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8.辻斬りの女剣士
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「こんなところに呼び出すとは…… 鬼狂様は、一体……」
不栗万之介は、数寄屋造りの「料理処」と看板のある二階建ての店の前で立ち尽くす。
上野、不忍の池近くの店である。
夕刻。陽は沈みすでに朱色の残照が空を染めていた。
(出会茶屋ではないか……)
万之介は思う。出会茶屋とは、男女が密会、逢引をするための場所だ。
「料理処」と看板が出ているのは、表だってそのような場所であると言えないからだった。
不義密通の温床でもあるが、庶民が気軽に利用できるモノではない。
食事が出て「ご休憩」で金一分が料金が相場となる。
つまり、一両の四分の一である。
丁度、万之介の「挺孔(さね)吸い祓い」の日当と同じだ。
この日当は破格のものなのだ。
万之介は、北斎の弟子となり、長屋で画を描き、文を捻りだす日々が続いている。
時々、鬼狂の使いから文が届き、呼び出され「挺孔(さね)吸い祓い」の仕事をするのだった。
画の方はあまり芳しくは無い。
葛飾北斎は万之介の持ち込む画を見て思ったことを口にする。
「まんすけ、此れは、見たまま写しているだけじゃねぇのかい」
「おいよぉ、描きてぇモノを描いているのかい? これがそうか?」
「上手く描こうするんじゃねぇよ! どうせ、てめぇは下手くそなんだからよぉ」
というような言葉をもらうだけだった。
どこをどう直せとか、どうやって画けというような指導は一切ない。
上手く描こうと思い、他人をまねた画を出せば北斎は「ふん」と何も言わず突き返す。
北斎の娘であるお栄も、万之介に「オメェ、下手すぎるだろぉ? 画で飯食っていく気なのか、本気で?」と言う。
しかし、彼女は「おい、ここだけどよぉぉ、女の首の角度だよぉ」と教えようとするのだ。
姉御肌で、万之介に足らぬ「技術」を教えようとする。
しかしそれは、北斎が「アゴぉ、俺の弟子に余計なこと言うんじゃねぇ」と止められるのが常だ。
お栄も「クソ、鉄じじぃがぁ! 面倒くせぇからって手抜きすんなら弟子にすんじゃねぇよッ!」と黙っていない。
そして、反故紙とゴミの散乱した仕事場で親娘喧嘩が始まるのだった。
万之介は画に関して「どうすればいいのか?」という思いを抱き迷っていた。
ただ、描くのは止めない。最近では、己の描いた絵で「手すさび」をするようになった。
しかし、中々ツボに来ない。
己が中に、激しい情欲、欲情、淫気、淫乱で淫靡な夢想はあるのだ。
とくに、鬼狂を思う――
鬼狂のさねを吸い、己が陽根を鬼狂が吸い、舐る様を思うのだ。
鬼狂が、鬼に憑かれた女子のさねを舐る妖艶な姿見も思うのだ。
それは脳裏に焼き付いている。
しかし――
それを筆で紙の上に再現することができないでいた。
己が筆が思いを形に出来ないのだ。
単に己の技術が未熟なだけとは思えない。
なぜできないのか…… それが分からなかった。
(己には、さね吸い舐りの方が才があるのかもしれん――)
万之介はそう思うことも多い。
鬼狂の「挺孔(さね)吸い祓い」――
それは、鬼に憑かれた女の「おさね」を鬼狂が舐り祓う。
鬼狂の舌で、乱れ狂う女――
声を上げ、身をくねらせ、そして――
鬼に憑かれた女はホトから「淫鬼」と呼ばれる化外のモノを産みだすのだ。
その「淫鬼」を鬼狂は喰らうのだ。
ぞぶり、ぞぶりと歯を立て、その肉、腸、骨まで砕き喰らう――
怖気を振るうような光景であり、また心の芯が痺れるほどのに淫靡な光景でもあった。
そして、その後、鬼狂のさねを万之介は舐る。鬼狂は万之介の珍棒を咥え、舐り、吸うのだ。
「二つ巴」呼ばれる男女の交合の形でお互いに貪るように、吸い、舐る――
それが万之介の今の仕事であった。画は修行中の身であり、銭は稼げない。
