無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた

中七七三

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その165:ガダルカナル遊撃戦 その7

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 与田兵長に護衛された搭乗員は既に退避していた。
 地獄の底から、その姿は消えていった。こちらから見えないと言うことは、敵にも見えないだろう。
 関根中尉は田中上等兵の方を見やった。
 
 上等兵は自分の判断で高所を目指して移動を開始していた。射界を確保するためだ。

(上等だ――)

 いちいち命令を与えなくとも、任務を達成するために何が最善か判断できる。
 優秀な兵であった。
 関根中尉は緑の底をいずりながら、うなずいていた。
 数では不利なことは間違いない。だが、相手はそれに気づいてない可能性があった。
 十分に勝機がある。

(笑っているのか? 俺は)

 関根中尉は、自分が戦争中毒者であることを自覚した。何度目かの自覚かは忘れたが。

 緑海の底とも表すべき、密林の窪地。得体のしれない鳥の声が響いた。
 淀んで湿った空気が体をなぶる。全身から粘着く汗が流れる。関根中尉は、軍服のボタンを上からふたつ外した。

「見つけたぜ。アメさん」

 鬱蒼うっそうとした下草の隙間からわずかながら、人の動きが見えた。
 流石に階級は分からない。出来れば、指揮官をあぶり出したいが贅沢ぜいたくは言ってられなかった。
 関根中尉は十分に低い姿勢で一〇〇式機関短銃を構えた。
 大きく息を吸った。粘りつくような空気が肺に流れ込んできた。
 気配を消す。密林の中に溶け込むような、慣れ親しんだ緑の地獄と一体化するような感覚が、体に満ちてくる。

「――ッ」

 音にならない声を上げ引き金を引いた。
 後期型の一〇〇式機関短銃は、毎分八〇〇発のレートで、八ミリ南部弾を叩き出す。
 銃弾のエネルギーは三三〇ジュール。他国の弾丸と比べれば、威力は比較的低い。
 が、距離は一〇〇メートルもない。この距離であれば、人には十分な致命傷を与えられる。
 黄銅製の薬莢がバラバラと排出された。

        ◇◇◇◇◇◇

くそったれが!Domb shit!

 レアード少尉は吐き捨てた。言葉が濃緑の鍋底で反響する。
 ジャップの銃弾は異常なほど正確に着弾した。命中しなかったのが奇跡だった。

 敵が撃ってきたであろう方向を見やった。
 大凡おおよその方向は分かる。が、いつまでも同じ位置に留まっているとは限らない。

「撃たなくていい。ゲレーロ上等兵」

 BAR軽機関銃もどきの銃口を上げた兵に向け、レアードは言った。
 今は下手に反撃して、位置を暴露ばくろするのは下策だった。
 ただ、窪地で身を潜めていてもジリ貧である。

「視認可能な範囲で散開しろ、ペアで上を目指せ。登れ!」
 
 分隊に指示を飛ばす。あまり密集するのは危険だった。
 散開し個々の判断で高位置を確保するのが最善のように思えた。
 兵が動き始めているのを確認すると、レアード少尉は敵が潜むであろう方向を見やった。
 名も知れぬ南洋の植物が生い茂り、視界は最悪だ。敵が身を隠すつもりになったら、いくらでも隠せそうだった。

「この位置ではやはり不利だ」

 分かりきった結論を口の中で転がす。
 M3A2サブマシンガンを身に引き寄せ、体を深く沈めた。
 鼻腔にえた緑の臭いが流れ込んでくる。
 お馴染みの地獄の臭いだった。

 密林でならBARより、取り回しの効くM3A2サブマシンガンの方が有効に思えた。
 毎分四〇〇発のレートで発射可能。一発の威力は小さいと言われるが、それでも五六〇ジュールのエネルギー量がある。密林における近距離戦であれば十分以上の威力だ。

(牽制は必要か。どうだ……)

 レアード少尉は倒木の陰に身を隠す。ズリズリと這い蹲りながらだ。ゲレーロ上等兵が追従してきた。
 他の兵たちは散開して、各自高所を求め移動している。奈落の底からの脱出を試みているはずだ。

 タタタタタタ――。

 軽快といっていい発射音とともに、倒木に銃弾が突き刺さった。
 木肌を削り、破片を撒き散らすが、貫通はされなかった。

「ぐぉぉっ」

 移動していた兵が撃たれた。
 何処を撃たれたのか、傷の程度はどうか、レアード少尉の位置からではよく分からなかった。

「大丈夫かッ――」

「足をやられました」

 致命傷ではないようだった。
 レアード少尉は反撃に転じた。

「ゲレーロ撃て、一時の方向」

「イエッサー!」

 ゲレーロ上等兵は、その巨体からは想像もつかぬ素早い動きでBARを構え、発砲した。
 BARは分隊支援の軽機関銃として、他国の物に比べ多くの点で問題があった。
 だが、発射される弾丸の殺意の濃さは変わりはしない。

 日本軍の機銃に比べ重い音が響く。
 若干の間をおいて、レアード少尉のM3A2サブマシンガンが火を吹いた。
 弾幕と言うにはささやかであるが、二丁の銃から放たれた弾丸は、怪しげな場所にぶち込まれた。
 葉や草や土が飛び散るのが見えた。

