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02:緊急ショタ保護案件

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 私は、寝る前の記憶を反芻するかのように、もう一度確認していた。
 薄れゆく意識の中で――

 チャットが終わって、いつものSNSを見回って、時計を見ると完全な深夜。
 もう日付は変わっていたはず。

 そう私は「なんとなくラーメンが食べたい」と思った。

 理由は分からない。なぜか無性に食べたくなった。
 耐えられないほどに、もうラーメンの事以外考えられなくなった。
 発泡酒を飲みすぎた人間に、真っ当な理屈があるわけがない。

 ただ、その時の私は、カップ麺とかでは納得できなかったんだと思う。
 かといって、袋麺を調理するのは面倒くさかった気がする。
 
「コンビニには、本格的なのがあったはず」とか思いついたような……
 
 レンジでチンすれば、出来上がる本格的なラーメン。
 それが無性に食べたくなった。食べないと死ぬかもしれないと思った。
 
 明日は休日。
 細身というかガリガリで、何を食べても太らない体質。ダイエットとも無縁だけど、胸のサイズも悲惨。
 それが私だ。

 とにかく、コンビニは歩いて三〇〇メートルもない。

 というわけで、私はコンビニへ行って「本格中華縮れ濃厚醤油ラーメン」を買った。
 レンジでチンは店でやってもらった。

 表通りから自宅のアパートに向かう細い道に入ったときだった。
 街灯のついた電柱によりかかり、座っていた―― それを私は見た。

「子ども? え…… こんな時間に……」

 多分、アルコールの匂いのする呼気とともに、そんなこと言ったと思う。
 アルコールは回っていたが、酔って幻覚が見えるほど飲んではいなかったと思う。
 そんな状態で、コンビニで買い物できるはずがないわけだし。
 
 確かに、電柱に寄り掛かった子どもはいた。

 闇に負けそうな街灯の明かりにかろうじて浮き上がる子どもの姿。
 まるで、フルマラソンでも走ったかのように疲れきった顔が、闇を照らす光の中に陰影と共に浮き上がった。
 どうみても、小学校高学年か中学生になったかどうかという感じだった。
 しかも、すさまじく可愛い顔をしているのだ。

 息を飲むほどに、可愛い男の子だった。
 母性本能と保護欲をかきたてるほどに可愛い男の子だった。
 ギュッと抱きしめてお持ち帰りしたいほどの可愛い男の子だった。
 二次元ショタにすら対抗できるレベルの可愛い男の子だった。

 体に比べ大きなリュックサックを背負い、いかにも訳ありという感じがする。
 ぐったりと背負ったリュックに体重を預け、電柱に寄り掛かっているような感じ。

「いったい…… どうしたの?」

 思わず、私は声をかけてしまった。というより、声をかけない方がおかしい。

「た…… 助けて……」
 
 その子は、苦しそうな息をしながら、やっと言葉を口にしたという感じだった。
 粗い呼気がはっきりと聞こえた。

「助けて…… 動けない」
「どうしたの! 怪我しているの? 病気なの? 具合が悪いの?」
 
 私はスマホを取り出し、然るべき機関に連絡しようとした。
 
「ま、まって…… おねがい……」

 スマホを取り出した私の手をその子は握った。
 そのあまりの力の弱さに、私は指の動きを止めていた。
 今となっては、アルコールに浸かりきった脳が誤動作を起こしたとしか説明できない。
 
「どこか、休めるとこ―― 疲れてるだけだから…… 隠れるとこ―― 早く…… 連れていって。お願いだ。お姉さん―― 奴らが…… あ……」
「大丈夫なの!」

 本当に尋常じゃない様子だったような記憶がある。
 そして、確かに男の子は言った。

「助けて―― 綺麗なお姉さん」

 男の子のその言葉で私の中で何かがはじけ飛んだ。アルコールでゆるゆるとなっていた何か。
 私はいわゆるオタクではあったが、二次元世界と三次元世界の分別はできると思っていた。
 そうでなければ、中学校で教師など務まるわけがない。私は教師だ。

 しかし、その男の子はリアルにしては、可愛すぎる。
  
 濡れた大きな黒い瞳。
 ほのかな街灯の光を受け、私にすがりつくような眼差しを送り込んでくる。
 二次元を超えたリアルな可愛い少年が弱っているという状況。
 助けを私に求めている。「綺麗なお姉さん」に助けを求めている状況。

 そう、私は何を血迷ったのか、夜中に少年を拾って、自宅にお持ち帰りしてしまったのだ。
 その時の、私の頭の中ではこれは「緊急ショタ保護案件」だった。
「緊急おまわりさん案件」「児ポ法案件」などとは微塵も思わなかった。

 確かに、ちょっと飲みすぎていたのかもしれない……

        ◇◇◇◇◇◇

「お姉さん、お姉さん、大丈夫? ねえ、お姉さん、大丈夫」

 地球という生命あふれる星をあまねく照らし、全ての命ある物に恩恵を与える陽の光が部屋を照らす。
 カーテンの隙間から差し込む陽光が布団の上まで伸びている。そしてキラキラとした埃が光の中で舞っていた。

 私は呆然とそれを近眼の網膜に映し出ながら、自分を呼ぶ声を聞いていた。

 そして、頭の中では記憶と、朝の現実のすり合わせを行っていた。
 全裸なので、布団から出ることもできず、まだ金髪美形と一緒にお布団の中にいる。
 さすがに、抱っこ状態は解除されていたけども。

「あの、まずは…… 服を着たいのですけど」

 私は光の中で舞っている埃を見ながら言った。やっと言葉が口に出た。
 話をするにせよ、いつまでも、全裸で同衾しているわけにもいかない。
 本当は、シャワーでも浴びてきたかったが。

「えッ!! 服を着るだって!! 本気ですか? お姉さん!」
 
 驚きというか、驚愕の声を上げ、金髪美形が言った。驚きの声までイケメンだった。

「お願いします…… 服を…… 服を着させてくだい……」
「う~ん、そこまでお願いされてしまっては仕方ないですか……」
「あ、ありがとうございます」

 なぜ、私の家で、私がここまで卑屈になっているのか、よく分からない。
 そもそも、裸で男と寝ていたという状況の方が異常であって、服を着るというのが正常な行為なはずなのに。

「黒ボンテージ、エロチャイナ服、スク水、黒のセクシーランジェリー、もしくは裸エプロン…… 選択肢はこんなところでしょうか?」
「は?」
「ですから、お姉さんがこれから着る服に対する私の希望です」

 布団から上半身を起こし、タオルケットでなんとか肌を隠した私に金髪美形はそう言った。
 キラリと歯を輝かせ、爽やかな口調で。ビシッと決めた顔。しかし、言っていることはド変態だった。
 そもそも、そんな服など持ってませんけど。私は。エプロンくらいは―― いやいや裸エプロンとかあり得ないから。

「普通の部屋着を着ます……」

 タオルケットを体に巻きつけ、箪笥の中の目についた服を適当に取って、脱衣所に向かった。
 ちなみに、私のアパートは1DKで、一応バス・トイレ別というタイプだ。

 私は、全裸から服を着るためだけの機械と化したのように、しょぼい部屋着を着たのだった。
 洗濯物が溜まっているが、それも優先事項ではないなと思う。放置する。

 昨日の夜から、今日の朝、いったい何が起きたのか? 
 そして現在進行中で何が起きているのか?
 その明確な回答を得ることが、私にとっての最優先事項だった。
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