そして今も、鬼狂の使いに渡された文の通り、この「出会茶屋」にやってきたのであった。
「行くか―― 仕事なのだ」
そう呟くと、万之介は裏口に回り、出会茶屋に入るのであった。
◇◇◇◇◇◇
「おお、来たかよ、万之介――」
鬼狂は窓にもたれかかる様にして、煙管をふかしていた。
漆黒の長い煙管だった。白く細い指先で弄ぶかのようにしていた。
童女のような姿に煙管組み合わせ――
しかし、それがなぜか違和感がない。
闇の様な黒染めの着物に、赤い炎の紋様の着物を、妖しく着崩し纏っている。
滑る様な白い肩が見えそうになっていた。
まるで、常世の遊女のような姿見――
実体のない、淫靡で妖しい想念が集まりその肉を作り上げているかのようだった。
「蓮はもう見えぬな――」
窓の外を見やり鬼狂は言った。
相変わらずの気だるげな言葉だった。
「蓮ですか?」
「不忍の池は、蓮が売りじゃからのぉ。蓮花見を口実に、ここで逢引をする者が多いのじゃ」
「逢引――」
「まあ、オヌシとワラワは違うのじゃがな」
ニィッと妖艶な笑みを浮かべ、鬼狂は言った。
それは万之介も分かっているが、鬼狂がその身に纏った妖しく淫靡な空気は、万之介の心に劣情の火をともすのだった。
鬼狂も、そのような万之介の心根を承知で、楽しんでいる部分があった。
「料理が出ておる―― 食うてよいぞ。中々機会もなかろう」
確かに料亭並みの料理が箱膳の上に並んでいたのだ。
「万之介よ、食うたら、出るぞ―― 今宵は、キツイ仕事になるやもしれぬなぁ」
鬼狂は美麗の横顔を万之介に見せ、すっと視線を流し見た。
寒気を覚えるほどの、色香を万之介は感じつつも、万之介はとりあえず、箸を手に取った。
どこから食せばいいのか迷うご馳走だった。
「鬼狂様、今日の仕事はどこで?」
「さぁてのぉ。どこになるか…… まあ、外であることだけは確かじゃな」
「外?」
「辻斬り―― オヌシも聞いておるじゃろ?」
全く持って「面倒くさい」という風体で鬼狂はそう言ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
江戸は比較的治安の良い都市であった。
しかし、食い詰めモノが集まるのは都市の宿命であり、景気が悪くなれば犯罪も増えた。
辻斬りもあった――
ただ、それは珍しい方の部類に入る「事件」になることだった。
寛政の改革を経て、数十年が経過し、江戸の文化は爛熟していた。
貨幣経済の浸透、初期資本主義的な社会が構成されつつあったのが、江戸の後期だ。
その中で、貧困に陥る武士階級は存在し、それが辻斬りを行うということもないではなかったのだ。
上弦の月と星――
夜天光だけが、万之介と鬼狂を照らしていた。
神田川沿いの道であった。黒々した川面が辛うじて夜光を浴びていた。
そのような場所を万之介と鬼狂は歩いていた。
さほど広い道ではないが、川沿いが開けている。
「まあ、辻斬りに出追うたら、頼りにしとるぞ。万之介よ」
「鬼狂様、私は竹光すら持っていないのですけど――」
「ふふん―― そうかぇ。『紺屋町物』くらいは持っておってもよかろうが」
「紺屋町物」とは、飾り物の刀だ。人を斬ることはできないが、竹光よりは見栄えがいい。
神田の紺屋町界隈で売られていたので「紺屋町物」と呼ばれていた。
「私は侍は嫌ですから」
「そうかよ―― ま、ワラワを置いて逃げることだけはやめてほしいのじゃ」
その声には「ニヤニヤ」と笑いながら言っているように聞こえた。
「逃げませんよ」
憮然とした声で万之介は言った。
一方で「刀なぞ二度と振りたくもない――」とも思う。
そもそも、鬼狂は怪異といえる「淫鬼」をねじ伏せ、喰らうほどの力量を持っている。
所詮は人である辻斬りなど、本気になった鬼狂の前ではモノの数では無かろうと思うのだ。
鬼狂と万之介が夜の江戸を歩いているのは、辻斬りを探すためだった。
「鬼喰らい師」として女に憑いた鬼を「さね舐り」で祓う鬼狂がなぜ辻斬りを探すのか?
