72 / 167
その72:血戦! ポートモレスビー その14
しおりを挟む
「アメ公の大発か?」
松本少尉の言った「大発」は言葉の綾だ。
要するに、日本の「大発」に似たような、輸送に使える小船艇なのかということをこの短い言葉で表したに過ぎない。
「魚雷艇であります。自分は見たことあるのであります」
兵の一人が声を上げた。
おそらく、大発で輸送され後送されてきた弾薬と一緒に上陸した兵だろう。
ミルン湾のラビまではなんとか輸送船を送り込むことができたが、ポートモレスビー近海は危険すぎた。
数回ほど、輸送船による輸送が試みられたが、完全な制空権を有している状況でないこと。
港湾施設が破壊され、荷揚げに時間がかかることで、現在はほぼ不可能と判断されている。
行っても、貴重な船舶を失うだけとなっていた。
よって、ポートモレスビーの輸送は、大発による輸送に頼っている状況だった。
その大発も、魚雷艇に襲撃され無視できない被害がでている。
最近、海軍の水上機が進出し、魚雷艇を追い払うこともあった。
ただ、稼動4機では十分な援護はできなかった。
しかも最近は夜間でもどこからか飛行機が飛んでくるようになっている。
敵も、こちらの水上機に対抗してきているのだ。
厳しい現状は変わらない。
おそらく、兵はその大発から魚雷艇を目撃していたのではないかと松本少尉は思った。
松本少尉の目もほぼ完全に闇に慣れてきた。
ゆるゆるとエンジンを絞って遡上してくる船艇。
確かに、その攻撃的な姿は、大発のようなものではないと思った。
「撃ちましょう。やれますよ」
斉藤軍曹だ。彼の目が闇の中でも光を放っているように見えた。
積極果敢を絵にかいたような分隊長である。
彼がそう言うのは当然ともいえた。
「1隻だけか……」
松本少尉は考える。あの魚雷艇でなにが運べるのか?
15サンチ砲の砲弾は50キロ近くはある。
日本海軍の魚雷の重さは1トンくらいと聞いている。
それを下ろせば、それなりの弾薬を積める。
ただ、その量が中途半端な気がした。
もしかしたら、砲弾ではなく他のなにかを運んでいるのか。
それとも、単なる輸送ラインの哨戒行動なのか。
よく見れば、機関砲のような物で武装しているのだ。
もし、哨戒行動だとすれば、うかつに攻撃するわけにはいかなかった。
攻撃は同時に場所を露見する可能性があることを意味している。
うかつだった。
本来であれば、船が現れる前に、対応を決定しておくべきことであった。
「叩きましょう。哨戒であっても、ここに危険があることを敵に知らせることには意味があります」
弾薬分隊の木村軍曹が意見具申してくる。
その理由も合理性も理解できる。
問題は、敵の予想される反撃に、こちらが耐えられるかどうかだった。
彼らの四一式山砲は1門。それもこのニューギニアでは貴重な1門だった。
土を盛り、倒木と石で周囲に掩体陣地を構築していたが、どう見ても応急的なものだった。
「撃つぞ」
松本少尉は決意した。闇の中に鋭くその言葉が響く。
その言葉を受け、松本分隊長が兵たちに命令する。
不十分な月明かりだけの中で、兵たちが四一式山砲の射撃準備を開始した。
◇◇◇◇◇◇
ベナブル大尉のPTボートは、魚雷を下ろし、大量の機銃弾を積み込んでいた。
更に船体に装備された「ブローニングM2重機関銃」は6門を数えていた。
これは、一時的なものであり、即取り外し可能なようになっている。
内陸部の攻撃拠点への補給資材を武装強化に流用しているだけだった。
