無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた

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その11:I shall return

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 俺たちはバターンで死んでく 私生児だ
 とっても、あわれな私生児だ
 母も父もいやしねぇ
 祖国にゃ、とっくに見捨てられ
 薬もなけりゃ 武器もねぇ
 食事だってろくにねぇ
 誰にも知られず 死ぬだけだ
 ジャップに鉄砲で撃たれて
 煮て 焼いて
 食われるのさ
 ダグは4つ星光らせ、逃げていく
 私は、絶対戻ってくるといいながら
 (参考:バターンの名もなき兵士/ベン・ジャーミン 民明書房 より引用)

 従軍記者のロバートは、その惨状を見て口ずさんでいた。
 誰が作ったか知らないが、戦場の戯れ歌だった。自虐的な歌だった。
 それは、1942年2月のフィリピン、バターンに展開する米軍の現実を端的に表現していた。
 マラリア罹患者は1週間で500人ずつ増加している。衰える気配はない。
 薬は底をついていた。
 食事はとっくに定量の3分の1になっている。
 彼は歌の最後のところで、口を止めた。
 ダグとはマッカーサのことだ。
 4つ星とは、元帥であることを現す。彼はフィリピン軍の元帥であることを誇りにしていた。

「あの噂は、本当なのか――」
 そう小さくつぶやく、ロバートだった。
 マッカーサー将軍がコレヒドール島から脱出するという話だ。
 それの噂の出所は、日本軍だった。
 バターンに対峙している日本軍が、ビラをまいている。
 さらには、拡声器でガンガンと言ってくる。
 戦場で罵り合うのは、昔からある戦場の風景だった。
 20世紀に入り、拡声器という便利な道具が生まれたが。

(妙に詳しい内容だ)

 日本軍の罵りは、ただの侮蔑では無かった。
 マッカーサーがフィリピンを見捨てて逃げること。
 その時期が3月から4月であること。
 そして、魚雷艇をつかいB-17を使って逃げること。
 他に、金目の物を一緒にもっていくとか、下品な話も含まれる。
 ただ、妙にリアルだった。

 記者の勘かもしれない。これは事実でこちらの情報が、日本軍に漏れているのではないか。
 そのような考えが浮かんだ。そして、否定する。

 兵士を見捨てて逃げる将軍がいるだろうか?
 兵士を捨てた将軍に誰が従うのか?
 どうなのか――

 彼は手帳を開いた。 
 そして、日本軍の謀略が流した、言葉を書いた。
『I shall return(私は必ず戻ってくる)』
 なぜか、笑いが漏れてきた。
 いかにも、あのマッカーサーが言いそうなことだと思ったのだ。

 そして、彼は思考を切り替えた。
 自分がどうなるのか?
 そのことを思った。

        ◇◇◇◇◇◇
 
 マッカーサーが逃げるという情報を聞かされた大西瀧治郎は動いていた。
 山本聯合艦隊司令長官からの情報と命令だった。
 いや、長官は長官ではなく、今は21世紀の未来人であるという。
 人には話せない。しかし、あの女神をみた自分はそのことを信じていた。

 彼は状況を整理する。海軍の中でも屈指の合理主義者。
 そのあまりの合理的な思考ゆえ、史実では「特攻」という統帥の外道の作戦に走らざるを得なかった将官。
 彼の頭脳は回転する。

 マッカーサー脱出の時期は3月から4月の間だ。
 魚雷艇を使い、B-17でオーストラリアに向かう。
 どこの飛行場かまでは分からない。
 魚雷艇で脱出するということは、海岸部に近いところだろうという類推はできる。
 そして、B-17という4発の大型機が使用できる広大な場所。
 これだけでは、フィリピンのどこであるか特定するのは難しかった。

「本当にこんなことを言うのか……」 

 彼は、マッカーサーが言う、言葉を思い出していた。
 
 そして、彼の航空隊は2月から爆弾と合わせ、別の物も撒くようになった。
 伝単。ビラだった。
 それは、マッカーサーがフィリピンを見捨てて、逃げるということを揶揄したものだった。
 徹底的にバカにしたものとなっている。