万之介が尋ねても、鬼狂は「まあ、そういうこともあるのじゃ」とはっきりと答えなかった。
しかし、万之介は雇い主である鬼狂に付き合い、夜の江戸を歩くしかなかった。
できるなら、辻斬りなどという剣呑なモノには出会いたくないのが本音だった。
ただ、もし辻斬りに出会った場合、鬼狂を置いて逃げ出すという選択肢は万之介には無い。
鬼狂の力というモノが「怪異」にしか発揮できないものとしたら?
そのような場合は、己がなんとかするしかないかと、嘆息しながらも思うのであった。
万之介がそのように考えていた時だった。
不意に、鬼狂が立ち止った。
「ほう……」
夜気の中で、濡れたような鬼狂の声。
「これは…… 中々のものじゃな――」
「え?」
鬼狂はスッと目を細め、妖しく冷たい視線を闇の向こうに送っていた。
万之介は鬼狂の視線の先を見やった。
ゆらりと闇が揺れている気がした。
何かがいるのだ。
(人か―― いや――)
鬼狂と共にいるのである。
そこに現れたのが百鬼夜行の類であったとしても不思議はない。
「凄まじき淫気じゃのぉ。その身で――」
人であった。
それも、女――
男装をし、帯刀しているが、その動き、仕草――
艶めかしさは、決して男のモノでは無かった。
揺らり倒れこむような動きを女は見せた。
長い黒髪を後ろで留めていた。それが夜光の中で黒く光った。
(無拍子、縮地――)
万之介はその技の名を知っていた。
倒れ込むような動きから一転して間合いを詰める。
二間(約3.5メートル)は離れていた場所から一瞬にして動いていた。
鬼狂に向かってだ。
「鬼狂様!」
万之介は声を上げるのが精一杯だった。
闇に風を斬る音――
湿った布を振りまわしたような音が響いた。
「いきなりかえ? なんとも無粋な――」
鬼狂の声だった。しかし、いつものと透き通った声ではない。
ゴボゴボと湿った雑音のような物が混じっていた。
万之介は息を飲んだ。
斬られてていた。
鬼狂の肩から右肩から胸にかけ斜め外に向け、完全に切断されていた。
闇の底には白く燐光を放つかのように、鬼狂の右腕と肩の一部が転がっていたのだ。
「あはぁ~ お、男ぉぉぉ、男じゃないのぉぉ~ 斬り刻みながら、犯したいのにぃぃ~ あはぁぁぁ、死んでいく男を犯すのぉぉぉ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」
その女剣士は首をカクンと折れ曲げるようにして立っていた。
首の骨が折れるような角度でだ。
その存在も人以外の何かであった――
「痛いのぉ―― 剣で斬られるのは、何年振りかのぉ……」
鬼狂のゆるゆると、気だるそうに言葉を吐いていた。
その言葉を同時に闇の中に濃厚な血の匂いが満ちていく。
鬼狂の首近くの右肩から右脇に剣は抜けてのだ。
そして、鬼狂は肩から腕、脇の一部まで切り落とされていた。
その断面からはダラダラと血が流れ、地に血溜まりを作り上げていた。
「これは、どうも育ちすぎじゃなぁ―― 手遅れやもしれぬのぉ」
血の色をした唇が闇の中でも鮮烈な笑みを描いているのが分かった。
笑っていた。
「鬼喰らい師」鬼狂は、闇の中で笑っていた。
肉を削がれ、血を流し、笑っていたのだった。
不栗万之介は、数寄屋造りの「料理処」と看板のある二階建ての店の前で立ち尽くす。
上野、不忍の池近くの店である。
夕刻。陽は沈みすでに朱色の残照が空を染めていた。
(出会茶屋ではないか……)
万之介は思う。出会茶屋とは、男女が密会、逢引をするための場所だ。
「料理処」と看板が出ているのは、表だってそのような場所であると言えないからだった。