その他、船内には同機銃の交換銃身をはじめ、各種の部品が積みこまれている。
医薬品などもあった。
最大で約1トンの魚雷を4本搭載できる。
満載排水量50トンの小船艇であるが、限界まで物資を搭載している。
いってみれば、今のPTボートは海上トラックのようなものであった。
ただ、その装備火力だけは、通常のPTボートを超えていた。
ゆっくりとエンジン音を落として川を遡上していく。
輸送作戦についたのは、ベナブル大尉の船艇だけだった。
他の船艇は、日本軍の大発と呼ばれる上陸用舟艇による輸送の妨害を続けていた。
彼自身、今回の任務にはあまり乗り気ではなかった。
ただ作戦全体をみたときに、これを誰かがやらねばならないことは理解できた。
正直言って自分がやるのは、ゴメンこうむりたかったが。
「どうも、やな予感がする」
彼は上空を見上げた。まず警戒すべきは航空機であった。すでに味方のPTボートの中にはジャップの水上機による被害が出ていた。
鈍重な水上機とはいえ、PTボートにとっては危険な相手と言えた。
暗い夜空には何かが飛んでいる気配はなかった。
「こちらもグラスホッパーくらいは飛ばせんのか?」
誰に言うともなくベナブル大尉は言った。
グラスホッパーとは弾着観測や偵察に使用できる航空機だ。
低速ではあるが、短く荒れた滑走路でも運用が可能だった。
とにかく、どんな機体であっても飛んでいるという事実は2次元面にいる地上部隊、水上部隊にとっては嫌なものなのだ。
ベナブル大尉は知らないことではあったが、現在、豪州軍の協力を得て内陸に航空基地が造成中であった。
米軍の上層部も決してそのことを考えていないわけでは無かった。
一連の作戦が有機的に連携し、日本軍を泥沼に引きずり込む。
決して、インド洋方面、ビルマ方面に戦力を広げさせないことが連合国全体としての合意事項であった。
「なんだ!」
海面を何かが叩く音とともに、水柱が上がる。そして間を開けず、遠雷のような響きが耳に届いた。
「ジャップの砲撃!」
狙いはかなり正確だった。
「反転する!」
ベナブル大尉の判断は早かった。
口径からして、3インチクラスの野砲。
いったい、どこから撃って来ているのか?
PTボートは急反転し、川を下って行く。
輸送任務を放棄することであったが、日本軍の妨害にあった場合の判断は、艇長であるベナブル大尉の自由裁量の内であった。
「よく見ろ! 砲撃拠点を探せ」
続いて水柱が上がる。
曲射弾道ではない。かなり低伸する弾道が海面を叩いている。水柱の上がり方が違う。
高地からの撃ちおろしか?
「あそこです! 艇長! 砲煙です」
夜の闇の中、辛うじて砲煙が確認できた。音の方向も大きくずれていない。
立て続けに水柱が上がる。
「通信だ! 内陸砲撃拠点に向け打電しろ! 平文でいい! すぐにだ!」
ベナブル大尉は叫ぶ。
通常であれば40ノット以上の快足を誇るPTボートであるが満載した補給物資と夜間の河での航行という点がそれを不可能にしていた。
ゆっくりと川を下って行く。
バーンと破壊音が響いた。
船首に命中弾が出た。
そのまま斜めに貫通して、そして信管を作動させた。
木製の船体であったこと。砲弾の信管感度が今一つ鈍かったことがPTボートにとってはラッキーだった。
「被害は!」
「船首部から反対側に盲弾が抜けました。弾が出て行ったことろから浸水です」
「なんでもいい、ぼろ屑でも、てめえのキ〇タマでも何でも詰めて、水を止めろ!」
ベナブル大尉は叫んだ。
