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その147:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その5
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しかしだ――
ジャップの作戦を読み違えていたこと。
時間を浪費したこと。
そのこと自体はアメリカの作戦に全く影響がなかったのだ。
その、現状にこそ、キング海軍艦隊司令長官はどす黒く粘液質の殺意を抱く。
今のアメリカ海軍が「取りうる選択肢が無い」という現実を晒すからだ。
「戦力が出そろうまで、どうにもなりませんな」
毒舌家のキングが、その言葉を口にした。
ヤニとアルコールの臭いの混ざった息とともに。青酸カリのような声音だった。
これでも、腐った泥のように濁った胸の内をそのまま吐き出しはしなかったのだ。
彼なりに気を遣った言葉だった。
キングの人格は擁護する者が皆無なほど破たんしていたが、決して莫迦ではない。
いや、むしろ怜悧で切れすぎることで、危なさを感じさせる人物だ。
大統領、陸軍長官、政府関係者の前でわざわざ身内批判をしても仕方ない。
その程度の自制心はあった。
「もっと早くから対日戦にリソースを割いていれば、この時点で優位に罠を張れた可能性もあったでしょうな――」
そう皮肉を言うのが精いっぱいだ。
キングは、絶対に近くに寄りたくないような、ヤニと腐ったアルコールのような毒息を吹き出す。
とにかく人の神経を「ささくれ立たせ」ないと気が済まないという言葉だった。
その相手が、たとえ大統領であったとしてもだ。
(ナチなんざ、ソ連と共食いさせておけばいい―― ジャップこそ殺すべき対象だ)と、キングは思う。
連合国の「ヨーロッパ戦線優位」は不文律となっている。
ソ連の赤どもはひっきりなしに、第二戦線を開けと要求してくる。
(知るか、もっと殺しあえ)キングは思う。やつらが殺しあっているのを思うと、ちょっと楽しくなった。
キングは、体に染み込んだ腐った澱のような空気をゆっくりと鼻から吹き出した。
そして、不遜と傲岸を練りかためて人の形にしたような態度で――
「ヨーロッパ優先主義の現状では、これでも上々ですな」
キングは言った。そして、ふんぞり返るかのように背もたれに「トン」と身を当てる。
彼は、驕傲で 傍若無人を 結晶化させ 尊大さを上塗りしたような人物だった。
言い方は人の神経を逆なですることこれ以上ないものだが、言っていることはアメリカ海軍の総意に近い。
ソロモン方面最前線指揮官・ゴームレー中将は、ここでの積極的な対決を避けることを提案した。
それを太平洋艦隊司令官・ニミッツ大将も支持したのだ。
キングも彼らの尻を叩く気はなかった。今回に限っては。選択肢などありはしなかったのだ。
「選択肢はありませんでした。敵に与えた損害より、こちらは貴重な時間を得ました」
淡々と海軍の情報分析官は言った。まるで、数字にでた事実だけを語るかのようにだ。
若者の死も数字。流した血すらガロン単位で発表しそうだった。
同じことを思っていても、キングとは異なり、まったくもって乾ききった言葉だった。
敗戦が続く海軍への風当たりは強い。
しかし敵である大日本帝国に大きな被害を与えているのも事実だ。
前線の兵は勇敢に戦い、腰抜けはいないと断言はできる。
前線の兵に対するこのような真っ当な思いを抱ける。
その点で、キングという人物は不可解な思考回路の持ち主であった。
アメリカ合衆国海軍は、真珠湾攻撃により、自分たちが日本海軍の能力を下算していることを骨身に沁みて知っていた。
そして真珠湾以降も――
日本海軍の精強さは、アメリカ海軍の想像のはるか上にあった。
開戦前に存在していた7隻の正規空母はすでに1隻のみとなった。
ヨークタウンが沈み、サラトガを残すだけだとなった。
全滅といってもいいだろう。
歴戦の彼女も、今は損傷中だった。動くことはできない。
新たに加わったエセックス級空母2隻もすでに1隻が長期ドック入りの可能性が高い大破だ。
「エセックス級空母6隻とインディペンデンス級軽空母9隻がそろう夏以降―― 正面からの対決は避けたかったとはいえ……」
軍事的才能、頭脳――
それだけが彼の存在理由であり、この場にいる理由だった。
神は彼にそれ以外のいかなる人間的なプラスの要素を与えなかった。
(クソどもが――)
キングも1943年内にそろう戦力を提示されたときは、言葉を失った。
