大江戸・淫ら鬼喰らい師 -さね吸い祓い奇譚-

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14.狂ぅているからこそ―― 美しい

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「北斎―― 礼を言う」

 懐に黄表紙を仕舞いこみ鬼狂が言った。
 鉄蔵ではなく「北斎」と鬼狂は呼んだ。

「だがよ、アイツに似てるってだけだ。間違いかもしれねぇよ」
「ほぉぅ―― 天下無双の絵師、北斎にしては弱気じゃのぉ」 
「まあな。あえて言えばってことだぜ、そりゃ。絵師なんざ、この世に五万ごまんといるんだからよぉ」

 画に関しては妥協のない――
 狂気すら感じさせる師匠が、鬼狂の持つ画に関しては歯切れが悪かった。
 
(もしかしたら師匠は、かばっているのか?)

 万之介はふと思った。
 お栄の情夫いろであったという善次郎と言う男――
 万之介にとっては初めて聞く名であった。

 お栄に情夫がいたということにモヤモヤとした気持ちもあった。
 北斎の娘であり、画のために女あることを切り捨てたような存在。
 そのお栄に情夫がおり「肉の交わり」を繰り返していたことに対する気持ち。
 
 お栄は出戻りだ。
 それも、己から亭主を虚仮コケにして家を飛び出た女なのだ。
 画のためにだ。下手くそな画が許せない。
 つまり、己が賭けていたモノを拙い技で見せられるのが耐えられなかったのだろう。

 万之介は、お栄が好きであった。
 男女と言う意味は微塵もない。純粋に「絵師」として人として好きだったのだ。

 お栄が情夫を持とうが持つまいが、お栄の勝手だ。

 お栄にしてみれば「オレがオレの情夫と何をしようが、オレの勝手だろうがぁッ」ということだ。
 それはそれで、お栄らしいとも思う。

 それでも万之介の胸の奥には尖った石のような物がコロリと転がっているかのようであった。
 男に溺れるお栄を想像するのが嫌であったのかもしれない。勝手な思いだ。

「おい、そろそろ戻るぜぇ」
「頃合いかの」

 その言葉に、想念を断たれ万之介は顔を上げた。
 
「アゴが、黒大根をぶっこんでいる最中だったら、どーするよぉ。まんすけ。ひひひひひひひ」

 北斎が万之介に言った。
 自分の娘であろうがなんであろうが、思ったことは口にする。
 余計な忖度そんたくなど無い――
 それが北斎であり、己が師匠だ。

「そのお栄さんの男は、本当に行方が分からないのでしょうか?」

 万之介が北斎に問うた。

「知らねェよ――」

 呟くように北斎は答えたのだった。

「鬼狂様――」

「ん、何じゃ万之介」

 後を歩く万之介に美麗な横顔を見せ、鬼狂は言った。
 童女のような姿をした「鬼を喰らう、さね払い」を行う女だった。
 そよそよとした風が、鬼狂の下し髪を揺らしていた。 

 手足が千切れても元に戻る――
「怪異」の世に浸かったような存在だ。

「あの黄表紙で、人は鬼を身に宿すのですか?」

 鬼狂の言っていた言葉。それを万之介は確かめたのだった。

未通女おぼこなればな―― 己が淫戸ほとを慰め、淫液を流し、気をやれば危ういだろうさ。その腹に淫鬼を孕むわ。まあ、この黄表紙はもう、呪詛の力はないがな」
「淫鬼憑きとは、つまり…‥」