不義密通の温床でもあるが、庶民が気軽に利用できるモノではない。
食事が出て「ご休憩」で金一分が料金が相場となる。
つまり、一両の四分の一である。
丁度、万之介の「挺孔(さね)吸い祓い」の日当と同じだ。
この日当は破格のものなのだ。
万之介は、北斎の弟子となり、長屋で画を描き、文を捻りだす日々が続いている。
時々、鬼狂の使いから文が届き、呼び出され「挺孔(さね)吸い祓い」の仕事をするのだった。
画の方はあまり芳しくは無い。
葛飾北斎は万之介の持ち込む画を見て思ったことを口にする。
「まんすけ、此れは、見たまま写しているだけじゃねぇのかい」
「おいよぉ、描きてぇモノを描いているのかい? これがそうか?」
「上手く描こうするんじゃねぇよ! どうせ、てめぇは下手くそなんだからよぉ」
というような言葉をもらうだけだった。
どこをどう直せとか、どうやって画けというような指導は一切ない。
上手く描こうと思い、他人をまねた画を出せば北斎は「ふん」と何も言わず突き返す。
北斎の娘であるお栄も、万之介に「オメェ、下手すぎるだろぉ? 画で飯食っていく気なのか、本気で?」と言う。
しかし、彼女は「おい、ここだけどよぉぉ、女の首の角度だよぉ」と教えようとするのだ。
姉御肌で、万之介に足らぬ「技術」を教えようとする。
しかしそれは、北斎が「アゴぉ、俺の弟子に余計なこと言うんじゃねぇ」と止められるのが常だ。
お栄も「クソ、鉄じじぃがぁ! 面倒くせぇからって手抜きすんなら弟子にすんじゃねぇよッ!」と黙っていない。
そして、反故紙とゴミの散乱した仕事場で親娘喧嘩が始まるのだった。
万之介は画に関して「どうすればいいのか?」という思いを抱き迷っていた。
ただ、描くのは止めない。最近では、己の描いた絵で「手すさび」をするようになった。
しかし、中々ツボに来ない。
己が中に、激しい情欲、欲情、淫気、淫乱で淫靡な夢想はあるのだ。
とくに、鬼狂を思う――
鬼狂のさねを吸い、己が陽根を鬼狂が吸い、舐る様を思うのだ。
鬼狂が、鬼に憑かれた女子のさねを舐る妖艶な姿見も思うのだ。
それは脳裏に焼き付いている。
しかし――
それを筆で紙の上に再現することができないでいた。
己が筆が思いを形に出来ないのだ。
単に己の技術が未熟なだけとは思えない。
なぜできないのか…… それが分からなかった。
(己には、さね吸い舐りの方が才があるのかもしれん――)
万之介はそう思うことも多い。
鬼狂の「挺孔(さね)吸い祓い」――
それは、鬼に憑かれた女の「おさね」を鬼狂が舐り祓う。
鬼狂の舌で、乱れ狂う女――
声を上げ、身をくねらせ、そして――
鬼に憑かれた女はホトから「淫鬼」と呼ばれる化外のモノを産みだすのだ。
その「淫鬼」を鬼狂は喰らうのだ。
ぞぶり、ぞぶりと歯を立て、その肉、腸、骨まで砕き喰らう――
怖気を振るうような光景であり、また心の芯が痺れるほどのに淫靡な光景でもあった。
そして、その後、鬼狂のさねを万之介は舐る。鬼狂は万之介の珍棒を咥え、舐り、吸うのだ。
「二つ巴」呼ばれる男女の交合の形でお互いに貪るように、吸い、舐る――
それが万之介の今の仕事であった。画は修行中の身であり、銭は稼げない。
そして今も、鬼狂の使いに渡された文の通り、この「出会茶屋」にやってきたのであった。
「行くか―― 仕事なのだ」
そう呟くと、万之介は裏口に回り、出会茶屋に入るのであった。
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「おお、来たかよ、万之介――」
鬼狂は窓にもたれかかる様にして、煙管をふかしていた。
