面のソファに腰掛けている主人に、ルアンは貴族家の使用人らしく美しく腰を折った。
様々な工作から主人の家の不穏な空気感を感じ取ったからと言って、毎日の仕事がなくなるわけではない。
ルアンは、常にアルトゥールの隙を探りながら、彼に仕えていた。
拾われた時、アルトゥールからは執事見習いになるようにと言われたが、実はルアンは現在、一介の使用人として雇われている。しばらく働かせて、様子を見た後、正式に執事見習いにするか決めるのだそうだ。
なんでも、いくら「見習い」とはいえ執事というのは上位職なのだそうで、なんの技術も身につけていない子供を任ずることはできないらしい。
また、そもそも執事は貴族でなくとも由緒ある家の人間が受け持つもので、何処の馬の骨ともしれない卑しい身分のルアンは分不相応なのだと、性格が悪そうに顔のひん曲がった使用人がルアンに教えてくれた。だが確か、奴は格上の婚約者がいるにも関わらず浮気して、家を没落させて下級使用人になった下貴族ではなかったか。少し前に同業者から聞いた記憶があった。ただの孤児と不貞で社会の信用を失った貴族、果たして卑しいのはどちらだろうか。まあ、ルアンは決してただの孤児ではないけれど。
思い出してふと口の端を持ち上げながら、ルアンは目的の部屋へと向かう。本日は、12時からアルトゥールに客人が尋ねてくる予定だ。突然の訪問のようで、応接室の準備を急いで終わらせなくてはならなかった。
教えられた手順の通りに部屋の掃除を進め、最後に、テーブルをきれいに拭いて上に皺なく真っ白なクロスをかけた。
「よし、こんなもんかな」
一度、部屋の隅まで行き、部屋全体の完成度を確かめる。
ふと、部屋の棚の装飾が取れかけているのに気がついた。
調度品の位置をずらしたりしてなんとか誤魔化す。
こうして、この家の不具合を見つけるのも何度目だろうか。
思わず、ルアンはため息をこぼした。
伯爵家の不可思議な状況を知ってから色々難しく考えていたが、最終的に、アルトゥールは今代の当主である父親から疎まれているのではないだろうか、という考えに至っていた。
アルトゥールが住まうこの屋敷は別邸であって、当主は別の本邸に住んでいるのではないか?
そう考えれば、この屋敷の資金繰りの悪さ、屋敷や調度品の質の低さ、使用人の質の悪さ…は1人に限ったことだが…、についても説明がつく。
要するに、理由がなんであれ、アルトゥールの親は彼に会うことを避けているのだろう。
ルアンは、再度ため息をついた。
実際、親に疎まれている貴族令息など、泥舟でしかないのだ。一人っ子だろうがそうじゃなかろうが、跡取りに困れば都合のいい養子を取ればいいだけなのだ。下手に地位が高いだけ、その身に背負う危険も大きい。
本当にどうしたものか、とルアンは宙を仰いだ。
「あ、いたいた」
突然、ノックも無しに、背後の扉が開く。振り返れば、アルトゥールが立っていた。
「どうなさいました?アルトゥール様。そろそろお客様がいらっしゃる時間では?」
「さっき渡し忘れたんだ。これを」
ルアンが素早く近寄れば、アルトゥールが懐から小さな布の袋と小瓶を取り出した。
「これはアロマでね、この袋の中に垂らして匂いを嗅ぐんだけど」
彼は、はいこれ、とその2つをルアンに向かって差し出した。
「君、雨の日は傷が痛むんじゃないかい?このアロマには、リラックス効果があるんだ。よかったら使ってみてくれ」
ルアンはひどく驚いて、思わずアルトゥールを見つめた。彼は、優しく微笑んでいた。
「役に立つかはわからないが、まあ気休めにはなるだろう。もっておくといいよ」
アルトゥールの手から直接、袋と瓶を受け取る。ルアンが未だ驚きから醒めない中、アルトゥールは要件はそれだけだから、と言って部屋から出ていった。
なんなんだ、急に。何を考えているんだあの人は。
半ば呆然としながら、ふと窓に近寄る。目に入った窓のサッシの埃を払いながら、自分の着ている使用人服を見下ろした。
少し前までの俺だったら絶対に着ることのなかった上等な生地に、身長に合った服の裾。
袖から覗く手は、今までで1番血色がいい。
窓ガラス越しに早朝の空を見上げる。紺碧の空には、雲ひとつ浮かんでいない。その曇りのなさを少々憎らしく思った。
本当に、本当に困る。こんなことをされては、自分の考えに自信が持てなくなる。
せっかく、一度死の淵から生き返ったのだ。もう二度と窮地に立たされたくはない。沈む可能性の高い船など、今すぐ降りた方が己のため。そんなこと、よく分かっている。分かっているのだ。
ここ最近、俺は今世で最良の生活をしている。恩は明らかにアルトゥールにあって、それを仇で返すことを俺は躊躇してしまっているのだろうか。
手の中の、小瓶を開ける。鼻に近づけると、ほのかに金木犀の匂いがした。主人の、優しい笑みを思い浮かべる。
勘の鋭さには自信があった。アルトゥールには絶対に何か裏があるはずだ。
だが。その不審さを補って余りあるほどの恩があるのも事実。それに、アルトゥールが先ほど見せたあの笑顔が偽物だとは思いたくなかった。
きっちり調べよう。全て。
そしてできるなら、受けた恩を返したい。
ルアンが密かにそう決意した数時間後。
その応接室にて、ルアンとアルトゥールの未来を大きく変えることになる接見が行われた。
ルアンが名前を得たためです。
読み辛いなと思われた方には申し訳ありませんが、今後は三人称固定の予定です。
よろしくお願いします。
………………………………………