そして、それを実現する祖国を見直したものだ。
しかし、日本はこっちの戦力が充実するのを待ってくれはしない。
当たり前のことだった。
キングは、そのことを忘れあまりに豪華な戦力増強案に、胸をときめかした昔の自分に反吐を浴びせたくなった。
(「エセックス級」空母6隻に、「インディペンデンス級」軽空母9隻か――)
キングは、どす黒く粘液質の殺意を抱く。自分を含む全ての存在に対して。
今のアメリカ海軍がとりうる選択肢が無いという現実を呪った。
1943年中に戦力化される6隻の正規空母。もう2隻は戦力化され1隻は沈んだ。
この現実に殺意を覚える。
「しかし、大丈夫なのですか? 海軍は」
唐突に、マーシャル陸軍参謀長が言った。
韜晦なのか揶揄なのか探りを入れているのか、本心の見えない言葉だった。
「作戦的には勝利したんですよ」
「市民がどう思おうと、ですか」
「世論を考えるなら、さっさと、イギリスとソ連への援助なんざ、止めた方がいいんですな。話だギャラップの調査データを見れば分かりますな。ま、陸軍で算数を教えてるのかどうかは知らないのですがね」
「それこそ、この戦争を失いかねない―― 海軍の失態で」
「はっ!」
キングの破たんした人格と高速回転する脳は、ダース単位で反論を頭の中に描き出す。
その全ては論理的であった。ただ、割れたガラスのような鋭利な罵詈雑言が混在していたが。
(クソ、陸軍の分際で)
キングは、殺意すら感じさせる常軌を逸した視線を茫洋()とした表情のマーシャル陸軍参謀長に向ける。
キングは「人格破綻者」から「狂人」にクラスチェンジしそうだった。
「欧州戦線優先は崩せない―― そして、海軍は作戦的に勝利した」
どす黒い顔色。幽鬼の表情でルーズベルトが言った。
アメリカの徹底した報道管制は、国民に対し太平洋で祖国が攻勢に転じていると信じ込ませるものだった。
そして、情報操作は巧みでありただ勇ましいだけではなかった。
「ジャップは簡単に勝てる相手ではない」という刷り込みも同時に行っている。
そして、欧州戦線重視のため、過剰に燃え上がった反日感情を緩めていく方向が模索さている。
「ドイツなんざ放っておいてジャップを殺せ。全滅させろ」という意見は合衆国市民の中でさほど珍しいものではなかった。
「欧州だ。ナチを叩くのが優先なのだよ。かッ…… け、決定事項だ、これは」
ルーズベルトはそう言って会議参加者をどす黒し視線で舐めまわす。
会議室の中、冷たい鉄のような沈黙がやってきた。
「周知の通り、ギャラップ社の調査によりますと、大統領の支持率は――」
耐え切れなくなった大統領補佐官が、首元の汗を拭きながら、口を開いた。
「それはいい。今はいい」
大統領補佐官の言葉を、ルーズベルトが断ち切る。
「いずれにせよ、我々の枢軸国に対する勝利は動かない。動かないんだよ―― キング長官」
テーブルの上にズルリと身をのりだし、闇の底のような瞳を向けルーズベルトは言った。
「そうですか」
「そうだよ、キング君。分かるだろう? 君なら」
舌で耳元を舐めるつけるような、じっとりと湿気のこもった言葉だった。
人格破綻者・キングの背に粘つく汗が流れた。
その声音は冥府の底から響くようであった。そしてこの表情は――
(おい、大丈夫か…… この……)
キングの怜悧で優秀な頭脳をもってしても、今のルーズベルトの表情を端的に説明する言葉が思いつかない。
ただ、人を人とも思わぬ人格破綻者ですら動揺させるものがあった。
そしてルーズベルトはすっと視線をキングから外した。
「海軍はよくやっているだろう? マーシャル君。んん~?」
「大統領……」
いつも起きているのか寝ているのか分からないマーシャル陸軍参謀長の顔色も変わっていた。
(こいつも、俺と同じことを感じているのかよ? ははは―― バカか、クソ――)
キングの脳はありったけの呪詛の言葉を生み出す。何に対してだか、本人にも分からなかった。
「現状、艦隊を動かしての積極的な作戦は取りづらい状況が生じています」
海軍の情報分析官は、淡々と無表情で話を続けようとした。
それが目的だけの機械のようにだ。
「まあ、それは正しいがな―― 夏以降の作戦はずれ込むかも知れないな」
キングはその言葉に説明を添える。
本格的な対日反攻作戦は、ギルバート、マーシャル諸島を突破し、ソロモン方面の後背を寸断するというものだ。
「でだ―― キング君。あの件だよ」
「あの件?」
「敵の首魁―― 山本五十六を殺すことだよ」