漆黒の長い煙管だった。白く細い指先で弄ぶかのようにしていた。
童女のような姿に煙管組み合わせ――
しかし、それがなぜか違和感がない。
闇の様な黒染めの着物に、赤い炎の紋様の着物を、妖しく着崩し纏っている。
滑る様な白い肩が見えそうになっていた。
まるで、常世の遊女のような姿見――
実体のない、淫靡で妖しい想念が集まりその肉を作り上げているかのようだった。
「蓮はもう見えぬな――」
窓の外を見やり鬼狂は言った。
相変わらずの気だるげな言葉だった。
「蓮ですか?」
「不忍の池は、蓮が売りじゃからのぉ。蓮花見を口実に、ここで逢引をする者が多いのじゃ」
「逢引――」
「まあ、オヌシとワラワは違うのじゃがな」
ニィッと妖艶な笑みを浮かべ、鬼狂は言った。
それは万之介も分かっているが、鬼狂がその身に纏った妖しく淫靡な空気は、万之介の心に劣情の火をともすのだった。
鬼狂も、そのような万之介の心根を承知で、楽しんでいる部分があった。
「料理が出ておる―― 食うてよいぞ。中々機会もなかろう」
確かに料亭並みの料理が箱膳の上に並んでいたのだ。
「万之介よ、食うたら、出るぞ―― 今宵は、キツイ仕事になるやもしれぬなぁ」
鬼狂は美麗の横顔を万之介に見せ、すっと視線を流し見た。
寒気を覚えるほどの、色香を万之介は感じつつも、万之介はとりあえず、箸を手に取った。
どこから食せばいいのか迷うご馳走だった。
「鬼狂様、今日の仕事はどこで?」
「さぁてのぉ。どこになるか…… まあ、外であることだけは確かじゃな」
「外?」
「辻斬り―― オヌシも聞いておるじゃろ?」
全く持って「面倒くさい」という風体で鬼狂はそう言ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
江戸は比較的治安の良い都市であった。
しかし、食い詰めモノが集まるのは都市の宿命であり、景気が悪くなれば犯罪も増えた。
辻斬りもあった――
ただ、それは珍しい方の部類に入る「事件」になることだった。
寛政の改革を経て、数十年が経過し、江戸の文化は爛熟していた。
貨幣経済の浸透、初期資本主義的な社会が構成されつつあったのが、江戸の後期だ。
その中で、貧困に陥る武士階級は存在し、それが辻斬りを行うということもないではなかったのだ。
上弦の月と星――
夜天光だけが、万之介と鬼狂を照らしていた。
神田川沿いの道であった。黒々した川面が辛うじて夜光を浴びていた。
そのような場所を万之介と鬼狂は歩いていた。
さほど広い道ではないが、川沿いが開けている。
「まあ、辻斬りに出追うたら、頼りにしとるぞ。万之介よ」
「鬼狂様、私は竹光すら持っていないのですけど――」
「ふふん―― そうかぇ。『紺屋町物』くらいは持っておってもよかろうが」
「紺屋町物」とは、飾り物の刀だ。人を斬ることはできないが、竹光よりは見栄えがいい。
神田の紺屋町界隈で売られていたので「紺屋町物」と呼ばれていた。
「私は侍は嫌ですから」
「そうかよ―― ま、ワラワを置いて逃げることだけはやめてほしいのじゃ」
その声には「ニヤニヤ」と笑いながら言っているように聞こえた。
「逃げませんよ」
憮然とした声で万之介は言った。
一方で「刀なぞ二度と振りたくもない――」とも思う。
そもそも、鬼狂は怪異といえる「淫鬼」をねじ伏せ、喰らうほどの力量を持っている。
所詮は人である辻斬りなど、本気になった鬼狂の前ではモノの数では無かろうと思うのだ。
鬼狂と万之介が夜の江戸を歩いているのは、辻斬りを探すためだった。
「鬼喰らい師」として女に憑いた鬼を「さね舐り」で祓う鬼狂がなぜ辻斬りを探すのか?