 もし、未来人の山本長官に、文面を考えさせていれば21世紀の最先端の「煽り技術」をつぎ込んだ文面を考えたかもしれない。
 21世紀に煽り技術が発展しているなど、さすがに大西瀧治郎でも分かるわけがなかった。
 ただ、彼は英語ができないので、翻訳した時点で威力が落ちてしまうかもしれなかった。
 草を生やすとかは、通用しなくなる。
 よって、文面は然るべき部署の、然るべき人間が書いたものとなっている。
 たまたま、映画看板を描いていた人間もおり、その人間に絵も描かせた。
 
 更に陸軍に協力を要請した。
 第14軍司令官本間雅晴中将にも話を通した。
 聯合艦隊の諜報活動による成果であると伝えてある。
 陸軍と海軍の対立はどこでもある問題だ。
 しかし、前線においてそのような対立を引きずるほど、大西も本間もバカでは無かった。
 マッカーサーを逃がさないこと。
 そして、敵の士気を喪失させること。それにこの情報が利用された。

 フィリピンの戦況は他の南方攻略作戦に比べ進捗が遅れていた。
 これを、本間中将の指導力のせいにするのは、酷な話だった。
 どちらかというと、大本営が米軍を甘く見て、治安維持程度の能力の部隊を正面戦力につぎ込んだのが遠因となっている。
 主力部隊であった第48師団をジャワ攻略に回し、第65旅団がその穴を埋めることになった。
 高齢者事業団のような、第65旅団は粘る米軍と熱帯の気候のため、大きな損害を受けていた。
 日本軍は、バターン半島を封鎖している形ではあった。
 しかし、その実態は歩兵3個大隊にすぎない。
 フィリピンの日本軍は7千以上の戦死傷者を出し、1万人以上の戦病者を出していた。
 熱帯のマラリア、デング熱、アメーバ―赤痢には国籍は関係ない。
 日米ともに、大ダメージを受けていた。

 ただ、陸軍上層部は、この事実を本間中将の能力不足と考えていた。
 南方軍上層部、陸軍中央部ともにだった。
 本間中将の再三の増援の要請を無視していることでも分かる。

 そんな、本間中将にとって、マッカーサーを逃がすというのは失態である。
 すくなくとも、まずい事態だ。
 コレヒドールに対する監視強化をするしかなかった。
 出来ることはやる。
 それしかなかった。 

 日本陸海軍によるマッカーサー包囲網が出来あがっていた。

        ◇◇◇◇◇◇

「私は動かない。ここを離れる気は無い」

 マッカーサー将軍は強い口調で言った。
 彼の脱出の噂は、コレヒドール要塞まで広がっていた。
 コレヒドール要塞は、マニラ湾の細い出口を塞ぐように存在する。
 巨大な岩だ。
 まるで岩でできた戦艦のように見える。
 無数のトンネル内に線路が敷かれている巨大な要塞だった。
 
「大統領命令ですよ」

 サザーランド参謀長が抗議するが、その言葉には力がない。
 個人的には、今この状況で、ここにマッカーサー将軍が残っても意味がない。
 ワシントンはフィリピン支援を諦めている。
 真珠湾では、太平洋艦隊が全滅。アジア艦隊も強力な日本海軍の前ではクソみたいなものだった。

(クソ、ジャップどもが……)

 サザーランドは心の中で悪態をついた。
 最初から将軍は、ワシントンの命令に対し抗議をしていた。
 ここで、全軍を指揮し、最後まで戦うという意思を示していた。
 ダグ(マッカーサー)のプライド、軍歴を考えれば当然だろう。
 兵を捨て、この地(フィリピン)を離れることに耐えられるはずがない。

 しかし―― 
 それでも、彼は脱出しなければいけない。
 コレヒドールは強力な要塞であったが、それも物資があり、支援するという作戦があってこそだ。
 来るはずのない援軍を待ち、籠城するなど、愚策以外のなにものでもなかった。

 ダグは脱出すべきである。
 サザーランドは、苛烈ではあるが、これ以上ない有能な上官のことを思う。
 最終的な勝利は動かないだろう。
 日本軍の進撃はどこかで止まる。
 それでもだ。
 ここで、ダグを失うのはまずい。
 合衆国にとって、なにもいいことなどないのだ。

 各地で猛威を振るう日本軍に対し、反撃を加えるならば、オーストラリアに脱出するのが正解だ。
 ダグも一度は、折れそうになったのだ。
 ワシントンの意向に沿う意思を見せていた一瞬もあった。
 しかし、日本軍の謀略がそれを阻止していた。 
 
