大江戸・淫ら鬼喰らい師 -さね吸い祓い奇譚-

中七七三

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4.淫ら画を描く女絵師

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「ここがそうなのか……」

 不栗万之介ふぐり まんのすけは手土産の菓子をもって立ちすくんだ。なけなしの銭で買ったものだ。
 北斎に対し弟子入りを願い出るのに、手ぶらという訳にもいかなかった。
 
 葛飾北斎の住まいは万之介の長屋からさほど離れてはいなかった。
 馴染みにしていた貸本屋の旦那から、この辺りに住んでいると聞き及んでいた。
 旦那は「引っ越してなきゃまだいるだろう」と教えてくれた。
 北斎は転々と住処を変える性癖があるとのことだった。

 万之介は、炎天下の中、人に尋ね、尋ねしながら、ようやく北斎宅にたどり着いたのだ。

「なんだこれは――」

 そして、その言葉を口にする。

 なぜか戸口が開けっ放しで、中が見える。
 人の気配は感じない。
 ただ、ここが北斎の家であることだけは、確信を持った。
 
 そして感銘していた。
 
 その光景は、凄まじいものだった。
 まさに、己を「画狂」と称するだけのモノが目の前にあったのだ。
「画」以外の全てを切り捨てた人間がここに棲んでいるのだ。
 まさにその生き様が、この場所に示されているかのようだった。

 土間はゴミの山だった。辛うじて奥の座敷に進める亀裂がある。人間一人が通れるくらいだろう。
 そのゴミの中には紙屑やら下帯のようなもの、更に茶碗、丼といった食器の類まで混じっていた。
 まさに、混沌がそこにあった。
 そして、夏のヌルヌルとした空気の中で、何ともいえぬ匂いが立ち上がっている。
 
 更に、土間の奥の部屋まで見えた。しかし、その部屋が板間なのか、畳敷なのかすら分からない。
 ただ、散乱するゴミに混ざった反故紙が、ここの住人が「画」を生業としていることを思わせている。
 そして、腐臭の中に混ざる絵の具の匂いが、その思いを確信に変えていく。
 
 葛飾北斎は天下一の絵師であろうと、万之介は思っている。
 その画料もかなり高いはずだ。おそらくは。
 それが、自分の長屋と大して変わらない場所を住処としているのだ。
 
 いや、決定的に違う。違うのだと、万之介は思う。
 どこかタガの外れた人間でしかあり得ない住処だった。

 しかも「片付ける」「掃除する」ということを拒否し「画」のみ生きる人の迫力がその場にはあったのだ。万之介はそれを感じられる己が感性に少しばかりの優越感を持った。
 
「おい、人んち覗きこんで、何か用かい?」

 万之介は振り向いた。
 後に女が立っていた。

 色の浅黒い、眉の太い女だ。
 細くやや吊り上った眼から、キツイ視線を万之介に向けている。

 眉を剃っていない。未婚者である。
 それでも歳は二十の半ばは超えているだろうと万之介は思った。
 ややしゃくれた大きなアゴ。
 ただ、鼻梁は高く筋が通っている。

 決して美女ではない。
 しかし、醜女しこめというわけではない。
 顔の造作、顎の大きさは目立つが、内面から湧き出るような「魅力」のような物が感じられた。
 佇まいが、そこらの女とは全く違っていた。

「そんなとこに、突っ立ていられると、入れないんだがね」
「いや、すまない」

 男であり背の高い方である万之介と目の位置がさほど変わらない。
 大女でもあった。

 女は井戸から汲んだと思われる水桶を持って中に進む。
 ゴミの山に出来た亀裂の中をスッとこなれた感じで進んでいった。
 その動きが「粋」だった。

「あの――」
「ああッ?」

 万之介の言葉に、女は首の角度を変え振り向いた。
 アゴが肩につっかえると思ったがそんなことは無かった。
 その視線は先ほどより鋭さを増し、もはや「殺気」すら感じさせるものだった。

「北斎先生は、ご在宅では」
「鉄じじィの客かい――」
「ぜひ、先生の門下に…… 弟子にと――」
「いねぇよッ」

 女はひょいと土間から座敷に上がる。水桶を持ったままだった。
 
(いない―― いや、とにかくここが、北斎先生の……)

 女の言った「鉄じじィ」が万之介の「北斎先生」と同じ人物を指すのは明らかだった。
 それにしても、この女は何者なのか?
 万之介は、女の正体についてあれこれ考える。

「オレは、娘のお栄ってんだがよ。オメェは、なんてぇんだい」

 その答えは、女が先に口にしていた。
 女は北斎の娘であった。

 お栄と名乗った北斎の娘は、反故紙を足でどかして、文机の前に座った。
 そして、碗を持って、水桶に中に手を突っ込む。
 豪快に水を汲んで一気に飲んだ。
 浅黒い喉がグビグビ動く。