 弾倉丸ごと消費し、射撃を中断した。
 耳に残響が残る。

(仕留めたか……)

 一瞬、思う。
 そして、濃密な静寂が舞い戻ってきた。
 
        ◇◇◇◇◇◇

(たまらねぇ……)

 一瞬の間をつんざき、いきなり撃ってきた。敵の弾丸がシャワーのようにばら撒かれた。
 関根中尉は、潅木の根元に深く身を潜める。鋼の驟雨しゅううは周囲の草や、木の皮を穿うがっていく。
 息をすることも忘れそうだった。時間が蝸牛カタツムリの歩みになった。
 それでも、顔をあげ敵の位置を確認する。

(あそこかッ)

 関根中尉は地べたに潜り込みそうになりながら、一〇〇式機関短銃の弾倉を交換する。
 唐突に銃撃が止んだ。身を低く構えたまま、素早く移動する。同じ場所に留まるのは危険だった。

 木の陰に身を隠し、射撃する。撃たれっぱなしというのは性分に合わなかった。
 敵が射撃を行った辺りを狙って、弾倉一個分の弾丸を叩き込んだ。殺意を込めて。

(くそ、移動してやがるか。アメさんも馬鹿じゃねぇか)

 深く三呼吸ほどした。地獄の臭気が体内に流れ込んでくる。
 弾倉交換しながら、敵の動きを考える。定石セオリーに従い、高所を取ろうとしているのだろう。
 窪地の底のような場所だ。ここで上をとられたら圧倒的に不利になることは間違いない。
 むしのように這い蹲りながら、上から銃弾で串刺しにされるのが関の山だろう。

(どうするか……)

 敵を残らず殺すのが理想だが、それは夢想に近い。米軍は決して怯懦きょうだ木偶でくの坊ではない。
 隙を見つけ離脱すべきか? 遭遇戦で生じる無駄な消耗は避けるべきか。定石とすれば正しい。

(だが、それではジリ貧だ)

 ガダルカナルに常駐している兵は中隊規模にも及ばない。遭遇して戦闘を避けるというのは敵に弱みを見せる事にもなる。
 こちらが、弱兵だと思われれば、かさにかかって攻めてくるだろう。数で押し潰される。
 徹底したゲリラ狩りが実行されては部隊の維持は難しい。

 米軍は民主主義国家の軍隊だけに主権者である兵の出血には敏感だ。
 であるから、戦場において対称的な対抗措置は取らない。相手が危険な存在であればあるほど。端的に言って無駄な流血を避ける合理性があった。だから、今回のようなケースは好機であった。

(教えてやるよ。俺たちがどれだけイカれてるかを)

 関根中尉は口角を上げる。
 底しれぬ狂気と邪悪さが滲みでた笑み浮かべていた。その笑みは密林の温度すら下げてしまいそうだった。

 彼は牛蒡剣ごぼうけんを抜き、一〇〇式機関短銃に着剣した。

        ◇◇◇◇◇◇
 
「ジャップはどこにいやがる」

 レアード少尉は巨木に身を隠し、周囲を探る。日本兵の気配は霧散していた。

 仕留めたと思ったが甘かった。静寂を突き破って反撃が直ぐにやってきた。射撃後移動していたのは正解だった。
 敵はこちらの位置を見失っている。
 だが、有利という訳ではなかった。条件はこちらも同じだ。

 鬱蒼とした密林は自分たちの身も隠してくれるが、相手の居場所も分からなくしていた。
 呪いたくなる平等がそこにはあった。

 ターン、と甲高い銃声――。
 盾にしていた木に着弾した。寒気のするほど正確な狙撃だった。

(アリサカライフルの射撃だ。さっきはサブマシンガン……、二種類の武器を持った敵がいる)

 レアード中尉は、武器構成から日本軍もやはり分隊規模でなないかと類推した。
 密林の中で自在に動きやすい人数を考えると、それより大きいとは考えにくい。

(高所を取るべきだな。やはり)

 結論は変わらなかった。レアード中尉は振り返った。登るべきルートを探った。

「どうにもまずいか」

 レアード少尉の位置から高所で視野を確保できそうな地点まで行くのは問題があった。
 途中、茂みの密度が薄い場所があるのだ。

「ジャップに身体をさらしかねんか……」

 苦いものが口の中にあふれてくる。たまらず地べたにつばを吐き出した。
 緑で埋まった周囲の地形を見やる。
 もし、敵に高所を押さえられたら、こちらは圧倒的に不利だ。

(他の兵は行――) 

 レアード少尉の思考をアリサカライフルの銃声がさえぎった。
 甲高い悲鳴が上がった。高所へ移動しようとした兵が撃たれたのだ。

「くそったれがっ!」

 詰まるところ、状況において分隊全員が同じということだ。
 高所への移動ルートが危険であること。その途中で敵に身を晒してしまうということでは同じだった。

「少尉、私が行きます」

「ゲレーロ……」

「局面を打開せねばなりません」

 レアードは巨体の上等兵を見つめた。
 その顔は思いの外幼く見えた。 

「分かった」

 ゲレーロ上等兵は、弾ける様に動き出す。身を低くし四足の獣のように疾駆した。八キロ以上あるBARを持っているとは思えない。

 アリサカライフルの銃声。
 やった。無事だ。外れた。
 行け、ゲレーロ!

