無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた

中七七三

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その48:珊瑚海は燃えているか? 4

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 2本の水柱がゆるゆると上がり、それがゆっくりと崩れていく。
 フラッシュをたいたような――
 いや、稲妻のような閃光だった。

 そして、凄まじい轟音。
 空気の塊に顔面をひっぱたかれた気がした。

「莫迦な……」

 中根主計中尉はつぶやくように言葉をもらす。
 自分がその場に崩れ落ちないのが奇跡だと思った。

 弾薬輸送船が、爆弾、魚雷の直撃を食らったらひとたまりもない。
 彼は、その現実を目の当たりにしていた。

 先ほどまで船のあった場所はドームのような煙が広がっていた。
 白い煙は限界まで広がると、すぅぅーと薄くなった。
 そして、天に向け、どす黒い拳のような雲が立ち上がっていた。
 バラバラと周囲に船だったもの構造物が飛び散り、海面に落ちる。

 魚雷の直撃だった。
 輸送船の中では最後尾を進む、第21黒金丸の最期だった。
 爆発の後には何もなかった。完全に船が消滅していた。

「轟沈か――」
 
 淡々とした言葉が聞こえた。
 風祭艦長だった。
 ただ、事実だけを冷静に確認する技術者の言葉のようであった。

「弾薬船だったのかね――」

 中根主計中尉は、しばらくの間、その言葉が自分に対する質問であると理解できなかった。そして我に返った。

「あ…… はい。そうです。重砲、弾薬を積み込んでいたはずです」

「痛いな」

(痛いどころじゃない)

 中根主計中尉はその場で悪態をつきたい気持ちを抑え込む。彼の立場でそんなことができるわけもなかった。
 あれだけの、弾薬、重砲をここまで運ぶのに、どれだけの手間とコストがかかっているのか。
 主計士官であり、商学部出身である彼はそのことを考える。
 それが敵魚雷で、一瞬で吹き飛んだのだ。

(まったく、なんてもったいない話だ――)
 
「聴音、どうだ?」

 風祭艦長はルーチンワークのように訊いた。

「捕まりません。海中が擾乱されて位置の特定が困難になっています」

「全く、ここまで計算済かね――」

 風祭艦長は眼下の見えざる敵に向かって話しかけるように言った。
 答えが得られるわけがなかった。

「駆逐艦来ます」

「今さらかね。今となっては輸送船について行った方がいいと思うがね」

 見張り員の報告に、風祭艦長は、多少の皮肉を込めた言葉を吐いた。
 中根主計中尉も同感ではあったが、護衛部隊司令部の苦渋の判断も分からないではなかった。

 駆逐艦追風、朝凪、睦月、弥生、望月の5隻。
 睦月型と神風型駆逐艦がこちらに向かっていた。
 各艦とも搭載している爆雷は18発だ。
 商船改造の特設砲艦という胡乱な船よりも対潜能力が低い。
 おまけに、連携しての対潜攻撃など訓練しているとは思えなかった。
 少なくとも、この特設砲艦「第二天福丸」とはなにもやってない。
 役割分担も不明瞭なまま、狭い海域に数だけ投入しても効果が上がるわけがない。

 現状では、どうやっても有効な対潜掃討戦が出来るとは思えなかった。
 そもそも、こちらの聴音機では確実に位置が特定できない。
 聴音機の性能の問題というよりはこれも訓練不足だ。

 特設砲艦という護衛が主任務である我々ですら十分な訓練をしていない。
 ましてや、駆逐艦においておやだ。

 大日本帝国の駆逐艦にとって、対潜作戦は表芸ではないのだ。
 敵主力艦に魚雷をぶち込むこと。これを最大の目的とし、それに特化した艦艇なのだ。
 対潜攻撃や船団護衛にはオーバースペックな部分もあり、足らない部分もあった。
 要するに、仕様外の運用としか言いようがなかった。

「さて、仕留めるだけは仕留めないとな。俸給程度の仕事はすべきだろうよ」

 切り替えたような飄々とした口調で風祭艦長は言った。

 この特設砲艦に搭載している爆雷は残り15発。無駄にばら撒くわけにはいかなかった。
 そもそも、無駄と思えるくらいばら撒いて相手を制圧するのが爆雷だと思うが、帝国海軍は違っていた。

「主計」

「はい」

「敵はまんまと攻撃を成功させたわけだが――」

「はい」

「さて、君が潜水艦艦長だった場合、どうするかね? 戦果の拡大を狙うか? 退避するかね?」

 娑婆っ気の抜けない半端士官である自分になぜこのようなことを聞くのか?
 意見を聞くならば、他にプロ士官がいるのだ。
 中根主計中尉は、自分が試されているのかと思った。なんの理由で?

