無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた

中七七三

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その81:ラバウル・ソロモン海空決戦 その3

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 放たれた猟犬のように、高波は疾走していた。
 大日本帝国海軍の造り出した。主力艦強襲に特化した世界最優秀の駆逐艦。
 夕雲型駆逐艦の6番艦。
 最速35ノット。
 世界のどの海軍も所有していない酸素魚雷を持つデストロイヤー。
 高波とはそういう駆逐艦だ。

 こんな主力艦キラーの艦長を務める男が怯懦であるわけがない。
 むしろ、獰猛と言っていい性質の持ち主だった。

「主計中尉、これが戦だな」

 駆逐艦高波の駆逐艦長が話しかけてくる。
 溢れんばかりの歓喜というものがその顔にあった。
 海軍という組織で潮を浴びまくった男の顔だ。

「そう、そうですね」

「ん、楽しくないのかね?」

「いえ! 楽しいです!」

 中根主計中尉は叫ぶようにそう答えるしかなかった。
 内心は「冗談ではない」と思いつつも。

 何でまたこうなのかと、暗たんたる気持ちとなっていた。
 彼は、特設砲艦から陸上基地への転属を希望した。
 しかし、今回は駆逐艦への配属になってしまった。
 やはり海軍では、そう簡単には陸上配備にはならないのだ。
 彼は以前、特設砲艦で潜水艦に体当たりして沈めるという戦闘を行った艦長の下にいた。
 あんな頭のおかしな奴の下では死が確実だ。
 最新鋭駆逐艦の艦長であれば、あのような狂った人間ではないだろうとは思っていた。
 それは、正しかった。高波の艦長は常識人であり、短期士官である彼に娑婆(一般社会)の様子を聞いたりしていた。

 しかし、この艦長は勇敢過ぎた。
 どーみても甲巡(重巡洋艦)が存在する艦隊に突っ込んでいくのだ。
 突出した高波一隻でだ。
 どんな高性能駆逐艦でも、確実に殺(や)られる。
 それを思うと、中根主計中尉の脚が震えた。
 
 短期士官の彼は、もう少し安全な場所から戦争に参加したかった。
 しかし、そうはいかなかった。
 ソロモン海という最前線。
 駆逐艦というある意味、消耗品の兵器。
 
 彼はその艦橋にいた。戦闘詳報を書くためだった。
 それは主計士官の役割だ。

 彼の内心とは関係なく「仕事が早く正確である」と彼は評価されていた。
 その抜群の事務処理能力が彼を最前線に踏みとどまらせていた。
 総力戦の最中だ。人的資源は有効に使用される。

 薄暗い闇の底でチカチカと何かが光った。

「撃ってきたか」

 高波の艦長が、つぶやくように言った。
 続いて伝令が叫ぶ。

「敵、甲巡発砲しました」

 中根主計中尉は思った。
 おいおい、どう見ても甲巡が4隻以上あるじゃないか。
 こちらは、駆逐艦1隻。
 本隊からは大きく突出している。
 彼は上司に恵まれない自身の不運を呪った。

 激しい音が耳朶を打つ。
 鋼と火薬の祭の開始だった。

 ちくしょう! 俺は特等席なんかにいたくはないんだ。
 そんな、中根主計中尉の思いとは関係なく、祭は始まる。

        ◇◇◇◇◇◇

 駆逐艦高波の巨大な水柱が周囲にゆるゆると立ち上がる。
 2500トンを超える艦体が揺れる。鋼鉄の軋む音が聞こえる。
 初弾にしては、妙に照準が正確に思えた。

「敵さんもやるな」

 高波の艦長は浮き浮きした声で言っている。

 距離が近すぎると、中根主計中尉は思った。
 いったいいつの時代の海戦をやるつもりなんだ?