        ◇◇◇◇◇◇

(まずい)
 
 関根中尉は限られた視野からそれを見た。
 米兵が走り出した。密林を突き抜け、高所に向けて駆けていた。

 ターン。
 乾いた銃声。
 田中上等兵の三八式騎銃のものだ。
 
「外したか、田中……」

 手練の銃手である田中上等兵も人間だ。外すこともある。

 関根中尉は一〇〇式機関短銃を構える。
 闇を切り取ったような黒色の銃剣付きである。
 土と草をき分け、距離を詰めた。

「遠いか」

 一〇〇式機関短銃の有効射程は一五〇メートルとされている。敵までの間合いはそれより若干遠い気がした。

 木の後に身を隠す。膝立ちとなる。口が乾いている。舌が異物のような感じだ。

 引き金を引いた。
 軽快で金属的な銃声が連続する。
 当たったか――。
 ばら撒かれた鋼鉄のつぶては、密林の地を削ると同時に勇敢な米兵を穿うがっていた。
 斜面で動きを止め、重力に従ってズルズルと落ちていく。

 歓喜は一瞬であった。
 鋼のシャワーがやってきた。
 木の皮がえぐれ、吹き飛ぶ。威力は、一〇〇式機関短銃など問題にならない気がした。

「うぉおおぉぉぉ」

 関根中尉は獅子吼ししくした。木の陰から飛び出した。敵の銃弾をき分け疾駆する。
 焦げ臭い。
 焼けた鉄と火薬が空気を焦がすのを感じた。

 身を伏せ、突撃する。草木のとげが、身に幾つも刺さり、肌を引き裂いていたが、関係なかった。
 敵は弾が切れたのか、どろりとした静寂がやってきた。

「そこかアメ公!」

 見えた。土で汚れた赤ら顔の男だ。奴は機関短銃を構えていた。銃口をこちらに向けた。
 明確な殺意が交錯した。

        ◇◇◇◇◇◇

 ゲレーロ上等兵が撃たれた。ジャップの軽機関銃か?
 レアード少尉は喉の奥でうめく。
 発射音がかなり近くに聞こえた。

(接近してきている?)

 ゲレーロの状況を心配したのは一瞬だった。M3A2サブマシンガンを構える。
 とにかく撃ちまくった。
 敵も撃ってきた。

 気配――。
 いや、濃厚な殺気。
 滴り落ちるような殺意の塊を叩きつけられるようだった。
 弾が切れた。

「▲○◎■□△▼!」

 呪詛のような日本兵の叫び。
 意味など分かりはしない。

「くそっ!」 

 弾倉を交換した。焦るな。いいぞ。手馴れたもんだ。
 声の方にサブマシンガンを向けろ。
 近い。
 いた。
 見えた。
 悪鬼か。
 わらってるのか?

 レアード少尉は引き金を引いた。

        ◇◇◇◇◇◇

 風を置き去りにする。迅雷の速度。
 関根中尉は、一〇〇式を撃ちっぱなしにして突っ込んだ。
 敵も撃ってきた。
 灼熱の殺意が鋼となって降り注ぐ。
 何発かが身をかすめた。
 頬に焼きごてを当てられたかのような熱。左肩に衝撃と熱――。
 構わなかった。

 弾が切れた。弾倉を捨てる。
 交換する時間など無い。
 火薬臭い大気がぬるぬると肌を撫でる。

 弾倉交換の暇などない。

「がぁぁっ」
 
 銃剣付の一〇〇式をぶん投げた。
 米兵の首に突き立った。
 ペンキのような色をした鮮血が吹き出た。

        ◇◇◇◇◇◇

 散発的な射撃はあったがそれだけだった。
 関根中尉は灌木かんぼくの陰で一息つく。
 生々しい血の匂いがする一〇〇式機関短銃を身に寄せた。
 無茶苦茶をやったが、壊れてはいないようだった。殺した米兵から奪ったサブマシンガンも肩から掛けている。
 頬と左肩に裂傷があった。
 ただ、この程度で済んだのは奇跡だったかもしれない。

 戦闘は田中上等兵が高位を先に占めた事で大勢が決した。
 分隊指揮官(一〇〇式で串刺しにした男だろう)を失った事も大きかったようだ。
 木々の隙間から漏れる陽光は消え入りそうであった。

(随分と時間が立ってるな)

 時計を一瞥いちべつした。
 体感時間と経過した時間の差にざらつく笑みが浮かんでくる。

 いきなりであった。
 轟音で大気が震えた。

(何だ)

 隠蔽した機体に仕掛けた手榴弾の爆発――。
 いや、違う。ささやかな火薬爆発で出る音じゃない。

(来たのか――。GF聨合艦隊

 それは、明らかに戦艦の砲撃であった。
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