ルーズベルトは、口角を釣り上げ言った。
人格が根本的に破たんしているキングの耳ですら、その言葉に狂気を感じていた。
ジャップの作戦を読み違えていたこと。
時間を浪費したこと。
そのこと自体はアメリカの作戦に全く影響がなかったのだ。
その、現状にこそ、キング海軍艦隊司令長官はどす黒く粘液質の殺意を抱く。
今のアメリカ海軍が「取りうる選択肢が無い」という現実を晒すからだ。
「戦力が出そろうまで、どうにもなりませんな」
毒舌家のキングが、その言葉を口にした。
ヤニとアルコールの臭いの混ざった息とともに。青酸カリのような声音だった。
これでも、腐った泥のように濁った胸の内をそのまま吐き出しはしなかったのだ。
彼なりに気を遣った言葉だった。
キングの人格は擁護する者が皆無なほど破たんしていたが、決して莫迦ではない。
いや、むしろ怜悧で切れすぎることで、危なさを感じさせる人物だ。
大統領、陸軍長官、政府関係者の前でわざわざ身内批判をしても仕方ない。
その程度の自制心はあった。
「もっと早くから対日戦にリソースを割いていれば、この時点で優位に罠を張れた可能性もあったでしょうな――」
そう皮肉を言うのが精いっぱいだ。
キングは、絶対に近くに寄りたくないような、ヤニと腐ったアルコールのような毒息を吹き出す。
とにかく人の神経を「ささくれ立たせ」ないと気が済まないという言葉だった。
その相手が、たとえ大統領であったとしてもだ。
(ナチなんざ、ソ連と共食いさせておけばいい―― ジャップこそ殺すべき対象だ)と、キングは思う。
連合国の「ヨーロッパ戦線優位」は不文律となっている。
ソ連の赤どもはひっきりなしに、第二戦線を開けと要求してくる。
(知るか、もっと殺しあえ)キングは思う。やつらが殺しあっているのを思うと、ちょっと楽しくなった。
キングは、体に染み込んだ腐った澱のような空気をゆっくりと鼻から吹き出した。
そして、不遜と傲岸を練りかためて人の形にしたような態度で――
「ヨーロッパ優先主義の現状では、これでも上々ですな」
キングは言った。そして、ふんぞり返るかのように背もたれに「トン」と身を当てる。
彼は、驕傲で 傍若無人を 結晶化させ 尊大さを上塗りしたような人物だった。
言い方は人の神経を逆なですることこれ以上ないものだが、言っていることはアメリカ海軍の総意に近い。
ソロモン方面最前線指揮官・ゴームレー中将は、ここでの積極的な対決を避けることを提案した。
それを太平洋艦隊司令官・ニミッツ大将も支持したのだ。
キングも彼らの尻を叩く気はなかった。今回に限っては。選択肢などありはしなかったのだ。
「選択肢はありませんでした。敵に与えた損害より、こちらは貴重な時間を得ました」
淡々と海軍の情報分析官は言った。まるで、数字にでた事実だけを語るかのようにだ。
若者の死も数字。流した血すらガロン単位で発表しそうだった。
同じことを思っていても、キングとは異なり、まったくもって乾ききった言葉だった。
敗戦が続く海軍への風当たりは強い。
しかし敵である大日本帝国に大きな被害を与えているのも事実だ。
前線の兵は勇敢に戦い、腰抜けはいないと断言はできる。
前線の兵に対するこのような真っ当な思いを抱ける。
その点で、キングという人物は不可解な思考回路の持ち主であった。
アメリカ合衆国海軍は、真珠湾攻撃により、自分たちが日本海軍の能力を下算していることを骨身に沁みて知っていた。
そして真珠湾以降も――
日本海軍の精強さは、アメリカ海軍の想像のはるか上にあった。
開戦前に存在していた7隻の正規空母はすでに1隻のみとなった。
ヨークタウンが沈み、サラトガを残すだけだとなった。
全滅といってもいいだろう。
歴戦の彼女も、今は損傷中だった。動くことはできない。
新たに加わったエセックス級空母2隻もすでに1隻が長期ドック入りの可能性が高い大破だ。
「エセックス級空母6隻とインディペンデンス級軽空母9隻がそろう夏以降―― 正面からの対決は避けたかったとはいえ……」
軍事的才能、頭脳――
それだけが彼の存在理由であり、この場にいる理由だった。
神は彼にそれ以外のいかなる人間的なプラスの要素を与えなかった。
(クソどもが――)
キングも1943年内にそろう戦力を提示されたときは、言葉を失った。
そして、それを実現する祖国を見直したものだ。
しかし、日本はこっちの戦力が充実するのを待ってくれはしない。
当たり前のことだった。
キングは、そのことを忘れあまりに豪華な戦力増強案に、胸をときめかした昔の自分に反吐を浴びせたくなった。
