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29.笑顔の別れと、小さな棘

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「おふたりとも…… あの、本当にすぐ戻ってきますし――」

 ラシャーラは抱き合って泣きじゃくる、元勇者ウェルガーとリルリルを見つめて言った。

 (そうだけどさぁ…… リルリルがぁぁ、泣くんだもんよぉぉぉ)
  
 リルリルの哀しみはウェルガーの哀しみでもあるのだ。
 理性では、この別れが、今生の別れでもなんでもなく、すぐに戻ってくることは分かっている。
 しかも、王国と島の航海の危険性はほとんどない。

 だが、悲しむリルリルを見ていると、ウェルガーの心は制御不能になるのだ。

「あのぉ~ そろそろ、よろしいでしょうか」

 申し訳なさそうに、事務官アールが、抱き合って泣いている二人に話しかけた。
 彼はキチリの部下だろう。彼の部下らしく、仕事が出来そうな感じはある。
 
 その声で少し、リルリルが落ちついてきた。
 それに同調して、ウェルガーも何とか立ち直る。 

「あ? そ、そうだな…… ああ、分かった…… う、う、う、う……」

 ウェルガーは、リルリルを抱きかかえたまま、ヨロヨロと立ち上がった。
 リルリルを抱きかかえ「リルリル成分」を吸収しながらでないと立てそうになかったからだ。

「えぐ、えぐぅぅぅ、も、もうぉぉ、人前で抱っこしないでぇぇ~ 子どもじゃないのぉぉぉ♡」

 一〇歳のエルフが夫に抗議するが、耳の動きで本気の抗議ではないことは丸わかりだった。

「ふふ、夫婦なのですから、おかしくはないですよ。リルリル」
「そ、そうですか? えへへ」

 ラシャーの言葉に、泣いていたリルリルが少し笑顔を見せた。
 ウェルガーの身体の中に、濃厚な「リルリル成分」が流れ込んでくるかのようだった。
 身体の芯に力が満ちてくる。
 グズグズの泣き顔が、一瞬にして元に戻る。いや、普段以上の精悍な表情になっていた。

「時間らしい―― まあ、少しの間だ。待っているよ。ラシャーラ」
 
 ウェルガーはぴたりと泣き止み、そう言った。

「ええ」
「私も、待ってるですから」
「分かってます。リルリル」

 最終的に笑顔になり、別れの時間を迎えた三人だった。
 彼らが桟橋に向かって歩きはじめた。

 後ろ姿を見つめるウェルガーとリルリル。

「あ、ちとまって…… 事務官さん」
「はい?」

 ウェルガーは付き添いの事務官を呼び止めた。
 事務官が振り返った。
 ウェルガーは手招きして、事務官だけを呼びもどした。
 事務官アールが、小走りに戻ってきた。

「なんでしょうか? ウェルガー様」
「これ、渡すの忘れてたわ。不味いな俺……」

 そう言って、ウェルガーは書状を取り出した。
 少し、しわになっている。

「書状ですか? 減刑嘆願書なら、すでに――」
「あの三人の話じゃない」

 ウェルガーはラシャーラを誘拐した三人の減刑嘆願書はすでに渡していた。
 元傭兵のあの三人が根っからの悪人とは思えなかった。
 リルリルにも話を聞いたが、銃でリルリルを撃つ気はなかったようだったのだ。
 許せないのは、許せないが死刑にするほどのことは無いかと思って、嘆願書を書いた。

 それよりも大きな懸念材料があるのだ。
 それが、その書状に書かれている事だった。

「この島の南東に知られていない国があるかもしれんのだ……」
「それは、新大陸?」

 この世界には知られていない新大陸があるという伝説がある。

「いや、多分違う。島嶼国家だとは思うが…… 材料が少なすぎて判断ができない」
「はい」
「あの三人を雇ったのはその『国家』だ。国かどうかも断定はできないが……」

 リルリルはウェルガーに抱っこされながら、黙って話を聞いていた。
 ウェルガーはそれに気づき、ゆっくりと彼女を下ろした。
 リルリルがジッとウェルガーを見ている 

(まずい、リルリルを不安にさせる話はできん!)

 彼はその最優先事項を思う。リルリルの幸せは全てのことに最優先するのだ。
 
「大した問題は無いとは思うが、そのあたりのことが記してあるから、王国の方に伝えてくれ。事務連絡みたいなもんだな」
「はい、分かりました」

 事務官は書状を受け取り、小走りで戻っていった。

「アナタ」
「ん? なに、リルリル」
「まだ、悪い人がいるの? ラシャーラを狙っているの?」

(どうする…… リルリルを不安にはできぬ――)

「いるかもしれないという感じかなぁ。まあ、いても、そいつ等にはラシャーラの行方はもう分からなくなっているだろう。戦争のゴタゴタで誘拐されたけど、今回はその恐れもない。王国の警備は知っているだろ?」

 リルリルはアルデガルド王国の宮廷で育ったのだ。
 彼女の母は、王の側室。彼女は側室となった母の連れ子だ。

「はい。それは知ってます」
「で、航海中のあのデカイ船を襲撃するのは無理だろ。王国屈指の大型船だぞ。商船とはいえ大砲まで備えている」

 ここで、ウェルガーは嘘ではないが、懸念材料を隠した。
 相手がもし「ナチス・ドイツ」であれば、その技術水準は問題にならない。
 王国の大型船や大砲など、蟷螂の斧とうろうのおのにすらならないだろう。

(ま、でも広い海の上で、一隻の船を捕捉するのは、無理だろ――)

 ウェルガーは、自分で自分を納得させる材料を掘り起こし、自分を信じさせる。
 リルリルの濃藍の瞳も、彼の言葉を信じ頷いていた。金色の長いまつ毛が沈みこむように動いていた。

「で、こっちに戻ってくれば、俺がいるのだが…… ダメか?」
「ダメじゃないです!」

 リルリルが納得したように笑った。
 ウェルガーはホッとする。しかし、胸の奥には小さな棘が刺さったようなままだった。
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