「では、また11時にお迎えにあがります」
「ああ、わかった」
自分の正面のソファに腰掛けている主人に、ルアンは貴族家の使用人らしく美しく腰を折った。
様々な工作から主人の家の不穏な空気感を感じ取ったからと言って、毎日の仕事がなくなるわけではない。
ルアンは、常にアルトゥールの隙を探りながら、彼に仕えていた。
拾われた時、アルトゥールからは執事見習いになるようにと言われたが、実はルアンは現在、一介の使用人として雇われている。しばらく働かせて、様子を見た後、正式に執事見習いにするか決めるのだそうだ。
なんでも、いくら「見習い」とはいえ執事というのは上位職なのだそうで、なんの技術も身につけていない子供を任ずることはできないらしい。
また、そもそも執事は貴族でなくとも由緒ある家の人間が受け持つもので、何処の馬の骨ともしれない卑しい身分のルアンは分不相応なのだと、性格が悪そうに顔のひん曲がった使用人がルアンに教えてくれた。だが確か、奴は格上の婚約者がいるにも関わらず浮気して、家を没落させて下級使用人になった下貴族ではなかったか。少し前に同業者から聞いた記憶があった。ただの孤児と不貞で社会の信用を失った貴族、果たして卑しいのはどちらだろうか。まあ、ルアンは決してただの孤児ではないけれど。
思い出してふと口の端を持ち上げながら、ルアンは目的の部屋へと向かう。本日は、12時からアルトゥールに客人が尋ねてくる予定だ。突然の訪問のようで、応接室の準備を急いで終わらせなくてはならなかった。
教えられた手順の通りに部屋の掃除を進め、最後に、テーブルをきれいに拭いて上に皺なく真っ白なクロスをかけた。
「よし、こんなもんかな」
一度、部屋の隅まで行き、部屋全体の完成度を確かめる。
ふと、部屋の棚の装飾が取れかけているのに気がついた。
調度品の位置をずらしたりしてなんとか誤魔化す。
こうして、この家の不具合を見つけるのも何度目だろうか。
思わず、ルアンはため息をこぼした。
伯爵家の不可思議な状況を知ってから色々難しく考えていたが、最終的に、アルトゥールは今代の当主である父親から疎まれているのではないだろうか、という考えに至っていた。
アルトゥールが住まうこの屋敷は別邸であって、当主は別の本邸に住んでいるのではないか?
そう考えれば、この屋敷の資金繰りの悪さ、屋敷や調度品の質の低さ、使用人の質の悪さ…は1人に限ったことだが…、についても説明がつく。
要するに、理由がなんであれ、アルトゥールの親は彼に会うことを避けているのだろう。
ルアンは、再度ため息をついた。
実際、親に疎まれている貴族令息など、泥舟でしかないのだ。一人っ子だろうがそうじゃなかろうが、跡取りに困れば都合のいい養子を取ればいいだけなのだ。下手に地位が高いだけ、その身に背負う危険も大きい。
本当にどうしたものか、とルアンは宙を仰いだ。
「あ、いたいた」
突然、ノックも無しに、背後の扉が開く。振り返れば、アルトゥールが立っていた。
「どうなさいました?アルトゥール様。そろそろお客様がいらっしゃる時間では?」
「さっき渡し忘れたんだ。これを」
ルアンが素早く近寄れば、アルトゥールが懐から小さな布の袋と小瓶を取り出した。
「これはアロマでね、この袋の中に垂らして匂いを嗅ぐんだけど」
彼は、はいこれ、とその2つをルアンに向かって差し出した。
「君、雨の日は傷が痛むんじゃないかい?このアロマには、リラックス効果があるんだ。よかったら使ってみてくれ」
ルアンはひどく驚いて、思わずアルトゥールを見つめた。彼は、優しく微笑んでいた。
「役に立つかはわからないが、まあ気休めにはなるだろう。もっておくといいよ」
アルトゥールの手から直接、袋と瓶を受け取る。ルアンが未だ驚きから醒めない中、アルトゥールは要件はそれだけだから、と言って部屋から出ていった。
なんなんだ、急に。何を考えているんだあの人は。
半ば呆然としながら、ふと窓に近寄る。目に入った窓のサッシの埃を払いながら、自分の着ている使用人服を見下ろした。
少し前までの俺だったら絶対に着ることのなかった上等な生地に、身長に合った服の裾。
袖から覗く手は、今までで1番血色がいい。
窓ガラス越しに早朝の空を見上げる。紺碧の空には、雲ひとつ浮かんでいない。その曇りのなさを少々憎らしく思った。
本当に、本当に困る。こんなことをされては、自分の考えに自信が持てなくなる。
せっかく、一度死の淵から生き返ったのだ。もう二度と窮地に立たされたくはない。沈む可能性の高い船など、今すぐ降りた方が己のため。そんなこと、よく分かっている。分かっているのだ。
ここ最近、俺は今世で最良の生活をしている。恩は明らかにアルトゥールにあって、それを仇で返すことを俺は躊躇してしまっているのだろうか。
手の中の、小瓶を開ける。鼻に近づけると、ほのかに金木犀の匂いがした。主人の、優しい笑みを思い浮かべる。
勘の鋭さには自信があった。アルトゥールには絶対に何か裏があるはずだ。
だが。その不審さを補って余りあるほどの恩があるのも事実。それに、アルトゥールが先ほど見せたあの笑顔が偽物だとは思いたくなかった。
きっちり調べよう。全て。
そしてできるなら、受けた恩を返したい。
ルアンが密かにそう決意した数時間後。
その応接室にて、ルアンとアルトゥールの未来を大きく変えることになる接見が行われた。
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