すでにPTボートに対する砲撃は止んでいた。
射角がとれなくなったのだろうか。
理由は分からないが、ありがたい話だった。
ベナブル大尉は、黒く影だけをみせる対岸の高地を見やった。
おそらくあそこからの砲撃だ。
まあ、今日はいいだろ。ただ、もう場所も大方分かっている。
後は、叩き潰してくれるはずだ――
◇◇◇◇◇◇
万歳の声が高地には響いていた。
敵の船を沈めそこなったとはいえ、撤退に追い込んだのは十分に勝利だと言えた。
この戦闘で消費した砲弾は12発。
残りは24発となっている。
砲弾は後送されるということになっているが、いつになるかは分からない。
そして、敵が1回の輸送失敗で諦めるとも思えない。
松本少尉はそれほど浮かれる気分にはなれなかった。
砲撃を行えば、夜間とはいえ、少なからず場所を露見する。
松本少尉は斉藤軍曹に命じ、砲の分解と隠ぺいを命じた。
もし、昼に敵が輸送作戦に出た場合、砲撃が困難となることを承知の上だった。
まず、敵はこちらの方の排除に出る。
松本少尉には確信に似た予感があった。
◇◇◇◇◇◇
満足な地図もなく、密林を中隊規模で移動するのは、限界に近い。
もし、これが大隊規模であったら、部下を掌握することなど不可能であろう。
「森は兵を飲む」と古来の兵法から言われているが、それどころではない。
原始の密林なのだ。
末端の兵にとっては、自分たちが今、どこにいて、どこを目指しているのかさっぱり分からないのだ。
それでもどうにかこうにか、目的とする敵砲撃拠点近くまで接近できた。
武藤軍曹は塩の錠剤を口に放り込み、水筒で流し込んだ。
密林の底の湿った空気と、自分の汗で体中がねっとりとした感じがしていた。
更に太ももには、熱帯性潰瘍ができかけていた。痛みを感じる。
ただ、そのような弱みを見せることは、帝国陸軍では禁忌であった。
軍隊は階級と命令で動く。それはどこの国でも同じである。
しかし、特に陸軍。徴兵制を行っている陸軍は、その国の社会の縮図を作り上げていく。
帝国陸軍は定められた規範、規則を重視する形を表面上とりながらも、下士官兵の関係はいわゆる「親分子分」の関係に近い物があった。
親分である下士官は兵に弱みなど見せられないのだ。命令だけで兵はついては来ない。
無駄に軍歴の長くない武藤軍曹はそのことをよく知っていた。
彼らの中隊は密林内で大休止に入っていた。
座りこめば、名も知らぬ小さな毒虫が遠慮なく襲ってくる地である。
下手に座りこむこともできない。
武藤軍曹は、灌木に腰かけ、タバコを吸っていた。
タバコは湿気をすってろくでもない味になっていた。
「明日の夜突撃なんですよね」
「ああ、そうだな」
岩崎一等兵の言葉に頷いた。
目標としている高地は見えていた。
後は迂回し、側面から突撃をかけるというだけだ。
密林の中を行く、苦行とも明日には終わる。
そのとき、砲声が響いた。
密林の木々が震えるような砲声だった。
「始まりやがったか」
口元に笑みを浮かべ、武藤軍曹は言った。
自分たちの進路は間違ってなかった。
ポートモレスビーに擾乱射撃を行っている拠点は彼らのすぐそこにあった。
◇◇◇◇◇◇
鋼鉄の暴風のような砲撃だった。
それは正確にこちらを捉えているとはいえなかったが、至近に砲弾の落下は続いていた。
今のところ、被害はない。
「やはり、砲の隠ぺいは正解でしたな」
松本少尉を見やって、斉藤軍曹は言った。
少尉は軽くうなずくような動作をした。