万之介が尋ねても、鬼狂は「まあ、そういうこともあるのじゃ」とはっきりと答えなかった。
しかし、万之介は雇い主である鬼狂に付き合い、夜の江戸を歩くしかなかった。
できるなら、辻斬りなどという剣呑なモノには出会いたくないのが本音だった。
ただ、もし辻斬りに出会った場合、鬼狂を置いて逃げ出すという選択肢は万之介には無い。
鬼狂の力というモノが「怪異」にしか発揮できないものとしたら?
そのような場合は、己がなんとかするしかないかと、嘆息しながらも思うのであった。
万之介がそのように考えていた時だった。
不意に、鬼狂が立ち止った。
「ほう……」
夜気の中で、濡れたような鬼狂の声。
「これは…… 中々のものじゃな――」
「え?」
鬼狂はスッと目を細め、妖しく冷たい視線を闇の向こうに送っていた。
万之介は鬼狂の視線の先を見やった。
ゆらりと闇が揺れている気がした。
何かがいるのだ。
(人か―― いや――)
鬼狂と共にいるのである。
そこに現れたのが百鬼夜行の類であったとしても不思議はない。
「凄まじき淫気じゃのぉ。その身で――」
人であった。
それも、女――
男装をし、帯刀しているが、その動き、仕草――
艶めかしさは、決して男のモノでは無かった。
揺らり倒れこむような動きを女は見せた。
長い黒髪を後ろで留めていた。それが夜光の中で黒く光った。
(無拍子、縮地――)
万之介はその技の名を知っていた。
倒れ込むような動きから一転して間合いを詰める。
二間(約3.5メートル)は離れていた場所から一瞬にして動いていた。
鬼狂に向かってだ。
「鬼狂様!」
万之介は声を上げるのが精一杯だった。
闇に風を斬る音――
湿った布を振りまわしたような音が響いた。
「いきなりかえ? なんとも無粋な――」
鬼狂の声だった。しかし、いつものと透き通った声ではない。
ゴボゴボと湿った雑音のような物が混じっていた。
万之介は息を飲んだ。
斬られてていた。
鬼狂の肩から右肩から胸にかけ斜め外に向け、完全に切断されていた。
闇の底には白く燐光を放つかのように、鬼狂の右腕と肩の一部が転がっていたのだ。
「あはぁ~ お、男ぉぉぉ、男じゃないのぉぉ~ 斬り刻みながら、犯したいのにぃぃ~ あはぁぁぁ、死んでいく男を犯すのぉぉぉ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」
その女剣士は首をカクンと折れ曲げるようにして立っていた。
首の骨が折れるような角度でだ。
その存在も人以外の何かであった――
「痛いのぉ―― 剣で斬られるのは、何年振りかのぉ……」
鬼狂のゆるゆると、気だるそうに言葉を吐いていた。
その言葉を同時に闇の中に濃厚な血の匂いが満ちていく。
鬼狂の首近くの右肩から右脇に剣は抜けてのだ。
そして、鬼狂は肩から腕、脇の一部まで切り落とされていた。
その断面からはダラダラと血が流れ、地に血溜まりを作り上げていた。
「これは、どうも育ちすぎじゃなぁ―― 手遅れやもしれぬのぉ」
血の色をした唇が闇の中でも鮮烈な笑みを描いているのが分かった。
笑っていた。
「鬼喰らい師」鬼狂は、闇の中で笑っていた。
肉を削がれ、血を流し、笑っていたのだった。
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