 万之介はそれを見て、己も渇きを覚えていたことを思いだす。

「不栗万之介と申します。北斎先生はお留守なのですか」
「ああ―― いねぇ」
「そうですか……」

 ここで、待たせて欲しいというべきなのか、それとも出直してくるべきか。
 万之介は逡巡する。

「飲むかい? 喉かぇぇてるんだろう」

 そう言って浅黒い腕に碗を持って突き出した。
 万之介も北斎の作りだしたゴミという名の生き様の残滓の中を進む。

菓子それをよこして、飲みな」
「はい」
 
「足の踏み場が無い」という言葉が過言では無い状態の中、反故紙を踏まぬよう、万之介は進む。
 そして、持ってきた菓子をお栄に渡し、碗を受け取った。
 流しこむようにして水を飲んだ。旨かった。

「今日は暑ちぃからな―― まだいるかい?」
「いえ、大丈夫です」
「そうかい」

「鉄じじィは、小塚原こづかっぱらだぜ―― クソ暑い中、元気なじじィだよ」
「刑場に? なんで?」

 万之介は驚きの声を上げていた。
 小塚原こづかっぱらとはここから半里ほどのところにある、刑場だった。
 罪人の処刑が行われ、死体や首が晒される場所だ。
 
 なぜ、天下の北斎がそんな場所に―― 
 万之介の疑問に、お栄が解答を与える。

「ああ、はりつけが、晒してあるってんで、見に言ってんだ。オレも一回付き合ったが、あんなモン、一回見りゃ、十分だろ、なあ」
「いえ、まあ……」

 万之介は困惑を表情に出し、表だけの同意の言葉を口にする。
 お栄に「なあ」と言われても、同意もできない。
 磔の咎人とがびとむくろを見物する――
 意味が分からない。ただ不可解なだけだった。
 
「ここで、待ってもいいがよ、日が暮れるまで帰ってこねぇぜ。鉄じじィは」
「そうですか。では――」

 それを聞き、出て行こうとした万之介は足を止め息を飲んだ。
 お栄が文机の上に広げてあった紙を除けたのだ。
 その下―― 露わとなったモノに視線が釘付けとなる。

「下絵……」

 それは墨で描かれた精緻な画であった。
 女同士がもつれ合う、淫らで淫靡で淫蕩で淫乱。圧倒的な妖しさで情欲を刺激する画であった。

 いや、画というモノを超えていた。
 紙の上でまるで、女体が絡み合い、動いているかのようであった。

 自分が描いていたものなど「稚戯」であると打ちのめさると同時に震えるような感動を覚えた。
 その感動が股間に伝わり、ムクムクと八寸の逸物に血潮が流れ込むのを感じる。

(肉筆画―― 北斎先生の……)

 そう思い、息を飲む。万之介の口からはどのような言葉を出なかった。
 ただ、ひたすらに股間が熱くなる。

「助平ぇだな。おい――」
「いえ、それは…… そのような凄まじきモノを見れば――」

「にぃ」と笑みを浮かべ、お栄が万之介を見た。
 そして視線が下がり、万之介の股間に目をやった。

「確かに、男はみんそうだがよぉ―― って…… おめぇ、なんだそりゃ、でけぇなぁ。おい」

 下帯を突きぬけんが勢いでそそり立つ万之介の陽根。
 それは、着物の上からでも姿を露わにしているかのようだった。
 万之介は、手でそのモノを抑え込み前かがみとなる。

「隠すこたぁねぇよ。オレの画をみて、マラをおッ立ててくれたんだ。悪りぃ気はしねぇぜ」
「え? この画は、北斎先生のでは?」
「いや、鉄じじィじゃねぇよ。オレだ。オレが描いたんだよ――」

 万之介は戦慄していた。
 このアゴのデカい大女もまた、絵師であった。
 淫ら画を描く、女絵師だ。
 それも、破格の才能を持つ絵師だ。

「応為ってんだ。オレの号だ―― まあ『ワ印』描くときゃ、色々隠号を使うがな」

「ワ印」、「春画」、「枕絵」と呼ばれる、淫猥で猥雑で淫蕩で淫乱な画――
 女の身でありながら、それを見事に描いていた。いや見事どころではない。

 北斎の娘―― お栄。
 彼女もまた、父をも凌ぎかねない才能を持った絵師であった。

「で、どうするんだい? 行くのかい? 待つのかい」

 万之介は返事をする事も出来ず、ただその画を見つめていた。
「鉄まら」になろうとしていた彼の逸物は、一気に力を無くしていくのだった。
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