 高波からも12.7サンチ砲6門が、続けざまに火を吹いている。
 それも確かに、命中していた。
 ただ、敵は1万トンを超えるだろう甲巡だ。
 同型の駆逐艦を戦闘不能にするにも、この12.7サンチ砲では20発以上の命中が必要なのだ。
 アメリカの甲巡に対してはどうだ?
 日本の甲巡が50発くらいだったはず。アメリカも似たようなものか。

 暇があると各種の数字やデータを読み漁るくせのある彼は頭の中で計算する。
 それは絶望的な数字に感じた。

 しかし――

 唐突だった。
 敵の巡洋艦と思える一隻が、光った。
 砲撃の光ではない。
 次の瞬間巨大な水柱が暗い天空に向かって突きあがる。

「命中です。魚雷命中!」
 
 伝令兵が叫ぶ。

 闇の中戦闘航行する敵巡洋艦が急速に速度を落とした。
 明らかに大きなダメージを受けてるようであった。おそらく当たった魚雷は一本だけだった。
 高波は8本の魚雷を発射している。夜間でこの距離であればこの命中率は上出来なのかもしれない。

 中根主計中尉は頭の隅で魚雷で敵艦一網打尽を夢見ていた。かすかな夢だったが。
 しかし、これで高波の仕事は一旦終わりだ。
 次発装填装置があるとはいえ、一度敵からの離脱が定石だ。
 主計士官であってもそんなことは知っている。

「距離を詰めてもう一度食らわす」

 高波の艦長の声が中根主計中尉を暗澹たる気分にさせる。
 そんな彼を見て、高波の艦長が不敵な笑みを浮かべる。

「この駆逐艦高波には魚雷次発装填装置がついている。他の国の海軍の駆逐艦では不可能な魚雷の再攻撃が可能だ」

「知ってます」
 
 武器弾薬の補給を行い、数量を管理しているのは主計課だ。
 次発装填用の魚雷が積んであることぐらい知っている。
 彼は「ドヤ顔」の高波艦長を見て、胸の奥で大きなため息をついた。

「一気に、敵を殲滅する!」

 叫ぶ高波艦長。

 船の性能で連続した魚雷発射が可能だとしても、中根主計中尉にとってはそれは無茶苦茶な決断に思えた。

 思わず彼は口出していた。

「敵は、巡洋艦。それも甲巡4隻ですよ!」

 言ってからしまったと思ったが遅い。
 まあいい。これで考査票に悪く書かれ、どこか南方の暇そうな基地にでも左遷してくれないかと思った。

「ん? だからどうした?」

 高波の艦長はつぶれた帽子のひさしの下から鋭い視線を彼に送った。
 そして、彼から視線を外す。

 高波はソロモンの波濤を砕きながら30ノットを超える速度で突き進むのだった。

 ドガァアアア!

 すさまじい轟音。同時に、艦全体がガクガクと震えた。
 直撃だった。
 敵の8インチ(20サンチ)砲弾の直撃だ。

「被害報告!」
「艦首第一砲塔に直撃」
「応急班いそがせろ」
「機関室より、航行に支障なし」

 中根主計中尉は艦橋から前方を見た。
 そして、その光景に愕然とした。

 艦首に存在していたはずの12.7サンチ連装砲塔が消失していた。
 駆逐艦の砲塔とはいえ、人の目から見たらそれはそれなりに巨大な構造物だ。
 それが一瞬でなくなっていた。ただ、黒い煙と炎を吹き上げ、そこに地獄を作り上げていた。

「次発装填完了」

 被害に関係なく冷静な伝令兵の声が響く。

「いいねぇ、この借りはでかいぞアメ公」

 呪詛のような言葉を吐く高波艦長。

 高波の艦長は魚雷発射を命じた。距離は更につまっている。
 煙を吐きながらも大きく転舵する高波。
 主力艦強襲のための鋭敏な運動性が発揮される。

 弾頭に500キログラム近い高性能炸薬が詰まった殺人兵器がソロモンの海に飛び込む。
 ジャイロを回転させ50ノット近い速度で海中を突き進む。

 その間も敵巡洋艦からの攻撃は続く。
 ブリキ艦と呼ばれる駆逐艦は装甲らしい装甲はない。
 逆にそれが幸運だった面もあった。何発かの砲弾は船体を突き抜け反対側に抜けていた。
 砲弾の信管における不良は日米ともそれなりの数が存在した。
 それでも、8インチ(20サンチ)砲の連打は高波を瀕死の状態に追い込んでいた。
 
 中根主計中尉はその光景を呆然と見つめていた。
 ただ、彼の脳は高波に命中しているだろう砲弾の数だけは数えていた。
 まるで、自分の心を落ち着かせる呪文のように。

        ◇◇◇◇◇◇

「ジャップの駆逐艦は頭がおかしいのか」

 重巡ミネアポリスの艦長は一隻で突っ込んでくる駆逐艦を見て恐怖と笑みが混じりあった表情を浮かべた。
 かなり前からレーダーでは日本艦隊をとらえていた。

 ただ、レーダー手が1隻だけ突出している高波を味方と誤認していた。
 それが、彼らの判断を遅らせる原因となった。
 そのため、艦隊司令部からの攻撃指示がそれで幾分遅れた。
 結果として、ジャップの駆逐艦の突撃を許す結果となったが、たった1隻だ。