 確かにこの船に乗り込んでから、まるで副官のような顔をしてブリッジにいる。
 それは、戦闘の経過を報告するための「戦闘詳報」を書くためだ。
 その書類の提出は、主計士官の役割だったからだ。

 この年齢不詳の予備役少佐は、自分になにを求めているのか?

 中根主計中尉は困惑の混じった表情で上官を見つめた。
 うかつに答えるとまずい気もした。
 だが、躊躇している時間もなかった。

「再攻撃があると思います」

 彼はきっぱりと言い切った。

        ◇◇◇◇◇◇

「聴音、どうか?」

「推進音、5―― 来てますね。新手です」

 聴音員の報告に、やっぱりという空気が流れる。
 これからカーニバルが始まる。
 爆雷という狂乱の音楽が鳴り響く、最悪の宴だ。

 ヌルヌルとした熱のこもった空気は空気という存在を止め、まるで液体の一種のように感じられた。

 マドロック艦長は、しわしわの帽子を脱いだ。頭をかいた。汗がかきだされ、顔に大量に流れてくる。
 まるで、塩水のシャワーを浴びているようなものだった。
 
「バッテリーはどうだ?」

「今のところ問題はありません。バッテリーはですけどね」

 S-44は3ノットを下回る速度で、ゆるゆると海中を進んでいた。
 この状態であるならば、90海里の航続力がある。あくまでもカタログ上の性能ではあったが。

 このあたりの海の深さは完全に、同艦の安全潜航深度を超えていた。
 せいぜい40メートル。無理して50メートルの老朽潜水艦にとっては現状は予断を許さない物だった。

「囲まれたらやっかいですね」

 場所を特定された潜水艦に出来ることは限られている。
 じっと息をひそめ、やり過ごす。それくらいなものだった。

 ただ、位置の特定を困難にする方法はあった。
 潜水艦が水上艦に対し優位な点は、3次元機動できる点と、小さな旋回半径で移動ができることだった。
 
 なにかが海面に投下された音を聴音員が捉えた。

「爆雷です! 爆雷来ます! 敵爆雷投下! 数―― 無数!」

「手近い物に捕まれ! いいか! 捕まるんだ!」

 マドロック潜水艦長の言葉が響く。
 
 そして、水中カーニバルが始まった。
 圧倒的な圧力を生み出す海水に翻弄され、死ぬまで踊り続けるかもしれないカーニバルだった。

「電源! 非常灯切り替え!」

「浸水! 前部電池室に浸水です! ガスが、ガスが出ます!」

「クソが!」

 艦内の有毒ガス濃度が上昇する。ガスを吸収する薬剤がまかれるが、効果があるのかどうかが分からない。
 一気に呼吸が困難になってくる。

 更にガス吸収剤の化学反応で艦内温度が上昇する。もはや灼熱という表現がふさわしいレベルになっている。
 
 熱と湿度、そして酸素の欠乏、二酸化炭素、有毒ガスの増加――

 艦内環境は秒単位で悪化していく。
 
「重油! 重油放出!」

 更に重油を放出する。これで、ごまかせるとは思えなかったが、やらないよりはマシだった。
 
 マドロック潜水艦長が命じる。

「復唱! どうした!」

 バルブが開かれ、重油が放出される。

 S-44は深度40メートルの海中で翻弄されていた。海水の奔流に良いように嬲られていた。

 日本海軍の決して高性能とはいえない爆雷であったが、その調定深度が、S-44の限界深度と一致していた。

 40メートル。
 海中を爆裂音が響き渡る。

 高張力鋼の向こう側で絶対的な死がノックを開始する。

 カーニバルは始まったばかりであった。 
 
        ◇◇◇◇◇◇

「重油確認――」

 伝声管からは藤田一飛声が聞こえている。
 三菱製の傑作小型エンジン14気筒の「瑞星」は快調な調べを奏でていた。
 彼は状況を打電する。
 もはや、彼らには他に仕事が無かった。
 
「またしても、死んだふりかい」

 敵潜水艦とはいえ、あまりの策の無さに怒りを覚えた。もっとまじめにやれとすら思った。八つ当たりだ。

 眼下ではミズスマシのように、駆逐艦が円を描いていた。白い航跡が狭い海域に繰り返し、描かれている。

 よってたかってのなぶり殺しに見えるが、同情する気は微塵もなかった。
 弾薬輸送船の爆発を見たからだ。
 正直、怖気を振るった。
 あのような、危険物の塊をここまで運び込んできた船員たちに尊敬の念を覚えた。
 それに比べれば、射出機での出撃など、お遊びのように思えた。

(俺も彼らにように勇敢に死ねるのか――)

 神田飛曹長の胸の内に、その思いがあった。

「飛曹長」

 藤田一飛曹の呼ぶ声が聞こえた。
 
「司令部からです。予定航路30海里ほど先に進んで、周辺海域の哨戒続行です」

「なんだって?」

(ここではもう、俺たちの仕事は無いということか。しかし、なぜ30海里先に――)