彼らは密林内に一時的に撤退していた。
「弾着観測機まで飛ばしてやがる……」
悪態をつくように斉藤軍曹は言った。
砲撃に先立ち、彼等の上空には米軍のカタリナ飛行艇がずっと居座っていたのだ。
そして、しばらくして砲撃が開始された。
もし、高地に展開したままであれば、少なくない被害を受けたことが想像できた。
それだけ執拗な砲撃だった。
「15センチ級の重砲は腹に響く。なあ、軍曹」
「そうでありますな。少尉殿」
「ここから、敵に砲弾を撃ち込めないか?」
「それは無理であります。少尉殿」
四一山砲は軽い構造との引き換えで射程距離が短くなっている。
ここから敵の砲撃拠点の砲撃など無理だった。
そもそも、それが出来るなら、補給線の寸断などという方法はとらない。
「まあ、いい。届かなくてもいい」
「はい?」
「この砲撃が終わったら、砲を組み立てる。そして一発だけ撃ちこめ」
松本少尉は狡猾とも言っていい笑みを浮かべ言った。
「はい? 撃つのでありますか? 届かぬ弾を」
「砲が破壊されてないことを教えるだけでいい。それで十分だ」
要するにここに砲が健在であることを示すことで補給線に掣肘を加える。
そのためなら、届かない砲撃1発は安い物だ。
お返しの砲撃が予想されるので、早急に転地する必要はあったが。
M59 155ミリカノン砲――
通称、ロング・トムと呼ばれる口径155ミリ、45キロの砲弾を撃ち出す重砲。
そして、四一式山砲――
本体が軽量化され、75ミリの砲弾を撃ち出す砲。弾体重量は榴弾で約6キロにすぎない。
性能・威力の比較としてはお話にならない砲だ。
おまけに数も違うのだ。
砲弾の数にいたっては、比べる方がどうかしている。
この様な中、その砲の奇妙な撃ちあいが始まろうとしていた。
松本少尉の言った「大発」は言葉の綾だ。
要するに、日本の「大発」に似たような、輸送に使える小船艇なのかということをこの短い言葉で表したに過ぎない。
「魚雷艇であります。自分は見たことあるのであります」
兵の一人が声を上げた。
おそらく、大発で輸送され後送されてきた弾薬と一緒に上陸した兵だろう。
ミルン湾のラビまではなんとか輸送船を送り込むことができたが、ポートモレスビー近海は危険すぎた。
数回ほど、輸送船による輸送が試みられたが、完全な制空権を有している状況でないこと。
港湾施設が破壊され、荷揚げに時間がかかることで、現在はほぼ不可能と判断されている。
行っても、貴重な船舶を失うだけとなっていた。
よって、ポートモレスビーの輸送は、大発による輸送に頼っている状況だった。
その大発も、魚雷艇に襲撃され無視できない被害がでている。
最近、海軍の水上機が進出し、魚雷艇を追い払うこともあった。
ただ、稼動4機では十分な援護はできなかった。
しかも最近は夜間でもどこからか飛行機が飛んでくるようになっている。
敵も、こちらの水上機に対抗してきているのだ。
厳しい現状は変わらない。
おそらく、兵はその大発から魚雷艇を目撃していたのではないかと松本少尉は思った。
松本少尉の目もほぼ完全に闇に慣れてきた。
ゆるゆるとエンジンを絞って遡上してくる船艇。
確かに、その攻撃的な姿は、大発のようなものではないと思った。
「撃ちましょう。やれますよ」
斉藤軍曹だ。彼の目が闇の中でも光を放っているように見えた。
積極果敢を絵にかいたような分隊長である。
彼がそう言うのは当然ともいえた。
「1隻だけか……」
松本少尉は考える。あの魚雷艇でなにが運べるのか?
