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29.目標・麁原山

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(これは、非常にあかんことかもしれんたい……)

 竹崎李長は、ぼろ糞にやられた男の言葉を胸の内で反芻する。
 異国の敵兵は一万を超えるらしい。
 数にものをいわせ、無茶苦茶に矢を放ってくるらしい。
 矢は当たろうが当たるまいが関係なく、山なりでも構わず遠間から撃つらしい。
 突っ込んでいくと、無数の兵に囲まれ、馬より引きずり降ろされ、なぶり殺しになるらしい。

「あははは、たいしたことないよ。李長のおにーさんなら、大丈夫だから!」

 なんの慰めにもならぬ見た目だけの頭のおかしな女が言った。

(伊乃というたか…… おつむが悪いのだろうな。胸もないが……)

 並外れた美しさは「天女」かと思うくらいであるが、頭と胸が残念であるなと、竹崎李長は思う。

「ねー、虎猿。平気だよね」

 ひょいっと、伊乃が虎猿の背にとびついた。
 細く白い腕を、赤く焼けた虎猿の首に絡めた。艶かしさすら感じさせる所作。

「いっぱい、殺したもんね……」

 伊乃が虎猿の耳元で囁く。
 血の色をした吐息が桜色の唇から漏れる。

「降りろ」

 虎猿の言葉に、すっとその身を放す伊乃だった。

「どーにもならんたい」

 竹崎李長はつぶやく。
 一度は死を覚悟し、生きて帰れば僥倖《ぎょうこう》であろうと考えていた。
 が、異国との戦を経験し、敗れてきた者を目にして心が揺れた。
 とても、子孫に残す大絵巻に描けるものではない。

「なんで、むくりとこくりの阿呆どもは攻めてきたのかのぅ?」

 姉婿の三井三郎が言った。その心の中に怯えや恐怖があるのかどうか、それは分からなかった。

「阿呆なんじゃろ。阿呆にきまっとるたい」

 李長はそんなことをまともに考える気にもならなかった。

「阿呆なりの理由というものがありましょうな」

 僧形の中年男が、訳知り顔で言った。

「どんな理由たい?」

「さぁて……」

 そう言うと、破戒は脂ぎった坊主頭をぬるりと撫でた。

「戦の理由―― その多くは銭でありましょうな」

「銭?」

「土地は銭を生みまする。人も銭になりまする。支配は銭を生みまする」

 破戒の言葉は竹崎李長の腑に落ちた。
 言ってしまえば、李長自身が「地頭になりたい」という思いから戦に出てるのだ。
 それも銭だ。突き詰めれば銭のためだった。

「人は愚かなものですからな」

「なるほどぉ」

「ええ、ことゆーたい」

 李長と三郎はおたがいにうなづく。

(坊主というのはやはり上手いことを言うものたい)

 結局のところ――

 竹崎李長は、思う。
 命をかけねば、どうにもならんということに行き着く。
 零細御家人である、竹崎李長には「先駆け」の恩賞を狙うこと、そして運が良ければ「分捕り」できればいいということだ。
 己の命を投げねば、どうにもならぬということだ。
 どのように考えても結論は変わりそうになかった。

        ◇◇◇◇◇◇

 赤坂――
 博多湾に面した拠点のひとつだった。
 その高地に夷敵がいるという。
 竹崎李長の馬がその地にヒズメの跡を刻む。

「あ―― なんぞ……」

 それは、百騎を超える騎馬武者を中心とした御家人の軍団だった。
 まったくもって意気揚々。
 先頭を歩く郎党は敵の首級を長刀に掲げていた。
 団子のように、虚ろな目をした首が連なっている。

「豪気たい」

「おお、やるのぉ」

 竹崎李長は、いきなり負けてボロボロになった男に会ったせいで「負け戦では?」と思っていた。
 怪しさ以外になにもない三人が、自分の死を待って、鎧兜を剥ぎ取ろうとしているのも気鬱の原因ではあった。

 だが、目の前にやってきた武士団には、負け戦の雰囲気など微塵もなかった。
 敵から分捕ったのだろうか。
 見慣れぬ戎衣や、武器も運んでいる。

 大将であろうか――
 三〇歳ほどに見える美丈夫《びじょうぶ》だった。
 それだけでなく、威厳に満ち、戦の匂いをぷんぷんと漂わせていた。

「肥後の国、御家人、竹崎五郎兵衛尉李長と申す!」

 味方の勝利の様子に思わず、大音声で名乗っていた。
 
 ほう――
 という感じで、涼しげな眼差しを李長に向けた。

「肥後か――」

 そう小さくつぶやくと――

「肥後の国、御家人、菊池次郎武房であるッ!」

 鼓膜に打撃を与えるほどの衝撃派のような名乗りを上げた。
 数瞬の間、李長はくらくらして、落馬しそうなる。
 手綱を握り締め、なんとか体面を保つ。

「吾らこれより、異国兵に切り込む所存なりぃぃ!」

 なぜか、負けずに大声を張り上げる李長。
 場の空気がそのような感じだったのだ。

「あ―― 切り込むのか?」

「左様!」

「どこへ」

「赤坂に異国兵が――」

「逃げた」

「は?」

「もう、逃げたたい。バラバラに」

「なんと!!」

 菊池武房は気の毒そうな目で李長を見た。

「あ―― 赤坂を越えて、麁原山《そはらやま》に出れば、まだ居るかもしれんだい……」

 竹崎李長はポカーンと、その言葉を聞いていた。
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