 即応体制はできていた。
 そして、誤認の可能性も、敵のあからさまな行動で解消された。

 ガダルカナルでは現在、輸送船からの物資を揚陸の最中だ。
 彼らの艦隊は、その輸送任務の護衛艦隊であった。
 重巡洋艦4隻、駆逐艦8隻の艦隊だ。

 おそらくジャップは高速艦艇による急襲を仕掛けてきたのだろう。
 レーダー手からの報告では駆逐艦10隻の艦隊だ。

 SG(シュガージョージ)レーダーからの諸元データが8インチ砲9門を無謀な駆逐艦へと指向させる。
 3連装砲塔が闇の中を動く。まるで生きて確信の有るような動きだ。

 電子の目が敵を捉える。
 一斉に4隻の重巡洋艦が砲撃を開始した。

「距離は8000か……」

 ミネアポリスの艦長はその言葉を自分の口の中だけに留めた。

――ジャップの駆逐艦に横腹を見せるな――

 それは、ソロモンで戦うアメリカ海軍の人間にとってはすでに常識となっていた。
 ジャップの駆逐艦はこの距離からでも魚雷を放ってくる。
 とにかく砲撃を集中させ攻撃で先手を打つ。それしかなかった。

 彼は見張り員に魚雷の警戒を強化するように伝える。
 ただ、奴らの魚雷は海面下に青白い本体を微かに見せるだけで、その雷跡を見つけるのは困難だった。
 特に夜間で海が荒れている場合はほとんど不可能といってよかった。

 それでも、対策はそれしかない。
 奴らが一体どんな魚雷を使っているのか情報部などからも一切報告は来ていない。
 魚雷の優劣で夜戦の勝敗が決まるわけではない。

 確かに日本海軍は手練れだ。強い。
 それは認める。
 しかし、我々とてやられっぱなしではない。
 この艦隊の重巡洋艦は最新のレーダーシステムを装備していた。

「いつまでも夜がお前たちの世界だと思うなよ……」

 ミネアポリスの艦長は仄暗い戦闘艦橋の中でつぶやいた。

「ズズゥーン」とまるで艦底から突き上げられるような衝撃が走った。
 ミネアポリスの艦長は、その衝撃で倒れ、頭を打った。

「なんだ一体!?」

 彼は頭を押さえながらゆっくりと立ち上がる。

「艦首に魚雷直撃」
「なんだと!」

 彼の手の指の間からはヌルヌルとした赤い血が流れ出していた。
 転んだ時に頭を打ったのだ。

「艦長、血が!」

 士官の1人が駆け寄った。ミネアポリスの艦長は、それを手で制止する。
 そして彼は、前を見つめた。
 彼は自分の視界に映った光景に、言葉を失う。
 1万トンを超える。 重巡洋艦の艦首がへし曲がっていた。
 第一砲塔から先がガラクタと化している。
 今にも、千切れてしまいそうだった。

 艦首の変形はミネアポリスに大きな影響を与えてた。
 強烈な造波抵抗が不規則に発生し、巡洋艦全体がゆっくりと弧を描くように曲がっていく。

 ミネアポリスの艦長はその破壊をもたらした存在を見やった。
 それは、数千メートル先で、火あぶりとなる邪教徒のように煉獄の業火で焼かれていた。
 その光が闇に包まれた海を赤黒く照らしていた。
 しかし、気は晴れない。

「操艦不能」

 伝令の声が現実感を喪失したような響きで彼の耳朶を打った。
 引きちぎられる寸前の艦首のせいで、完全に艦のコントロールを失っていた。
 ミネアポリスは、艦首に発生した不自然な造波抵抗のまま、敵に突っ込む形で進んでいたのだ。

 それは、後に続く巡洋艦部隊に、大きな混乱をもたらしていた。

 遠雷のような音が響いた。

 それは、ミネアポリスに続くアメリカ重巡に日本製の酸素魚雷(ロング・ランス)が突き刺さった音であった。
 爆発音は、凄惨な祭りの開始を告げるものだったのかもしれない。
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