15サンチ砲の砲弾は50キロ近くはある。
日本海軍の魚雷の重さは1トンくらいと聞いている。
それを下ろせば、それなりの弾薬を積める。
ただ、その量が中途半端な気がした。
もしかしたら、砲弾ではなく他のなにかを運んでいるのか。
それとも、単なる輸送ラインの哨戒行動なのか。
よく見れば、機関砲のような物で武装しているのだ。
もし、哨戒行動だとすれば、うかつに攻撃するわけにはいかなかった。
攻撃は同時に場所を露見する可能性があることを意味している。
うかつだった。
本来であれば、船が現れる前に、対応を決定しておくべきことであった。
「叩きましょう。哨戒であっても、ここに危険があることを敵に知らせることには意味があります」
弾薬分隊の木村軍曹が意見具申してくる。
その理由も合理性も理解できる。
問題は、敵の予想される反撃に、こちらが耐えられるかどうかだった。
彼らの四一式山砲は1門。それもこのニューギニアでは貴重な1門だった。
土を盛り、倒木と石で周囲に掩体陣地を構築していたが、どう見ても応急的なものだった。
「撃つぞ」
松本少尉は決意した。闇の中に鋭くその言葉が響く。
その言葉を受け、松本分隊長が兵たちに命令する。
不十分な月明かりだけの中で、兵たちが四一式山砲の射撃準備を開始した。
◇◇◇◇◇◇
ベナブル大尉のPTボートは、魚雷を下ろし、大量の機銃弾を積み込んでいた。
更に船体に装備された「ブローニングM2重機関銃」は6門を数えていた。
これは、一時的なものであり、即取り外し可能なようになっている。
内陸部の攻撃拠点への補給資材を武装強化に流用しているだけだった。
その他、船内には同機銃の交換銃身をはじめ、各種の部品が積みこまれている。
医薬品などもあった。
最大で約1トンの魚雷を4本搭載できる。
満載排水量50トンの小船艇であるが、限界まで物資を搭載している。
いってみれば、今のPTボートは海上トラックのようなものであった。
ただ、その装備火力だけは、通常のPTボートを超えていた。
ゆっくりとエンジン音を落として川を遡上していく。
輸送作戦についたのは、ベナブル大尉の船艇だけだった。
他の船艇は、日本軍の大発と呼ばれる上陸用舟艇による輸送の妨害を続けていた。
彼自身、今回の任務にはあまり乗り気ではなかった。
ただ作戦全体をみたときに、これを誰かがやらねばならないことは理解できた。
正直言って自分がやるのは、ゴメンこうむりたかったが。
「どうも、やな予感がする」
彼は上空を見上げた。まず警戒すべきは航空機であった。すでに味方のPTボートの中にはジャップの水上機による被害が出ていた。
鈍重な水上機とはいえ、PTボートにとっては危険な相手と言えた。
暗い夜空には何かが飛んでいる気配はなかった。
「こちらもグラスホッパーくらいは飛ばせんのか?」
誰に言うともなくベナブル大尉は言った。
グラスホッパーとは弾着観測や偵察に使用できる航空機だ。
低速ではあるが、短く荒れた滑走路でも運用が可能だった。
とにかく、どんな機体であっても飛んでいるという事実は2次元面にいる地上部隊、水上部隊にとっては嫌なものなのだ。
ベナブル大尉は知らないことではあったが、現在、豪州軍の協力を得て内陸に航空基地が造成中であった。
米軍の上層部も決してそのことを考えていないわけでは無かった。
一連の作戦が有機的に連携し、日本軍を泥沼に引きずり込む。
決して、インド洋方面、ビルマ方面に戦力を広げさせないことが連合国全体としての合意事項であった。
「なんだ!」
海面を何かが叩く音とともに、水柱が上がる。そして間を開けず、遠雷のような響きが耳に届いた。
「ジャップの砲撃!」
狙いはかなり正確だった。
「反転する!」
ベナブル大尉の判断は早かった。
口径からして、3インチクラスの野砲。
いったい、どこから撃って来ているのか?
PTボートは急反転し、川を下って行く。
輸送任務を放棄することであったが、日本軍の妨害にあった場合の判断は、艇長であるベナブル大尉の自由裁量の内であった。
「よく見ろ! 砲撃拠点を探せ」
続いて水柱が上がる。
曲射弾道ではない。かなり低伸する弾道が海面を叩いている。水柱の上がり方が違う。
高地からの撃ちおろしか?