 神田飛曹長はあまりにも具体的に過ぎる情報に首をかしげた。
 敵信でも傍受したのかと考えた。しかし、考えてもそれは仕方ない事であった。

 彼は機体を操り、目的地を目指した――
 その先になにがあるのかまで、予想をしている余裕はなかった。

        ◇◇◇◇◇◇

 その光景は、オブラートに包んで言えば、「不手際が多い」だろう。端的に言ってしまえば「無様」だ。

 5隻の駆逐艦と1隻の特設砲艦が狭い海域でバカバカと爆雷を撃ちこんでいるだけだ。
 連携がとれず、満足に聴音ができなかった。
 捉えたと思うと、考えなしの爆雷投下で目標を見失っていた。
 
 当然だった。
 対潜水艦戦において、統一された指揮系統の元訓練する機会などなかったのだ。
 そして、それを現場ですり合わせるだけの余裕もなかった。
 各艦の連絡はとれているが、チームワークが取れているとはお世辞にもいえたものでなかった。

 中根主計中尉はうんざりした気持ちで、味方駆逐艦の様子を見ていた。
 たった1隻の潜水艦相手に、右往左往だ。
 
 今、敵の潜水艦の活動は、それほどの脅威となっていない。現実に、弾薬輸送艦を撃沈された船団の一員となった今は、首肯できかねる部分もないではなかった。
 しかし、戦況全体を俯瞰したとき、アメリカを含む連合国の潜水艦の活動は低調だった。

 主計士官にしかすぎない、彼にはその明確な理由は分からない。
 ただ、アメリカ人は快適な生活に慣れているので、潜水艦の運用には向かないという言い分はあまりに幼稚であると思っていた。
 彼らは南北戦争時代から、潜水艦を使っているのだ。
 そして、現実に旧式とはいえ、艦隊随伴可能な5隻の駆逐艦と特設砲艦が取り囲んでも、敵潜水艦を仕留めることができないでいるのだ。

「敵音源! これは? 敵、タンクブローしてます! 方位140度。距離―― 近いです! 至近!」

「まずいな――」
 
 風祭艦長が、拳を口に当て、つぶやくように言った。

「なにがです? 耐えられなくなって、浮上してくるのでは?」

 最初から今まで、まずいことだらけで、今さらまずいもくそもないだろう。
 中根主計中尉は辛辣な思いを抱いたが、それとは別に、なにがまずいのかという疑問ももった。
 潜水艦が浮上してくるということは、見つからないという唯一にして絶対的な武器を捨てることと同じ意味を持つ。

 浮かんできたら、駆逐艦5隻と自分たちで砲撃だ。簡単に片が付く。
 もしくは、白旗を上げるのか?
 中根主計中尉は全身の力抜けてくるように感じた。

「主計、攻撃してくると言ったね?」

「はい」 

「正解だよ。来るぞ。攻撃が――」

「はい?」

「魚雷の撃てる深度まで浮上している」

 当たり前の事実を告げるかのように、彼の上官は淡々と言った。

        ◇◇◇◇◇◇

「二酸化炭素濃度が4%を超えました」
 
 ドロドロした油のような汗を流しながら、ナンバーワンが言った。
 彼も焦燥しきった顔で、力なく小さな腰掛に座った。
 彼はゆっくりと首を振った。酸素不足による強烈な頭痛に襲われていた。

「酸素を放出する」

 マドロック艦長は伝令兵に伝えた。
 彼は各所酸素放出用意を伝えた。
 酸素が放出される。

 司令塔でも、シューというかすかな音とともに、酸素が放出される。
 電池からの有毒ガスの発生は、吸収剤でなんとかごまかしたが、二酸化炭素の増加と酸素の不足はどうにもできなかった。
 
 マドロック艦長は、深く呼吸した。自分が部下の分まで酸素を吸ってしまうのではないかと思うほどの深呼吸だった。
 爆雷の音は遠くなっていた。
 まだ、艦が揺れないというわけではないが、直接的なダメージを受けるものではなくなっていた。

 彼は更に3回深呼吸を繰り返した。細胞が蘇ってくるような気がした。
 艦内温度は50度を超えていたが、それでも酸素は人を生き返らせるものだった。

「メインタンクブロー、深度10」

「艦長!?」

 ぐったりとしていたナンバーワンが跳ねるように顔を上げた。
 そして、マジマジと上官の顔を見つめた。

 それは潜望鏡深度といってもいいくらいものであった。そして彼は艦長の意図を読み、ドロドロの汗にまみれた顔に獰猛な笑みを浮かべた。

「我々のターンだ。そう思わないかね? ナンバーワン」

 ドルフィン紋章を刻んだ、生粋のサブマリナーが牙をむいたのであった。
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