無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた

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その43:紙と鉛筆の戦争

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 その見るからに安っぽいブルドーザは動いていた。
 40馬力のガソリンエンジンが唸りを上げて、ガタガタとおもちゃのように動く。ベニヤと鉄パイプでできたちゃちな車両だ。とってつけたような排土板には、剥き出しのワイヤーがつながっている。ワイヤが振動でプルプル震えている。
 
 試験用に用意された敷地は実戦における不整地を再現していた。
 そのような地面で止まることなく動く。
 ただ、なんというか動きがおもちゃっぽい。

「意外によく走るな……」
「わが社では人力車も制作しておりました。そのときの板バネサスペンション技術を使っております」
「ほう」

 黄金仮面・宇垣参謀の言葉に答える下山田社長。
 宇垣参謀長も何とも言えない顔をしている。おそらく、日記に書くべきか悩んでいるのだろう。今の時代に人力車の技術と力説されても、反応に困る。

 本体構造がリヤカーで、サスペンションは人力車か……
 俺の考えていたブルドーザとはだいぶ違う。
 だが、動きは問題無いように見えた。

「独立サスペンションの6輪駆動で、不整地でも問題ありません」
 
 クイッと丸メガネを持ち上げ、下山田社長が言った。
 確かにリヤカーのタイヤを束ねた6輪タイヤは、確実に不整地を捕えている。
 タイヤがでかいので、少々の凹凸は問題ないみたいだ。
  
「排土板は、ジャッキとワイヤで操作しています」
 
 排土板がガクンと下がった。
 そして、こんもりと盛り上がった土山にぶち当たる。高さは1ートルくらいある。かなりな量だ。
 排土板でそれを崩していく。
 排土板はワイヤーが巻き上がる音に合わせて上がっていく。
 意外にパワフルだった。

「車体は軽量化されていますが、土嚢を搭載し自重を増やすことで運用は問題ありません。軽い本体は輸送性が抜群なのです」

 ガリガリと土山を削って平らにしていく。
 確かに人力よりは早いのが分かる。
 
「排土板を取り外せば、起重機として使うこともできるのです。鉄パイプをくみ上げればクレーンができます 鉄パイプは全てネジ止めです」

 グリグリメガネの奥の双眸が、愛おしい娘を見つめるようだった。
 視線の先は、ブルドーザのような物だ。
 
 下山田社長の言葉を信じるならば、非常に汎用性の高い車両だ。
 ブルドーザーからクレーン車にもなるらしいが。
 このお手軽さがなんとも貧乏くさいと言えば貧乏くさい。
 しかし、これでも無いよりはマシか……

 後は、戦場での使用に耐える頑丈さがあるのかどうか?
 疑問は色々あるが。

 しかし、今この時点で「ブルドーザーのような物」がある程度の数手に入ったことでよしとすべきだろう。

 俺は、リヤカーを連結してエンジンを着け、無理やり排土板をつけた物体を見つめた。
 ちらっと小学生の夏休みの工作みたいだなと思った。
 高らかにエンジンを響かせ、ブルドーザのような物はその排土板を持ち上げるのであった。

        ◇◇◇◇◇◇

 小川少尉は、背後に気配を感じ振り向いた。
 土屋兵曹長だった。予備学生の応招である小川少尉とは異なり、生粋の軍人だった。
 彼は、たたき上げである。血液まで潮の臭いがしそうな海軍下士官だった。
 
「なにか動きはありましたか?」

 土屋兵曹長は、振り向いた小川少尉に彼は声をかけた。

「いえ、とくにはありませんが……」

 階級が上であるにもかかわらず、丁寧な物言いをしてしまう。
 この言葉に、土屋兵曹長はあるかなしかの苦笑を唇に浮かべた。

 彼自身も、予備応招士官が海軍内で置かれた立場というものを理解していた。
 オブラートに包んで言えば「お客様」。端的に言ってしまえば「よそ者」だ。

 小川少尉の丁寧な物言いは、人間関係の距離感を示す物だった。
 この点で、土屋兵曹長もなにかを言う気はなかった。
 彼自身、この学士士官様の能力は十分に認めていた。
 脳みその性能では自分など絶対に勝てないと思っていた。

「気にすることはないですよ。根気よく行きましょう」
「はい……」

 土屋兵曹長は窓までいくと建てつけの悪い窓を引っ張り強引に開けた。
 初夏の夜気が部屋の中に流れ込んできた。
 決して爽やかという訳では無かったが、淀んだような部屋の空気よりは幾分マシだった。
 
「少し、空気を入れ替えた方がいいでしょう」

 そう言うと、土屋兵曹長は空いている自分の席に座った。
 小川少尉は、通信傍受した情報の解析作業に戻っていた。ブツブツとなにか言っている。
 優秀な男であったが、独りごとが多い。
 
 その背中には焦りがあった。それが分かる。
 ここ大和田通信所には、軍事通信だけではなく、アメリカ各都市、オーストラリア、中国、インドなどの民間ラジオ放送まで傍受している。
 しかも24時間体制だ。人員は増員されている物の、質の面で使える「人材」はまだ限られていた。
 その限られた人材が彼らであった。

 彼らの武器は情報とそれを定量解析する数学であった。
 小川少尉は、大日本帝国でも最も頭脳が優れた人間が集まる大学で数学を学んだ男だった。

 土屋兵曹長は自分の机の上に積まれた受信簿の山を見た。この山のような情報から、敵の正確な動向を引き出す――
 この膨大な情報から、敵の動きを探るのが彼らの仕事であった。
 それは、異常なほどの能力と根気を必要とされる作業だ。
 ここも戦場だった。
 鉄も火薬も飛び交わない硝煙の匂いもないが、紙と鉛筆で行われる戦争だった。

 小川少尉に声をかけた土屋兵曹長であったが、自身も焦りはあった。
 
 アメリカ空母の動向が全くつかめなくなってしまったからだ。
 開戦当初、アメリカの正規保有空母は7隻。
 4月の小笠原沖海戦により、エンタープライズ、ホーネットが沈み、残るは5隻。
 レキシントン、サラトガの戦艦改造大型空母。
 ヨークタウン、ワスプ、レンジャーとなる。

 更に、補助戦力ともいえる商船改造空母、ロングアイランド、マーサアイランドはアリューシャン海戦で沈んでいる。
 このようなノーマークだった補助空母まで、積極的に作戦の投入してくる局面は想定外だった。

 とにかく、最優先すべきことは空母の動向だった。
 ただ、レンジャーだけが、大西洋方面の任務についているのではないかと推測されている。推測とは言ってもそれなりの確度はある。
 通信解析の結果、空母航空隊の動きはある程度掴むことができていた。
 しかし、肝心の空母の位置、アメリカ海軍の戦略的な意図や動向が全く読めない状態が続いていた。

「ハワイか西海岸かニューギニアか……」

 アメリカ海軍では、アリューシャン海戦では戦艦5隻を失うという痛手を受けた。
 結果として敵に打撃を与えたが、敵の動向を読めなかったという点では、彼ら自身の戦争においては敗北と同じものだった。

 傍受情報には、アリューシャンで沈んだはずの戦艦の情報まで混じっている。
 米軍は、被害を隠すということに関して、徹底的に行っていた。戦死した将兵に給料を払い続けるような工作をしているのではないかと思った。
 マスコミもこれに関しては徹底的な情報管制を行っていた。

 アメリカ海軍の現状を考えると、攻勢作戦は取りようがないはずだった。
 占守空襲、砲撃というような事態が再度繰り返される可能性は低いと思われた。

 思い込みは禁物ではあるが、数の減った空母部隊や壊滅的な戦艦部隊を投機的な作戦に投入するとは思えない。
 やはり、ハワイか? 艦隊温存をしつつ、迎撃体制の維持か。それが一番現実的なように思える。

 西海岸では即応性に欠ける。まさか、我々が西海岸まで一気に攻めてくるとは思ってもいないだろう。事実、そんなことはしない。
 アメリカ海軍にとって最重要なことは、ハワイの防衛だ。

 だがしかし――
 それなら、なぜ動向を隠す? ここまで完ぺきにだ。
 劣勢な中でも、ハワイに空母を集中していること示した方が、我が方は攻め手がなくなる。ハワイの航空基地と空母を合わせた戦力に対抗できうるだけの戦力差が生じているわけではない。

 必要以上に我々を過大評価し、警戒しているのか?

 思考の袋小路だった。
 
 小川少尉は握っていた赤鉛筆を置いて、眉根を揉んだ。
 通信傍受班、方位測定班からの情報は滞りなく得ている。しかし、解析結果が思うようにいかない。
 自分たちに技量に不足があるのではないか? なにか見落としがあるのではないか?
 疑心暗鬼にかられる。

 敵もこちらの動きを読んでいるのか――
 数日前から胸の奥にあった疑念が浮かぶ。
 いや、その考えはむしろ当然といえるだろう。
 もし、敵が我々の主攻線をニューギニアと特定できたとするならどうするか?
 彼らは全力で迎撃するのか?

 オーストラリアや中立国から入ってくる情報分析も行われている。
 その分析では、オーストラリア政府はニューギニアに対する積極的な防衛を諦めていると推測されていた。
 断定はできないが、実際防衛ラインは本土内陸部に下がっている。
 国内の兵員配置からその様子は分かっていた。
 ニューギニア防衛を完全に諦めたわけではないにせよ、その準備が進んでいるようには思えなかった。
 蓄積され分析した情報がそのような結論を導いていた。

「小川少尉、この動きはいったい――」

 土屋兵曹長が言った。手にした紙を彼に見せていた。
 それは、ここ1月のアメリカ潜水艦の動向を示す物だった。
 海図には、出没位置、被害に遭った自軍の艦艇、船舶の情報が記載されている。

「漏れは?」
 
 熟練の海軍兵曹長に対し、あまりにも失礼な言葉が口から出ていた。
 
「いや、すまない」

 即、謝罪の言葉を口にする小川少尉であった。
 
「少尉、これは変です。あきらかに――」
 
 土屋兵曹長は彼の言葉が無かったかのように対応した。
 小川少尉はその海図を見つめていた。

 アメリカ海軍の潜水艦は無制限潜水艦作戦に入ることを宣言。徹底的に日本の補給ラインを狙ってきている。
 被害は出ていたが、それは開戦前予想されたレベルを下回っていた。
 潜水艦の数の不足。魚雷の不足。そして、確証を得た情報ではないが、魚雷の不具合などの理由によるものだった。
 日本と同じく艦隊決戦を指向していたアメリカ潜水艦が交通破壊戦に、それほど乗り気ではないのではという意見もあった。
 ただ、小川少尉としては、この意見は受け入れがたかった。

「ラバウル、ニューギニア方面で活動してませんが……」
「そうです」

 小川少尉の言葉を土屋兵曹長は短く首肯した。
 これはなにを意味しているのか?

 本土からトラック島、そしてラバウル方面の補給ラインは敵にとっては絶好の狩場だ。
 事実、それほど活発ではないアメリカ潜水艦による被害の多くは、この周辺海域に集中していた。
 それが、ここ1月、空白といっていいくらい活動が見られない。
 
「見つけられないということでしょうか?」
「我が方は、攻撃すら受けていない」
「いなくなったんですか? 潜水艦が? ローテーションのはざまですか?」
「あり得ないだろう。そこまで、空くような不手際をするとは思えない」

 兵曹長自身も、潜水艦がいなくなったなどと信じて口にしているのではないことは分かった。
 彼の思考力を引き出すための言葉だった。潜水艦のローテーションという言葉をいれたのがその証拠だ。可能性の検討のために口にしたのだ。

「奴らは、待ち構えている。来るぞ、ニューギニアだ――」

 思わず、小川少尉の手が震えていた。
 潜水艦の活動が低調になっているわけではない。
 これは、攻撃を控えているのだ。
 なぜだ?
 この海域で大規模な作戦を実施するためだ。
 今、目立つことをするわけにはいかないからだ。
 だから、攻撃すら手控え、奴らは息をひそめている。

「来ますか、奴らが」
「ああ」
 
 その言葉は短くそして力強いものであった。
 小川少尉は再び、情報の山に挑む。

 彼の戦争――
 紙と鉛筆の戦争を行うために。
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