「あそこです! 艇長! 砲煙です」
夜の闇の中、辛うじて砲煙が確認できた。音の方向も大きくずれていない。
立て続けに水柱が上がる。
「通信だ! 内陸砲撃拠点に向け打電しろ! 平文でいい! すぐにだ!」
ベナブル大尉は叫ぶ。
通常であれば40ノット以上の快足を誇るPTボートであるが満載した補給物資と夜間の河での航行という点がそれを不可能にしていた。
ゆっくりと川を下って行く。
バーンと破壊音が響いた。
船首に命中弾が出た。
そのまま斜めに貫通して、そして信管を作動させた。
木製の船体であったこと。砲弾の信管感度が今一つ鈍かったことがPTボートにとってはラッキーだった。
「被害は!」
「船首部から反対側に盲弾が抜けました。弾が出て行ったことろから浸水です」
「なんでもいい、ぼろ屑でも、てめえのキ〇タマでも何でも詰めて、水を止めろ!」
ベナブル大尉は叫んだ。
すでにPTボートに対する砲撃は止んでいた。
射角がとれなくなったのだろうか。
理由は分からないが、ありがたい話だった。
ベナブル大尉は、黒く影だけをみせる対岸の高地を見やった。
おそらくあそこからの砲撃だ。
まあ、今日はいいだろ。ただ、もう場所も大方分かっている。
後は、叩き潰してくれるはずだ――
◇◇◇◇◇◇
万歳の声が高地には響いていた。
敵の船を沈めそこなったとはいえ、撤退に追い込んだのは十分に勝利だと言えた。
この戦闘で消費した砲弾は12発。
残りは24発となっている。
砲弾は後送されるということになっているが、いつになるかは分からない。
そして、敵が1回の輸送失敗で諦めるとも思えない。
松本少尉はそれほど浮かれる気分にはなれなかった。
砲撃を行えば、夜間とはいえ、少なからず場所を露見する。
松本少尉は斉藤軍曹に命じ、砲の分解と隠ぺいを命じた。
もし、昼に敵が輸送作戦に出た場合、砲撃が困難となることを承知の上だった。
まず、敵はこちらの方の排除に出る。
松本少尉には確信に似た予感があった。
◇◇◇◇◇◇
満足な地図もなく、密林を中隊規模で移動するのは、限界に近い。
もし、これが大隊規模であったら、部下を掌握することなど不可能であろう。
「森は兵を飲む」と古来の兵法から言われているが、それどころではない。
原始の密林なのだ。
末端の兵にとっては、自分たちが今、どこにいて、どこを目指しているのかさっぱり分からないのだ。
それでもどうにかこうにか、目的とする敵砲撃拠点近くまで接近できた。
武藤軍曹は塩の錠剤を口に放り込み、水筒で流し込んだ。
密林の底の湿った空気と、自分の汗で体中がねっとりとした感じがしていた。
更に太ももには、熱帯性潰瘍ができかけていた。痛みを感じる。
ただ、そのような弱みを見せることは、帝国陸軍では禁忌であった。
軍隊は階級と命令で動く。それはどこの国でも同じである。
しかし、特に陸軍。徴兵制を行っている陸軍は、その国の社会の縮図を作り上げていく。
帝国陸軍は定められた規範、規則を重視する形を表面上とりながらも、下士官兵の関係はいわゆる「親分子分」の関係に近い物があった。
親分である下士官は兵に弱みなど見せられないのだ。命令だけで兵はついては来ない。
無駄に軍歴の長くない武藤軍曹はそのことをよく知っていた。
彼らの中隊は密林内で大休止に入っていた。
座りこめば、名も知らぬ小さな毒虫が遠慮なく襲ってくる地である。
下手に座りこむこともできない。
武藤軍曹は、灌木に腰かけ、タバコを吸っていた。
タバコは湿気をすってろくでもない味になっていた。
「明日の夜突撃なんですよね」
「ああ、そうだな」
岩崎一等兵の言葉に頷いた。
目標としている高地は見えていた。
後は迂回し、側面から突撃をかけるというだけだ。
密林の中を行く、苦行とも明日には終わる。
そのとき、砲声が響いた。
密林の木々が震えるような砲声だった。
「始まりやがったか」
口元に笑みを浮かべ、武藤軍曹は言った。
自分たちの進路は間違ってなかった。
ポートモレスビーに擾乱射撃を行っている拠点は彼らのすぐそこにあった。
◇◇◇◇◇◇
