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30.竹崎李長の突撃

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 近年まで元寇において大きな誤解が定着していた。
 鎌倉武士団は、博多湾に上陸した元軍を防ぐことができず、博多、筥崎を捨て撤退、数万人の捕虜を奪われ、博多、筥崎が焼き討ちされたというものだ。

 大嘘である。

 元寇の史料が少なく、第一級史料と評価されてきた「八幡愚童訓」の記述を完全に鵜呑みにしていたことが原因である。
 そもそも、博多周辺の寺社には蒙古軍の侵攻で街が焼けたという同時代の記録が一切ない。
 また、筥崎宮についても、近年の発掘により火災は文永の役以前に(それでも直近)に発生したものであることが判明している。

 同じく第一級史料といえる「竹崎李長絵巻」では、博多湾の今津へ上陸した元軍は、赤坂侵攻後に、菊池次郎武房により撃退されている。
 赤坂より麁原山《そはらやま》へ後退し、そこで兵を再編成するが、その後も鎌倉武士団の執拗な追撃を受けた。
 地理的には、遥か博多の西での戦闘であり、「八幡愚童訓」に記載された時系列で博多に侵攻などできるわけがない。

 また、捕虜の数があまり多すぎるのだ。

『異國かせん、何ほとの事あらんと、あなつりて、妻子、老人を隠しおかさりしよと、なけくも、かひなし、在々所々に、おし入て、いく萬人を奪取けん、みな人々(カ)、はしめは、ふんとりせんとするに、御方多くして、一人に一人は當つかすあるへきにやなと、いさみ進みしに、たゝ一旦の戦ひに、あきれさわきて、いふかひなく、軍、辰刻より、はしまりしか、日もくれかたに、なりしかは、あなたこなたに、さゝやき事こそ、多くなり』
(八幡愚童訓より)

 蒙古軍を侮り、妻子、老人を隠すことなく、数万人の捕虜を出したとある。しかも軍勢はなすすべなく撤退している。と、ある――

 どうにも「竹崎李長絵巻」の内容と大きく異なっている。
 この点「八幡愚童訓」には問題が多い。
 元寇より七〇から八〇年後に書かれた史料であること。
 恩賞の面で武士と敵対関係にある神官の手により書かれた史料であること。
 その公平性に問題があるのだ。

 また、現実に即しあり得ない記述も散見される。
 限界まで積載し四万人(水夫を入れ)の輸送力しかない船団がどのように万を超える捕虜を捕獲できるのだろうか。
 実際、「元史」に残る捕虜の数は子供男女二〇〇人とされている。
 全く数が異なっている。
 更に、陸上から兵を撤収する時間も問題である。
 たった一日で、撤収できるのかどうか?
 当時の抜都魯《バートル》、軍船の揚陸能力を考え、これも非常に懐疑的にならざるを得ない。

 では、なぜこのような非合理な説が長らく支持されてきたのだろうか?
 それは、近代以降の「大日本皇国」の歴史が大きく関係している。
 日米戦が昭和大帝の英断により、痛みわけという形で終結した。
 その後の歴史が問題だったのだ。
 大陸におけるソ連赤化勢力の伸張、日米で利害の一致した植民地解放によって、成立した親米・日半島政権「朝鮮民国」とソ連の傀儡である「高麗人民連邦」の紛争。
 中国における共産党と国民党の長びく内戦。
 
 日本は日米戦を乗り越えた後も、周辺諸国の戦争に関わらず得なかった。
 長びく戦争の中で、国民の厭戦気分は臨界点に達し、反軍運動も盛んとなった。
 ちょうど一九二〇年代の平和主義的空気に現実の戦争が覆いかぶさったようなものだった。

 このような中、教育界は「反軍」的な性向を強めていく。
 これは、国防省となった「陸軍省」「海軍省」と文部省の省益対立が現場の教育に持ち込まれ、戦争、軍を賛美することがタブーとなっていった。
 これに、昭和大帝が「国民の幸せによかれ」と思って推進した「民主化」が後押しをする。
 対米戦で大きな損害を受けながら、やっと引き分けに終わった(それでも奇跡であったのだが)結果も、国民の軍への期待を裏切る結果となっていたのだ。

 長くなってしまった――

 が、このような社会状況の中、軍事的な整合性から史料を評価するという視点が史学アカデミズムの中からすっぽり消えてしまったのである。
 軍事に関するものは全て禁忌とされてしまったのだ。
 歴史学会で「火力」「兵站」などという言葉を使おうものなら「軍事マニアの方の話は別のところでしてください」と言われるような状況であった。

 ソビエト連邦の崩壊による、冷戦の終了によってこの空気は大きく変わり、今では「八幡愚童訓」の軍事的部分の記述をまるまる信じる研究者は少なくなっている。

 つまり、元寇――
 一二七四年の文永の役において、徹底的な負け戦の中にあったのは蒙古、高麗軍であったのだ。

        ◇◇◇◇◇◇


 竹崎李長は、泥濘の多い赤坂を注意深く抜けていく。

(確かにここで、決戦はきついたい)

 騎馬の大軍を駆けさせ、攻撃をしたいと思わせるような大地ではなかった。
 だからこそ「菊池武房の勇猛」は評価されていい。
 彼に撃退されたのは、今津海岸から侵攻してきた、金方慶率いる高麗軍であった。

 高地を越えると、麁原山《そはらやま》が見えた。

「あれが、異国の旗ちゅーことか」

 見慣れぬ黄色の旗が風にたなびいていた。
 三角形の旗だ。
 黄色と黒の蜂を思わせる色だった。
 ひしめく様な数の旗がそこにあった。

 ドロドロと鳴り響く音――

「なんぞ、この音」

「銅鑼の音ですな」

 破戒が言った。

「どら?」

「鐘の太鼓のようなものですな。最初に会いましたお侍様が言っておられましたものでしょう」

 最初に会ったと言う言葉で、ボロボロになった負け戦の武士を思い出し、嫌な気分となる李長。

「なんとも、気味のわるいものたい」

 三井三郎が顔をしかめて言った。

「音ではなんもできん!」

 李長は決然と言った。
 もうここまでくれば、肝が据わったのだろう。
 また、菊池武房の勇猛に当てられたのかもしれない

 馬を進め、更に距離を詰めた。
 異国兵の細かい様子が分かってきた。

(なんちゅー異様な格好か!)

 我等武士のような煌びやかな、装いが全く無い。
 頭まで被った、原色で染まった戎衣。
 泥沼の多い、赤坂で戦ったからだろう。皆、汚れてみすぼらしく見える。

 武器は聞いていた通り弓と、長刀だった。
 弓はどうみても、こちらの弓より小さい。 

(得物《武器》は大差ないたい)

 長刀の先に反りが無く、真っ直ぐに見えるが、理解の外にあるような武器ではない。
 戦いの熟練者である李長は「突く得物」であろうと思う。
 
「あのぉ……」

 郎党のひとりが声を上げる。
 まるで、長刀に登るつもりか? と、いうくらいぎゅっと長刀を抱え込んでいる。

「なんじゃ?」

「恐れながら、お味方を待ってからの方がよろしかろうかと」

「阿呆か! 先駆けしっちゅーのに、待ってどぎゃんするとか?」

「しかし、先駆けした証を立ててくれる証人がおりませんと」

「ぬぅ……」

 確かに言う事はもっともであるが、もっともであっても腹がたった。
 怒りにまかせ、斬ってしまおうかと思ったが、こちらの数が少なくなるだけなので止める。

(こいつらは、証人どころか、追いはぎじゃ)

 その場に立っている、虎猿、伊乃、破戒を李長は見る。

「確かに証人はいるやもしれんたい」

 三井三郎が言った。怖気づいている感じではなく、冷静な打算の言葉だった。

「しっかしな――」

 竹崎李長が反駁しようとしたときだった。
 馬の呼気、ヒズメの音、鎧がこすれ合う音が聞こえた。

「ん? あ……」

 それは、一〇〇騎は超えようかという大軍だった。
 味方だ。
 味方の御家人。
 それも、自分たちとは問題にならぬくらいの有力御家人であろう。
 先ほどであった菊池武房の軍勢と遜色が無い。

「ちょうどよかッ!」

 竹崎李長は短く言葉を吐いた。
 味方は後方である。
 こちらが突っ込めば十分に「先駆け」になる。
 しかも、これだけの軍勢を率いる御家人であれば証人としては申し分ない。

「先駆けぞぉぉぉ!」

 兜の下のこめかみの血管を浮き上がらせ、竹崎李長は叫ぶ。

「肥後の国、御家人、竹崎五郎兵衛尉李長、先駆けいたす――ッ!!」

 びりびりと空気を震わせ、李長は絶叫した。
 三井三郎も続く。
 これは、味方に存在を知らせるためだった。
 従者が旗をたてる。
 たった一本の旗だが、ここに竹崎李長という武篇《ぶへん》がいるのであると、強く主張する。
 
 馬に蹴りを叩き込む、ヒズメが大地を蹴った。
 漆黒の馬が、たった二騎の重装騎乗弓兵を乗せ、異国の敵に向け突撃を開始した。

        ◇◇◇◇◇◇

『なんだ! こいつら、まだきやがるのかッ!』

 陣形をととのえ、盾で防陣を作り上げた高麗軍指揮官があきれた声をだす。
 もう、疲労は限界にちかかった。
 だが、ここで漫然と死を迎えるわけにはいかない。
 生きて帰る――
 それが、何も無い荒れ果てた地であっても、自分たちの故郷なのだ。
 その地に帰る。
 もはや、戦の勝ち負けよりも、いかに生き残るかということが大きな問題となっていた。

『小部隊だ! 矢で包み込め!』

 銅鑼が鳴る。
 いっせいに、高麗の短い弓から矢が放たれる。
 次々に放たれる。
 
 蒙古製の短弓は、投射性能では和弓に劣る。
 が、短いということは、引き絞る距離が短いということでもある。
 結果、矢の連射性が高くなる。
 さらに、二メートル三〇センチを超えるような和弓のように、熟練するまでに長い時間をかける必要も無い。
 矢を前に打ち出すだけなら、素人でもできる。
 だからこそ、高麗の貧民でも一応は兵として機能させることができたのだ。

 空間の半分が矢で埋めつくされるような集中砲火だった。
 矢による最終防護射撃《FPF》のようなものだった。

「けぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 それでも、竹崎李長は、勇猛な鎌倉武士であった。
 箙《えびら》から抜いた矢をつがえると、続けざまに、馬上で矢を引き絞る。
 ギリギリと軋むような音が耳に流れ込む。
 敵の矢が飛び交う。しかし、恐怖はなかった。 

「ひゃぁッ!」

 十分に引き絞り、弾性エネルギーを充填させる。
 一気に解き放った。
 強烈な運動エネルギーを与えられた征矢が、低伸弾道を描く。
 異国の盾に激突し、粉砕する。
 後方で、頭を貫通された異国兵が吹っ飛ぶのか見えた。

(やれる! やれるぞぉ!)

 二の矢を放つ。
 弓を放とうと、身を乗り出していた兵の胸を貫いた。
 敵の戎衣は、ぺらぺらの紙のようなものだった。こちらの矢を全く防ぐことができない。

(ひひひひひひ! 殺す! こうなれば、分捕りよぉぉぉ!!)
 
 先駆けから、目的が上昇。
 竹崎李長は、血走った目で、馬上突撃を敢行する。
 が――

「あがッ!」

 馬がけつまずいた。
 脚を泥にとられたのだ。
 危うく落ちそうになるのを何とかこらえた。
 身を低くし、馬にしがみつくようになった。

「ひーん!!」

 今度は、馬が立ち上がった。
 馬上で振り回され、落馬しないようにするだけで精一杯となる。

「がぁぁぁ、なんぞぉぉ!」

 李長は気づいた。
 自分の愛馬に、敵の弓が深く刺さっていることを。
 二本の矢で腹を穿たれ、ものすごい勢いで血が噴出していた。



 馬が激しく暴れる。
 李長はとうとう、宙に放り出された。

(これまでかい!)
 
 空が見えた。ゆっくりと、視界が動き。
 ドンッと、地面に叩きつけられた。
 他の者の様子を見るような余裕も無い。
 
 泥の中で、李長は身を伏せ転がる。
 近くを矢が掠めるように飛んでくる。

「死なぬ! ただで死ぬか! クソ蛮夷どもがぁぁ!」

 李長が立ち上がろうとしたときだった。
 ヒュンと、真正面に矢が飛んできた。
 交わすことなど出来ない――
 が、大鎧で防げ……

 コーンッ。

 矢が消失していた。

「あははは、鎧に傷がついたら値打ちが下がるよね」

 信じられないことだった、頭のおかしい胸の小さな女と思っていた者。
 伊乃―― 
 その女が、飛ぶ矢を蹴り飛ばしたのだ。

「おんし…… 何者たい?」

「あははは、早く突っ込んで、首斬られてくれば、鎧と兜は取り返してあげるから。傷つけないように戦ってよ」

 まるで、気軽な天気の話でもするかのように、異様なことを口にする伊乃。
 ただ――
 それよりも、異様なのは、敵の弓を、見切ったようにかわしていることだった。
 身体の象が、ぶれるほどに、その動きが早い。

(なんじゃ…… 一体)

 李長はとりあえずの疑問を頭から振り払う。
 今は、敵を分捕ることが最優先だった。

「おのれがぁぁぁ――」

 太刀を抜き、切込みを仕掛けようとしたときだった。
 どうも、空気が変わっていた。

(なんぞ……)

 気づくと、矢の密度が下がっているようだった。
 なにか?
 背後から、大地を叩き、震わす音が響いていた。

「殺せぇぇ!! 討ち取れぇぇ!! 斬り刻めぇぇ!!」

 さきほど後ろにいた武士団だった。
 百騎を楽に越える大軍が、郎党《歩兵》を引き連れ、馬上突撃を敢行していた。
 味方の弓が風を切り裂き、異国兵を貫き、一瞬で骸に変えていく。
 
 ごぉぉと、音をたて、大軍団が竹崎李長の眼前を通り過ぎていく。
 異国兵は反撃を諦め、バラバラに逃走を開始した。
 盾や弓などを投げ出し、身一つで逃げていく。

 逃げていく兵がなにか丸いものを放り投げた。
 ふらふらと勢い無く放物線を描き、近くまで飛んできた。
 そして、ボーンと締まらない音をたて、濛々とした煙を周囲に撒き散らす。
 パラパラと小石のようなものが兜に当たるが、どうということでもない。

 煙が風の中に消えていく。
 すでに、異国の兵たちは疎林の中を逃走していた。

「あ…… あ……」

 逃げていく異国兵を見ながら、李長は、なにかを言おうとしたが、言葉がでない。

「あ~あ、逃げちゃったよ。相変わらず、弱いね」

(あの女はいないし、どこにいるんだろう――)

 伊乃は一瞬だけ、刃物のような視線を壊走する敵に向けた。

「李長ぁぁ! 無事か!」

 三井三郎だった。
 手傷を負ってはいるようであるが、軽症に見える。

「ああ…… なんとか生きとるたい」

 身体のこわばり、筋肉の中に溜まっていた力が一気に抜けたしまった感じだ。
 
「あーあ、生きてるんじゃ、駄目だよねぇ。ここで味方(一応)を殺すのも悪いし、お兄さん、いい男だしなぁ。でも、なんで、死なないかなぁ。ねえ、あいつら、追いかけて死なない?」

 伊乃が狂ったことをほざいていたが、竹崎李長は聞いていない。
 おつむの変な女の言葉を聞く気分ではないのだ。
 そんな気分の日がくるかどうかは、分からなかったが。

 李長は背後に気配を感じ振り返った。
 突っ込んできた御家人のひとりだ。
 彼は、舞うようにして馬から降りた。

「先駆け、お見事なり!」

 竹崎李長にそう言った。
 見ると、武士団の大将であろうか。
 落馬し、泥だらけになった李長に、惚れ惚れするような笑みを浮かべ言った。
 御家人は、肥前の白石通泰であると、名乗った。

「肥後の国、御家人、竹崎五郎兵衛尉李長――」

 とりあえず「先駆け」の手柄は立てたのだろうと、李長は思う。
 
(ああ、絵巻に残すなら、少し脚色せんといかんたい――)と、そんなことをぼんやり考えていた。
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