 スッと鬼狂は黄表紙を出した。

「オヌシが初めて仕事した商家―― そこで出てきたのじゃ。中々、最初は白状せなんだがな……」

 万之介は「あのとき」と思いだした。
 腹の膨らんだ、紙商いをしている商家の娘だったはずだ。
 鬼狂がさねを吸い、淫鬼を祓い、そして喰らったのだ。

「人は狂う――」

 ポツリと鬼狂が言った。

「狂いが鬼を身に生じさせ、そして――」

「二天様……」

 万之介の頭の中で、鬼狂の説明と己が経験が結びついた。

 辻斬りの女剣士――
 淫鬼を祓うことが出来ず、その身を突き破り、異形が生まれたことを。
 転生であると、鬼狂は行っていた。
 
 二天様――
 新免宮本武蔵。
 天下無双の剣士――

 武者絵の題材にすらなる存在だ。
 それが女の肉を持ち、この様に産まれ出たのである。

 万太郎の思いを読んだかのように、鬼狂は言葉を続けた。

「おうよ、女に憑いた淫鬼は肉と魂を喰うて、育つ――」
「だから孕み腹に」
「そうじゃ、その身の内で『反魂』をやるのじゃ」
 
 反魂――
 つまり、生き返りの呪法だ。
 それを女の胎内で行っていると言ったのだ。

「淫鬼は育ち過ぎれば、祓えぬのじゃ―― あの時のようにな」

 女剣士の辻斬りのことを鬼狂は言っていた。

「何とも…… 面倒なことじゃ。アヤツめが――」

 血をまとった刃のような言葉。
 それが鬼狂の美しい口から洩れ流れ出していた。

        ◇◇◇◇◇◇

「狂気―― これは皆狂っている。その狂い様を人は美しいと言う――」

 浅草大円寺――
 鉢が並べられ、色とりどりの花が咲いている。
 朝顔だ。花の種類ということであれば、それは朝顔なのだ。

 ただ、どれひとつとして「アサガオ」と言う言葉で思い浮かべるような花の姿などしていない。

 江戸の後期――
 人々の間に朝顔の品種改良が流行ったのだ。異様な形をした朝顔が咲き狂っているのはそのためだった。大円寺ではそのような朝顔の品評会が催されていたのだ。

変化へんげ朝顔か…… これも狂いだ」

 ひょろりと背が高く、色の白い男だった。
 ただ、その身なりからは、荒んだ生き方をしていることが容易に想像ができた。
 
 寺の境内に並ぶ千を超えるだろうという鉢と朝顔。
 紫の花弁が重なり合う異形の花。
 細い花弁が連なり、血の様な色を見せる花。
 トゲを持った葉のような花弁を天に突き立てる花。
 まるで百合のような姿となり異様にしべが伸びた花。

 並んだ鉢の中を男は歩いていた。
 まだ、朝は早い。人が多くのなるのはこれからだった。

 上野の大円寺では、変化朝顔の花相撲が行われていた。
 要するに、己が造り上げた狂った朝顔を品評するというものである。
 朝顔の形をした狂気を見せる場なのだ。

「どうでぃ、この花。おれっちがよぉ――」

 植木職人らしい者が、その男に声をかけた。

 男は無言で立ち止まり、その花を見た。
 美しいと思った。

 螺旋を描く花弁がうねり、炎のように見えた。狂っている。
 朝顔が狂い、その形を作ったのだ。
 
 全ては朝顔であり、人が異形として育て上げた物だ。
 美しいからだ。
 美しいと思っているから育てたのだ。

「狂ぅているからこそ―― 美しい。美しいモノは狂ぅているか――」

 口の中で呟くようにその男は言った。

 そして男は筆、小さな墨入すみいれ、画帳を取り出した。

「ほおぉ、おめぇさん、絵師かい?」

 植木職人の言葉に、男はどのような反応もみせず、開いた画帳に朝顔を書き写していた。

 植木職人は男が画を描くのを止めはしなかった。
 それは、絵師による己が朝顔への称賛であろうと解釈したからだ。

「どんな絵を描きなさるんだい?」

 身を乗り出し、植木職人がその画帳を除きこむ。
 
「ウッ」
 
 植木職人は息を飲んだ。

 墨一色――
 そうであるのに、まるで極彩色を思わせる画。ヌルヌルとした線が画帳の上で複雑に、そして精緻に絡み合っていたのだ。
 見る者に「上手い」「下手」というような単純な言葉を吐かせることを拒否するかのような画――
 手触り、匂いまで絵筆により創りだそうとしているかのようだった――
 
 ただ、その画を好きになれるかと問われれば、絶対に好きになれそうになかった。
 
(こっちの頭が変になりそうな画だぜ)

 そう思うと、植木職人は戻り、他の客に声をかけ始めた。

 ポツリポツリと、見物客が増えてきていた。

「善次郎さん…… ここに居ましたか―――」

 不意に画を描く男の後ろで声がした。

「よく分かるな。それも呪法かい?」

 振り向きもせず、男は絵筆を走らせながら言った。

「いえいえ、書肆ふみやの吉太郎さんに訊きました」

「ふ~ん……」

 善次郎と呼ばれた男は、絵筆を止め振り向いた。

 彼の前には、美しい女剣士を連れた男が立っていた。
 目に常に笑みを浮かべているような優男だった。

法越ほうえつさん―― 仕事かい?」

 善次郎と呼ばれた男は、小さくつぶやいた。

■参考文献
国立国会図書館デジタルコレクション
アサガオ 『朝顔三十六花撰』
万花園主人撰・服部雪斎画 嘉永7 (1854) 刊 1冊 <W166-N26>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286913
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