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2.鬼狂様のさねを舐るのは童貞の特権

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 行燈の薄明りがふたりを辛うじて闇から浮き上がらせる。

 その身から鬼が祓われた娘の腹はへこんでいた。
 緩やかな間を刻む寝息は、起きる気配を全く感じさせなかった。

「これで、ここの仕事は仕舞じゃ」

 鬼狂が言った。
 すでに一糸も纏わぬ姿から、着物を着つけていた。
 ただ、着崩れしたその姿は、肌を露わにしていたときより、淫靡で煽情的だと万之介は思った。
 乱れた下ろし髪(ぐし)を細い指で整えながら、鬼狂が口を開く。
 
「オヌシ、悪くはなかったぞ。万之介」
「あ、はい、鬼狂様――」
「日当じゃ」

 そう言って鬼狂は、白い紙で包まれたモノを万之介に差し出す。

「いただきます」
 
 鬼狂の細い指につままれたそれを万之介は手のひらで受ける。
 小さい紙包みであるが、妙に重い気がした。
 万之介はその場で確認する。包み紙を開くのだった。
 決して無礼な行為ではない。受け取った日当はその場で確認するのが当たり前のことであった。

 江戸に来てから、日雇い生活の長い万之介はためらうことなく、包み紙をほどき、その中のモノを見た。

「え? 約束では――」
「不服かえ?」
「いえ、多すぎるのですが……」

 万之介は鬼狂の「鬼を祓い、喰らう呪法」に介添えし「さねを舐る」仕事を一朱で受けた。
 最初は耳を疑ったものだ。仮にそれが、半分。いやダダであっても万之介はやりたかった。

 万之介は己がたなごころの上で鎮座する「ニ朱金」を見やった。
 それも二枚もあった。
 今まで見たことなど無かった大金だ。

 大工の手間として、一日中こき使われてもやっと200文というところだ。
 炎天下で、木くずや木っ端を集め、穴を掘り、材木、土を運び、泥だらけになる。
 それでも、その程度の日当だった。

 それは幕府が日当の統制を行い、値上げを禁じていたことによる。
 ただ、浪人にしかすぎぬ万之介にとっては知らぬことだった。
 そして、若く頑健な万之介はまだいい方だった。
 働きの悪い者は小突かれながら、もっと安い値段でこき使われていたのだ。

 一両が四〇〇〇文。
 二朱金は八枚で一両となる。

(一〇〇〇文の日当か…… 長屋の家賃二ツ月分を払っても余る)

 万之介の借りている浅草寺近くの裏長屋の家賃が一月四〇〇文だった。
 ジッと手の中の大金を見つめる万之介を、鬼狂は面白そうに見ていた。

「オヌシは使える。無垢であの逸物―― 精汁も中々のものじゃ。まあ、おさねねぶりの方は、おいおい上手くなっていくであろうよ―― 悪くは無かった」

 鬼狂はそう言うと「行くぞ」と言って、娘の閨をなっている部屋を出た。
 そして、濡れ縁が続く場所に出た。上弦の月が夜天にあった。鬼狂はすっと月を見あげた。
 その瞬間、万之介は、周囲の気の質が変わったことに気づく。
 彼の怪訝そうな顔を見て、鬼狂が口を開いた。

「勘も良いのじゃな。万之介」
「結界ですか?」

 鬼狂は頷いた。

「ワラワが外に出れば、閨の結界は消える」

 青い月明かりを浴び、気だるそうに鬼狂は言った。

「万之介よ――」
「はい」
「ワラワは、ここの主人と話がある。オヌシは帰ってよい」
「はぁ……」

 仕事が終わったのだ。
 当然、仕事を受けた紙問屋の主人には報告が必要だ。
 自分の娘の安否は心配であろうと、万之介も思った。

 ただ、本音を言えば、万之介はこの美しい雇主の傍らに少しでも長く居たかった。

 月光と夜天光の中、この世と常夜の国の狭間で揺らぐような存在。
 一瞬、その美しい姿の中に、何か儚げなものを万之介は感じた。

 うねる白い肌――
 滑る舌先の感触――
 鬼狂のおさねへの口吸いの余韻――
 それははまだ、万之介の身内にあったのだ。

 そして、馬乗りとなり、怪異、異形の黒き「淫鬼」を喰らう、鮮烈で美しい血まみれの姿。
 それは、万之介の眸子(まなこ)に焼き付いていた。
 
 鬼狂と長く一緒にいたいという思いと同時に、早く戻り、その姿が脳裏に鮮明なうちに筆で写し取りたいとも思っている。
  
「万之介よ――」

 ふと、鬼狂は口を開いた。横顔を万之介に見せながであった。
 鬼狂の声で万之介の思惟しいが断ち切られる。

「そうじゃな。ひとつ言っておかねばなぬことがある」

 夜気の中に言葉が流れ込む。
 その肌が燐光で白く光っているかのようであった。

「女は買うな。その金で――」
「は……」

 江戸は巨大な売春都市であった。
 圧倒的な男性人口、男女比の極端な偏りがあった。
 特に精力を持て余した独り身の男が溢れかえっていたのだ。

 幕府公認の廓街である吉原だけでなく「岡場所」と呼ばれる廓街が存在している。
 二朱金二枚では吉原で女を抱けるものではない。しかし、私娼街である「岡場所」であれば――
 さらには、路上では夜鷹、船饅頭という船の上で身体を売る女がいた。

 銭があり女を買う気になれば、そこかしこで春をひさぐ女を買えた。
 それが江戸の街だ。
 ただ、銭次第で女の質が変わってくるのは当然であったが。

「そのつもりはありません」
「ほう、頼もしいことを言う」

 万之介のきっぱりした言葉に、感心の色をにじませ、鬼狂が答えた。

 しかし、言ってはみたものの万之介にも悩ましい部分があった。
 彼の住むな裏長屋にもその類に極めて近い女がいたのだ。
 それは、以前からの彼の悩みのひとつでもあった。

「無垢のままじゃ。禁を破れば、もう仕事はさせんし、出来ぬ」

 無垢――
 つまり童貞のままでいろと鬼狂は言ったのだ。
 童貞を失った瞬間、鬼狂との関係は終わる。
 鬼狂はそう言っているのだ。
 そして、万之介はそれを理解した――

「分かりました」

 その言葉に、鬼狂は「愛い奴よ」とでも言うような笑みを浮かべた。
 万太郎はその美しい笑みを見るだけで、またしてもカチカチの金まらを股間に作りだすのだった。

「まあ、春画を見るか、描くか―― 鉄蔵の絵でも見て、手すさびにふけるのは勝手じゃ」

 美しい童女の姿をした鬼狂の口から「手すさび」という言葉が出るだけで万之介はたまらなかった。
 この美しい口からもっと「卑猥」で「猥雑」で「淫靡」な言葉を吐かせたかった。

 そして――

 しゃぶりたい。鬼狂のおさねをねぶりまくり、口吸いし、あられもない痴態を晒すのを見たかった。
 そのためには「無垢のままでいろ」という言葉は絶対に守り通さねばならなかった。

「仕事があれば、また使いを出す――」

 そう言うと、鬼狂は音もなく歩みだす。
 その姿が闇の中に溶けるまで、万之介は鬼狂の後姿を見続けていた。

 彼女との初めての出会い――
 それを思い返しながらだった。

 あの焼けつくような暑い日のことを。
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