(「エセックス級」空母6隻に、「インディペンデンス級」軽空母9隻か――)
キングは、どす黒く粘液質の殺意を抱く。自分を含む全ての存在に対して。
今のアメリカ海軍がとりうる選択肢が無いという現実を呪った。
1943年中に戦力化される6隻の正規空母。もう2隻は戦力化され1隻は沈んだ。
この現実に殺意を覚える。
「しかし、大丈夫なのですか? 海軍は」
唐突に、マーシャル陸軍参謀長が言った。
韜晦なのか揶揄なのか探りを入れているのか、本心の見えない言葉だった。
「作戦的には勝利したんですよ」
「市民がどう思おうと、ですか」
「世論を考えるなら、さっさと、イギリスとソ連への援助なんざ、止めた方がいいんですな。話だギャラップの調査データを見れば分かりますな。ま、陸軍で算数を教えてるのかどうかは知らないのですがね」
「それこそ、この戦争を失いかねない―― 海軍の失態で」
「はっ!」
キングの破たんした人格と高速回転する脳は、ダース単位で反論を頭の中に描き出す。
その全ては論理的であった。ただ、割れたガラスのような鋭利な罵詈雑言が混在していたが。
(クソ、陸軍の分際で)
キングは、殺意すら感じさせる常軌を逸した視線を茫洋()とした表情のマーシャル陸軍参謀長に向ける。
キングは「人格破綻者」から「狂人」にクラスチェンジしそうだった。
「欧州戦線優先は崩せない―― そして、海軍は作戦的に勝利した」
どす黒い顔色。幽鬼の表情でルーズベルトが言った。
アメリカの徹底した報道管制は、国民に対し太平洋で祖国が攻勢に転じていると信じ込ませるものだった。
そして、情報操作は巧みでありただ勇ましいだけではなかった。
「ジャップは簡単に勝てる相手ではない」という刷り込みも同時に行っている。
そして、欧州戦線重視のため、過剰に燃え上がった反日感情を緩めていく方向が模索さている。
「ドイツなんざ放っておいてジャップを殺せ。全滅させろ」という意見は合衆国市民の中でさほど珍しいものではなかった。
「欧州だ。ナチを叩くのが優先なのだよ。かッ…… け、決定事項だ、これは」
ルーズベルトはそう言って会議参加者をどす黒し視線で舐めまわす。
会議室の中、冷たい鉄のような沈黙がやってきた。
「周知の通り、ギャラップ社の調査によりますと、大統領の支持率は――」
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「それはいい。今はいい」
大統領補佐官の言葉を、ルーズベルトが断ち切る。
「いずれにせよ、我々の枢軸国に対する勝利は動かない。動かないんだよ―― キング長官」
テーブルの上にズルリと身をのりだし、闇の底のような瞳を向けルーズベルトは言った。
「そうですか」
「そうだよ、キング君。分かるだろう? 君なら」
舌で耳元を舐めるつけるような、じっとりと湿気のこもった言葉だった。
人格破綻者・キングの背に粘つく汗が流れた。
その声音は冥府の底から響くようであった。そしてこの表情は――
(おい、大丈夫か…… この……)
キングの怜悧で優秀な頭脳をもってしても、今のルーズベルトの表情を端的に説明する言葉が思いつかない。
ただ、人を人とも思わぬ人格破綻者ですら動揺させるものがあった。
そしてルーズベルトはすっと視線をキングから外した。
「海軍はよくやっているだろう? マーシャル君。んん~?」
「大統領……」
いつも起きているのか寝ているのか分からないマーシャル陸軍参謀長の顔色も変わっていた。
(こいつも、俺と同じことを感じているのかよ? ははは―― バカか、クソ――)
キングの脳はありったけの呪詛の言葉を生み出す。何に対してだか、本人にも分からなかった。
「現状、艦隊を動かしての積極的な作戦は取りづらい状況が生じています」
海軍の情報分析官は、淡々と無表情で話を続けようとした。
それが目的だけの機械のようにだ。
「まあ、それは正しいがな―― 夏以降の作戦はずれ込むかも知れないな」
キングはその言葉に説明を添える。
本格的な対日反攻作戦は、ギルバート、マーシャル諸島を突破し、ソロモン方面の後背を寸断するというものだ。
「でだ―― キング君。あの件だよ」
「あの件?」
「敵の首魁―― 山本五十六を殺すことだよ」
ルーズベルトは、口角を釣り上げ言った。
人格が根本的に破たんしているキングの耳ですら、その言葉に狂気を感じていた。
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