鋼鉄の暴風のような砲撃だった。
それは正確にこちらを捉えているとはいえなかったが、至近に砲弾の落下は続いていた。
今のところ、被害はない。
「やはり、砲の隠ぺいは正解でしたな」
松本少尉を見やって、斉藤軍曹は言った。
少尉は軽くうなずくような動作をした。
彼らは密林内に一時的に撤退していた。
「弾着観測機まで飛ばしてやがる……」
悪態をつくように斉藤軍曹は言った。
砲撃に先立ち、彼等の上空には米軍のカタリナ飛行艇がずっと居座っていたのだ。
そして、しばらくして砲撃が開始された。
もし、高地に展開したままであれば、少なくない被害を受けたことが想像できた。
それだけ執拗な砲撃だった。
「15センチ級の重砲は腹に響く。なあ、軍曹」
「そうでありますな。少尉殿」
「ここから、敵に砲弾を撃ち込めないか?」
「それは無理であります。少尉殿」
四一山砲は軽い構造との引き換えで射程距離が短くなっている。
ここから敵の砲撃拠点の砲撃など無理だった。
そもそも、それが出来るなら、補給線の寸断などという方法はとらない。
「まあ、いい。届かなくてもいい」
「はい?」
「この砲撃が終わったら、砲を組み立てる。そして一発だけ撃ちこめ」
松本少尉は狡猾とも言っていい笑みを浮かべ言った。
「はい? 撃つのでありますか? 届かぬ弾を」
「砲が破壊されてないことを教えるだけでいい。それで十分だ」
要するにここに砲が健在であることを示すことで補給線に掣肘を加える。
そのためなら、届かない砲撃1発は安い物だ。
お返しの砲撃が予想されるので、早急に転地する必要はあったが。
M59 155ミリカノン砲――
通称、ロング・トムと呼ばれる口径155ミリ、45キロの砲弾を撃ち出す重砲。
そして、四一式山砲――
本体が軽量化され、75ミリの砲弾を撃ち出す砲。弾体重量は榴弾で約6キロにすぎない。
性能・威力の比較としてはお話にならない砲だ。
おまけに数も違うのだ。
砲弾の数にいたっては、比べる方がどうかしている。
この様な中、その砲の奇妙な撃ちあいが始まろうとしていた。
0
お気に入りに追加
1,547
あなたにおすすめの小説
異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~
水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート!
***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!
転生幼女。神獣と王子と、最強のおじさん傭兵団の中で生きる。
餡子・ロ・モティ
ファンタジー
ご連絡!
4巻発売にともない、7/27~28に177話までがレンタル版に切り替え予定です。
無料のWEB版はそれまでにお読みいただければと思います。
日程に余裕なく申し訳ありませんm(__)m
※おかげさまで小説版4巻もまもなく発売(7月末ごろ)! ありがとうございますm(__)m
※コミカライズも絶賛連載中! よろしくどうぞ<(_ _)>
~~~ ~~ ~~~
織宮優乃は、目が覚めると異世界にいた。
なぜか身体は幼女になっているけれど、何気なく出会った神獣には溺愛され、保護してくれた筋肉紳士なおじさん達も親切で気の良い人々だった。
優乃は流れでおじさんたちの部隊で生活することになる。
しかしそのおじさん達、実は複数の国家から騎士爵を賜るような凄腕で。
それどころか、表向きはただの傭兵団の一部隊のはずなのに、実は裏で各国の王室とも直接繋がっているような最強の特殊傭兵部隊だった。
彼らの隊には大国の一級王子たちまでもが御忍びで参加している始末。
おじさん、王子、神獣たち、周囲の人々に溺愛されながらも、波乱万丈な冒険とちょっとおかしな日常を平常心で生きぬいてゆく女性の物語。
【完結】そんなに怖いなら近付かないで下さいませ! と口にした後、隣国の王子様に執着されまして
Rohdea
恋愛
────この自慢の髪が凶器のようで怖いですって!? それなら、近付かないで下さいませ!!