「なにが! 『I shall return』だ! こんな負け犬のようなことを私が言うか! クソ、ジャップどもが! 地獄に落ちろ」

 マッカーサーは吼えた。
 普段は、冷静な男であった。
 しかし、絶望的な状況と、全軍に流れる噂が彼の精神の平衡を喪失させつつあった。
 それでも、彼は冷静であろうとする。
 そして、その結果も、フィリピンに残るというものになる。
 目と鼻の先のバターン半島では、ウェーインライト少将が指揮する米・比軍が粘りを見せていた。
 見捨てるわけにはいかなかった。
 
(脱出は危険だ――)
 その思いがマッカーサーの頭の中を支配している。
 日本軍の謀略の内容があまりにも、正確すぎる。
 当然、自分は「I shall return」などというようなセンスの無いことは言わない。
 もっと、優雅な、センスのある言葉を言うだろう。
 まあ「I will be back」じゃないだけましか。

 俺は永遠にここにいる。老兵は死なない、永遠に粘ってやる。
 ジャップの前から消え去ることなどないのだ。

 一度怒りを発散すれば切り替えは早い。
 彼は、生来の冷静を取り戻す。

「サザーランド君」
「なんでしょうか? 閣下」
「脱出が戦略的に正解であるとしよう」
「はい」
「では、その正解に、敵がたどりついていたとしたらどうだ?」
「まさか――」

 その言葉を聞いたサザーランドは言葉をは別の思考を走らせた。
 彼の上官が言おうとしていることが分かった。
 確かに、おかしな部分がある。
 脱出方法について、正確すぎるのだ。
 そして、オーストラリアに脱出後の発言まで書かれている。
 そんなことを書く必要があるのか?

「いいか、サザーランド君」
 彼の思考をマッカーサーが中断させる。
「こちらの作戦内容が、漏れた……」
「それはない」
 断言した。
 マッカーサーは日本人の能力を、ここに至っても下算していた。
 こんなものは偶然で説明できると考えたのだ。

「いいかね、ここは島だ。というより巨大な岩だ。当然、脱出は船を使う。方法は小型船か潜水艦だ――」
「はい、そうなりますね」
「自信過剰なジャップは潜水艦ではなく、小さな船、つまり魚雷艇で逃げると考えたのだろう」
「はぁ……」
「そしてだ、フィリピンから脱出するのは、どうするね? 船か飛行機か?」
「それは、飛行機です。それで……」
「この情報の内容の一致は偶然だ。誰でも思いつく。オッカムの剃刀だよ。サザーランド君」

 過剰なまでの自信をあふれさせた言葉だった。

「そしてだ、なぜ、このような言葉を付けたのか?」
「『I shall return』ですか?」
「そう、そのセンスの欠片もない言葉だ」
 ふっと、口角を釣り上げ、マッカーサーは笑った。

「私に出て行って欲しいのだよ。ジャップは――」
「そんな……」

 よく分からない結論にサザーランドは当惑の表情を浮かべた。

「おそらく、奴らは弱っている。早々にフィリピンを片付けたいのだ。奴らは資源地帯を制圧するのを急いでいる。
 もし、私がここを離れたらどうだ? 士気の崩壊が一気におこる。短期間でフィリピンは落ちるぞ」
「それが狙い?」

 サザーランドは、それは考え過ぎじゃないかなと思ったが、確かに説明はできることだった。また、反論するのも難しい。頑固だから反論しても無理そうだった。日本軍の航空攻撃に関して、情報部が台湾からの攻撃と言っているのに、絶対に空母だと言い張ってきかないのだ。

「私は、最後まで戦うぞ。上等だ。いざとなればゲリラ戦の指揮をとってやる」
「ワシントンに…… それに、奥さんと息子さんが」
「自分の家族だけを逃がした、私を卑怯者と呼ばせたいのか?」
 決然とした言葉だった。
 そして、彼は言葉を続けた。

「ウェンライト少将に伝えろ、戦え、降伏は許さない。最後まで戦えと。私も続く――」
 岩をくりぬいたトンネルの中の古びた部屋。
 そこに、老兵の声が響いた。
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