無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた

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その50:珊瑚海は燃えているか? 6

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 大和が出来るまで、こんな狭い場所だったんだな。俺は長門の作戦室を思い出していた。
 ハワイからシンガポール、とにかく太平洋の西半分を占めるようなエリアで行われる戦争が下手すれば、マンションのワンルーム並みの空間で指揮されていたわけだ。

「攻略部隊の輸送船団は、この位置で攻撃されたわけですな」

 海図を示す黒島先任参謀。
 船団はソロモン海を抜け、珊瑚海に入ったところで攻撃された。

 ポートモレスビー攻略に際し、3つのルートが検討された。

 1.チャイナ水道ルート
 2.ジョマード水道ルート
 3.ルイジアード諸島迂回ルート

 チャイナ水道が最短距離を航行し、ルイジアード諸島迂回ルートが一番遠い。
 チャイナ水道ルートは非常に狭い水路を通ることになる。
 おまけにサンゴ礁が点在していて、その確かな位置もよく分かってない。
 海流も速いし、大規模な攻略船団を通すというのは、現実的じゃなかった。
 
 個人的には一番安全な、ルイジアード諸島迂回ルートがいいと思ったのだが……
 遠いルートだけに敵の警戒も薄いと思ったのだ。

 俺の提案は、即時、却下された。ここが絶対という理由も思いつかないので、引き下がるしかなかった。

 要するに、ラバウルから1000海里近い行程になることが問題視されてしまったわけだ。遠すぎると。
 特に、陸軍側が納得しないだろうという反論は説得力があった。
 確かに、蚕棚の中で1000海里は拷問だ。

 まあ、どのルートをとっても敵に見つかるかどうかの可能性の高低は分からない。もはや、俺の知っている歴史の流れからは別ルートを進んでいるんだから。

 どこを選ぼうが、所詮は、こちらの思い込み程度の問題だった。
 よく考えてみれば、このルートが危険性が少ないと断言することもできないということだ。相手の出方が不明なのだ。確かなことなどなにもない。

 結果として、ジョマード水道ルートが選択されたわけだ。
 そして、その水道を抜けたとたん、攻撃を食らった。

 潜水艦による魚雷攻撃。 
 攻撃されたことで、船団の無線封止は解かれていた。
 
 結果として、こちらの輸送船1隻が沈んだらしい。かなり痛い。
 確か、陸軍の重砲と弾薬を中心に搭載してあった船だった。
 この船にだけしか弾薬が無いということではないが、かなりの量の弾薬、砲弾を失ったことは確実だ。

「占領するまでより、占領した後の補給だな」

 俺は海図を見つめて言った。やはり一筋縄ではいかない。

「相当数の潜水艦が投入されているのではないでしょうか」

 それは俺も思っていることだった。
 俺は小さくうなずいた。

 宇垣参謀が、メモを取とっている。日記用取材ノートだろう。彼の私室には「めざせ書籍化」と貼り紙がしてあるという噂があった。本当かどうかは知らない。

 ここ1月ほど、不気味なほどソロモン海周辺で潜水艦攻撃が無かった。
 通信解析、情報分析を行っている大和田通信所からは、この情報とある意見書が提出されていた。

 敵が我々の動きを読んで、珊瑚海で網を張っているというものだった。
 それは、分析された配備状況などから他の可能性を排除。
 徹底的に精査された情報と分析に見えた。

 そして、この報告では、最終的に敵空母が待ち伏せしている可能性にまで到達していた。
 最大で4隻の空母が投入されると結論していた。太平洋で運用出来る空母の全力投入だ。

 分析結果のレポートは見事だと思った。

 この分析をした人間はどんな頭をしているのかと驚くくらいだ。
 それは史実を知っている俺から見ても信じられない水準だった。
 史実でアメリカが、「日本が自分たちの暗号を解読してるのでは?」と最後まで怪しんでいたのも分かる。

 こういった人たちが日本にもいたんだ。
 心強いと思った反面、俺が史実をちょっと知っているくらいでは、今後大したアドバンテージにはならないことも分かった。

 やはり、空母は出てくる。
 そして、潜水艦も脅威になってくる。
 アメリカの不良魚雷の問題は解決していないが、100パーセント爆発しないわけじゃない。
 確か、あれは斜めにあたると爆発するはずだ。真正面からの命中で信管が壊れるという不具合だ。

 機動部隊は大丈夫だよな――
 攻略部隊の船団が攻撃されたことで、機動部隊が心配になってきた。

 トラックを出港して、すでに作戦行動に入っている第一航空艦隊。いわゆる「南雲機動部隊」。
 これは、ソロモン諸島東側に航路をとっていたはず。
 航路だけを見るとポートモレスビーではなく、フィジー、サモア方面に向かっているように見える。

 できれば、早々にアメリカ空母を誘引して、一気に航空決戦に巻き込もうという算段だったが出てこなかった。
 もうすでに、ポートモレスビー近くまで進出しているはずだった。

 攻略部隊が上陸作戦を開始する前に、徹底的にポートモレスビー基地は破壊する必要があった。
 基地航空隊による航空攻撃はすでに連日続けられている。
 ただ、こちらの基地の規模が小さすぎて、実施できるのは、零戦による地上銃撃が中心だった。
 ラバウルから陸攻も出してはいるが、数がそれほど揃わない。
 稼働機は20機を下回っているのが現状だ。

 幸い、オーストラリア北部から積極的な航空攻撃は今のところなかった。
 反撃してくるのはポートモレスビー基地だけだ。

 おそらく、政治的な理由だ。あまり踏み込んだ攻撃をして虎の尾を踏むのを恐れているんだ。

 中立国経由で入ってくる情報でも、オーストラリア政府は、日本軍の北部上陸を恐れているようだった。
 よって、日本を過剰に刺激するような攻撃は今のところ行っていない。
 ただ、ポートモレスビーの後背基地として、本土から航空機材だけは、バンバン送られているようだ。

 周辺は島嶼も多く、史実では1943年ごろになると島にもわんさか、航空基地が出来上がってくる。
 日本のじゃなくて、連合国側の。
 ラバウルが完全に包囲されるような勢いになってくるのだが、今のところ、島嶼には基地建設の形跡はない。
 
 オーストラリアとしては、ポートモレスビーで本土の防衛体制が充実するまで時間を稼ぎたいという思いがあるのだろう。
 おそらく、リソースは本土防衛体制構築に使われている。
 その分、こちらへの圧力が減っていると推測はできた。
 腰の引けた話ではあるが、助かっているのは事実だ。
 
「許容すべき被害ですかな――」
 
 黒島先任参謀が言った。

「まあ、戦争だからな」
 
 俺は言った。無傷で全てが上手くいくなど、ゲームだってそうそうある事じゃない。

 そのとき、伝令兵が飛び込んできた。
 電信紙を手にしている。

「#$%'&#"$%&――」

 その言葉の意味を俺の脳が咀嚼するのを拒否した。

「なぜだ! 機動部隊はいったいなにをやっておったのか!」

 宇垣参謀長の声が妙に遠くから聞こえてきたような気がした。

 10帖の部屋が妙に広く見えてきた。

「本当なのか……」

 俺はただ、小さくつぶやいた。

 4万トンを超える陸奥が妙に揺れているような気がした。

        ◇◇◇◇◇◇

「あれは、空母じゃないか――」

 神田飛曹長は目を疑った。

 目標海域に進出した零式水上観測機。零観――
 その操縦席で彼は驚きの声をもらしていた。

 まだ距離はあったが、艦種が視認できる距離に空母を発見していた。

 敵ではなかった。その艦影には見覚えがあったからだ。

「おい! 司令部はなにを言ってきたんだ」
 
 神田飛曹長は、怒鳴る様にして伝声管に声を叩きこんだ。

 藤田一飛の困ったような顔が目に浮かんだような気がした。

「この海域で対潜哨戒せよと。その後、沈黙してます。応答ありません」

 電波状態が悪いのか、意図して応答しないのか、それは分からなかった。
 ただ、現在の状況が尋常でないことだけは確かだった。

 彼は零観の機首を空母に向けた。徐々に艦影が大きくなってくる。
 小さな艦橋が前の方。右側にあった。
 薄い黒煙を引いているのが分かった。それは明らかに煙突からの排気煙ではなかった。
 
 重量感のある太い船体――

「加賀か――」

 神田飛曹長はその空母の名前をつぶやいた。

 八八艦隊計画で建造された戦艦だった。
 それが、関東大震災で損傷した天城の代りに空母に改造された艦だ。
 赤城とともに長らく帝国海軍を代表する空母であった。

 彼はさらに接近する。
 飛行甲板に異常があるようには思えなかった。ただ、船体はやや右に傾いているように見えた。
 目の錯覚ではなく、確実にそれと分かるレベルで傾斜していた。

「魚雷攻撃を受けたのか。加賀も――」

「同高度に機影3! 右70度!」

 藤田一飛の声に反射的にその方向に目を向けた。いた。敵機―― ではなかった。
 それは、自分たちと同じ水上機だった。
 零観と零式水上偵察機だ。
  
 彼らがバンクする。
 
「味方じゃないか」

「ああ、はい。そうです」

 藤田一飛の困惑混じりの、すまなそうな声が聞こえた。
 ただ、自分が空母加賀に目を奪われていたときに、周囲を警戒していた藤田一飛にそれ以上何かを言う気はなかった。
 むしろ、自分よりも冷静に周囲を見ていたのではないかと思った。

 零観と零式水上偵察機の所属が分かった。尾翼の識別機番が見えた。
 彼らは、聖川丸から飛んできたのだ。自分たちの神川丸と同じく、特設水上機母艦だ。

 零観の1機がすっと前に出て、手信号で「モドレ」と示した。

 まだ、燃料はあった。
 ただ、考えてみれば、自分たちは潜水艦に対し、何の攻撃手段ももっていなかった。
 彼らが翼下に30キロ爆弾を吊っているのを見て、そのことを思い出していた。
 確かに、飛行機はそこに存在するというだけで、潜水艦の行動を掣肘できる。
 ただ、攻撃できる武装があるに越したことは無い。

「無線機が壊れているんじゃないか?」

「はい。そうかもしれないです」

 バツの悪いような声だった。ただそれは藤田一飛の責任ではない。
 総じて、無線機の調子はあまりよくはなかった。
 内地では問題なかったものが、水上機母艦などで運用されると、とたんに不具合が多くなる事は今までも経験していたことである。

 彼は機体を大きく弧を描くようにターンさせた。
 そして、眼下の加賀をもう一度見た。

 沈むような被害を受けているようには見えないが、おそらくこの作戦では完全に脱落なのだろう。
 周囲にはまるで艀のように見える駆逐艦がよりそっていた。

「加賀、大丈夫なんですかね?」

 藤田一飛の声が聞こえる。

「分からん―― 俺に分かるわけがない――」

 神田一飛曹の声はエンジンと風の音の中に、かき消えてしまうかのようであった。
 
 胸の奥がささくれているようだった。

        ◇◇◇◇◇◇

「蒼龍、総員退艦済みました――」

 第一航空艦隊司令官、南雲忠一中将は、紅蓮の炎を上げる蒼龍を見つめていた。
 本来、豪胆さでは定評のあった提督が、小さく震えているのが分かった。

 源田実中佐もまた、蒼龍を見つめている。
 南雲長官を敗軍の将にする気はさらさらなかった。

(まだ負けたわけじゃない――)

 猛禽を思わせる双眸からは闘志の火は消えてなかった。

 潜水艦の攻撃だった。
 ポートモレスビーへの攻撃を行う矢先の被雷。
 まず加賀が被雷した。右舷に2発。
 雷撃の衝撃により、可燃物が引火。その火災は何と消し止めることができた。
 ただ、機械室への浸水により、速度が大きく落ちていた。
 引き続き、作戦行動を行うのは困難といえた。

 加賀は駆逐艦の護衛を付け、戦域を離脱。
 艦載機は全機無理やり発進させ、ニューギニア北部の航空基地に向かわせた。
 これで、ポートモレスビー攻撃に関して、基地航空隊が増強されることになる。
 転んでもタダで起きる気は無かった。

「蒼龍の曳航はやはり無理かね」

 南雲長官が、か細い声で言った。
 それは、何度も協議されたことだった。

「残念ですが――」

 すでに、駆逐艦の魚雷による処分は決まっていた。
 珊瑚海を赤く染める炎を上げ、彼女は最期の時を迎えようとしていた。

 加賀の被雷で混乱している最中、蒼龍が被雷した。
 元々、条約制限の中、無理して建造された蒼龍の防御力はそれほど高いと言えなかった。

 航空機運用能力、速度、武装などでは、世界水準で一級品の空母といえる存在であったが、2万トンに満たない船体には限界があった。
 ガソリンが流出し引火。爆発を伴う大火災が発生。
 火災を消すことなどできそうになかった。
 搭乗員や整備員を含む人員の損失を最小限に抑えたことを幸運と思うしかなかった。

 状況は最悪に近い物だった。
 潜水艦に攻撃されたことは、敵に場所を露呈したということだ。
 おそらく、ここからが、本当の正念場になる。

 源田中佐は、海図を見た。
 ポートモレスビーには対艦攻撃力のある中型爆撃機の存在が確認されている。
 更に、敵空母がどこからか攻撃を仕掛けてくるはずだった。

 索敵は行っている。
 史実を聞かされている彼は、徹底的ともいえるほどの索敵計画を練っていた。
 そして、それは実行に移されている。ただ、今のところ、敵空母は発見できていない。
 
「電探室からの報告は無いな?」

 彼は電話兵に言った。電探室からは特に異常がないという報告があった。
 赤城には試作品に近い電探が搭載されている。
 運用に当たっては、開発にあたった技術者が軍属として乗りこんでいた。

 警戒は緩めない。
 上空には2段階の高度に分かれ、零戦が待機している。

「来るなら来い―― みな叩き落してやる」

 猛禽の笑みを浮かべ源田実中佐は小さくつぶやいた。
 誰もその声には気付くことは無かった。
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