幼い頃から自分は王太子妃になるとばかり信じて生きてきた
凶器のような縦ロールが特徴の侯爵令嬢のミュゼット。
(別名ドリル令嬢)
しかし、婚約者に選ばれたのは昔からライバル視していた別の令嬢!
悔しさにその令嬢に絡んでみるも空振りばかり……
何故か自分と同じ様に王太子妃の座を狙うピンク頭の男爵令嬢といがみ合う毎日を経て分かった事は、
王太子殿下は婚約者を溺愛していて、自分の入る余地はどこにも無いという事だけだった。
そして、ピンク頭が何やら処分を受けて目の前から去った後、
自分に残ったのは、凶器と称されるこの縦ロール頭だけ。
そんな傷心のドリル令嬢、ミュゼットの前に現れたのはなんと……
留学生の隣国の王子様!?
でも、何故か構ってくるこの王子、どうも自国に“ゆるふわ頭”の婚約者がいる様子……?
今度はドリル令嬢 VS ゆるふわ令嬢の戦いが勃発──!?
※そんなに~シリーズ(勝手に命名)の3作目になります。
リクエストがありました、
『そんなに好きならもっと早く言って下さい! 今更、遅いです! と口にした後、婚約者から逃げてみまして』
に出てきて縦ロールを振り回していたドリル令嬢、ミュゼットの話です。
2022.3.3 タグ追加
縦ロールをやめたら愛されました。
えんどう
恋愛
縦ロールは令嬢の命!!と頑なにその髪型を守ってきた公爵令嬢のシャルロット。
「お前を愛することはない。これは政略結婚だ、余計なものを求めてくれるな」
──そう言っていた婚約者が結婚して縦ロールをやめた途端に急に甘ったるい視線を向けて愛を囁くようになったのは何故?
これは私の友人がゴスロリやめて清楚系に走った途端にモテ始めた話に基づくような基づかないような。
追記:3.21
忙しさに落ち着きが見えそうなのでゆっくり更新再開します。需要があるかわかりませんが1人でも続きを待ってくれる人がいらっしゃるかもしれないので…。
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~
日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】
https://ncode.syosetu.com/n1741iq/
https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199
【小説家になろうで先行公開中】
https://ncode.syosetu.com/n0091ip/
働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。
地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?
つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました
樹里
恋愛
社交界デビューの日。
訳も分からずいきなり第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下に挨拶を拒絶された子爵令嬢のロザンヌ・ダングルベール。
後日、謝罪をしたいとのことで王宮へと出向いたが、そこで知らされた殿下の秘密。
それによって、し・か・た・な・く彼の掃除婦として就いたことから始まるラブファンタジー。
婚約破棄されて異世界トリップしたけど猫に囲まれてスローライフ満喫しています
葉柚
ファンタジー
婚約者の二股により婚約破棄をされた33才の真由は、突如異世界に飛ばされた。
そこはど田舎だった。
住む家と土地と可愛い3匹の猫をもらった真由は、猫たちに囲まれてストレスフリーなスローライフ生活を送る日常を送ることになった。
レコンティーニ王国は猫に優しい国です。
小説家になろう様にも掲載してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる